回想/渋谷香菜
あたしの記憶に間違いはないはずだ。
たった一年前の出来事。
あれだけ鮮烈で鮮明な事件があって、このあたしがあの女の顔を忘れ去るはずがないのだ。
―――黒月夜羽。
かつて、あたしやほむりゃんと三人で学院生活を過ごしていた少女。
紅条穂邑が記憶喪失となってしまったあの事件以降、彼女は姿をくらませた。
十人いた円卓に穴を空け、レベル5という地位や、己で立ち上げた科学研、それら全てをかなぐり捨ててまで。
ほむりゃんが彼女に関わることで記憶喪失になった―――と、今のあたしは考えてはいるものの、確信に至る情報は何もなかった。
けれど、それだけのショックを与えるほどの『なにか』があったのは明白だった。
あたしが直接立ち合っていれば―――なんて後悔も、時は既に遅し。
だからこそ、あのタイミングでいなくなった夜羽のことを絶対に忘れない、とあたしは心に誓ったのだ。
あれから一年。
あたしとほむりゃんは充実した学院生活を送ってきた。あたしと比べて奥手なほむりゃんはあんまり友達を作れないのだけれど、だからこそ、その分まであたしが色んな人達と接して仲良くしてきた。
記憶を失ってしまったほむりゃんに寄り添えるのはあたしだけだ。それは自惚れなどではない。過去の後悔から来る償いなどでもない。
ただ単に、あたしが紅条穂邑という個人を誰よりも愛していて、大切にしているからこその感情だった。
しかし―――そんな平穏は、唐突に崩れ落ちた。
ほむりゃんが助け出した少女、三日月絵瑠。
彼女は百瀬百合花によって保護され、今やその傍付きなんて立ち位置にいる。
あたしはその顔を見て確信していた。
彼女のそれは間違いなく、黒月夜羽そのものだったのだ。
だが、百瀬百合花はあくまで別人なのだと主張する。三日月絵瑠と名乗る少女自身もまるで本当に何も知らないと言わんばかりの態度。ほむりゃんに話を聞くと、彼女は記憶喪失なのだと言うではないか。
―――記憶喪失だって?
なぜ、このタイミングでそんなものが?
それも、彼女の記憶は一年前からのものしかないという。奇しくも紅条穂邑と同じ時期に重なっている。こんな偶然が果たしてあり得るのだろうか?
ここで、あたしはひとつの仮設を立てた。
紅条穂邑が記憶を失ったと同時に、黒月夜羽もまた同じく記憶喪失となったのではないか。
それが原因となって夜羽は学院から姿を消した。
あたしは彼女が紅条穂邑の記憶喪失の原因だと考えていたけれど、もしかしたら、彼女もまた同じく何かに巻き込まれてしまったのでは?
……嫌な予感がした。
そんな記憶喪失となった彼女―――黒月夜羽が再びこの学院に戻ってきた、それには何か意味があるのだと。
そして、事件は起こっていたのだ。
蜜峰漓江が起こした生徒監禁事件。船橋さんを助け出す為にあたし自身が行動し、ヘマをして同じく囚われてしまった。
その時に見た蜜峰さんの一挙一動に、あたしは確かに違和感を覚えていた。普段はとても大人しく静かで、研究だけに没頭する少女であると印象強かった彼女は―――あの時は、人が変わったかのように積極的で、誰も見たことのない裏の顔を見せていた。
蜜峰漓江は、かつて黒月夜羽が立ち上げた科学研究部に所属している。
あたしはこの異様な偶然の重なりを無視できないでいた。だからこそ、あの事件から部屋に軟禁されているという彼女に話を聞くべきだ、と踏んだのだ。
しかし、百瀬百合花が保護している以上、彼女に自由はない。流石にあたしにでさえ手出しのできない領域だった。ならば、せめて事件の本質を探るだけの猶予を作らなければ。
そうして、あたしはひとつの計画を立てた。
蜜峰漓江と結託して彼女をあの檻から一時的に逃し、その見返りとして全てを明らかにする作戦だ。
そう、これは百瀬百合花を欺く行為。
下手をすれば、あたしの地位も危うくなる。
けれど、それでも動かないわけにはいかなかった。
黒月夜羽が関わっていると確信を得た以上、まずは百瀬百合花を出し抜いて、最終的にはあの少女―――三日月絵瑠を名乗る者の正体を必ず暴いてみせる。
それは、ただ唯一。
あたしを頼りにして、あたしを好きだと言ってくれた―――誰よりも大切な、あの人の為に。




