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8話 終焉の刻、地獄よりの使者

 結局、当日になっても香菜から連絡はなかった。


 退院するにあたって色々と忙しいのだろう。なんにせよ、今日の夕方に帰ってくるのは間違いないはずだ。


 僕はいつものように、平凡だけれど、それでも今までとは違う日常を送っていて。


 だからこそ。

 唐突に訪れる終わりに対して、まったくの無力であったのだ。


  ◆◆◆


 放課後、クラスの教室にて。

 いつものように、僕は摩咲に声を掛けられた。


「オイ、紅条。香菜は今日帰ってくんだろ?」


「そうだと思うけど、それが?」


「連絡とか来てねぇのかよ。今頃はもうこっちに向かってんじゃねぇのか?」


「ああうん、それがまったく。なんていうか、最近の香菜ってちょっと連絡不精ぎみというか……」


 ポケットからスマホを取り出して通知を確認するも、やはり連絡は来ていない。

 そんな僕の手元を覗き込んでいた摩咲は、


「はーん。オマエ、愛想つかされたんじゃねぇの」


「あ?」


「睨むなって、冗談だろ。ンだよ、マジで連絡こねぇからってイラついてんのか?」


「そういうんじゃないけど……ただ、最近って良くないことが立て続けに起きたでしょ。だから苛立ちというか、不安……だよ」


 事実、香菜が僕に一日以上空けても連絡をよこさないのは稀なことだったし、こうなった時に事件が起きたことは間違いない。

 杞憂かもしれないが、二度あることは三度あるとも云うのだし、どうしたって心配してしまうのは仕方がないだろう。


 なんて、そんな僕の心境を感じ取ったのか、そうでもないのか、摩咲はいつにもなく柔らかい口調で、


「悔しいけどよ、アイツはオマエを絶対に見捨てないだろ。オレもそこそこ見てきたからな、解るコトだってある。それならよ、オマエだってアイツを見捨てちゃあダメだ。だから心配すんな、とは言わねえよ。でもな―――」


「……でも?」


「ああクソ、別にこんなコト言おうと思ってたワケじゃねぇんだけどなぁ……ま、ようするにだ。一年前、アイツはオマエを信じて待ってたんだよ。それなら次はオマエがアイツを信じて待っててやるのがスジってモンだろうが。連絡がねぇからってよ……結局、待つ側のオレ達にはなにもできねぇんだしな」


「……それは、そうだね」


 摩咲の言うことはもっともだった。

 もちろんそのつもりではいるのだけれど、心のどこかで信じきれない部分があったのかもしれない。


「それになぁ、オレはもう二度とオマエの―――」


「ん、僕がなんて?」


「ああクソっ、なんでもねぇよ!」


 顔を真っ赤にして怒声を放ちながら、摩咲は教室の出口へと向かって行って、


「今日は特別に帰宅部の直帰を許してやる! じゃぁな、香菜が帰ってきたら教えろよ!」


 それだけ吐き捨てて、その場から去って行った。


「ふふっ……やっぱり良い人ですよね、摩咲さん」


「おわっ! える、いつの間にいたの!?」


「ついさっきです。えっと、その……百合花さんに呼び出されてて。これ、貰ってきました」


 そう言ってえるが差し出したのは、新品まっさらな生徒手帳だった。


「おお、ちゃんとえるの写真付きじゃん。名前も三日月絵瑠……って、なんだか僕が名付けしたから照れちゃうね」


「そうですか? わたし、とっても気に入ってるんですよ、この名前。本当に、ずっと前からこうだったのかもって思わされるくらい」


「そっか、それならよかった」


「はいっ。それじゃあ帰りましょう、ほむらさん」


 えると放課後を共に帰る、このやり取りも慣れたものだ。

 当たり前のように二人で一緒に寮へと帰る、そんななんでもないひとときが本当に嬉しくて、大切で。


 ―――だからこそ。

 そんな時間が一瞬にして終わりを迎えるなんて、本当に考えもしなかった。


「……あれ? ほむらさん、スマホ光ってますよ」


「ん、ああ……ほんとだ。なんだろ」


 僕はマナーモードにして机の上に置いていたスマホを手に取って、その画面を確認すると、


 ―――そこには。

 『発信者:渋谷香菜』と表示されていた。


「香菜だ……! ごめん、える。ちょっと電話出るね」


「は、はいっ」


 僕は慌ててスマホを操作し、着信を取る。


 時間もちょうど夕方頃。

 香菜の手が空いて、ようやく連絡をくれたのだろう。


「もしもし、香菜?」


『――――――めて、―――なし――――』


 聴こえてくるのは、ガサガサとしたノイズ混じりの物音のようなものと、その音にかき消されてしまっている聞き取り辛い声。


「……香菜?」


『―――りゃ―――――ダメ―――のいう――』 


 おかしい、明らかに異常事態だ。

 解るのはなにかが暴れている音……それに、どこか聞き覚えのある、甲高い声色―――


「香菜!? どうしたの、いったいなにを―――」


『―――紅条穂邑、だな?』


「は……!?」


 そうしてハッキリと聴こえたのは、香菜の声などではない。

 ドスの効いた低い声―――どこの誰ともわからない、男のものだった。


『今から三十分以内に、そちらにいるミカエルⅩⅢ(サーティーン)を連れ、茨薔薇の敷地から出てすぐの駅前にあるコンビニ近くの無人駐車場まで来い。もう理解しているとは思うが、渋谷香菜の身柄はこちらで確保させて貰っている』


「な……なに、を……?」


「こちらの要求は単純明快。ミカエルⅩⅢ(サーティーン)と渋谷香菜の身柄の交換(トレード)だ。これは取引などではない、強制だ。お前はミカエルを連れて一人でこちらまで来い。他の人間の存在が認知された場合、その瞬間、渋谷香菜の命は無いと思え」


「おい、待て……それは、つまり―――」


「良いか。これ以上は時間の無駄だ。制限時間は三十分。その間にお前が現れなかった場合、これもまた同様に渋谷香菜の命をいただくことになる」


 なんだ―――なんなんだ、これは?


 現実感がない。

 いつの間にかフィクションの世界に入り込んでしまったかのような錯覚に陥る。


 だって、それはまるで―――


『紅条穂邑。お前の懸命なる判断を望む』


 プチン、と通話が一方的に途切れる。

 僕はまったくなにも言えないまま、ただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。


「ほむらさん、今のって……!」


 えるが必死の形相でこちらを見ている。

 それは今の出来事を把握しているような―――僕の反応のせいだけではない、恐らく音量的に男の声も聴こえてしまっていたのだろう。


「あ、ああ……うん。どうして、いきなりこんな」


 幸い、放課後ということもあって教室にはもう生徒は残っていなかった。

 今の話を聴かれてしまった、という心配は必要ない。


「ほむらさん、わたし……」


 えるは戸惑いのような、それでいて恐怖心を隠しきれていない、悲壮な表情を浮かべていた。


 そうだ。

 彼女をミカエルと呼ぶ、ということはつまり。


「える……いや、でも……それだけは……」


 香菜が何者かに囚われている。

 恐らく、着信直後のノイズに紛れていた声は香菜のものだろう。身代の存在証明のつもりなのか、ご丁寧に疑いの余地を与えてはくれないようだった。


 どうすればいい?

 このまま言う通りに従うということは、つまり、えるをまた地獄へと叩き戻す、ということに他ならない。


 それだけはできない。

 けれど、それ以外に香菜を助け出す手段があるのか?


「……くそっ!!」


 あまりの理不尽に苛立ちながら、僕は右手の拳で机を強打しながら吐き捨てる。

 じりじりと骨まで痛みが伝わってくるが構わない、まずはまともな思考を取り戻さなければ。


 まず、この茨薔薇女学院から指定された場所まで、どれだけ急いでも二十分はかかる。考えている時間はほとんどない。策を弄する時間を与えるつもりはないのだろう。


 しかし、言われるがままに行動すべきではない。

 だってそれは間違いなく、えるを失ってしまうことになるからだ。


「―――ほむらさん、急がないと。香菜さんが危ないんですよね?」


 そんな僕の背中を押すように。

 えるは身体を震わせながら、それでも強い意思の込められた眼差しで僕を見つめてそう言った。


「それは……、そうだけど、でも!」


「わかってます。きっと、もうわたしはここには戻ってこられなくなる。そんなの、本当に嫌です。またあそこに帰るなんて辛すぎます。だけど―――」


 えるは目尻にうっすらと涙を溜めながら、今にも泣き出してしまいそうな声を押し殺して、


「わたし、死ぬわけじゃないんです。だから」


 香菜の死と引き換えにはできない、と。

 えるはどこまでも苦しげな表情で―――けれど、それが当たり前なのだと言うように。


「お願いです、ほむらさん。わたしのことを思ってくれるのなら、わたしを……わたしのせいで、香菜さんを死なせないで……!」


 そうして。

 僕とえるは、謎の男に指定された場所へと向かうのだった。

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