4話 少女ではあるけれど
ようやく堅苦しい学業の時間から解放され、僕は一人で帰路についていた。
いつもは香菜と一緒に帰っているのだが、今日は用事があると連絡があった。
それはそれで丁度いい、僕にも急いで帰る理由がある。
寮の部屋の前で深呼吸する。
鍵は掛かっているし、誰かが出入りした痕跡は特になさそうだ。
安心しながら僕は鍵を開けて部屋の中へ入る。慎重に、周囲に人がいないことを確認しながら。
「ただいま、っと」
小声で呟きながら奥にある寝室へと向かう。そこで僕は違和感を覚えた。
寝室の扉が開いている。
確かに部屋を出る時には閉めたはずなのに。
「まさか」
心臓がどくり、と鼓動する。
冷や汗が額に流れ、背筋が凍った。
寝室へと駆け寄って中を確認すると、そこには誰もいなかった。
「え……?」
昨日助けたはずの少女。
そして今朝まで確実にベッドの上で眠っていたはずの、あの子の姿がない。
迂闊だった。
少しでも目を離すべきではなかった。
学業も大切だが、いま一番大事なのはあの少女だったはずなのに。
僕は、また間違えてしまうのか?
「うっ……く……!」
ズキリ、と脳裏を走る痛みに襲われる。
昨日の時といい、最近になって頻度が高くなっているようだった。
だが、しかし―――今は、そんなものにかまけている余裕はない。
探さなければ。
僕が助けると決めたのだから、その責任は最後まで全うしなければならない。
振り返って玄関へ。
申し訳程度に設置されている靴箱の中身を確認する。
「靴は……減ってない。あの子、まさか素足で……?」
倒れていた少女を拾い上げた時、彼女は靴を履いていなかった。
足の裏に無数の傷があったので消毒をして包帯を巻くまでの処置はしたものの、そのまま外へ出るなんて愚かにもほどがある。
嫌なイメージを振り払うように僕は部屋から出ようとした、その時だった。
「ひゃぁっ」
背後にある洗面所の扉の向こうから、甲高い悲鳴のような声が聴こえた。
僕は咄嗟にその扉を開いて、その先にあるシャワー室の扉も勢いのままに開け放って。
「………、え?」
そこには。
あられもない姿で倒れている、真っ裸の少女の姿があった。
◆◆◆
さて、結論だけ言ってしまおう。
件の少女は、外へ出ていたわけではなく、ただ単にシャワーを浴びていた。
部屋はかなりの防音加工が施されているのでシャワー音が漏れず、気付くことができなかった。悲鳴レベルの音量となると話は別なのだけれど。
そして、現在。
どうやらシャワーを浴びている途中に滑って転んでしまったらしい少女が、顔を真っ赤にしながら僕の寝間着をまとって縮こまっている。
恥ずかしくて言葉すら出てこないのだろう。かく言う僕も彼女の肢体をまじまじと眺めてしまった都合上、何を言えばいいのかわからない。
「ああ……えーっと」
気まずい、とても気まずい。
卵のような白く美しい肌と、僕や香菜にはない女性らしさのある身体つき。具体的に言うと特に胸部の辺り。彼女の細身には似つかないほどのものである。
いやまあ、昨日の夜に彼女の汚れたワンピースを洗うために脱がしているからその時にも見てはいるのだけれど、下着までは脱がさなかったし―――そもそも、出来る限り見ないように気を付けてはいたので、これはあくまで不可抗力ということで許していただきたい。
「……あの」
「うわっひゃい!?」
とても年頃の女の子が出すべきではない声が自分の口から出た。めちゃくちゃ緊張しているのでそこは見逃して欲しい。
「え、あ……その。ごめんなさい」
あまりに僕の醜態を見てられないからか、彼女は目を逸らしながら謝り始めてしまった。
「いやいや、僕が悪いから。その、気にしないで欲しいと言うか」
そうして気まずい空気が再来する。
どうしたら会話が成立するのか、とにかく今のこの空気をなんとかしなければならない。
「あの、えっと……」
そんな僕の心情を理解してくれたのか、そうでもないのか。彼女の真意は理解できないが、それでも先に口を開いたのは彼女だった。
「失礼なことを聞くかも知れませんけど―――」
少女はとても言い難そうにもじもじと俯きながら、それでも視線は僕へと向けて上目遣いに問いかける。
「あなたは、女の子……ですよね?」
ああそうか、と理解する。
昨日のことを考えれば意識の薄かった彼女がそう思ってしまうのも無理はない。
なにせ今の僕の格好を見れば疑問に感じるのは当然だった。
「うん、僕は女だよ。れっきとした女の子、みたいだね」
曖昧な言葉。
そう、僕は―――紅条穂邑は身体的にも戸籍上も間違いなく女性だ。
ではある、のだけれど。
「えっと……みたい、って……?」
少女は明らかに理解の及ばない表情をして、
「ああいや、その。不思議な話に聞こえるかもしれないんだけど、僕は自分が女だって事、まったく自覚がないんだ」
あまりに躊躇いもなく、あっさりと。
この事実を話したのは親友である香菜くらいのものだったのに―――それでも、この少女には何故かすんなりと話してしまった。
そう、これが僕の現在。
少なくとも今の僕にとって、それが心からの本音であったのだ。