3話 衝突
僕と香菜は残念ながら同じクラスではない。
というわけで、校舎二階まで上がると、階段の前でそれぞれのクラスへ別れることになる。
僕は自分の教室へと辿り着くと、扉を開けて中へと入る。
いつもと同じ時間、場所、同級生たち。変わらない光景がそこにはあった。
「おはよう」
僕は短く挨拶してそのまま自分の机へと向かう。
途中で幾人かの同級生たちが挨拶を返してくれるが、特別そこから会話に発展したりはしない。僕と彼女達はその程度の間柄でしかなかった。
僕はひと息つきながら椅子に座る。
この席は窓際の一番後ろとかいう最高の場所ではあるのだけれど、その代わりに、
「よお、紅条。今日も無愛想な面してんな」
こうやって人に追い込まれてしまうと逃げられない、という点ではデメリットでもある。
「ああ、また君か。で、今日はどんなイチャモンつけにきたの?」
「ああ? イチャモンってなんだよ。オレは今日もヒマそうなオマエの相手をしてやろうってんのに」
さて、とりあえず説明しておこう。
短い金髪に赤いメッシュを入れた、明らかに普通ではないこの喧嘩腰な少女も、一応はお嬢様なのである。
当然だがここは女学院、こんなヤツでも女の子っちゃ女の子なのである。見た目はただのヤンキー、不良娘といったところか。
「あー、この前はなんだっけ。トイレ掃除やらされたっけ? はあ、今日はなにを押し付けにきたんだか」
僕が適当にあしらうように言うと、そのヤンキーは呆れたような表情を見せながら、
「適材適所ってヤツだろ。部活にすら入ってねぇ暇人のクセによ」
なんて、いつもながら失礼な物言いをしてきた。
まあ、それについてはまったくその通りなので言い訳はしないのだけれど。
「それに今日はそういうんじゃねぇ。ちっとばかし忠告しようと思ってな」
「忠告……?」
「オマエ渋谷と仲がイイだろ。けどな、アイツにはアイツの立場ってモンがある。オマエとアイツじゃ格が違うんだよ。オマエの周りに対する態度がそんなんじゃ、いずれアイツに愛想尽かされちまってもおかしくねぇと思うけどな?」
余計なお世話だ、と思った。
それに何より、ただのクラスメイトでしかない相手にそんなプライベートな話まで踏み込まれる筋合いはない。
「悪いけど、君のそれはただの杞憂だと思うよ」
「あ? なんだって?」
「そんなに気になるなら香菜に直接聞けばいいさ。確かに香菜は誰にでも等しく接するすごいコミュ力の持ち主だし、僕と釣り合うとは思えないくらいの人間だけど―――」
それでも僕は違うんだ。
未だに覚えている記憶の中―――彼女が涙を浮かべながら訴えてきた、あの時のことを思い出す。
それだけは忘れられない、忘れたくはない記憶のひとつだからこそ、僕は強く宣言できる。
「香菜は僕にとって特別な相手なんだよ。君みたいなのとは違ってね」
「っ、テメェ……!」
胸ぐらを掴まれる。
基本的には上品でおしとやかな女生徒が多いこの学院で、こんな暴行に及ぶ人間は本当に珍しい。
そういう意味では僕も彼女と接点を持てていることを光栄に思うべきなのかもしれない―――もちろん、皮肉だが。
「おやめなさい濠野さん、紅条さんがお困りでしょう?」
ようやく見過ごせなくなったのか、このクラスの委員長である女生徒が口を出してきた。
「……チッ。オマエ、覚えとけよ!」
ヤンキー女は悪態をつきながらもその場を後にした。
僕は崩れた制服を正しながら溜め息を吐く。
「大丈夫ですか、紅条さん?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
ああ、そういえば―――
「ほりや……濠野、か」
―――彼女の名前、今まで知らなかったな。
◆◆◆
夢を見ていた。
一人の少女がこちらを見下ろしている。
視界はぼやけていて、少女の顔は判別できない。それでも間違いなく美しい顔立ちをしているであろうことは感じ取れた。
『どうして』
問い掛ける声。
それは決して届くことのなかった、けれど確かに自分に向けて放たれた純粋な疑問の言葉。
『ごめん』
その謝罪の言葉、その意味はなんなのか。
わからない。
知らないのではない、思い出せないだけなのだ。
だからきっと、こうして夢に見るということは意識の底できっとまだ覚えているのだ。
覚えているけれど、ただ思い出せないだけ。
それがとてももどかしくて。
それだけが本当に苦しくて、辛くて。
『さよなら』
そんな別れの言葉も届く事なく消えてゆく、泡沫の夢のようだった。