2話 呉越同舟のアイデンティティ
百瀬百合花、渋谷香菜、黒月夜羽、濠野摩咲、そして僕―――紅条穂邑。
僕達五人は静寂に包まれ伽藍堂となった大講堂にて顔を突き合わせていた。
「……ねえ、百瀬先輩。どうして何も言わなかったの?」
生徒達がすべて百瀬アリカに従って立ち去ったこの場所で、香菜は百合花に対して問い掛ける。
「あの子の言ったことはすべて事実です。わたくしが反論できうる発言は何一つとして無かった。それに、彼女達の道は己の意思で選ぶもの。わたくしの一存で強制できるようなことなどひとつ足りともありはしませんから」
どこまでも落ち着き払った口調ではあったが、その表情には隠しきれない悔悟の感情が見え隠れしていた。
「だからってよ、このままじゃあ完璧に負けなんじゃねぇのか?」
と、摩咲がいつにもなく控えめに意見を口にする。
それを横目に見ていた夜羽は、はあ、と溜め息をひとつ吐いて、
「なんにも解ってないわね、貴女。ええと、名前……なんだったかしら?」
「濠野だよ、濠野摩咲!」
「ああ、ごめんなさい。もちろん覚えているのだけれど―――からかいたくなるくらい、つまらないことを言うものだから」
「……ああ?」
喧嘩腰になる摩咲であったが、煽った当の本人である夜羽はどこまでも冷静に、
「ここで正論に対して無様に反論したところで逆効果でしょう。癪ではあるけれど、百瀬アリカの言葉にはどこまでも正当性があった。彼女が未だに実権を得ていない状態なのだとしても、既にチェックメイトは済んでいる。ここから逆転しようなんて、それこそイカサマの類くらいしか不可能ってものよ」
「イカサマって……」僕は少し呆れ気味に口を挟む。
「それくらいの裏技がないとこんな絶望的な状況は抜け出せないって話よ。そして、百瀬百合花にとってのそれは、あの場で百瀬アリカに反論することで生まれるワケではなかった。そう、つまり……なにか、策があるんでしょう?」
夜羽がそう言って百合花へと視線を向ける。
それを受けた百合花は、閉ざしていた口をゆっくりと開いて、
「―――正直、現状を打破するのはほぼ不可能です。わたくしがこの先も学院長という座を頂くことも含め、諦めるほうが懸命な判断でしょうね」
「……え?」と、香菜は驚きの声を上げる。
「アリカはわたくしの弱み……この学院で行ってきた数々の不祥事についても情報を得ている。船橋灯里―――彼女がアリカに遣わされたスパイであった以上、蜜峰漓江によって起こした事件はもちろん、三日月絵瑠を匿った事実も当然のように握られているはず」
「える……」僕は顔を伏せてぼそりと呟く。
「それらを踏まえ、百瀬と黒月の同盟……ミカエルシリーズの存在……黒月夜羽の来訪……そういった様々な要素が重なりあった結果が今なのです。そう容易く覆せるものではありませんし、否定しても仕方がない―――いえ、それこそが相手にとって最大の付け入る隙になってしまうでしょうね」
「それなら、どうするつもり?」夜羽が再度問う。
「アリカの言葉を聴いていて、少しばかり違和感……いえ、疑問が浮かび上がりました。彼女は内情を知った上でこの学院へ侵攻し、わたくしから学院の利権を奪い取ろうとしている―――それは確かなのでしょうが、それだけなのです」
「それだけ、って?」僕は疑問を呈する。
「百瀬と黒月の同盟。それによって行われている計画。この学院を制圧し、利用することがその始まりになるのだとしたら。アリカはきっと、その先まで見えていない。いいえ、知識を与えられ、理解もしている上で―――あの子もまた、利用されているように思えるのですわ」
百合花の言葉には、怒りや嘆きといった色はなく。
そこにはただ、妹を心配する姉の顔があって。
「……は、つまりなに? アリカはただ貴女に対する対抗心を利用されただけの道化で、貴女は自分の地位よりもアリカを救いたい、とでも言うわけ?」
真っ先に百合花の言葉の意図に気付いた夜羽が、嘲るように言い放つ。
「それは少し語弊がありますわね。わたくしは己の地位を捨てるつもりは毛頭ありません。ただ、もしもアリカが利用されているだけで、真実が別のところにあると言うなら―――」
百合花はまっすぐに夜羽の目を見つめて、
「―――まずは、それを確かめる。その上でもしもアリカが望む未来ではなく、わたくしの地位さえも脅かすものだったのだとしたなら。わたくしは、それをなんとしてでもひっくり返してみせますわ」
「……そっか。それなら僕と同じだね、百合花さん」
「同じ、とは?」百合花は目を見開いて僕に問う。
「僕もさ、アリカちゃんに言ったんだよね。えるを殺して、香菜をあんな目に合わせて、今度は僕達の居場所さえも脅かす……そんな存在がアリカちゃんの後ろにいる、そう思ったら我慢できなくてさ。―――全部、ブッ潰してやろうって思って」
「え、ちょ……ほむりゃん!?」
「良い機会だから香菜も聞いて欲しい。香菜は覚えてないかもしれないけど、僕にとって三日月絵瑠は本当に大切な女の子だった。あれだけ純粋な子を無残な目に合わせた奴等を僕は絶対に許せない。だから潰す。百合花さんが何を考えて、何をしようとしているのかは解らないけど、でもきっとやるべきことは僕とそう変わらない」
「……そう、ですわね。穂邑さんにとってそうだったように、わたくしにとってもあの子……絵瑠は、本当に掛け替えのない存在です。許せない、という気持ちには同意しますわ。ですが、潰す……というのは、少々現実味が薄いでしょう」
「まあ、百瀬だの黒月だの、大手財閥が関わっているらしいし、確かに僕一人だけじゃ難しいかもしれないけど。でも、ここには百合花さんや夜羽がいる」
「そうね。穂邑ひとりじゃどうしようもないけれど、わたしや百瀬百合花がいれば可能性はゼロじゃない」
「オイオイ、まさかオマエら―――」
摩咲が何かに気付いたように身体を乗り出したところで、百合花が口を開く。
「―――そうなれば。直接、出向く必要がありますわね」
「ええっ、ちょっと百瀬先輩!?」
香菜も察したのだろう、驚きの声を上げる。
「となると足が必要よね。流石に徒歩で向かうわけにもいかないでしょうし。電車を使うって手もあるけれど―――」
「え、お嬢様なんだし車のひとつチョチョイって手配できないの?」
「……穂邑さん。今のわたくし達の状況をお忘れですの?」
僕も百合花も夜羽も、既にすべきことを定めた上で話を進めていて―――
「ああ、クソ! オマエらだけで盛り上がってんじゃねぇぞ!」
それを見かねた摩咲が、我慢の効かない子供のように怒声を上げた。
「なんだよ摩咲、何か提案でもあんの?」
「車だろ、車なら出せる! ウチの人間が乗ってきたヤツがまだ残ってりゃそれで済むし、なくても姉貴ならすぐに手配できんだろうがよ!」
「なるほど、美咲さんなら確かに。ナイスアイデアですわね、濠野さん」
「ふうん、たまには役に立つじゃない。ま、穂邑と同じで結局は他力本願なのだけれど」
周りに言いたい放題にされて顔を熱くさせながら、摩咲はスマホを取り出して電話を掛け始めた。
「……姉貴か? 今、どこに―――」
と、そこで摩咲は声を詰まらせる。
―――そうして、刹那の時。
大講堂の扉が開く音と共に、外からひとりの女性がやってきた。
「オイオイ。タイミング良すぎて気持ち悪いぜ、ったく」
そこには、摩咲の姉であり、茨薔薇の園の寮監を勤めている女性―――濠野美咲が立っていて。
「迎えに来たぞ、百瀬。ああ、なんだ、お前達も一緒にいたのか。黒月夜羽も―――なるほど、それなら都合がいい」
「美咲さん―――?」
百合花が声を上げると、美咲はいつにもなく真面目な顔付きで、
「悪いがお呼ばれだ百瀬、黒月。ウチの首領が話をしたいってさ。アタシの独断で濠野組の人間を動かした説教を食らうついでだ、お前らまとめてちょっと一緒に来い」
そうして。
僕達は濠野美咲に従うまま、彼女や摩咲の生まれた本家―――濠野組へと連行されることになったのだった。




