7話 唯我独尊のアクインタンス
濠野邸の裏庭には、檜の壁に覆われた広々とした場所―――いわゆる露天風呂が設置されていた。
僕と夜羽は、客室まで迎えに来た使用人―――摩咲が湊と呼んでいた女性に引き連れられ、入浴の為にそんな場所へとやってきていた。
「こちらが浴場です。お着替えはそちらの更衣室でどうぞ」
更衣室と呼ばれたそれは小さな小屋の形になっていて、窓もなく扉がひとつあるだけの木製のものだった。
僕が更衣室を眺めていると、その扉がゆっくりと開き、中から一人の少女が現れる。
「……あら、紅条さん。それに夜羽も。お二人も入浴に来ましたの?」
そこにいたのは百合花であり。
その姿は、いつもとは打って変わったものだった。
綺麗に纏められていた縦ロールは解かれ、人形のように着飾っていた豪奢なドレスは脱いで、バスタオル一枚がその華奢な身体に巻き付けられている。
「うわっ、ちょ、なんですかその格好!」
僕は慌てて手で目を隠すと、
「馬鹿じゃないの穂邑。ここ、お風呂場よ?」
なんて、隣にいた夜羽に突っ込みを入れられる。
「ふふ。それでは、わたくしはお先に失礼しますわね。貴女達も早くおいでなさいな」
百合花はいつも通りの尊大な振る舞いをしながら、更衣室から浴場へと歩いていった。
なんというか、あんな格好なのに普段通りのオーラみたいなものを感じさせるのは流石だな、と思う。
「ほら、わたし達も行くわ、よ!」
そう言いながら、夜羽は僕の背中を強く叩いた。
「いっ―――!? ちょ、なにすんのさ夜羽!」
「いつぞやのお返し、そういえばまだだったなーって思って」
にやついた表情でそういう夜羽の笑顔を見て、僕はえるの事をふと思い出して―――
「……なに、どうしたの穂邑?」
「いや……うん、なんでもないよ」
僕の記憶にある彼女の顔と、今目の前にいる少女の顔。
それはどこまでも似通っていて、未だに信じられない真実と、えるが死んだという現実が押し寄せてきて。
こんなの割り切れるわけがない―――そう解っていても、ふとした事で思い返しては気分が鬱々としてくるのは本当に辛かった。
◆◆◆
更衣室で服を脱ぎ、バスタオル一枚の姿で浴場へと足を踏み入れる。
空は満天の夜空。
空気は澄んでいて、周囲から聞こえる木々のざわめきが心地よい。山の麓ということもあり、自然に囲まれたその場所はどこか異質で―――
「おう、オマエら。遅かったじゃねぇか」
広々とした露天風呂に浸かっているのは二人の少女。
そのうちの一人―――金髪ヤンキー、濠野摩咲がこちらに気付いて声を掛けてきた。
「あ、摩咲。いたんだ」
「そりゃいるだろ、ここオレんちだぜ?」
「お二人も早く身体を洗ってこちらへどうぞ。そんなところで立っていては風邪を引いてしまいますわよ?」
「そうね。そうさせてもらうわ」
僕と夜羽はすぐ傍にある備え付けのシャワー室に向かう。
「ねえ穂邑、わたしが流してあげよっか?」
なんて、どこか浮ついた声色で夜羽がとんでもないことを言った。
「ええ!? いや、それは別に―――」
僕が戸惑いながら面食らっていると、夜羽は苦しそうに笑いながら、
「冗談よ冗談、もしかして本気にした? ふうん、ちょっとは可愛いとこあるじゃない。初々しさっていうか……そういうの、前の穂邑にはなかったから新鮮ね」
「え……―――」
何故かは解らないけれど。
夜羽に昔の自分を引き合いに出されたことに、僕はどこか苛立ちみたいなものを覚えてしまった。
「さ、とりあえずシャワー浴びましょ」
「あ……うん、そうだね」
そんなこんなで、僕達はそれぞれ身体を流し、入浴の準備を済ませることにした。
◆◆◆
露天風呂は控えめに言って最高だった。
普段からシャワーだけで済ませている自分にとって、これほどの極楽は初めての経験であった。
「オイオイ紅条、顔が緩んでんぞ?」
そんな僕の様子を眺めながら、摩咲が嘲笑うように言う。
「うるさいなあ。少しはゆっくり浸らせてよ」
「ん、ああ……そうか、オマエってレベル1なんだっけ? それじゃアレか、寮の四階にある大浴場とか使ったコトねぇのか」
「そういえば、そんなのあるって……もしかして、こんな感じのが寮にも……!?」
僕が驚いていると、すいすいと泳ぐように一人の少女―――夜羽が近付いてきて、
「あれは凄いわよ。普通そこまでこだわる? って疑問が沸いてくるくらいのレベルね」
「ふふ、それはそうでしょう。わたくしの特注なのですから」
胸を張りながら威張っているのは百合花だった。
残念ながら、彼女も僕と同じで無いものは無いのだが―――なんて、胸元に視線を向けてそんなことを考えていると、
「ちょっと。目つきがいやらしいわよ、穂邑」
「ふぇ!? あ、いや、そんなつもりは……!」
夜羽の鋭い指摘に、思わず慌てて否定する。
「あら、わたくしは別に構いませんわよ。このような場ですし、そういう目で見られてしまうのは仕方のないことですわ。わたくしの可憐なプロポーションに見蕩れてしまうのは当然のことですしね?」
「え、あ、うん……」
まあ、僕は貧相だろうと豊満だろうとそれが女性の魅力に直結するなんてことはまったく考えていないのだけれど、思わず乾いた声が出ていた。
「貴女達は良いわよねぇ、無駄な膨らみがないから楽そうで」
僕達の身体をまじまじと眺めながら、夜羽は溜め息を吐きながらそう言った。
「……は?」
大切なことなので二回言うが、僕は別に貧相な身体だからって魅力が損なわれるとはまったく思ってはいない。断じて。
「今、何か聞き捨てならない台詞が聴こえましたわね?」
僕と百合花は揃って夜羽を睨みつける。
「ああ、ごめんなさい。もしかして気にしてた? 全然そんな風には見えなかったから、てっきり問題ないかと思ってつい口が滑ってしまったわ」
どこまでも白々しい口調。
明らかに煽るつもりで言ったということはそれで理解した。
「オイオイ、オマエらこんなトコでケンカすんなよ」
摩咲は呆れた表情でそんなことを言う。
彼女は背丈が高く、スタイルも良い。こうして裸体を見るのは初めてだけど、出るところはしっかり出ている。
そんな彼女の余裕ぶった態度も、僕や百合花にとっては相当な刺激となり―――
「百合花さん」
僕は百合花の近くへ寄り、真剣な眼差しを向ける。
「穂邑さん―――ええ、解っていますわ」
そうして。
気持ちの通じ合った僕達は、目の前にいる憎き敵を見据えながら、
「「夜羽のバカ―――!!」」
声を合わせて、思いっきりお湯の砲撃をお見舞いしてやった。
「ちょ、うぷ……っ!?」
僕と百合花、初めての共同作業。
それはバインバインな悪の女幹部を倒すことなのだ―――!
「やったわね二人とも……! わたしに歯向かうのがどういうことか、その身を以て教えてあげるわ!」
「ちょ、オマエら―――ああもう、こりゃオレには止めらんねぇな……」
そうして、僕らは気が付けばお湯をかけあって騒ぎだしていた。
この面子で年頃の女の子らしいやり取りをしたのは初めてだったはずなのに―――どこか、懐かしさすら感じていて。
「挟み込みますわよ、穂邑さん!」
「任せて―――あっ、こら夜羽! バスタオル振り回すのはずるいって!!」
「甘いわね穂邑、争いにルールなんてないのよ! それと百合花! 貴女、昔の口調が戻ってきちゃってるんじゃない?」
「しりません……! 夜羽こそ、普段はクールぶってるクセに!」
童心に帰るかのように、百合花も夜羽もはしゃいでいて―――
「……ちょっと、なにしてんの?」
そんな僕らを見下ろすように、浴場の入口からやってきた香菜が呆れ顔で立ち尽くしていた。
「あっ、香菜……! 丁度良かった、そこの妖怪おっぱい女を倒すのに力を貸して!」
僕が仲間が増えたことに喜びながら叫ぶと、
「また増えたわね、貧相な雑兵ナンバースリー!」
夜羽が不敵な笑みで香菜を指さして言う。
「―――は? 誰が貧相だって……?」
カラン、と香菜の手に握られていた桶が転がり落ちる。
その手は震えていて、香菜の顔は一瞬にして鬼の形相に変わる。
「ああもう、ただでさえイライラしてんのに……! 覚悟しなさいよ、夜羽……ッ!!」
そうして。
香菜が参戦し、戦場は熾烈を極めることとなるのであった。
◆◆◆
結局、香菜は暴れるだけ暴れた後、すぐに浴場から出て行ってしまった。
それに続くように、摩咲ものぼせたのかフラフラとした足取りで去って行った。
僕と百合花、夜羽の戦いは、
「あー、疲れた。もうわたしの負けでいいわよ負けで」
夜羽が疲労困憊になりながら、そう敗北を認めることで決着となった。
そうして、気が付けば露天風呂には僕と百合花の二人だけとなり―――
「はー……、綺麗な夜空だなあ。月もくっきり見えてるし」
僕は湯に浸かり、くつろぎながら息を吐く。
「ええ、そうですわね……」
共闘の後、僕達は自然と並んで露天風呂を楽しんでいた。
バスタオルは戦いを終えた後、武器としての役目を果たし、綺麗に折りたたまれて傍に置かれている。つまり、二人とも完全に真っ裸だ。
けれど、何故か今はそんなことは気にならなくて―――ただ、このまったりとした時間が心地よかった。
「それにしても、ずっと思ってたんだけど。百合花さんって表向きはしっかりしてるのに、プライベートでは結構ゆるいよね」
「ゆるい、と言うのは少しばかり心外ではありますが。わたくしだって年頃の女の子なんですわよ?」
言葉とは裏腹に、百合花の口調はどこまでも穏やかなものだった。
「けれど……ふふっ。こうして貴女と裸の付き合いをするなんて、夢にも思っていませんでした」
お互い、視線は夜空に向けたまま。
けれど何故か彼女に見つめられているような気がして、余計にそちらへ目を向けられなかった。
「なんていうか、ここ最近は怒涛の展開だったからなあ。僕だってこんな風になるなんて思わなかったし……。そもそも、百合花さんとまともに二人きりで話すのもこれが初めてだから」
「……そう、ですわね」
百合花の少し寂しげな反応に、僕はハッとした。
「あ……そういえば、記憶を失う前の僕と百合花さんって―――」
「ただの友人ですわよ。わたくしにとっては恩人でもありますが―――まあ、それは貴女からしてみれば関係のないことでしょう」
「それは、そうだけどさ。やっぱり思い出せないから、その……気付かないうちに失礼な発言とかしてないか心配で」
「わたくしだって貴女の事情は把握していますし、それくらいで気分を害するほど余裕のない人間ではありませんから。お気になさらないで下さいな」
どこまでも気丈な返答ではあるが、やっぱり口調の中にどこか寂しそうな感情が見え隠れしていて。
「百合花さんは思い出して欲しいって言ってたよね。だから、深く問い詰めたりはしないようにしてたけど―――夜羽に話を聞いてから、昔の僕が真っ当な人間だったのか疑問に思い始めてるんだよね」
「……と、言いますと?」
「いや、うん。詳しくは省略するけど、紅条穂邑って人間が、貴女のような凄い人に恩を感じられる存在だなんて、とても―――」
僕がそこまで言うと、百合花は深く溜め息を吐いて、
「……本当に。少しはまともになったかと思いましたが、やっぱり駄目な人ですわね」
「えっと、その……―――」
「それ、絵瑠の口癖。移ってますわよ」
「あ、うん……」
無意識だったので、自分ではまったく自覚はないのだが―――
「……はあ。まあ、それが今の貴女だと言うなら仕方ありませんけれど。わたくしとしては改善を希望したいところですわね」
「善処します……」
やっぱりこの人、根っからの唯我独尊―――自分勝手の極みを体現したような人間だなあ、と思わされる。
表向きに振る舞っている尊大な彼女も、プライベートでたまに見せる緩んだ彼女も―――どちらも百瀬百合花であり、それが彼女という人間なのだろう。
「……それでも、救われてはいますので。今だけは特別に許してあげますわ」
先程とは違い、優しさの感じられる声色で百合花は言う。
「救われてる……って、僕に……?」
「ええ、こうして手助けして下さっていますから。わたくし、恩を仇で返すなんてことは絶対にしませんので」
「ああ、うん。まあ、別に百合花さんの為ってわけでもないんだけどね」
「……解っていますわ。絵瑠のことはわたくしも同じ気持ちですから。立場に縛られて動けなかった自分はもういない。貴女や夜羽、美咲さんや咲弥様……色んな人に支えられて今のわたくしがいる。そのことは決して忘れたりしません」
そう語る百合花は、きっと僕には計り知れないほどの覚悟を秘めていて―――
「だから、必ず解決してみせます。茨薔薇女学院やアリカだけではない……百瀬や黒月の企みを暴き、組織間の抗争に発展しかねない現状を必ず打破してみせますわ」
百合花は湯に浸かっていた身体を起こし、空を見上げながら立ち上がる。
そのまま僕と視線が合うと、彼女はどこまでも気丈に笑いながら、その手をこちらに差し伸べて、
「だって、わたくしは百瀬百合花なのですから」
誓うように、月の下でそう宣言したのだ。




