回想/百瀬百合花
わたくし―――百瀬百合花が百瀬家に養子に取られたのは、生まれて間もない赤子の頃だったと言う。
その事実を知ったのは十一年前。
深夜、父と母の会話を偶然にも立ち聞きしてしまい、その会話内容がわたくしが血縁ではないこと、それにより次期当主はアリカに受け継がれるだろうといったものだったのだ。
アリカがこの頃にその事実を知っていたのかは解らない。けれど、わたくしの中ではこの瞬間から疑惑が渦巻いていた。
そして、なによりも。
いずれ捨てられてしまうのではないか、なんていう子供ながらの恐怖心に耐えきれず、わたくしは次の日に家出をした。
どうせ捨てられるのなら、今すぐにこの家から逃げ出して新しい居場所を見つけてやる―――なんて、愚かしくも浅ましい思考のもとわたくしが向かったのは、実家である邸宅から対して離れてもいない場所にある公園だった。
そして。
そこでの出逢いは、自暴自棄になって闇に閉ざされていたわたくしの心に光を差し込ませ、結果的にわたくしは再び家に戻る事になったのだが―――
『どこへ行っていたのかは知らないが、あまり迷惑を掛けるなよ百合花』
帰宅してすぐに投げかけられた父の言葉は、あまりにも残酷なものだった。
普段から厳しいしつけを受け、両親の優しさなんてものはまったく感じたこともなかったが、この瞬間にわたくしは本当の意味で愛されていないことを悟った。
実際は使用人が常にわたくしの動向を監視していたらしいが、それにしても冷めた態度が過ぎる。
『おかえりなさいませ、おねえさま!』
部屋に戻ると、妹であるアリカがわたくしを迎え入れる。
たった二歳の差とは言え、体裁上ではわたくしが姉であり、彼女にとっては敬う対象だ。教育もそのように徹底されてきたし、この頃はアリカも可愛げのある妹をちゃんと演じていた。
それでも、この時のわたしにはアリカがもはや父や母と同じ『そちら側』の人間にしか見えなくて、
『こんなところでなにをしているの、アリカ。わたくしなんかに構っていないで、貴女は勉強でもしていなさい』
『……は、はい。ごめんなさい、おねえさま』
そうやって突き放してしまってから、まともに話すことすら減ってしまった。
◆◆◆
両親のわたくしに対する態度は相変わらずだったが、わたくしはそれから自立する為にはどうすればいいのか考え、解らない事はひたすらに勉強を繰り返していた。
表向きは言いつけに従い、勉学や習い事を淡々とこなしながら―――わたくしは、いずれくる日に備え、子供心ながら虎視眈々とひとつの計画を進めていたのだ。
しかし、やはり自分ひとりでは限界がある。
インターネットは禁止されていたし、なにより行動に制限がある以上はやれることも限られてくるのだ。
なにより、当時まだたった七歳という未熟な少女が描くものなど絵空事に過ぎず、それを支えてくれる存在もいなければ、肯定してくれるものすら居やしない。
自分の考えは正しいのか?
本当に上手くできるのだろうか?
不安は耐えず、妄想に留まり続けていたその計画は次第に行き詰まり―――
『……ゆりかちゃん?』
わたくしは、あの公園へと足を運んでいた。
あれから何度か会っていた穂邑という少女だが、少しの間わたくしが外へ出る機会に恵まれず、それは久しぶりの邂逅となった。
『お久しぶりです、ほむらさん。……あら、そちらの方は?』
少女―――ほむらは、以前とは違って一人ではなかった。傍らにもう一人の少女がいて、それは長い黒髪を靡かせた同年代らしき女の子だった。
『わたし、夜羽よ。こんにちは、百合花』
『あ……はい。ええと……よはねさん、ですわね』
『さんはやめて。貴女、わたしより歳上じゃない。呼び捨てでいいから』
『呼び捨て―――』
そう言われて気付く。
わたくしはそれまで、アリカ以外の人間を呼び捨てで呼んだ事がなかった。
だから何故か抵抗があり、どうしても最初のうちはさん付けが抜けなかったのだ。
『あの、ほむらさん。この子は……?』
『ぼくをひきとってくれる家の子なんだって』
『引き取って―――もしかして、孤児院から?』
『あー、正確には違うわよ。わたしは黒月の娘だけれど、ほむらが引き取られるのは紅条ってところだもの』
やけに言葉遣いが大人びているな―――というのが、わたくしが夜羽に対して得た第一印象だった。
『そうですか。それは本当に、よかった』
わたくしは自分の境遇を思い返しながら、辛い環境にいるであろう穂邑という少女のことを心から祝福していた。
『それで、百合花って何歳なの?』
『わたくしは今年で七歳になりますが―――』
『やっぱりお姉さんじゃない! ……ねえ、名字は? 名字はなんて言うの?』
『それ、は―――』
一瞬、百瀬という名を告げるのを躊躇う。
血の繋がっていない自分が、果たしてこの名を名乗る資格があるのだろうか、と。
『ゆりかちゃんは、ゆりかちゃんだよ。ぼくだって、こうじょう……? っておうちに行ってもほむらなんだから』
『ほむらさん―――』
『ま、それもそうね。それじゃ、百合花姉さんってことで!』
『え、ええ……!?』
わたくしは穂邑、夜羽という二人の友人を得て、孤独ではなくなったことに歓喜したが―――
しかし、そんな楽しい時間はすぐに終わりを迎えることになる。
◆◆◆
『ほむらさん、今まで本当にありがとうございました』
あれから数日後、穂邑へ最後の別れを告げた。夜羽が彼女を連れ、黒月と接点のある紅条という家に引き渡すのだという。
『うん、ゆりかちゃんも元気でね』
『……はい。それで、夜羽は戻ってくるの?』
『元々この辺に住んでるわけじゃないし、わたしもこれでお別れね。寂しいけれど、また会えるかもしれないし。泣くんじゃないわよ?』
『な、泣きません……!』
この数日は本当に濃密な時間を過ごした。
立場を気にせず、まともに接してくれた唯一の友人達。短い間ではあったけれど、この刹那の時がわたくしの心を癒やしてくれたのは間違いない。
『あの、ほむらさん―――』
『? どうしたの、ゆりかちゃん?』
すべてはあの家出の日。
最初は男の子だと勘違いしていた少女、穂邑との出逢いが始まりだった。
自分に価値なんてないと思い込んで逃げていたわたくしを認めてくれた、はじめての女の子。
『わたくし、いつか貴女を迎えに行きます。自分で頑張って、今度こそみんなで一緒にいられる居場所を作ってみせますから……!』
別れは辛いけれど、それでも永遠ではないのだと信じて。
その為に、自分が何を成すべきなのか―――これまで曖昧だった未来像がくっきりと明確になっていく。
『へえ、面白いじゃない。その時はわたしも呼んでよね、百合花姉さん?』
『うん、楽しみにしてる。また会おうね、ゆりかちゃん』
そうして、わたくし達は手を振りながら笑顔と涙を浮かべて別れを果たした。
それから、今に至るまで。
明確になった進むべき道を、わたくしはただひたすらに突き進み続けていたのだ―――




