3話 義勇任侠のアシスタント
濠野組。
表向きは『株式会社HORIYA』と言う名の警備会社であり、至極真っ当な組織の体を成しているのだが―――その実像は、いわゆる『任侠』を掲げた集団のひとつである。
百瀬財閥と過去から深い接点があり、次期当主候補である濠野美咲が百瀬百合花と親しい関係性にあることから、茨薔薇女学院の警備を任されることになったという経緯があったらしい。
―――などと、行き道の車の中で美咲からそんな話を聞かされていた僕達は、ついにその濠野組の本家へと辿り着いていた。
茨薔薇の敷地を出てからおよそ一時間。
それは都市部から離れた山の麓に位置する山村にあり、ド田舎と言っても過言ではないその敷地をふんだんに利用し、広大な庭園の中心に構えられた木造建築の豪邸―――
外部に備えられた駐車場に車を停め、僕達はその庭をまっすぐ突き抜けるように歩みを進めて、
「ここが、アタシ達の実家―――濠野の総本山だ」
美咲が案内をするように先導し、豪邸の扉を叩く。
「……ねえ、摩咲。なにそわそわしてんの?」
僕は隣にいる摩咲に問い掛ける。
「いや、別に―――」
と、白を切る摩咲であったが、
「おかえりなさいませ、美咲お嬢様。……おや、そちらにいらっしゃるのは―――摩咲お嬢様、でしょうか?」
ガラガラ、という音と共に扉が開かれると、その先から着物の女性が現れた。
「ゲッ……湊……!?」
「げ、とは何ですか。それよりもその髪……また教えに背いて勝手に染めたのですね?」
「う、うるせぇな。別に良いだろ、なんでも!」
「良くはありません。学院でどのような生活を送られているのかは知りませんが、本家にお戻りになられる際にこのような格好ではお咎めを貰いますよ?」
着物の女性―――湊と呼ばれたその人は、恐らく小間使いなのだろう。摩咲の傍まで歩み寄ると、その金髪に触れながら苦言を呈している。
「あー、湊。そこの摩咲はオマケだ。今回は母上が百瀬と黒月のお嬢様に用があるらしい。だからまあ、適当にその辺に隠しとけば問題ないだろ」
「……そうですか。美咲お嬢様がそう言われるのであれば―――」
「オイオイ、二人ともオレの扱い酷くねぇ……?」
と、まあそんなこんなで。
僕達は濠野組の本家へと足を踏み入れることになるのであった。
◆◆◆
豪邸の中は和風な外見とは打って変わって現代的なものだった。
フローリングの床、白い壁紙、所々にある扉はドアノブ式で、まさにジャパニーズモダンといった内装をしている。
廊下はまっすぐに伸びており、人が三人並んで歩いても余裕のある横幅の道を進んでいくと、奥に仰々しく『組長室』と書かれたプレートの貼ってある扉が待ち構えていた。
「すまんがここから先は百瀬と黒月だけだ。お前達は客間で待っていてくれ。湊、案内を頼む」
「かしこまりました、美咲お嬢様」
僕達は言われるがままに分断される。
百合花と夜羽、僕と香菜と摩咲―――となるはずだったのだが、
「あたしも行かせて下さい」
いつにもなく真剣な口調で、香菜が名乗りを上げたのである。
「渋谷……悪いが、お前は呼ばれて―――」
「今回の件、あたしは無関係とは言えません。うちの家を巻き込むつもりはありませんけど、渋谷の一人娘として見過ごすことのできない扱いを受けたのは事実です」
「なんだって……? それはどういうことだ?」
事情を把握しきれていない美咲は困惑するが、百合花が間に入り込むように、
「渋谷さん。恐らくこれから行われるお話は、わたくし達の手に余るものであると推測されます。百瀬と黒月、そして濠野……それらの組織間による抗争にすら繋がりかねない一大事。そこに渋谷の御令嬢である貴女までもが関わるということが、どのような事態を招くのか……解らない貴女ではありませんでしょう?」
「わかってます。でも、何が起きているのか自分で直接確かめたい。他の何でもない、自分自身の為に」
「覚悟はできてるみたいよ、百瀬先輩。こうなったら、香菜ってば止まらないわよ?」
夜羽の口添えに香菜は少し驚いたような表情を見せる。
「あたし……夜羽のこと、まだ信じてるわけじゃないから」
「そんなの知らないわ。わたしは自分のすべきことをするだけ。貴女が信用できないのなら別にそれでもいい。真実をその目で確かめて、それから判断することね」
「……、百瀬先輩。お願いします」
香菜は夜羽の言葉を無視するように、百合花へ向けて懇願する。
「はあ、まったく。そもそもわたくしが許可を出したりするような事柄でもありませんでしょうに。美咲さん、よろしくて?」
「あー、まあ。駄目だったら無理やり追い出されるだろうから、そこは勘弁してくれよ?」
溜息混じりにそう吐き捨てると、美咲は湊へ視線を向けて、
「そういうわけだ。湊、そこの二人頼むわ」
「はい、承知しております」
周りの人間達の意思で勝手に話が進んでいく中、摩咲はどこか居心地の悪そうな顔付きをしていて。
「それなら僕もそっち側で。ごめん摩咲、一人でお留守番しててよ」
僕はたまらずに声を上げていた。
「……は? オマエ、何言って―――」
「紅条。悪いがお前は本当の意味でオマケなんだ。今回は諦めてくれ」
美咲が諭すような口調で言うが、僕はそれを気にもせずに言葉を続ける。
「僕だって無関係じゃない。それに、香菜が行くなら僕だって着いて行かなきゃ」
「ちょ、ほむりゃん……!?」
「だって。僕は香菜の傍付きだからね」
今はもう覚えていないのだとしても。
確かに、僕は彼女に寄り添ったのだから。
「傍付き、ってなにそれ……?」
香菜が困惑する中、百合花もまた渋い表情をしながら、
「……紅条さん。正式な契約を結んでいるならともかく、そのような口約束だけで取り決められた役職などでは―――」
「まあ、そんなのは建前でさ。僕はもう決めたんだ。香菜と同じだよ、自分の目で確かめたいんだ」
「良いんじゃない? 今更一人二人増えようが、文句言われたら対応すれば良いだけの話でしょ?」
そんな夜羽の一言に、悪態をついたのは美咲だった。
「ったく。知らんぞ、お前ら」
「美咲さん―――」
百合花は呆れと不安の入り混じったような顔をして、諦めたように深く息を吐く。
「―――ああもう、わかりました。わたくしが何を言おうが貴女達の意思は変わらないようですし。行きましょう、皆さん」
ごたごたと問答を繰り返した後、ようやく僕達はその先へと進むのだった。
◆◆◆
扉の先に待ち受けていたのは、はたまた打って変わった光景であった。
畳の敷かれた和室はそれほど広くはなく、その中央には囲炉裏があり、向こう側には座布団の上に座す一人の人間がいる。
濠野咲弥。
濠野組、現当主―――もとい、組長。僕はてっきり男性であると想像していたのだが、それはれっきとした女性であったのだ。
「初めまして、黒月のお嬢さん。そしてお久しぶりね、百合花ちゃん」
そして、これまた想像とは違うおっとりとした口調、立ち振る舞い。
短く整えられた黒髪、紫色を基調としたの豪奢な着物。正座をしていてもひと目でわかる背丈の高さ。
それらから溢れ出ているオーラが、その女性が只者ではないということを何よりも強く示している。
「お久しぶりでございます、咲弥様」
「始めまして、黒月夜羽です」
百合花はいつも通りの丁寧な受け答えをしていて、夜羽は珍しく敬語を使っている。相手が相手なので当然ではあるのだけれど、それが少しばかり違和感というか、おかしく感じられた。
「それと……そちらの二人は?」
「彼女は渋谷香菜。渋谷財閥の御令嬢です。もう一人はその傍付きである紅条穂邑といって―――」
咄嗟に紹介する百合花であったが、それを受けた咲弥は目を見開いて、
「―――紅条、だと?」
他の誰でもない、僕を睨みつけてそう言った。
「……母上?」
美咲が疑問の声を上げると、
「ああ、いえ―――失礼しました。なんでもありません」
咲夜は我を取り戻すように首を振る。
「そちらの二人がこの場に立ち会っているということは、今回の事件において関係のある人間である―――そう判断して構いませんね?」
「ええ、間違いありませんわ」百合花は即座に返答する。
「それならば良いでしょう。さて、早速本題に入りますが……単刀直入に問いましょう。これからどうするつもりかしら、百合花ちゃん?」
じろり、と。
言葉上では親しみすら感じられるというのに、咲弥の瞳はどこまでも真剣であり―――
「……今回の事件に関しましては、情報が足りないと考えていますわ。百瀬の内部抗争……それだけならば問題はありませんが、黒月や濠野を巻き込むことになりかねない一大事である、という認識は持ち合わせております」
「それで?」と、咲弥は追い打ちを掛けるように鋭い切り返しを放つ。
「ですので、まずは百瀬本家へ。お母様に直接お話を聞き、事態の内情を把握して―――」
「成る程。百合花ちゃんには何も通達されていない、と?」
「はい……お恥ずかしながら。連絡が届かないどころか、こちらからの連絡にすら反応がありません。恐らく事態は急を要している―――アリカが強硬手段に出たこともそうですが、百瀬と黒月が同盟を結んだのが昨日であるという事実がそれを証明しています」
「同盟……、ね。それにしてもおかしいとは思わないかしら。茨薔薇女学院は貴女の資産によって創設されて運営されているとはいえ、百瀬の傘下に存在する施設であることは変わらない。だというのに、あのように無理やり力ずくでねじ伏せるようなやり方……。天下の百瀬財閥が、まるでうちらのような暴力的手段に―――それも、身内であるはずの貴女の学院へわざわざ武力を以て侵攻する必要があるとは思えないけれど?」
「仰る通り、それには確かに不信感を抱いておりますわ。恐らくはアリカの判断……いえ、ほぼ独断による行動であったのだろうと推測はしておりますが、それも含め、やはりまずは本家へ向かって―――」
「これだけの事態を起こしておきながら、娘になんの連絡もよこさないような者達に、いったいなにを期待するというの?」
「それは……―――」
咲弥の指摘に、百合花は思わず言葉を詰まらせる。
「うちの人間を少数とはいえ動かしたのは美咲の独断。元々予備の警備員として近くに滞在させていた構成員を半数、うちの会社から車を六台、それに各四人。合計三十名の人間が茨薔薇の敷地に押し入る形となりました。これは契約上の警備の範疇を越えています。しかし、未だにお咎めの連絡はまったくなし。不自然なほどに静かです」
「それは、そちらの采配ではなく……?」
「アリカちゃんも莫迦ではないし、すぐに上に連絡を入れていてもおかしくはないはず。それでもなんの動きも見せないということは、つまりはそういうことではないかしら?」
意味深な言葉を紡ぐ咲弥に、百合花はハッとして、
「まさか―――そういう、ことですの……?」
「……ええと。お二人で盛り上がっているところ失礼なんですけど、いったいどういうことなんですか?」
理解の追いつかない僕はたまらずに声を発する。
「貴女も察しが悪いわよね、穂邑。ようは、百瀬が直接関わっているわけではないってことでしょ?」
「え―――?」と、僕と香菜は同時に驚いてみせた。
「……というよりは、すべてにおいてアリカに一任している―――悪い言い方をすれば、すべての責任を被せようとしているのでしょう」
「あくまで姉妹喧嘩の一環、とでも言い張るかのよう。これが真実だとすれば、アリカちゃんは間違いなく人身御供のような立ち位置にいると思われますね」
人身御供―――つまりは生け贄、ということか。
百合花の予想と似た発想ではあるが、その言葉はどこまでも悲惨な結末を想像させるようで。
「だとするなら、百瀬や黒月の本家へ向かったところで意味はないんじゃ……?」
なんて、僕は思いつくままに口を開くと、
「そうね。行っても門前払いに合うのがオチでしょう。建前上は単なる姉妹同士の争いでしかないのだから」
夜羽が頷きながら肯定する。
「ちょっと待って。これって、百瀬や黒月が直接関わっていることじゃないの……? それじゃあ、あたしが攫われたり、三日月絵瑠が殺されたりしたのは、いったいどういう―――」
そう香菜が疑問を提示すると、全員の顔が訝しげなものに変わった。
確かに、人攫いや人殺しが起きている以上、単なる姉妹喧嘩の派生として考えるには重すぎる。
「こちらでも把握しきれていないことがあるようですね。そちらの渋谷の御令嬢が攫われた、というのは?」
「恐らくは百瀬か黒月による依頼で動いていた殺し屋による犯行である、と推測しております。ですが、やはりそうなるとアリカだけの手では―――」
「ちょっと待って。アリカちゃんは確かに絵瑠が死んだことを知ってたよ。だったら間違いなく関係あるはずだ」
僕がそう指摘すると、咲弥と百合花は目を丸くした。
「……なんとも、暗雲が立ち込めてきたわね。今回の件は一筋縄ではいかない―――少し、こちらでも調べてみましょうか」
咲弥が立ち上がりながら言い放つ。
「咲弥様。大変ありがたいのですが……これ以上、濠野組まで巻き込むわけには―――」
そう百合花が遠慮がちに言うと、咲弥はそれを見下ろしながら、
「百合花ちゃん。何かを成す時に、この世で一番大切で必要な事柄はなんだと思いますか?」
「それ、は―――」百合花は唐突な問い掛けに戸惑いの表情を浮かべる。
「それは義よ。金銭や地位なんてものは後から勝手に付いてきます。人間である以上、何よりも大切なものは恩義であり、仁義であり、正義である。それがうちらの掲げるたったひとつの流儀だからこそ―――」
そう言って、咲弥はチラリと美咲の顔を見て、
「うちの子が己の全てをかなぐり捨ててでも守ろうとするものがあるのなら、うちは現当主として―――なによりも、母親としてその想いに応えたい。それだけのことです」
その言葉に、百合花は心底から驚き―――そして、普段見せないような笑みを浮かべて。
「はい、ありがとうございます。咲弥さん、美咲さん」
そうして、濠野組当主―――濠野咲弥との会合はひとまずの終わりを迎えたのであった。




