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9話 不撓不屈のインテンション

 濠野組の人間達に誘導され、茨薔薇の園を抜け出した僕達は、茨薔薇女学院の北側に位置する場所―――大講堂へと辿り着いた。


 辺りに白い服の集団の姿はない。

 恐らく、突然起きた濠野組の襲撃への対処に回っているのだろう。彼らの主である百瀬アリカの安全こそが最優先事項のはずだ。


 生徒達の姿も見えず、完全に寮側と校舎側に分断されている。つまり、百瀬アリカ側か、百瀬百合花側か、という二極の状態。


 ただ、そこに彼女達の意思が働いているかは疑問だった。半ば強引な制圧に不本意ながら従った者もいるだろう。もしくは、百瀬アリカの思想に賛同しうる生徒が校舎側に残っている可能性だってある。


 百瀬財閥、その令嬢二人による抗争。

 それがどのような結末を迎えるのか、それは僕にはまだ計り知れない。


 けれど、僕はなんとしてでも百瀬百合花を勝利させなければならない立場になった。

 自分で選んだ以上、その為に全力を尽くさなければならないのだった。


  ◆◆◆


 茨薔薇女学院、大講堂。

 普段は室内運動場として利用されることが大半であるが、この学院では授業にスポーツなどは含まれない。あくまでも部活動の一環として、望む生徒にのみ開放されている場所である。


 入学式や卒業式では使われるらしいが、一年間の記憶しかない僕は残念ながら自分が入学した時の記憶は持ち合わせておらず、部活動などにも一切参加していなかった為、実質、この場所へ訪れるのは初めてと言ってもいい。


 大講堂は学院一階の廊下をまっすぐに突き抜けた先にあり、その入口は大きな扉で塞がれている。


 そして、その前には見知った少女がいた。


「―――ほむりゃん!?」


 渋谷香菜。

 僕の親友であり、この学院における最高位のレベルを持つ生徒。


「香菜、よかった……ここにいて」


 実のところ、心のどこかで若干の不安はあった。

 あれだけ多くのレベル5お嬢様達が百瀬アリカ側に付いた以上、香菜だって例外ではない。彼女がどんな想いでここにいるのかはわからないが、権力を失った百瀬百合花に付き添う理由があるのか、という懸念はあったのだ。


「みんな中にいるのか!?」


 摩咲が迫る勢いで香菜に問い掛けると、香菜は少し渋い表情を浮かべながら、


「……みんな、とは言い難いかな。あれだけ朝早い時間の出来事だったし、学院側にいた生徒は全体の半分にも満たない、って百瀬先輩が言ってたよ」


「そう。ま、それは別にどうでもいいわ。そんなことより、百瀬百合花はここにいるのよね?」


 と、冷たく鋭い口調で言いながら前に出たのは夜羽だった。

 そんな彼女の態度に香菜は少しムッとして、


「……いるけど、なんで夜羽がほむりゃん達と一緒にいるわけ? アンタ、急に一人でどっかに行ったと思ったら―――」


「その話は後でしましょう。結果として合流できたのだし。中に入らせて貰うけれど、良いわよね?」


 どこまでもマイペースな夜羽の物言いだったが、香菜は付き合うのも疲れたのか、黙って扉に手を掛ける。


「先にひとつだけ。みんな、結構気が立ってるみたいだから、刺激するような行動は絶対に避けて」


「大丈夫よ。有象無象のつまらない人達には興味なんてまったくないもの」


「夜羽、それ中に入って言ったらダメなやつだからね……?」


 僕が静かにツッコミを入れるが、夜羽は構わずに先へと歩き出す。香菜は溜め息を吐きつつも、扉をゆっくりと開け放って―――


「みんな、残りの生徒達が見つかったよー! 大丈夫、あの怖い大人達はどっか行ったみたいだからー!」


 香菜はどこまでも明るく―――いや、無理にでもそう振る舞おうとしているのが見て取れた。


 大講堂に足を踏み入れると、そこには散り散りになっている生徒達の姿。中には集団で固まって何かを話し合っている者達もいれば、一人で膝を抱えて震えている者もいる。


「百瀬先輩はこの先の舞台袖にある控え室にいるよ。あたしはここでみんなを安心させなきゃいけないから、ほむりゃん達は行って」


 ぼそり、と小声で香菜が言うと、そのまま生徒達の元へ駆け寄って行ってしまった。


 そう、これが渋谷香菜なのだ。

 どこまでも他者と向き合い、隔てなく有効的に振る舞える―――これまで彼女が培ってきたもの、それがここにきて生きている。


 きっと、香菜がいなければ今頃はもっとパニックになっているかもしれない。

 誰もが憧れ、親しみを持つ相手が先導してくれているからこそ、きっとここにいる生徒達はなんとか心の平静を保てているのだ。


「さあ、行くわよ穂邑。あれだけのタンカを切った以上、ここからは貴女が主役なんだからね」


「え、ああ……うん。まあ、頑張ってみるよ」


 夜羽の視線はどこまでも強く、僕への信頼を顕にしている。それが百瀬アリカへの宣言によって生まれた信頼であるならいいのだけれど、過去の紅条穂邑を重ねているようにも見える。


 彼女にとって私がどんな人間であったかは知らないけれど、今は僕という人間に向けられた信頼であったなら嬉しい―――そう、少しばかり考えてしまった。


  ◆◆◆


「申し訳ありません、お二人とも。わたくしが至らないばかりに、このような事態に巻き込んでしまって……」


 百瀬百合花のいる控え室へ辿り着くと、真っ先に彼女の口から漏れ出た言葉は謝罪だった。


 その視線は僕と摩咲に向けられていて、夜羽が口元を尖らせながら、


「ちょっと、わたしは?」


「貴女はわたくしと同罪です。だって同じでしょう、わたくし達」


 なんて、冷たくあしらわれてしまう始末である。


「ま、それもそうか。結局まだ連絡が付かないから、事の真相は謎なままなのだけれど―――」


「それはわたくしもですわ。こちら側からの連絡には全く反応なし。無視されているのだとしたら、本格的に用済み扱い……つまり、アリカの言うことを信じる他ない、という事になりますわね」


 二人とも立場は違えども己の持つ地位を剥奪された者同士ではあるが、その思想は異なっているようには見える。

 百合花は受け入れてしまっている様子だが、夜羽はまだ諦めていないというか―――


「つーかよ、ウチの濠野組がやってきてんのは生徒会長の仕業なのか?」


 そこに口を挟んだのは摩咲であった。


「……濠野組が? どういうことですの?」


 百合花はなにも知らない雰囲気で問い返すが、それに対して夜羽が答える。


「ああ、それはわたしよ。というかあの背の高いお姉さんに言ったのよ、百瀬百合花を助ける為に動くなら今この時しかないでしょう、ってね」


「な……貴女、そんな勝手に―――」


 と、百合花は夜羽に激昂しかけて、


「……いえ、それにしても動きが早い。まさか、こうなることを予め予見していた?」


「それって、誰が?」と、夜羽が疑問を呈する。


「美咲さん……貴女は、本当に……―――」


 百合花はどこか少し嬉しそうに、


「濠野さん、貴女のお姉さまには本当に頭が上がりませんわ」


「あ……? まあ、あれでもウチの次期当主候補だしな。若い奴らにも姉御だのお嬢だの持ち上げられてるし。それが今ではただの引きこもりぐーたら駄目女だけどよ」


 摩咲はまんざらでもなさそうに語る。

 どうやら、彼女にとって姉の存在は大切なものであるようだ。だからこそ、時折不安そうな顔を見せていたのだろう。


「なんだかよくわからないけれど、わたしのファインプレーってことでオッケー?」


 なとど、夜羽は戯けて言って見せるが、


「それとこれとは話が別です。せめて一言わたくしに報告してから動いて下さい」


「あーやだやだ、お堅い百合花さまは怖いわねー」


 表面上はアレだが、こんなやり取りが出来るということは、この二人って結構仲が良いのかもしれない―――なんて、そんな事よりも。


「ねえ、百合花さん。ひとつ質問なんだけど」


 僕は傍観者に徹するのは辞めたのだから、自ら進んで行動しなければ。


「なんですの?」


「どうして百合花さんはこんなところで隠れたりしてるのかな、って。表では香菜が一生懸命にみんなを緊張させないように頑張ってるのに」


「それは―――」と、百合花は言葉を詰まらせる。


「そんなの簡単じゃない。怖いのよ、生徒達に糾弾されるのが。自分のせいでこんな事になってしまったっていう自責の念。この人、昔から人前に出るの苦手だし」


 鋭く突き刺すかのように、夜羽が衝撃的な事実を語った。


「……へ? 百合花さんが?」


 僕があからさまに呆けてみせると、百合花は顔を真っ赤にしながら、


「む、昔と今は違うでしょう! なに勝手なこと言ってるの、夜羽―――!」


 なんて、普段のお嬢様口調はどこへやら。

 その姿はどこにでもいる少女のそれだった。


「―――こ、こほん。いえ、これはその……なんでもありません。それで穂邑さん、わたくしが何故ここに隠れているか、でしたわね?」


 今更取り繕っても遅いですよ、とは思っても口にはしなかった。焦っている姿は少し可愛かったけれど。


「答えはシンプル、様子見です。アリカが武力行使に出たということには意味がある。だってそうでしょう? 普通に考えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それは、つまり?」と、僕は尋ねる。


「濠野組が動いた、という事実を知って考えが変わりました。いえ、希望的観測だと半ば諦めかけていたわたくしの仮説が正しいと証明された。そして、連絡がつかない理由もこれでハッキリしましたわ」


「……もしかして、そういうこと?」


 そこで、夜羽は何かに気付いたように、


「アリカがわざわざ武力行使に出たってことは、あの子にとってそれしか方法がなかったってこと?」


その通り(イグザクトリィ)。つまり、こう言うことですわ。アリカのあれは口から出任せ―――いえ、実際にそうなる段取りが進んでいるとして。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それって、百合花さんや夜羽にもまだ権力が残っている、ってこと……?」


 僕が聞き返すと、百合花と夜羽は同時に頷いた。


「そうね。アリカが武力で学院を制圧し、姉である百瀬百合花に勝利する―――それこそが、本当の意味で彼女が学院長としての地位を得られる条件なのかもしれない」


「ええ。ですから諦めるのはまだ早いようですわ。幸いなことに、濠野組が動いたのなら、アリカも『白百合』を引っ込めざるを得ないでしょう。このままいけば彼女だって痛手を負うことになりますからね」


「それなら、いったいどうやってアリカちゃんに……?」


 僕の疑問に対し、百合花はいつも通りの尊大で優雅な笑みを浮かべて宣言する。


「これは、わたくしとアリカによって行われる椅子取りゲーム―――どちらがより優れた指導者であるかを示すもの。それならば話は簡単です。あの子に見せつけてあげましょう―――わたくしがどんな覚悟を持ってこの学院を背負っているのかを、ね」


 ―――それは、ひとりの少女の決意。


 己の元へ降りかかった厄災―――試練とも呼ぶべきものへ立ち向かう克己心を取り戻した、夢見るお嬢様による反逆の狼煙だった。

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