8話 荒唐無稽のエゴイスト
円卓の間に、ひとたびの静寂が訪れる。
僕―――紅条穂邑の強気な宣言に、ほとんどの人間が呆気に取られているようだった。
しかし、その中でもただ一人。
百瀬アリカだけが嘲笑の表情を浮かべながら、僕のことをじっと見つめていた。
「随分と大きく出ましたわね、紅条さん。潰す、と出ましたか」
その声色はどこまでも楽しそうに。
なにがあっても己の態度を変えるつもりはない、と言わんばかりの振る舞いで。
「うん、言ったよ。君にとっては結果として不利益になるかもだけど、辞めないし謝らない。これが僕のすべきことだから」
「ふふっ。まさか道化が増えるとは思いもよりませんでした。それも、夜羽さんより余程質の悪い―――果たして、貴女にそれが出来るのでしょうか?」
「出来る出来ないの問題じゃない。僕がこれからどうするか、その方針が定まったってだけの話だよ」
僕がそう言い返すと、アリカは少しばかり呆れたような顔付きになって、
「ふうん。貴女のことは多少なりとも調べてありますが……紅条穂邑さん、貴女にはなんの権力もない。ひとりで何かを成し遂げるだけの能力もない。そんな状態で、ただの平民に過ぎない貴女が、このあたくしの―――百瀬と黒月による計画を潰す、というのですね?」
「うん、そうだね」
そうして、アリカは今度こそ本当に呆れ返った様子で、まるで汚物を見るような目をしながら、
「ああ……くだらない、くだらない。なんとも無様、滑稽の極み。ですが……ふふっ。貴女のような夢見がちな愚か者ほど、己の無力に気が付いた時に見せる絶望の顔は、きっと至高の逸品なのでしょうね」
「―――さっきからずっと思ってたんだけど。アリカちゃんってさ、性格めっちゃ悪いよね?」
「…………、は?」
僕がなんの気無しに言い放った一言に、アリカは呆気に取られたような声を漏らす。
「なんていうか、君が言いたいことも理解は出来るし、自分がとんでもないことを言ってる自覚だってあるんだけど―――僕ってさ、記憶喪失なんだよね」
「え、ええ……確か、資料で見ましたわね。確か、一年前に……それが何か?」
「ああ、知ってるなら話は早い。そうなんだよね。だからさ、今の僕ってようは一年前からの記憶しか持ってない、紅条穂邑っていう人間の身体を持ってるだけの別人、みたいなものなんだ」
「……はあ、それで?」
「記憶がない。自分がない。だから、僕にとって背負うべきものなんてほんの一握りくらいのものなんだ。それこそ、たった一年間で手にしたものぐらいしか、ね」
「……意味がわかりません。貴女はいったい、なにを言いたいのですか?」
僕の言葉の意図を理解できず、アリカは次第に苛立ちすら覚え始めているようだった。
あれだけ余裕の表情を崩さなかった彼女が、これほどまでに心を乱されている―――その事実に、僕は少しばかり面白くなって。
「僕にはなんにもないよ。権力も、金銭も、能力も、人脈も。そりゃそうだろ、僕という人間はたったの一年間しか生きてこなかったんだから。でもさ。だからこそ、何かに縛られることもないんだよ」
「縛られる……?」
「百合花さんや夜羽を見て思ったよ。彼女達は、自分の立場や権力を失っただけで途端に弱々しくなってしまった。それは、それだけの重みを背負い、それを誇りにして生きてきたからなんだと思う。どれだけのものを持っていても、失うものがあるからこそ弱いんだ」
そんな僕の言葉を、隣にいる夜羽は黙って聞いていた。それはこの場にいる誰もが同じ。あの百瀬アリカでさえも。
「なら、逆にこうも言えるんじゃないかな? 失うものがないからこそ強い、ってさ」
わかっている。
こんなのは所詮強がりだ。何もない人間のせめてもの抵抗だ。けれど、そうであったとしても。
これは、紛うことなき僕の本心だったから。
「それは……そんなものは、ただの捨て身ではありませんこと? 背負うものがないから、何をやったって許される……言うなれば、子供の駄々っ子となんら変わりありません」
アリカはまるで理解が及ばないと言わんばかりにそう言った。
「うん、そうだね。否定はしない。だからやるならとことんやろう。僕は、僕のやれることを全力でやり遂げる。それを邪魔だと思うなら、君は抵抗したらいい」
「……あたくしが、貴女のような者をわざわざ? それこそあり得ませんわね。たかが地面を這いずり回るだけの蟻が如き存在の為に、このあたくしが本気になるとでも?」
「うん、まあそれはご自由に。というか舐めてくれるならむしろ好都合だよね。その方が僕としては動きやすいわけだし」
意趣返しのつもりで、僕はアリカのように嘲笑をくれてやるつもりで言葉を紡ぐ。
それを受けたアリカは、心底つまらないと言わんばかりの態度で、
「良いでしょう。やれるものならどうぞ。どうせなにも出来やしません。あたくしがそんな些事に全力を出すなど、それこそあたくしのプライドに関わります」
「そっか。それは助かるよ、アリカちゃん」
僕はそれだけ答えると、傍にいる夜羽の手を取った。
「穂邑……貴女、なにを―――」
「行こう、夜羽。もうここに用はない。早く香菜や百合花さんのところに戻らないと」
そんな僕達のやり取りを、アリカは黙って眺めている。
彼女が何か指示をしない限り、周りの人間も動くことはしないようだった。
「オイ紅条、待てよ。オレも行くぜ!」
そして、忘れていた一人のヤンキー少女が立ち上がり、こちらへと駆け寄ってきた。
「あれ、摩咲も来るの?」
「そりゃそうだろ! オマエが残るならと思ったが、いねぇならこんなトコに残る必要もねぇ!」
「そっか。それじゃ、三人かな?」
僕は後ろの円卓へと振り返る。
そこにいるのは、百瀬アリカ率いる円卓の一員達。
「……みんな、アリカちゃん側か」
どうして彼女達がアリカに付いたのかはわからない。どうやらこちら側へ協力を申し出る様子はないし、これ以上の問答は不要だろう。
エレベーターホールへの通路には、白スーツ達が再び押し寄せていた。夜羽が気絶させていた者達も含め、僕達を容易く通してはくれないようだった。
「さてと。どうするかなあ、これ」
「穂邑、貴女、何人までならやれる?」
「え? いや、まったく無理だけど。荒事は二人に任せようかなって」
「はあ!? オイオイ、オレだって流石にこの人数は―――」
第一の試練、といったところか。
あれだけ大きな口を叩いた手前、こんなところでいきなり躓いているわけにもいかないのだが―――
「ま、いいわ。所詮アイツらはただの脅し役。この学院にいる生徒を傷付けることは決して許されない。だからきっと、なんとかなるわ」
「そんなアバウトでいいのかよ? ああクソ、やっぱりオマエは黒月夜羽なんだなぁ!!」
そうして僕らは立ち向かう。
ここを抜け出し、仲間のもとへ辿り着く為に。
「―――な、なんだ!?」
「うわっ、この女、容赦な―――!?」
と、身構えていた矢先。
エレベーターホールの方から、一人の女性がこちらへと向かってくるようだった。白スーツ達を次々に蹂躙しながら、堂々と。
その女性は―――寮監、濠野美咲であり。
その背後には、大勢の大人達が引き連れられていたのである。
「……いったい、何事ですの?」
その光景を目の当たりにして、黙していたアリカが声を上げる。
「オイオイ、姉貴。マジかよ……!」
―――そうして。
摩咲がそれを見て、意気揚々に言い放つ。
「ありゃあ、ウチの人間―――濠野組のモンだ!」
そこに現れたのは、濠野美咲によって引き連れられたひとつの部隊とも呼ぶべき集団。
「待たせたな、お前ら。さあ、今のうちにここから出な!」
美咲が声を張り上げ、多種多様な服装をした大人達と共に白スーツを取り押さえ始める。
戸惑いながらも抵抗する白スーツ達と、ガラの悪い怒声をぶちまけながら暴れ回る濠野組の者達。
その光景はどこまでも非現実的で、けれど―――
「行こう、二人とも!」
正真正銘。
これこそが、僕達にとって反撃の一手となった。




