1話 四面楚歌のパースウェイド
茨薔薇女学院、大講堂にて。
全体の半数にも満たないものの、それでも数多くの生徒であるお嬢様達がその場所に集まっていた。
「皆さん、この度はご心配をお掛けして誠に申し訳ありません。何が起こっているのかこれまで説明もせず不安にさせてしまったこと、本当に心苦しく思っております」
そして、壇上に立つのは百瀬百合花。
百瀬アリカの率いる『白百合の騎士』による襲撃により、大半の生徒達が恐怖に怯えている中、彼女は謝罪の意を込めて演説を開始した。
「あの集団の名は『白百合』。わたくしの本家となる百瀬財閥に所属する部隊のひとつであり、今回の襲撃は、わたくしの妹である百瀬アリカによる強行手段として行使されたものです」
そんな彼女の言葉に、ほとんどの生徒は無言で耳を傾けている。その中には渋谷香菜の姿もあった。
「この茨薔薇の地は男子禁制であり、それを踏みにじるかのように立ち入った彼らの暴挙を許すことは出来ません。しかし、それはさておき―――皆さん、ひとまずは安心して下さい。先程確認致しましたところ、彼らは既にこの敷地から車ごと撤退を始めています」
安堵と不安の入り混じる生徒達のざわめきを眺めながら、百合花はあくまでも冷静に淡々と話を続ける。
「ですが、未だに驚異が払えたわけではありません。茨薔薇の園には依然として百瀬アリカ―――そして、それに従う人間達が陣取っています。彼女達は、この学院の権利をこのわたくしから奪う為に行動を開始するでしょう。このまま手をこまねいていては、いずれこの校舎も彼女達によって制圧されてしまうかもしれません」
百合花は目を細めつつ深呼吸をして、
「わたくしは彼女達に抵抗することを決めました。学院長の座を守り、今までと変わらない学院生活を取り戻す為に。それを成し遂げるには、わたくし一人の力では足りません。皆さんが共に立ち上がって下さる必要があるのです」
百合花の宣言に、生徒達のざわつく声は次第に大きくなっていく。
「私達の力……?」「急にそんなこと言われましても」「学院長が変わったら具体的にはどうなるんでしょう?」「どうして私達が……?」「そもそも今までいったい何をしていたんですの……?」
「みんな、落ち着いて。今は静かに百瀬先輩の話を―――」
たまらず香菜も周りの人間を宥めにかかるが、彼女達の疑念の声はどんどん高まっていく一方だった。
「皆さん、戸惑われるのも無理はありません。お恥ずかしながら、わたくしも皆さんと同じ立ち位置にいるのです。学院長代理という立場にいましたが、今ではその地位も危うい状況です。このままでは妹である百瀬アリカにこの学院を奪われてしまう。それだけは絶対に避けなければなりません」
百合花は必死に訴えかえるように、
「さあ皆さん、もう膝を抱える時間は終わりました。立ち上がり、立ち向かう時です。わたくし達で百瀬アリカから仲間を取り戻し、この学院を守って―――」
「先程から聞いていましたが、まるでこのあたくしが悪者のようですわね、お姉さま?」
バタン、と大講堂の扉が開け放たれ、その先にいるのは桃色の髪をした小柄な少女―――百瀬アリカが、複数の生徒達と共にこの大講堂までやってきていたのである。
「何をしにきたのです、アリカ?」
突然の邂逅にも動じず、百合花は堂々とした物言いで問い掛ける。
「最後の仕上げですよ、お姉さま」
そして、アリカはそう言いながら大講堂の中心部まで歩み、そこで脚を止める。
「ご安心下さいませ、皆様方。もはや雌雄は決しています。あたくし、百瀬アリカこそがこの茨薔薇女学院における次期学院長。それは既に決められたことであり、何があろうとも覆ることはありません」
ざわつく講堂内。
百瀬アリカが唐突にはじめた演説に、周囲の生徒達は息を呑んで耳を傾けている。
「貴女達はこの学院を卒業することで何を得られるのか、その具体的な将来におけるプラン―――その真実を知っていますか?」
百瀬アリカはどこまでも冷淡に、しかしどこか慈悲の心すら感じさせる声色で、
「ハッキリ申し上げましょう。貴女達はただの保険です。それは例えるなら、女であることによる他家への嫁ぎの未来。跡継ぎとしての姉を持つ次女、三女の憂鬱。貴女達はそういった、万が一の保険として育てられてきただけの存在です」
生徒達のざわめきが加速する。
そこには不満や抗議の声を上げる者もいれば、がっくりと落胆する者達もいた。
「この学院の目的は、そういった貴女達の救済―――自らの意思で立ち上がる力を育む、つまり自立させる為の教育機関。それを解っていてこの学院に通っている者もいるでしょう。知らずに放り込まれてしまった方々はご愁傷さま。そう、百瀬百合花の立ち上げたこの学院は、貴女達を救済すると見せかけ、その現実を突きつけて受け入れさせるだけのものなのですよ」
茨薔薇女学院の真実。
それを知っている者達は果たしてどれだけいたのだろう。
けれど確かに、この学院はお嬢様達を集めたものにしては生徒の自主性、自立性を高める為のカリキュラムが多く立てられていた。
「百瀬先輩。あの子はああ言ってるけど、それって本当なの?」
そして。
恐らくそれを知らずにいた生徒の一人であろう、渋谷香菜が間髪入れずに百瀬百合花へと問い掛けた。
「……ええ、そうですわね。彼女の言い分に嘘偽りはありませんわ」
あっさりと認める生徒会長の言葉に、ついに周囲の生徒達のざわめきはピークに達した。
「ちょっと……今の話、本当ですの……?」「私達が保険……自立する為の学院……?」「そんな。皆さん、知らずにここへ?」「確かに私は落ちこぼれですが……でも……」
「―――皆様、お静かに。これはあくまで以前までの問題です。これから先、つまりこのあたくし、百瀬アリカが運営する茨薔薇女学院は生まれ変わります。切り捨てられる未来を待つ貴女達が自立して人並みの人生を歩むことを望むのなら、今のように膝を抱えて立ち止まっていても良いでしょう。しかし、本当にそれで良いのですか? 貴女達はこのまま自らの運命を受け入れ、生まれ持った地位や高貴さを捨て、ただ自立する為だけに学院生活を送る……それが本当に貴女達の真の望みなのでしょうか?」
しん、と講堂内が静まり返る。
百瀬アリカの高慢かつ高圧的な演説にも関わらず、彼女達はその言葉に声を上げることすら忘れさせられていた。
「ですが、ふふっ……ご安心なさい。あたくし、百瀬アリカがこの学院の理念を根本から覆します。切り捨てられる保険程度の存在であった貴女達は、この学院と共に新たな道を進むことになるのです!」
「新たな……道……?」
ぼそり、とそう呟いたのは香菜だった。
「その通り。皆様はご存知ないかもしれませんが、この学院は元々そちらにいらっしゃる百瀬百合花によって個人的に創設されたもの。百瀬財閥の威光は名前だけのお飾りと変わりません。つまり、百瀬という家柄に頼って入学をした時点で貴女達の目論見は詰んでいた。ですが、これからは本格的に百瀬財閥の手によって運営されます。あたくしがその名代であり、その結果として、この学院は他に類を見ないほどの超名門校として名を馳せることになるでしょう」
百瀬百合花の私財によって建てられた学院。
創設三年という若さの裏にはそういった理由があり―――そして、この学院に通っている大半の生徒であるお嬢様達は百瀬財閥に縁のある家柄や、それに連なるコネクションを通じて入学した者達がほとんどなのである。
だからこそ、彼女達は信じて疑わなかったのだ。
百瀬財閥の運営する学院であれば大丈夫だろう、と。
「その結果として貴女達がどのような躍進を遂げるのかはあたくしにも解りません。ですが、今までの学院を卒業したところで貴女達の境遇は改善される見込みは間違いなくありませんわ。そうと解れば、貴女達が取るべき行動はひとつだけではありませんか?」
静まり返っていたはずの講堂内が、再びざわめき始める。
ずっと膝を抱えていた生徒達が次第にゆっくりと立ち上がり、一点に向けて歩み出す。
すなわち、百瀬アリカの下へ。
気が付けば、誰しもが彼女の周りに集っていた。
「ちょ、ちょっとみんな……!?」
そんな彼女達を見て、香菜は戸惑いながらも声を掛けようとするが、
「渋谷さんも行きましょう、アリカ様こそ私達の救世主なのですわ」
「いや……でも、そんな簡単に……今の話だって本当かどうかなんてわかんないんだしさ―――」
「生徒会長も認めていたではないですか。それに、今もああやって黙り込んで反論のひとつもしない。そんな方を信用なんて出来ますか?」
「それは、でも―――」
香菜の周りからもどんどん生徒達が減っていき、結果として香菜を除く全ての生徒達がアリカの周りに集まった。
それらの生徒達は一斉に香菜や百合花の方へ向き直る。それぞれがこれで決別、と言わんばかりの顔付きで。
「―――と、言うわけで。残念ですが、あたくしの勝ちのようですわね、お姉さま?」
くすくす、と嘲笑をこぼしながらアリカは勝ち誇ったように宣言する。
「さあ皆様、勝利の凱旋と致しましょう。あたくし達の城―――茨薔薇の園へと帰り、今日という日を祝福するパーティーを開くのです」
アリカはもはや百合花にすら目をくれず、くるりと踵を返して講堂から立ち去っていく。
その後ろに引き連れられるように、多くの生徒達が彼女と同じ行き先を目指して脚を踏み出した。
「み、みんな本当に……? ねえ百瀬先輩、みんな行っちゃうよ!?」
香菜が百合花にそう訴え掛けるが、百合花は頑なに口を閉ざしたまま立ち竦んでいる。
「なんでそんな……なにも―――」
呆然とした顔をして、香菜は言葉を詰まらせる。
「それではさようなら、百合花お姉さま。これまでの尽力、本当にお疲れ様でした。……ああ、心配なさらずとも別に追放したりなんてしませんよ。お姉さまが望まれるのであれば、新しく生まれ変わったこの学院で、これまで通り生徒会長として活動して下さっても構いません」
背を向けたまま、手を振ってアリカは言う。
「もちろん、学院長であるあたくしの下で、ですけどね♡」
それだけを言い残し、アリカはその姿を消した。
講堂内には香菜と百合花、そして裏側でその一部始終を見守っていた僕―――紅条穂邑と、濠野摩咲、黒月夜羽の五人だけとなってしまったのだった。




