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5話 閑話休題のプリーヴィアス

 僕は、一年前に起きた事件についての話を夜羽から聞き終えた。

 その内容は、僕にとってまったく覚えのない話ではあったが―――


「僕―――いや、私が一年前にそんなことを?」


 天使の棺。

 それは人間の脳に空の記憶を植え付けることで新たな人格を生み出す装置。

 そして、それを作り上げた研究者であるという人物を、記憶を失う前の僕―――紅条穂邑が刺し、天使の棺を自ら使用したのだと言う。


「その人……もしかして、死んだの……?」


 もしそうだったのだとすれば、私はれっきとした犯罪者になってしまうのだが―――


「……死んではいないわよ。というか殺していたら貴女は今頃こんなところにいないでしょう。重症を負ったのは事実だけれどね」


「いや、それにしても……死んでないとはいえ、何もなかったなんてことは―――」


 人間を刺し、重症を負わせたのならば、それなりの処罰を受けていてもおかしくはない。

 しかし、天使の棺によって空の記憶が植え付けられ僕という人格が生み出されたのだとしても、僕が警察のお世話になった覚えはない。


「そもそも、貴女があの施設に拉致された……いいえ、呼び出されたこと自体がイレギュラーだったのよ。その責任は当然、所長であったあの人に全て覆い被される。そういう場所で起きた事件なのだから、重症を負った程度のことで貴女を告発するわけにもいかなかったのよ、多分ね」


「多分、って―――」


「それでも制裁は受けたでしょう? 正式に裁くことが出来ない以上、裏側から手を回すしかなかったのだし、相当荒々しい手段ではあったと思うけれどね」


「―――……は? 制裁、って?」


 僕に直接何かしらの危害が加えられた、ということなら、そんな記憶はまったく―――


「いや……まさか、そういうこと……?」


 ひとつだけ思い当たる節があった。

 それは僕としての記憶、その最初期に当たるもの。


 燃え盛る空間の中で死を覚悟した、あの―――


「僕や香菜、それに僕の両親を家ごと焼き殺そうとしたってこと……!?」


「そう聞いているわ。わたしはその時、施設の引き継ぎで忙しかったから、直接確かめる術はなかったし……その事を知ったのは随分と後の話なのだけれどね」


「く、狂ってる……そんなの、確かに僕―――いや、私がしたことは許されざる行為だけど、でも……香菜や両親を巻き込むなんて……!!」


「口封じも含めていたんでしょうね。天使の棺は黒月における重要機密扱いだった。それを知り得た可能性のある貴女の家族、友人……それらを含めて始末する。制裁、なんてのは口実に過ぎなかったんでしょう」


「だからって……いや、でも―――」


 正直な話、あの時の僕は死ぬ事に対して諦めのような感覚を抱いていた。


 今思えば解る。

 あの時の私は記憶を失いながらも、自らの行いを悔いていて―――その結果としての死を受け入れる、それくらいの精神状態であったのだ。


 両親が殺された―――なんて、そんな事実は今でさえ実感が沸かない。だって顔すら覚えていない相手なのだ。自分を育ててくれた存在だったのだとしても、記憶になければ愛着など沸くわけがない。


 我ながら冷めた考え方だと思うけれど、こうして事件の真相を知ったところで、憤りのような感情が生まれることはなく。


「……そうなんじゃないかとは思っていたけれど。やっぱり、こうして話を聞いたくらいじゃ現実感はないみたいね」


 夜羽の言う通り、僕には本当にまったくもって現実感なんてものが沸かなかった。


「許せない、とは思うよ。両親の顔は思い出せないし、僕があの場所で焼け死んでいたとしても仕方がないと割り切れはする。だけど、香菜まで巻き込んだことだけは絶対に許せない」


「まあ、そうよね。一応断っておくけれど、もしもわたしが事前に知っていれば全力で阻止したわ。ええ、これは我が身可愛さでする言い訳よ。わたし、貴女にだけは嫌われたくないから」


「……僕が、以前の紅条穂邑でないとしても?」


「ううん。貴女は未だに勘違いしているみたいだけれど、紅条穂邑は貴女よ。逆に聞くけれど、貴女以外の人間が紅条穂邑を名乗れるの?」


「それは、もうひとりの人格が―――」


 天使の棺によって作り出された人格である僕とは別に、元の人格が意思を残していることは既に理解している。

 確かに肉体のみでみれば僕は紅条穂邑であるだろうが、人間の本質はその人格―――意識そのものではないのか?


「人格なんてものはね、所詮は脳の働きに過ぎないのよ。記憶があって、それをサルベージすることによって形成されるもの。今の貴女は記憶を消去したわけじゃない、それを引き出す力を失っているだけ。もしも今この瞬間にそれを取り戻したなら、貴女はきっと貴女のまま元の紅条穂邑に戻るわよ。何を心配しているのか知らないけれど、貴女のその杞憂は無駄なものだとわたしは思うわ」


「……そんなこと言われても、僕にはわからないよ」


「ま、そうでしょうね。わたしだって天使の棺の機能の全てを知り尽くしているわけじゃない。いえ、理論上どういった物であるのかは解っているけれど、実際に稼働したところを観測したのは貴女が動かしたあの時だけ。それから貴女はすぐにわたしの前から姿を消して、気付けば病院送りになっていて―――それを知ったわたしは貴女の身柄を保護するように動いたけれど、百瀬百合花によって阻まれてしまったしね」


「保護……百合花さんに阻まれた……って、まさか―――」


 僕が病院で誘拐されかけたあの事件。

 香菜に助けられ、百合花によって裏で手引きされた僕の身柄―――それを元々保護すると言っていた謎の施設とやらは、黒月のものだったということか。


 様々なピースが埋まり、あの過去のすべてが暴かれていく。


「気付いてないとは思っていたけれど、わたしの仕業だったってこと。ま、そんなこんなで今に至るってわけ」


「……そっか。なんていうか、色々と合点がいったよ」


「百瀬百合花なら貴女を守り通すでしょうし、心配はまったくしていなかったけれどね。ただまあ、天使の棺を起動させた結果を直接確認できなかったことだけは心残りだったわ」


「僕―――私は、どうして天使の棺を……?」


「言ったでしょ。貴女はわたしを愛していたって。もちろん、わたしも同じ気持ちだけれど」


 などと、正面切って唐突に愛の言葉を囁かれる。


「もしかして、記憶喪失になる前から僕って女の子好きだったわけ……?」


 照れ隠しにそんなことを問うと、夜羽は首を傾げながら、


「好きも何も。()()()()()()()()()()()()()()


 ―――なんて。

 今になって知る自分の事実を、いともあっさりと語られた。


「僕って……そうだったんだ……」


 まあ、身に覚えがないこともない。

 確かに男という存在に対する嫌悪感はあった。これまでほとんど茨薔薇女学院で過ごしていたから完全に把握はできなかったものの、その兆候自体は確かにあったのだ。


「……なるほど。やっぱり天使の棺は相当な代物みたいね。恐怖という感情が記憶によって形成されている限り、それすらも消し去ってしまうってわけ?」


「いや……うん。確かに意識はしてなかったけど、今の僕でも男の人に対する嫌悪感はあるよ。それどころか、自分自身が女であることすら嫌になるくらいだから」


「ふうん、それは初耳ね。……男性恐怖症の延長、とか? 過去に何があったのかは知らないし、その辺りの話は何一つとして聞いた事がないけれど。貴女が男性恐怖症であるということだけは確かよ」


「それって、男の人が嫌いだから、その性の対象となる女性という自分自身が嫌になった……とかそういう話?」


「さあ。わたしは別に知らないし、どうでもいいわ」


「夜羽って、自分が興味ないことにはすっごいドライだよね……」


 なんて、僕が呆れながら突っ込みを入れると、


「貴女には解らないでしょうけれど、なんでもかんでも記憶してしまう以上は仕方ないのよ。だって、興味もなく関係もないことまでいちいち記憶していたらキリがない……というか、疲れるだけじゃない? 人間、長いこと生きていけばいくほど新しい事をやりたがらない生き物で―――それは、脳に詰め込む容量が増えるにつれて脳が拒否している証拠なのだし」


「そう言われると、まあ……」


「とにかく。わたしは自分のすべきことをする。それ以外については、悪いけれど勝手にしてくれとしか言えないわ」


 どこまでも鋭く、突き放すような言葉。

 けれど、それは夜羽の心からの発言だとは思えなくて。


「まあ、僕が夜羽と過去に何があったのかはなんとなく解ったよ。天使の棺については未だに良くわからないことばっかりだけど、今のこの状況はそれが大きく関わっている。やっぱり、無関係だとは言えなさそうだね」


「そうね。百瀬と黒月が同盟を結び、天使の棺とミカエルシリーズを利用して何かを行おうとしている。わたしは自分の為にあるはずだった計画を横取りされた。だからそれを取り戻す。それが叶わないのであれば、穂邑の言うようになにもかもブッ潰してやるわ」


「夜羽が本当に僕達の味方なのか、少しだけ疑ってたけど……もう、その心配はいらないみたいだね」


「信用して貰えるのは嬉しいわね。こうして話した甲斐があったってものよ」


 そうして。

 今まで明確ではなかった、夜羽の立ち位置が理解できた瞬間―――


「じゃあ、あらためて。よろしく、夜羽」


 理由がわからない、なんて言わない。

 えるを助けたいと思ったあの感情が、僕の心の底に埋もれていた夜羽への愛情によるものであったなんて、それだけは未だに否定するけれど。


 僕は、彼女を助けたいと思った。

 そう―――ただ、それだけのことだったのだから。

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