3話 絶対的な存在、抗えぬ役割
僕達が学院に到着した頃、時刻はすでに門限を過ぎていた。
しかしながら、正門にいた意外な人物の助けによって、なんとかお咎めなく校舎内に入ることができた。
『まったく、初日からこの体たらくとは。まあ今回ばかりは見逃しましょう。わたくしの都合を無理やり押し付けた結果ですからね』
そうして僕はえるをその場で彼女に預け、摩咲と共に二階にある自分達の教室へと急いだのだった。
◆◆◆
まず初めに、僕が教室に入った瞬間、クラスメイト達から稀有の眼差しを向けられた。
それもそのはず、僕の隣には普段あれだけいがみ合っていた相手、濠野摩咲がいるからだ。
「ええと、おはよう……」
その事実に改めて気付いた僕は、なんとも言えない気持ちになりながら自分の席までそそくさと向かった。
「紅条さん、いつの間に濠野さんと仲良くなりましたの?」
以前に僕達のケンカを仲裁した、このクラスの委員長である少女が声を掛けてくる。
「おいそこ、勘違いすんなよ。オレはそんなヤツと仲良くなったつもりはねぇからな!」
ヤンキー少女の怒号が聴こえるが、僕は知らない振りで誤魔化した。
本当に、この数日で僕を取り巻く世界は変わったと思う。
それに何より、自分自身の心持ちの変化が実感できる。今まで関心のなかったクラスメイト一人にとっても、どうしてか多少の興味すら湧いていた。
自分が変わっている、という自覚はなかった。
変わろうとしたことは事実だったのだが、それでも変化を感じることはなかった―――そう感じていたのは、どうやら間違いであるらしい。
「おはようございます、皆さん。ホームルームを始めますよ」
なんて、僕が感慨に耽っていると、教室にいつもの教師がやってきた。名前……なんだったっけか。
「静粛に。それではまず初めに、転入生を紹介致します」
教室内がざわつく。
教師が無言の圧を放っているが、転入生という一言はそんなものを無視するほどに、生徒達の興味を惹いている。
「―――って、え? あ、あの……何故あなたがここに?」
すると、教師が扉の向こうを見て驚愕の表情を浮かべながら狼狽えている。
その目線の先、そこには―――
「失礼致しますわ、皆様方。ごきげんよう、そしておはようございます」
見間違えるはずもない。
そこにいたのは、百瀬百合花その人だった。
「え……誰?」「バカ、あなた知らないの!?」「あれ、ゴスロリ……よね……?」「ぎゃぁぁああ! 素敵ぃぃいいい!」「嘘、嘘ですわよね?」「どうしてこんなところに?」「あの方は、まさか」「そう、あの方は―――」
「「「生徒会長―――!?」」」
学生として正規の制服を着用しているわけでもない。それが所謂ゴスロリと呼ばれる服装であるとしても。その高貴さが、豪奢な装いが、誰よりも高みに至っている存在感が、
彼女が、この学院における学院長―――正確には代理ではあるが―――そのものであることを象っている。
「皆様、どうか静粛に。本日は特例として、この場をお借りして一人の転入生を紹介させて頂きたく思い、足を運ばさせて頂きました」
再び出る転入生、という言葉。
先程まで沸き立っていたものであるというのに、クラスメイト達の意識は既に目の前の百瀬百合花そのものに向けられている。
故に、静粛に。
誰しもが彼女の言葉を受け入れ、従順なる下僕かのように従っていた。
「ではどうぞ、お入りなさい」
そして、一人の少女が現れる。
この展開は予想しきれなかったが、そこに現れるものが何者かは理解できる。
それは、長い黒髪の少女だった。
銀髪の百瀬百合花とは対照的な、それでいてその存在感に圧倒されず、確かに佇んでいる―――
「はじめまして。わたしは、三日月絵瑠と言います。今日からこの学院に通うことになりました。どうぞ、よろしくお願いします」
誰もが彼女の声を静かに聞いていた。
それは、僕や摩咲も同様に。
「ということで、彼女が本日からこのクラスに転入することになりました。皆様、どうぞ仲良くして頂きますよう。ああ、それと―――」
僕の勘違いでなければ。
百瀬百合花は、確かにこちらを見た。
「三日月絵瑠はわたくしの傍付きであり、そして、そこにいる紅条穂邑さんの親戚にあたる人物です。世話係としては、これほどうってつけの人物は他にいないでしょう。そうですわよね、紅条さん?」
ああ、なるほど。
ここまでが貴女の計画通りというわけね……。
◆◆◆
そうして、クラス騒然となった朝のホームルームが終わり、それぞれの自己紹介なども済んで、ついでに僕への質問―――もとい尋問が繰り返された後。
えるが教室に馴染み始めるまでに時間は掛からなかった。
……まあ、それもそうだろう。
なにしろ彼女はどこまでいっても人当たりの良い性格をしているのだし、何よりあの百瀬百合花のお墨付き。
少なくとも、このクラスの人間は全員が三日月絵瑠という存在に対して敬意を表している。
そんなこんなで、色々ありつつ午前の授業が終わって、昼食時―――
「えっと……その、ほむらさん。なんだか顔色が悪いみたいですけど―――」
我先にと群がるクラスメイト達をかいくぐり、僕の下へとやってきたえるが放った第一声がそれだった。
「うん。しばらくはこんな感じだと思う。なにしろ、この学院にいてこんなに疲れたのは初めてだからね……」
「そ、それは……あの、ごめんなさい……?」
「えるのせいじゃない。間違いなく、あの暴虐非道極悪パンイチ生徒会長のせいです」
「えっと……その、聞かなかったことにしておきますね……」
いったいなんなんだ、百瀬百合花は。
確かに僕がえるを連れ込んだし、それを助けてくれたのは間違いない。
滅多に見せない姿を現してまで、直接クラスメイトに注意喚起を促すほど徹底してくれたのは予想外だし、正直驚いた。
彼女がえるを心底から守ろうとしてくれている、それは確かに伝わった。
けれど、でも、あのさあ。
まさか僕に全部丸投げするとか、そんな酷いことってある……?
「紅条さん、三日月さん。お二人は親族とお聞きしましたけど―――」
委員長が話し掛けてくるが、今の僕には反応するだけの気力がない。
今の今までまったくもってクラスメイトと接することのなかったこの僕が、まさかこれほど注目を浴びることになるなんて。
「あの、紅条さん……?」
「ごめんなさい。今は、ちょっと疲れているみたいなので……」
委員長に対し、僕の代わりにえるが対応する。
それにしても、根性があるものだ。
僕と同じ、いやそれ以上に周りから話し掛けられ、興味を向けられ続けているというのに。
「オイ、オマエら。さっさと行くぞ」
そうして、そこに割り込んでくる一人のヤンキー少女、濠野摩咲。
「なにぐったりしてやがんだよ。朝の話の続き、しなくていいのか?」
そんな彼女の言葉に、僕はなんとか気力を取り戻す。
そうだ、確かにあの疑問だけは晴らさなければならない。老骨に鞭を打つ心持ちで、僕はふらふらと立ち上がる。
「だ、大丈夫ですか、ほむらさん!?」
えるが心配そうにこちらに近付いてくる。
そんな彼女に対し、僕は静止するように手をかざして、
「なんとかね。行こうか、二人とも」
摩咲は無言で踵を返し、教室の出口へと向かっていく。
僕とえるは、そんな後ろ姿を追い掛けて―――
「やっぱり、仲良くなってる……わよね……?」
僕達が教室を去る間際。
そんな委員長の声が、微かに聞こえた気がした。




