2話 知己朋友のアライアンス
早朝の午前6時過ぎ。
茨薔薇の園、四階―――僕と夜羽は円卓の間を経由し、香菜の部屋へとやってきていた。
躊躇いなく呼び鈴を鳴らしたのは夜羽だった。僕はそんな彼女の前に乗り出て、扉の向こうから現れる少女を待つ。
「―――ほむりゃんっ!?」
部屋から飛び出すように勢いよく扉を開いたのは、よく見知った親友の姿。
「久しぶりね、香菜」
そんな僕と彼女の再開に水を指すように、夜羽がすかさず声を掛けた。
「え……あ……あんた、は……!」
香菜は夜羽の姿を確認すると、驚愕の表情を浮かべる。
「話し合いをしましょう」
―――こうして、三人は再び集まった。
◆◆◆
「……話はわかった。あんたの言うことを信じたわけじゃないけど、ほむりゃんが決めたことなら、あたしに文句は言えない」
香菜の部屋、リビングにて。
僕と夜羽、そして香菜の三人はテーブルを囲み、互いに顔を突き合わせていた。
これまでの経緯を一通り説明すると、案外あっさりと香菜はそれを呑み込んでくれた。
「それは良かったわ。香菜の協力なくして、わたし達の作戦は成立しないもの。あの場に居合わせた人間……三日月絵瑠の死を知っているのは、ここにいるわたし達だけなのだから」
「僕達だけ? それは違うでしょ、夜羽」
夜羽の物言いに引っかかり、僕は間髪入れずに口を挟む。
「君の話を聞く限り、今回のことは百瀬百合花も知ってるはずだ。彼女にも協力を仰ぐ必要があるんじゃないの?」
「ああ、それなら心配はいらないわ。あの人は既にお仲間みたいなものよ。貴女達が知らないだけで、あの人が三日月絵瑠という少女に関わりを持つようになったのも、わたしが持ちかけた話に乗ってきたからなのだし」
僕の問いに夜羽がそう答えると、それを見ていた香菜は、
「……その、三日月絵瑠って子が死んだ原因は、あたしにあるんだよね?」
罪悪感に塗り潰されたような表情でそう言った。
「いや、それは……香菜のせいじゃないよ。悪いのはあの男達……それを雇ってえるを狙った何者かだ」
「その、何者か……は、結局わからないの?」
「この学院にそれに関わりを持つ人間がいるはずよ。そいつを捕まえてすべて吐かせればわかることでしょう」
毅然な物言いをする夜羽ではあったが、それでも香菜の曇った顔色が変わることはなかった。
「あたし、わからないことだらけだよ。誰かに刺されて入院してたけど、それが誰だったのかもわからない。意識不明だったのはたったの数時間……だけど、ここ数日の記憶がまったくなくて。記憶喪失、とは少し違うのかもしれないけど……あたしがどうして……?」
香菜は本当に最近の記憶を失っていたらしい。
それも蜜峰漓江による監禁事件、その時から今に至るまでの記憶すべてが消失したのだという。
「ねえ、香菜。覚えていることだけでいいから答えて欲しい。蜜峰さんに監禁されていた時のこと、どれだけ覚えてる?」
「……正直、曖昧なんだよ。あたしが船橋さんの失踪に気付いて、探し回って……学院の裏庭にある倉庫で蜜峰さんに見つかって、変な薬みたいなのを打たれて……それからの記憶が、ほとんどなくなってる」
「変な薬……ね」
香菜の言葉を聞いて反応したのは夜羽だった。
「蜜峰漓江なら知っているわ。わたしの作った科学研の同期だもの。あの子が何かをしでかしたとは聞いていたけれど……まさか、彼女が敵のスパイだとでも?」
「蜜峰さんは媚薬を作っていたみたいで、僕も実際にそれを打たれたりしたし、香菜のことを刺したのも蜜峰さんなんだ。百合花さんによると、彼女は解離性同一性障害……二重人格らしいんだけど」
「それは初耳だわ。それって貴女と同じ状態ってことよね?」
「僕がそうなのかどうか、確証はなかったけど……やっぱり、そうなんだね」
「蜜峰さんとほむりゃんが、二重人格……?」
話がややこしくなってきた。
蜜峰漓江は解離性同一性障害であり、それは百瀬百合花の証言なので確かめる必要はあるかもしれないが―――僕に関しては、夜羽が何かを知っているようだった。
「……そうね、どこから話せばいいかしら。蜜峰漓江に関しては情報が不足しているし、今はこれ以上議論を続けても無駄でしょう。百瀬百合花に直接聞くのが手っ取り早いわね。それで、貴女……紅条穂邑の症状についてだけれど―――」
夜羽はひとつ間を置いて、
「―――貴女は使ったのよ、天使の棺をね」
「天使の……ひつぎ……?」
聞き慣れない単語だった。
天使というとおとぎ話などで出てくるようなあれで、ひつぎ、とは棺―――つまり棺桶のことだろうか?
「ええ、そうね……空っぽの記憶を持った人格を宿す為の装置、といえばわかりやすいかしら?」
「なんだって……?」
「紅条穂邑は黒月夜羽に協力して実験に関わりを持ち、その結果として今の貴女としての人格が生まれた。今はそれだけ覚えていればいいわ」
「ちょ、ちょっと待って―――夜羽、やっぱりあんたが原因なんじゃない!!」
香菜が声を荒げ、それを冷ややかな視線で受け流す夜羽。
そんな二人をよそに、僕の思考は何故か落ち着いていた。
「……香菜、いいんだ。夜羽は、僕―――いや、『私』が協力した、と言った。なら、そこには私の意思があったはず。ようするに自業自得、ってわけでしょ?」
「ほむりゃん、でも……!」
「なんていうか、ようやく合点がいった……って言えばいいのかな。経緯はわからなくても原因はわかったんだ。それに、今は僕のことより、えるを殺したやつを追うのが先だよ」
僕がそう言うと、香菜は力が抜けたようにぐったりと俯いて、
「ほむりゃんがそれでよくても、あたしは―――」
どこか辛そうな表情で、なにかを呟いていた。
「……それで。話、進めてもいいかしら?」
「ああ、うん」
仕切り直しと言わんばかりに、夜羽は再び会話の主導権を握るように、
「一旦整理するわよ。わたし達の目的はひとつ、この学院に潜んでいる敵を見つけ出すこと。その為にわたしは三日月絵瑠として学院に通う。三日月絵瑠の死を知っているのは穂邑、香菜、百瀬百合花のみ。この四人で協力して敵を炙り出す。ここまではオーケー?」
「おっけー。それで?」
「怪しいのは蜜峰漓江だけれど、まだ確証には至っていない。香菜の記憶が消えた理由も恐らくは敵の手によるものね。敵はわたしの計画を潰す為に動いている。それだけではなく、もし敵側がこちらを上回る計画を進めているのだとすれば―――」
「その、天使の棺……とやらが何かは知らないけど、記憶を消したりもできるってこと?」
そうして僕が疑問を口にすると、夜羽はどこか呆れたような口調で、
「というか、元々はそういう用途で作られたものよ。わたしの為に作られた、ね」
「夜羽の為に……?」
天使の棺。
それは僕がこうなってしまった原因であると同時に、黒月夜羽の為に作られたものである、と。
「―――超記憶症候群」
夜羽は短く、何かの単語を呟いた。
「わたしがこれまで抱えてきた障害。黒月夜羽の生まれ持った特性、忌むべき体質。わたしはね、生まれてから今まで目にしてきたすべての事柄を鮮明に記憶しているのよ」
「それ、って……」
「人間の頭脳―――いわば、小さな空の屋根裏部屋に置ける家具の数は本来限られている。古い家具から順番に捨てられて、新しいものに変わっていく。だからこそ、詰め込む家具は厳選する必要があるのよ。けれど、わたしの場合は違う。わたしの脳にはそれらを剪定する器官が存在していない。なんでもかんでも勝手に詰め込むくせに、捨てることができないのよ。それがどれだけ忌まわしい家具であろうと、なにもかも平等にね」
「まさか、それで―――」
「そう。天使の棺は、黒月夜羽という人間の記憶そのものを外的要因によってコントロールする為のプログラムだったのよ」
今までに見たこともないような、眉間にシワを寄せた苦い表情で、夜羽は告げる。
「まあ、ようするにそういう計画を潰したい……いえ、我が物としたい、なんて思っている連中が存在しているってだけの話。そして、そいつらが似たような研究をしているのだとしたら―――」
「あたしの記憶が無くなったのは、そいつらに関わる人間の仕業だ……ってことね?」
「そうよ、香菜。きっと貴女はなにかに気付いたのでしょう。蜜峰漓江が敵であるか、それを決めつけるのは早計だとは思うけれど―――仮にそうだとするのなら、貴女が刺された理由にも説明がつくわ。何らかの方法で記憶を部分的に消却させられてしまった、という予想もね」
「何らかの方法、って……?」
「さあね、それはわたしにもわからない。けれど、蜜峰漓江が媚薬なんてものを作っていたのだとすれば、それが繋がりを生むヒントなのかもしれない。記憶を消す薬―――なんて、まあ。わたしからすれば、全然あり得る話だから」
蜜峰さんの媚薬、それには本来の用途が別にあったと言うのだろうか。
それとも、蜜峰さんではなく、本当の敵は他にいる……?
「とにかく、まずは百瀬百合花に会いましょう。蜜峰漓江に関して一番詳しいのはあの人でしょうし。いい加減、洗いざらい吐き出させて、なにもかも明らかにしてやるわ」
「そうだね。香菜も、それでいい?」
「うん……気は乗らないけど、あたしにも責任はあるから」
そうして話はまとまった。
僕達は、この一連の事件、そのすべてを暴く為に行動を開始した。




