9話 深層心理のリザレクション
―――百瀬百合花の過去。
彼女の血筋の真実と、僕や夜羽との出逢い。
僕達は、そんな話に固唾を呑みながら耳を傾けていた。
「ほむりゃんと夜羽が、百瀬先輩と……?」
そして、それを聞き終えてから真っ先に口を開いたのは香菜だった。
「いやいや、そりゃおかしくねぇか? オレは紅条や黒月と同じクラスで入学したけどよ、そんときは初対面じゃなかったってのか?」
それに続くように疑問を呈する摩咲。
「わたしは当然覚えていたけれど。穂邑はどうだったのかしらね?」
はぐらかすように言う夜羽。
もちろん、僕はその頃の記憶を思い出せないので真実は定かではない。
「ほむりゃんが夜羽と仲良くなった理由がよくわかんなかったんだけど、そういうことなの……?」
香菜は考え込むように呟く。
「まあ、それは別にどうでもいいよ。それより百合花さんの―――つまり、茨薔薇女学院がその『居場所』ってこと?」
僕が口を挟むと、百合花が静かに頷いて、
「その通り。あの場所はわたくしと同じような境遇の方達を集め、自らの力で立ち上がる技術や知識を育む為の養成所のようなもの。そして、いずれは百瀬という家柄に頼らずとも確かな権力を手に入れる―――それがわたくしの計画ですわ」
「……そうだったんですか。あたしがほむりゃんに連れて来られたのは、百瀬先輩がほむりゃんを直接誘ったってことなんですね?」
「ええ。今の紅条さんは覚えていないでしょうけれどね」
なるほど、僕があの学院に入学したのにはそんな経緯があったのか。
「それは―――うん、やっぱり思い出せないけど。百合花さんにとって本当に大切な場所だってことはわかったよ。絶対に取り戻さなきゃだね」
「ほむりゃん……でも、やっぱりあたしは―――」
百合花の話を聞いた上で、やはり香菜は己の意見を曲げずにいる。それだけ思い詰めているということなのだろう。
「渋谷さんや美咲さんの言い分は理解できますわ。これはわたくしの責任であり、わたくしが自らの手で解決すべき事柄です。そこに他人が介入できる余地はほとんどありません。だからこそ、紅条さんや濠野さんは手を引くべきであると考えています」
「そりゃ、そうかもしれねぇけど―――」
百合花の言い分はもっともだった。
香菜や美咲さんだって意地悪で言っているわけではない。本気で心配してくれているからこその意見なのだろう。
「ねえ、わたしは?」
「夜羽は当然こちら側です。貴女には死の淵まで付き合って頂きますわよ?」
「ま、そうなるわよね」
当事者であるのは百合花と夜羽だけ。
僕や香菜、摩咲や美咲さんは直接的には無関係に等しい。事件に巻き込まれたという意味では関係はあるが、根本的な部分を変える為に行動できるほどの権利は持ち合わせていないだろう。
「そうは言ってもな。お前らが動いたところで今更なにが変わる?」
美咲が鋭い指摘を放つと、百合花は不敵に笑いながら、
「これがわたくしとアリカの抗争であるとするのなら糸口は見い出せましょう。そう、その通りであるのなら―――ですが」
「……なんだと?」
「あの学院はわたくしの所有物です。しかし、わたくしはあくまで百瀬の長女。それはつまり百瀬のものであるとも言える。……そう、わたくしが百瀬である以上はね」
「ちょっと待て。お前、まさか―――」
美咲さんは何かに気が付いたのか、目を見開いて声のトーンを上げた。
「百瀬であることを放棄する。つまり、本当の意味で家出をしてしまうのですわ」
「……へえ、面白いじゃない」
「待て待て! そんなことしてなんとかなんのかよ!?」
「百瀬先輩……本気なの……!?」
各々がそれぞれの反応を見せる中、百合花は淡々と言葉を続ける。
「もちろんこれは賭けになります。立場を失った上でアリカを言い負かさなければなりませんし。向こう側が持ちうる権力すべてを投入すれば、ただの小娘となったわたくしなど簡単に踏みにじられてしまうでしょう。そしてその為には両親を説得し、正式な手続きを踏まなければならない―――」
「もしもアリカだけでなく、百瀬や黒月が直接手を下してきたら―――お前、そうなったら自分がどうなるのか……解ってるんだろうな?」
「その時は夜羽に任せます。百瀬と黒月の企みそのものを叩き潰せば侵攻も止まるでしょう」
「それはいくらなんでも暴論だろ。それくらいであれだけ規模の大きな組織が計画を停止するのか?」
美咲さんの懸念は当然だ。
例えば『天使の棺』が無くなったとして、それだけで安易に手を引くなんてことがあり得るのだろうか。
「それについては心配ないんじゃない? 少なくとも、わたしが本気を出せば計画自体は頓挫させられる。問題は、本当にそんな計画のもとアリカが動いているのかどうかよ」
「アリカを引きずり下ろして事が済むなら重畳。もしも百瀬や黒月が関わってくるのであれば計画そのものを破壊する。これが当面の方針といったところですわね」
「……はあ。まさかとは思ったが本気なんだな、お前ら……。アタシは何も手を貸せんぞ?」
「ええ、もちろん。これはわたくしと夜羽の手で解決すべき問題ですから」
つまり、百合花が百瀬へ直接出向いてその動向を確認。その後に百瀬との縁を切り、個人としてアリカと対峙して学院の権利を取り戻す。
アリカがもし百瀬と黒月の計画によって動いていた場合、夜羽が直接『天使の棺』を破壊して計画を頓挫させ、すべてを終わらせる。
確かに上手くいけば解決するかもしれない。
だけど、果たしてたった二人の少女の力だけでそれを成し遂げることができるのか?
「……二人の考えはわかったよ。あたしもこれ以上は何も言わない。美咲さんの言った通り、ここから先はあたしも身を引くことにする」
美咲さんや香菜は手を貸さないと宣言。
摩咲は未だにどうするべきか悩んでいるのだろう、一言も発さずに眉間にシワを浮かべていた。
僕はいったいどうするべきなのだろうか?
百瀬百合花へ手を貸すか、夜羽と共に『天使の棺』を破壊するのか。
因縁があるのは『天使の棺』だ。
過去の話を聞く以上、どうやら僕はそれをどうにかするべく行動し、夜羽の代わりに記憶を失ったようでもある。
けれど、今の百合花を一人にしてしまっても良いのだろうか。
確かに僕に出来る事は何もないかもしれない。ただの幼馴染だったというだけで、僕には彼女を救うに足る権力も能力も存在しない。
ましてや、百瀬という家系での問題に足を踏み入れるわけにはいかないだろう。
―――それでも。
今の僕がこうしていられるのは、茨薔薇女学院という居場所があったからだ。
百瀬百合花という少女が手助けしてくれたからこそ、僕はなんの不自由もなく学生としての生活を送ることができている。
しかし、それに関しては香菜も同じだ。
放火事件から僕を救い出してくれたのは彼女であり、学院生活で常に身近にいて僕を支えてくれていたのは香菜なのだ。
そんな彼女がこれ以上は関わりを断つと言い切った。だというのに、僕は自分の我儘で彼女を突き放したままで良いのだろうか?
恐らく、ここの選択が僕の今後を左右する。
何が最善か―――もしかすれば、明確な最善なんて存在しないのかもしれないけれど。
「貴女はどうするつもり、穂邑?」
そんな僕の葛藤を見透かすように、夜羽が真面目な表情で問い掛ける。
「僕は―――」
ここにいるのは紅条穂邑だ。
記憶がなくても、積み重ねた結果は確かにそこにある。
自らの立場から羽ばたく為、高い場所へと手を伸ばしている少女。
生まれ持った特性を利用され、すべてに裏切られてしまった少女。
親友の為に命を賭して行動し、今もなおずっと傍で支え続けている少女。
僕はいったい、どの道を選ぶべきなのか?
『紅条さん』『穂邑』『ほむりゃん』
三人の少女達の声が脳裏に響く。
『……はあ、バカバカしい。誰かの為に、なんて―――私はそんな理由で行動してきたわけじゃないでしょ?』
声がする。
それは百合花でもなく、香菜でもなく、夜羽でもない。
頭の中で響き渡る、それは―――
『いい加減に自覚しようよ。私はずっと自分の為に生きてきた。その結果として誰かに感謝されたりしたとしても、それはただの偶然に過ぎない。自惚れているようだからハッキリ言うけど、私は所詮その程度の人間なんだよ』
「それは……でも、僕は……!」
「……穂邑? 貴女、いったいどうし―――」
すぐ傍で心配するようにこちらを覗き込む夜羽の声がどんどん遠ざかる。
『そろそろ認めなきゃいけないのかもしれない。私はどこまでも愚かで、どうしようもない罪人なんだって』
「僕は何もしてない……僕は違う……!」
『いいや、僕は私だよ。紅条穂邑はこの世に一人しかいない。現実逃避の時間はもう終わりにしよう。本当はいつだって、僕は私だったんだから』
「嫌だ……それじゃあ、僕がいなくなって―――」
『まだなにも解ってないみたいだね。自分のことながらうんざりだよ。過去を取り戻したくらいで今の僕が消えるわけがない。私はいつだって僕だったんだから。さあ、私の罪を認める時だよ、僕。そして、これからするべきことをハッキリさせるんだ』
そうして、気が付けば目の前がブラックアウトしていた。激しい頭痛が襲いかかり、たまらずに椅子から転げ落ちる。
「――――――」
誰かの声が聴こえるけれど、それを認識するほどの余裕なんてなくて。
『全部、思い出そう。そして知るべきなんだ。私が本当に喪ったものがなんなのかを』
思考はぐちゃぐちゃになり、僕の意識は次第に薄れて―――
『……いや、違う。そうじゃないんだ』
そこでふと気付く。
それは、どこまでも簡単な答えだったのだ。
『ずっと、僕は―――』
紅条穂邑という人間は、天使の棺によって二重人格になったわけではなかった。
ただ思い出せない時があるだけで、ふとした瞬間にすべてを思い返した時もあったのだ。
激しい頭痛によって呼び起こされたそれは、私としての記憶―――けれど、意識は確かに僕のまま。
そう、僕は間違いなく僕だ。
あの日―――病院のベッドで目を覚ましてからも、ずっと。
私であることを放棄し、僕として生きると決めた時も。
『―――紅条穂邑は、一人しかいないんだから』
思考が纏まっていく。
僕の意識が私の意識と繋がり、ひとつとなって。
ずっと忌避し続けていたけれど。
僕はいつの時も私であったのだ、と理解した瞬間―――
「―――りゃん、ほむりゃん!!」
目を覚ますと、目の前には涙を浮かべて僕を抱き上げている親友の姿がある。
ああ、確かに覚えている。
僕と彼女の出会いも、彼女と過ごしてきたすべての時間も。
「香菜……もう大丈夫、だよ」
僕は出来る限り笑顔を作って、香菜の目尻に溜まった涙を手で掬う。
「ほむりゃん、いきなり倒れるなんて―――」
そんな彼女の顔を見つめながら、僕はゆっくりと身体を起こす。
「―――って、ちょ!?」
そして、そのままの勢いで香菜を抱き締めた。
「ほ、ほむりゃん……どうしたの……?」
「―――今までありがとう、香菜。こんな私を、捨てずにいてくれて」
「え……―――」
僕は香菜を離し、その場から立ち上がる。
香菜は困惑の表情を浮かべながら、けれど何かに気付いたようにこちらを見つめていて。
僕は、ゆっくりと夜羽の方へ視線を向ける。
「……穂邑、大丈夫なの?」
「うん。もうすっかり頭痛もなくなったよ。ああそうだ、せっかくだからここで訂正させて貰うけど―――私、別に夜羽を恋愛対象として観てたわけじゃないからね?」
「はあ!? それ、どういう意味―――」
そこまで言って、ようやく夜羽も僕の変化に気が付いたように目を見開いた。
「……そう、ようやく目が覚めたのね?」
「うん。百合花さんもごめん、今まで面倒かけちゃって」
「……いいえ。貴女の為ですもの」
「オイオイ、何がどうなってんだ……?」
摩咲が戸惑っているものの、僕は構わずにもう一度香菜へと向き合った。
「―――ただいま、香菜。私はもう、大丈夫だよ」
僕がそう言うと、香菜は真っ赤になった顔をくしゃくしゃにして、僕の胸へと飛び込んだ。
「うん……! おかえり、ほむらちゃん……っ!」
―――そう、僕はすべてを取り戻した。
紅条穂邑として生きてきた記憶、そのすべてを。




