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2話 深まる疑問、知らない記憶

 僕とえるは寮から出ると、学院校舎へと続く道を二人で並んで歩いていた。


 朝の登校風景。

 同じように学院へと向かう生徒達がまばらに歩いている。天気も快晴で、えるの初登校としては上々の晴れ日和といったところだ。


「そういえば、帽子は?」


 僕はえるの格好を頭の上からつま先まで眺めつつ、彼女にそう問い掛けた。


「さすがに登校する時には不自然だから、って百合花さんが。マスクくらいなら大丈夫だって言ってました」


「そうなんだ。まあ、どこの誰とも知らない他人に見間違われるのも困るしね」


 えるは黒月夜羽と呼ばれる少女と似ているらしい、という話は聞いていた。

 僕は覚えていないが、かつてはこの学院に通う生徒だったという。ならば、その少女のことを知っている生徒が他にいてもおかしくはない。


「しばらくは大変かもしれないけど……もしなにか困ったことがあったら、すぐ僕に相談してよね?」


「は、はい。ありがとうございます」


 実際、不安なのだろう。

 えるの声はどこか少し震えていた。これから学生として暮らしていくという期待に反して不安もあるはずだ。

 それならば、彼女を導いた責任がある僕が助けにならなければいけないだろう。


「ああ、そういえば―――」


 ふと、僕は昨日のことを思い出す。

 円卓会議の途中からの記憶がない僕は、えるに詳しい話を聞こうと思っていたのだ。


「よぉ、紅条と三日月じゃねぇか」


 しかし、そんな僕の言葉を遮るように、一人の少女が唐突に声を掛けてきた。


「げ、摩咲ちゃん」


 濠野摩咲。

 僕と同じクラスメイトであり、ヤンキーで口の悪い不良生徒と思いきや、お嬢様の中でも最高位のレベル5である少女。

 いつも通りの金髪に赤いメッシュを入れたような髪型は、茨薔薇に通うお嬢様と比べるとあからさまに目立ち過ぎていた。


「オマエはいつになったらそのネタ飽きんだよ。そろそろツッコむのも面倒くせぇんだが?」


「あれ、今日はなんだか大人しいんだね。僕としては、これが僕なりのスキンシップのつもりだったんだけど……」


「ンなスキンシップは願い下げだコラ。オレがいつでもバカみたいにキレ散らかすと思ったら大間違いだぜ」


「なるほど、君は君なりに僕への対応を予め考えてきたってわけか。ふうん……なんだよ、可愛いところあるじゃん」


「オマエに可愛いとか言われてもまったく嬉しくねぇし、むしろキモいわ!」


 とまあ、早朝からコントが繰り広げられるわけだが。

 それを眺めていたえるは、やはり以前のように微笑ましいものを見るかのような目をしていた。


「おはようございます、摩咲さん」


 えるが丁寧に挨拶すると、摩咲は驚いたような顔をして、


「あ、ああ……おはよう。オマエ、なんつーか……珍しいヤツだよな」


「えっ?」


「……いや、なんでもねぇよ。オレみたいなヤツにそんな物怖じもせず、嫌悪感も見せない顔で挨拶すんのは、本物のバカくらいなモノだと思ってたからな」


「そうだね。少なくとも僕は初見お断りだったし」


「オマエは愛想なさすぎ……つーか、こっちから声掛けても無愛想だしケンカ腰だし、オレからしたらオマエみたいなヤツが一番ヤベェけどな」


 摩咲から見た僕はそんな風に見えていたのか。

 確かに興味もなければ相手をするのが面倒で適当にあしらっていたのは否定しないけれど、そうやって直に聞くと僕の方がヤバいのかもしれない、なんて思い直してしまう。


「わたし、摩咲さんもほむらさんも、とっても良い人に見えますよ。その……ほむらさんが変わってるかどうかは、わかりませんけど」


「える、それはフォローなの……?」


「あーいや、なんつーか……悪かったな、三日月。オレもまだ先入観が抜けてなかったみてぇだわ。オマエは確かにアイツとは違うって、改めて確信したぜ」


「アイツ……っていうのは、わたしに似ているっていう?」


「黒月夜羽。まあ、アイツとオマエがそっくりだとは今でも思うけどさ。少なくとも、中身はまるっきり別モンだよ」


「そう……なんですね。あの、良かったらその人について教えてくれませんか? 百合花さんに聞いたんですけど、なにも教えて貰えなくて」


「あー、まぁ昨日の円卓会議の感じじゃそうなるのも無理はねぇよなぁ。けど悪いな三日月、百瀬百合花が教えないコトをオレが教えるワケにもいかねぇ」


「あ……、はい。ごめんなさい、不躾なことを」


「いやいや良いって、気にすんな。何も知らねぇままでいるのは気持ち悪ィだろうし、オレだってあんま詳しくはねぇけど、出来れば教えてやりてぇって思いはあるしな」


 なんだろう、摩咲の対応がとても柔らかい。

 ずっと二人の会話を聞いていて感じたことだが、もしかして、これが本来の濠野摩咲なのだろうか。


 ということはやっぱり、僕が異常なのか……?


「ありがとうございます、摩咲さん」


「そういうのもいいって。あー、なんかムズムズすんな。そういや紅条、オマエさ、昨日のことなんだが―――」


「照れ隠しで僕に話を振るのはやめて欲しいなあ」


「違ェよ! ああもう、やっぱりオマエは絶対に一生かけても気が合わねぇ!!」


「冗談だって。で、昨日がなに?」


 昨日、といえば円卓会議の時のことだろう。

 丁度いい、話を聞くチャンスだ。


「あー、くそ。……いや、なんか連絡してきてただろ、オマエ。なんだったか―――」


「連絡……ああ、そう言えばついでに摩咲にもメッセージを送ったんだったっけ」


「ついでかよ! ああくそ、心配して損した!」


「心配?」


 僕の聞き間違えでなければ、摩咲はまさか僕のことを……?


「いや、違う、言葉のアヤだから気にすんな。いいか、まったくもってオレはオマエなんか気に掛けてない」


「はあ」


「あーもうなんだよオマエのその顔! なんでニヤニヤしながらこっち見てんだよ!!」


 摩咲は顔を赤くしながら暴れ回る。

 おいおい、そういう不意打ちは卑怯では?


「―――とにかく! 朝起きたらなんか連絡がきてたみたいだから、要件を聞こうと思ってこうしてここで待ってたんだよ。オマエとメッセージのやり取りなんて気持ち悪ィことしたくねぇからな!」


「え、わざわさその為に?」


 待て待て、なんだこのツンデレ君は。

 僕はいつの間に彼女の好感度を上げていたのか。


「……別に他意はねぇよ。ただ、昨日のオマエがあまりにヘンだったから、ちゃんと確認しておこうと思っただけだ」


「ヘン?」


「なんつーか、急に悟ったみてぇな雰囲気で会議から抜けて行ったじゃねぇか。去り際にそこにいる三日月に何か言ってたみてぇだが、それからずっと三日月の様子もおかしかったしな」


 記憶にないことを次々と話す摩咲。


「える、その話って……本当?」


「えっと……その、はい。あの時のほむらさんは、確かにいつものほむらさんではなかったようで……もしかして、覚えていないんですか……?」


 いったいどういうことだ?

 まさか、僕は本当に記憶を断片的に忘却させてしまう症状にかかってしまっている……?


「僕はいったい、なんて……?」


 これまで何度も記憶が飛ぶことはあった。

 大抵は倒れたところを助けられたり、自分の部屋で気が付いたら眠っていた、というケースばかりだったから解らなかったが―――


「『絵瑠、あなたは自分に自信を持たなきゃいけない。周りがどれだけ言おうと絵瑠は絵瑠なんだから。その為に私があなたを助けたってこと、それだけは覚えていて欲しいな』―――と、言っていました。まさか、本当に覚えていないんですか……?」


 いや、それはおかしい。

 まず僕が自分のことを私と呼んでいることに説明が付かない。それは本当に僕の言葉なのか?


「ああ、確かにそんな感じのことを言ってた気がするぜ。にしても、よく覚えてるんだな、三日月」


「……? それは、はい。もちろん覚えてます」


 えるはそれが当たり前だと言うかのように、平然とした口調で答える。


「ねえ、える。それって本当に僕だったの? 摩咲も聞いてる、ってことは間違いないのかもしれないけど、でも―――」


 わからない、不明点が多すぎる。

 僕が何も覚えていないこと、自分を私と呼んでいること。

 それに何より、えるに対してそんな偉そうな言葉を投げかける精神性が、僕のものであるとは到底思えない。


「わたしも、正直……おかしかったな、とは思ってたんです。でも、今日の朝に会ったほむらさんは、わたしの知っているいつものほむらさんだったから……その、何かの間違いだったのかな、って」


「いや、間違いなワケねぇだろ? アレは他の誰でもないコイツだったんだしよ。ちょっと言い過ぎたからって、忘れたフリでもしてんじゃねぇのか?」


「いや……僕は本当に、なにも―――」


 違和感は次第に恐怖へと変わっていく。

 そう言えば、昨日の円卓会議で百瀬百合花が言っていた言葉―――


「もしかして……いや、そんなわけないか」


「ほむらさん?」


「うん、多分寝ぼけてるんだと思う。時々こうやって思い出せなくなったりするんだよね、あはは」


「いやオマエ、そりゃ笑い事じゃあ―――」


 摩咲が言いかけた、その時。

 遠くから響く鐘の音。それが聴覚を通じて脳を刺激し、ある事実を思い出させる。


 それは登校時刻の最後を報せる鐘の音であり、つまるところ―――


「ヤッベェ!! 遅刻だ!!」


 とまあ、摩咲が叫んだ通りの事実である。


「オマエら!! とりあえず、話の続きは昼メシん時に聞いてやる! だから、今は走れ―――!!」


 そうして、僕達三人は必死の思いで学院までの道を爆走することになったのだった。

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