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回想/三日月絵瑠2

「絵瑠、少し良いかしら?」


 日曜日―――円卓会議のあった日の夜。

 わたしは、お世話になっている百合花さんに声を掛けられた。


「あっ、はい。なんですか?」


「これは調べて解ったことなのだけれど、隠していても仕方がないし……率直に言わせて貰うわ」


 百合花さんは、どこか神妙な表情で、


「ねえ、絵瑠。貴女、昨晩の間ずっと魘されていたようだけれど―――それは、自分で気付いている?」


「それは……はい。えっと、その……イヤな夢を……毎日、見ています。たぶん、それで……」


「そう。今更なにがあったのかなんて問い質したりはしませんが、気になったので調べさせて頂きました。ああ、いえ―――正確に言うと、問い詰めました。()()()()()()()()()


「わたしの……?」


 わたしは百合花さんがなにを言いたいのかイマイチ解らなかったけれど―――どこか、嫌な予感みたいなものがしていたのは事実で。


「ハッキリと申し上げましょう。絵瑠、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 だから、そんなことを言われても、心の底では驚きよりも納得の方が強かった。


「これはどうしようもない事実です。貴女が()()()()から逃げてきた時点で、その寿命は一瞬にして短いものとなった。今すぐに戻れば多少の延命は叶うとのことだけれど……絵瑠、貴女はどうしたい?」


「わたし……わたしは―――」


 地獄から逃げ出して、ほむらさんに助けられて。

 今はこうして百合花さんという保護者もいて、何不自由ない生活を送らせて貰えて。


 明日から、学院生活が始まる―――そんな、わたしにとって幸せな、新しい世界が目の前に広がっている。


「わたし……戻りたく、ありません。ここが……新しい、この場所が……わたしの―――」


 だから、答えなんて決まっているんだ。

 たとえ本当に、あと一ヶ月で終わってしまうのだとしても。


 この掛け替えのない、喜びと楽しみに満ちた幸福な時間を、僅かでも味わうことができるのであるならば―――


「お願いします、百合花さん。わたし、最期までここにいたい……!」


 わたしは、一分一秒足りとも逃さずに、これからのすべてを全力で堪能してみせる。


「そうですか。まあ、貴女はそう言うと思っていましたけれど。こんなに即決だなんて、よほどあの場所は苦しみに満ちていたということかしら」


「えっと、その……それは」


「あ、いえ、なにも言わなくて結構です。これからはなにもかも忘れて、ここでの生活を満喫して頂きたいですし。わたくしが言いたいのはそんなことではなくて―――」


「……百合花さん?」


「ああ、まったく。こんな話をしても顔色ひとつ変えないなんて。貴女、本当にどこまでも純粋で……わたくし、この一点に関しては素直に負けを認めてしまいそう」


「あの、えっと……」


 眉間に手を当てながら、百合花さんは溜め息をひとつ吐いて、


「ねえ、絵瑠。わたくしは貴女を守ると誓いました。他の誰でもない、穂邑さんの頼みだからです。……まあ、貴女の知っている人とは、ある意味では別人と言ってもいい存在ではあるのだけれど」


「え……ほむらさん、ですか?」


「ええ。彼女には返しきれない借りがあるの。わたくしの数少ない弱み、みたいなものね。だから、そう……わたくしが貴女を助ける理由なんて、ただそれだけなのよ」


「は、はい……そう、ですよね」


「でもね。貴女をわたくしの傍付きにして、こうやって生活を共にした以上―――わたくしにだって、愛着のひとつも湧くというものです。これでも真っ当な人間のつもりですからね。だから、わたくしだって貴女の真実を知って悲しまなかった、と言えば嘘になるわ」


 百合花さんは少し気恥ずかしそうに、


「それでも、いいえ、だからこそ貴女の意思を尊重したい。貴女があと一ヶ月で死んでしまうとしても。ここで残りの僅かな時間を過ごすと決めたなら、わたくしはそれを全力で支えてあげたい。そう、思っているのよ」


「百合花さん……」


「だから、貴女がどうするかは貴女に決めて貰います。わたくしの傍付きだと言ってはいるけれど、結局それはただの建前。貴女がしたいように、好きなことをしなさい。この茨薔薇にいる以上、貴女は自由なのだから」


「わたしは、自由―――」


 その言葉は、どこまでもわくわくするもので、


「わたし……できるだけ、ほむらさんと一緒にいたい、です」 


 だから、思わずポロリと本音が漏れていた。


「穂邑さんと……ね。そう、そんなにあの人が気に入った?」


「えっと、その……ほむらさんは、わたしを見つけてくれたから。あっ、百合花さんがこうして助けてくれたこと、本当に感謝してるんですけど―――」


「ふふ、いいわよ。気にせず話して?」


「あ……はい。わたし、ほむらさんに本当に感謝しているんです。あの人がわたしを見つけてくれなかったら、きっと今もまだあの地獄にいると思うから……」


 死に物狂いで逃げていたわたしを、どこの誰とも知らない他人を、なんの見返りも求めずに助けてくれた―――


「……だから、今度は。わたしが、ほむらさんに恩を返したいんです」


 わたしに何ができるかなんてわからないけれど。

 あと一ヶ月しかない時間の中で、少しでもあの人にあげられるものを見つけられたなら。


 それは、きっと。

 わたしが生きてこの場所にいる意味になると思うから。


「そう。貴女の気持ちはわかりました」


「百合花さん……?」


「それなら、明日からは彼女と共に過ごすことを許可します。望むなら、この部屋に戻って来なくても構いません。ああ、でも、ちゃんと連絡くらいは貰えると嬉しいわ」


「えっと、その……いいん、ですか?」


 わたしが恐る恐る尋ねると、百合花さんはいつにもなく穏やかな微笑みを浮かべて、


「もちろんよ、貴女の大切な時間だもの。それをどうするかは貴女が決めることよ、絵瑠」


「は……はいっ、ありがとうございます……!」


 そうして、わたしは自由(じかん)を貰った。

 こんなに幸せなことがあっていいのかな、なんて少し戸惑いもしたけれど。


 『貴女はそれでいいのよ』と、百合花さんが言ってくれたから。


(明日から、楽しみだなぁ―――)


 わたしはもう、苦しまなくていい。

 そう、これから―――あの地獄にいた頃には夢にも見なかった、素晴らしい日々が始まるのだから。

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