2話 すべてを覆す一手
茨薔薇の敷地を突き進むように、一台の黒い車が駆け抜ける。
茨薔薇女学院の正門へ辿り着くと、そこに一人の少女が待ち構えるように立っていた。
僕、香菜、摩咲の三人は車から降りると、その人物の真正面まで歩み寄る。
「随分とお早いお戻りですのね、皆さん」
そこにいたのは、船橋灯里。
百瀬アリカの手先であり、夜羽が探し出そうとしていたスパイの少女。
「歓迎……されてるのかな、これは」
僕は様子を伺うように問い掛ける。
「退学届を出さない限り、貴女達は茨薔薇女学院の生徒である―――これは、アリカ様のお言葉です」
「つまり、オレ達は入ってもいいってコトか?」
「ええ。本当に慈悲多く、懐の深いお方ですわね、アリカ様は」
「……船橋さん。まさか、貴女があたしを襲った犯人だったなんて」
摩咲と香菜もそれぞれ僕の隣に立ち、船橋と対峙する。
「あら、渋谷さん。その様子ですと、薬は上手く作用したみたいですわね」
「薬……やっぱり、あたしに何かしたのは―――」
「数日、随分とストレスを抱え込まれていたようでしたので。そういった感情に対して良く効くんですのよ、これ」
そう言って、船橋は胸元からひとつの注射器を取り出した。それはペンに近く長細いサイズ感をしている。
「記憶領域から不要なものを閉じ込めるには、それを上回る刺激が必要になります。これはそういった仕組みの上に成り立っている代物ですの」
「……科学研に所属してすらいない貴女が、いったいどうやってそんなものを?」
香菜の問い掛けに対し、船橋は薄ら笑いを浮かべながら答える。
「私、とっても優秀なお友達がいまして。今日もまた素敵な香水をつけていますのよ?」
「蜜峰漓江……!」
「そう。彼女は私を監視する一方で、私のお友達として振る舞っていた。あれが二重人格だったなんて知りませんでしたが、今にして思えば納得ですわよね?」
「まさか。いくら蜜峰さんとは言え、そんなものを作れるわけが―――」
「彼女がどこに所属していたのか、貴女方もご存知なのでは?」
船橋の言葉に、僕達は絶句する。
蜜峰漓江は夜羽の手先として動いていた、それは間違いない。しかし、それだけではないのか?
「蜜峰漓江は黒月直属の研究員です。そこでどのような研究がされているのか、この後に及んで知らないとは言わせませんよ?」
「いや、それは―――」
僕は思わず口籠る。
蜜峰さんは確かに夜羽の手先であるのだろうが、それが黒月直属であるとなれば話は別ではないのだろうか。
「……まあ、良いでしょう。彼女はもうこの学院にはいませんし。それで、貴女方は何をしにここまで来たんです?」
「僕達は百瀬アリカと面談しにきた。具体的に言うなら、そう―――円卓会議の場を設けて貰いたい」
あれから内部事情に変化がなければ、まだ僕や摩咲には円卓序列の座が残っているはずだ。そして、あの時の話し合いの中で香菜の名前も上がっていたし、ここにいる三人には参加資格があると言っていい。
「円卓会議、ですか。なるほど、あくまで公平な立場の上で話し合いをする事で、自らを不利な立場に持ち込まない、と。浅ましい悪知恵ですね」
「なんとでも言えばいいさ。問題点はただひとつ。僕達にその権限がまだ残っているかどうか、だよ」
灯里の嫌味ったらしい言葉に対し、僕が素っ気なく答えると、船橋は不機嫌そうな顔をして、
「アリカ様は受け入れる、と言われたので。ここでの問答は不必要ですよ、紅条さん。私に決定権はありませんから」
「そう。それじゃ、一緒に行こうか」
「……ええ、わかりました。おかしな人ですね、紅条さんは」
そうして、僕達は学院の敷地へ足を踏み入れた。
たった一日ぶりではあったが、何故かとても懐かしい気分になってしまう。
「アリカ様は茨薔薇の園です。行きましょうか」
そうして。
船橋の先導のもと、僕達は寮である茨薔薇の園へと向かうのであった。
◆◆◆
茨薔薇の園、四階、円卓の間。
僕は再びこの場所に立っている。昨日は無理やり連れて来られたけれど、今回は確固たる意志を持ってここまで来た。
隣には香菜と摩咲。
目の前には円卓の面子が勢揃いしている。
そこには当然、百瀬アリカの姿も含まれていた。
「ご機嫌よう。たった三人だけでここへ来た、と言うことは―――ようやく、あたくしの軍門に下るつもりになった、ということですか?」
相変わらず人を嘲笑うかのような口調で、その少女―――百瀬アリカは言う。
「うん。実はそうなんだ」
僕がそう答えると、アリカの顔が歪む。
それは以前にも見せた侮蔑の表情。どうやらそう簡単に信じて貰うわけにもいかないようだ。
「……何を企んでいるんです?」
「いや、ほら。僕達は結局のところ、この学院が何よりも大切だから。アリカちゃんがその利権を手にして学院長になるなら、それも悪くないかなーって」
「昨日のあの言葉を口にした人物と同じ方だとは到底思えませんが。そんな戯言をはいそうですかと信用するわけがありませんでしょう」
「まあ、それはそうだよね。うん、白状すると僕達は真実を確かめに来たんだよ」
「……真実、とは?」
僕の発言の意図に気付いているのかそうでないのか、アリカは首を傾げながら怪訝な表情をしている。
「それを話し合う為に、僕達の円卓会議への参加を認めて欲しい」
「なるほど、ようは敵情視察―――つまるところ、情報収集に来たと言う解釈で間違いないですかしら?」
「さあ、どうなんだろうね。もしかしたら、こちら側の情報こそ、アリカちゃんにとって有益なものになるかもしれないよ?」
彼女の置かれている現状を把握し、その思惑の先にある陰謀を暴き出す。
その上で、百瀬百合花による最後のひと押しを加え、彼女に真実を知らしめる。
もしも百瀬アリカが全てを承知の上で行動しているのであれば、きっとそこに救いはない。僕に出来る事はなくなるし、今度こそ本当に彼女は僕の敵となるだろう。
できることなら、違っていて欲しい。
その為の円卓会議であり、僕は必ずそこで必要なものを掴み取ってみせる。
「良いでしょう。貴女が何を企んでいるかは解りませんが、ただの話し合いと言う事であれば喜んで。あたくしがこの場を取り締まる存在である以上、その申し出を断るわけにもいきませんからね」
「そっか、うん。ありがとう、アリカちゃん」
「……ずっと思っていましたが。その……ちゃん、というのは辞めて下さりませんこと?」
「あ、嫌だった? それじゃ、えっと―――」
僕のそれとは違うだろうけど、そう言われてしまうと困ってしまうのだが、
「あたくしの事は、アリカ様とお呼びなさい」
「あ、うん。それは嫌だからアリカちゃんで」
どうやら、あまり気にする必要もなさそうだ。
◆◆◆
こうして、百瀬アリカによる円卓会議が開廷された。
円卓の席は全て埋まっていて、僕は暫定として円卓序列十位の座―――つまり、夜羽の代行的な立ち位置を与えられた。
アリカは当然のように序列一位。
摩咲と香菜は以前と変わらない座を与えられ、形式上は問題ないように思える。
「さて。突然の招集にも関わらず応じて頂き、ありがとうございます。今回は見ての通り、渋谷さん、濠野さん、紅条さんを加え、ここに新たな円卓会議を開廷しますわ」
「さっそくだけど、僕から質問させて貰ってもいいかな?」
僕は場の流れを掴む為、我先にと挙手をする。
「それは、あたくしに?」
「うん。前も聞いたと思うんだけど、どうしても確かにしておきたい事があって。三日月絵瑠を殺したのは、いったい何者なの?」
「三日月絵瑠―――ああ、ミカエルシリーズの十三番目の事ですか。処分した、という通達は受けましたが。どこの誰が、という事に関してはあたくしには解りません」
「直接手を下したのは裏の殺し屋だって聞いてる。僕が知りたいのはそこじゃない。誰がその指示をしたのか、だよ」
これは僕にとって一番譲ることのできない事案だ。この返答によっては、僕はアリカのことを―――
「ああ、なるほど。それでしたら簡単です。所有者が自ら処分を下したに決まっているでしょう。つまり、黒月ですわね」
「黒月……それは、夜羽ではなく?」
「今の彼女が黒月においてそのような権限を持っているとは考え難いと思いますけれど?」
つまり、夜羽はシロということか。
今更疑っていたわけではないけれど、明らかにすると決めた以上は徹底させて貰う。
「オッケー、大体わかった。それじゃあ最後の質問だ」
「最後、とは?」
僕の言い様にアリカは疑惑の声を漏らす。
「アリカちゃん。君はこの学院を手に入れてどうするつもりなの?」
「……なんだと思えばそのようなことですか。そんなの決まっています。あたくしがこの学院を手に入れ、お姉さまよりも優れた統率者であることを示す為ですわ」
「違う、そこじゃない。いや、それは確かにアリカちゃんにとって大切なことなんだと思う。けれど、そうじゃないんだ。具体的になにをする気なのか聞いてるんだよ」
「それは、あたくしがこの学院を運営して―――」
そこでアリカの言葉が詰まる。
しかし、僕はただ黙ってその続きを待つ。
それは僕だけではない―――アリカと船橋さんを除く、この場にいる全員がそうだった。
「……ええ、認めましょう。あたくしは百瀬と黒月が同盟し、天使の棺やミカエルシリーズといったものを利用してある計画を進めている事を知ってはいます。ですが、この学院を使って何をするかまでは知らされていません」
「それは、アリカちゃんがその計画に関わっていないってこと?」
「まさか。あたくしは百瀬の娘です。自分の家が直接指揮している計画に携われないはずがありません。それがなにか問題でも?」
「アリカちゃんが計画に関与しているなら、この学院で何が行われるのかについて知っていてもおかしくないと思うんだけどね?」
「……少し迂闊に喋り過ぎたようですね。ええ、そうですとも。あたくしは、まだその計画には関わっていません。お姉さまからこの学院の利権を完全に奪い取る、それがあたくしに課せられた条件なのですから」
―――ああ、やっぱり。
これで決まりだ。
百合花の読みは当たっていた。
アリカは計画の内容を知らされていると見せかけて、ただ駒として利用されているに過ぎないのだ。
「……まったく、あたくしの秘密を暴けて満足されましたか? まあ、もう少しでそれも完遂されるのです。今は違うとしても、これはもはや決定事項。この学院の生徒達も今やお姉さまの手から離れ、このあたくしの下へ―――」
アリカが自信満々に胸を張っていた、その時。
「……ふむ。どうやらこれは期待外れ、と言った結果のようだ」
円卓メンバー、レベル5のお嬢様である一人の女性―――短髪で高身長、見た目は中性的、確か名前は五月雨と呼ばれていた―――が、冷たい声色でぽつりと呟いた。
「そだねー。んー、ぶっちゃけあんま信じたくなかったんだけどぉー」
それに続くように、同じくレベル5の少女―――こっちは金髪派手ギャルっ子、確か双葉と呼ばれていた―――も、やる気無さげに口を開く。
「……は? 貴女達、なにを言っていますの?」
そして、そんな二人の言動に動揺している船橋。
「期待外れ、とはどういう意味でしょう。五月雨さん」
アリカもまたその発言の真意に気付くことなく、疑問の言葉を投げ掛ける。
「―――残念だったね、アリカ」
静かに立ち上がりながら声を上げたのは香菜だった。
香菜は周りを見回し、それぞれの円卓メンバーと視線を交わす。それに頷き返す者も。
そして。
そんな中で、ただ二人。
アリカと船橋だけが理解を示せず、そんな様子を戸惑いの様相で眺めていた。
「アリカ。あんた、この学院の生徒達が自分の手の中にあると思っていたみたいだけど―――」
香菜は憐れみさえ感じられるような瞳でアリカを見つめて、
「渋谷香菜を舐めないでくれる? 自分で言うのもなんだけど、この学院であたしの事を知らない生徒なんて誰一人として居ないんだから」
「それが、どうしたと―――」
「流石に、この短時間で全員に送るのは無理だったけど―――少なくともアリカと船橋さん以外、ここにいる全員には情報共有が済んでるんだよね」
今度こそ、アリカと船橋は絶句した表情を浮かべた。
気が付けば、彼女達以外の円卓を囲んでいる人間全てがアリカに向けて視線を向けている。
それは目の前でその事実を本人の口から聞くことにより、信用しきれなかった情報が確かなものであると知った者達。
彼女達が先程までずっと口を挟むことなく黙って聞いていた理由、それは―――
「んでもって、駄目押しって言っちゃなんだけど。今までの会話内容、全部これに録音させて貰ったから」
香菜はテーブルの上にさりげなく置いていたスマホを手に持ち、その音声ファイルの映った画面をアリカに向けて見せつける。
「あたし、この学院の八割以上の生徒達の連絡先知ってるんだよね。だから、あとはこれを皆に拡散させるだけってワケ」
「……まさか、そんな。いえ、いざとなればこちらには白百合の騎士がいるのです。最悪、昨日と同じように武力行使で―――」
「オイオイ、オレがそれを許すと思ってんのか? スマホで連絡すりゃ、濠野の人間がまた押し寄せて来るぜ?」
もちろん、そう簡単に二度目はない。
しかしながら、一度あった事実からアリカは目を背けることができないはずだ。これ以上、責任を抱え込むのは避けるべきなのだから。
「どうして、こんな……―――」
茨薔薇女学院奪還作戦、その第一関門。
その内容は、百瀬アリカを支持する生徒達、その全てをこちら側へ引き込む事であり、
「悪いけど本気で邪魔させて貰うよ。この学院をおかしな計画の好きになんてさせない。ここは、あたし達にとって大切な居場所なんだから」
それは、他の誰でもない。
この学院で交友関係を育んできた香菜だからこそ実現できたのだ。




