9話 それでも、諦めたくない
僕とえるは二人で百瀬百合花の部屋に残された。
メイドのクリスもいるのだが姿は見せない。必要以上に表に出てこない性質なのだろう。己の身分を弁えている、といったところか。
さて。
話を聞く限りでは蜜峰さんが死んだ、という。
とても信じられないが、あの百瀬百合花が人形のように白い顔を青ざめながら部屋を出て行く様を見れば、頭ごなしに否定できないのも事実だ。
「あの……その、ほむらさん。蜜峰さん、って……?」
えるが恐る恐る問い掛けてきた。
その顔は疑問の色よりも不安の方が強く見える。
人が死んだ、なんて話を唐突にされてしまえば、そうなってしまうのも無理はない。かく言う僕でさえ今はまともな思考をする余裕もない。
「うん。一言でいえば、僕達が巻き込まれた事件の首謀者……って言えばいいのかな」
少し違う気もしたが、他に表現する方法もない。
「そう……なんですか。でも、どうして、その人が……?」
「わからない。未だに信じられないくらいだよ。今すぐにでも確かめに行きたいくらいだ」
「でも、百合花さんがここで待ってるように、って」
「うん。普通に考えたら当たり前の処置だよね。僕はともかく、えるなんて完全に部外者だし」
僕まで関わらせる気がない、というよりは、えるの傍に僕を置いておきたい、という意図が在るのかも知れない。
それなら納得するし、僕もえるは放っておけない。クリスがいるとは言え、えるが抜け出そうとしたときにそれを止める権限―――いや、その必要性を彼女が持ち得ない可能性はある。
「まあ、残念ではあるけど僕達はここで待機だ。百瀬先輩が帰ってきたら詳しい話も聞けるだろうし」
もしも本当に蜜峰漓江が死んでいるのだとして、それが自殺か他殺か。どちらにせよ警察沙汰になるのは間違いない。僕のような人間が立ち会ったところで逆にいらぬ疑いを持たれる危険性もある。
何より人の生き死にに関わるなんて想像もつかない。僕は推理小説に登場するような探偵ではないのだから。
「本当に……それで、いいんですか?」
僕がそうして諦めた気持ちでいると、えるが普段よりも少し語気を強くして言う。
「それでいい、とは?」
「その……わたしに、蜜峰さんって人のことはわかりません。でも、ほむらさんにとって、それでいいって、切り捨ててしまえるような人だとは、見えなくて」
「それは―――」
「わたしなら大丈夫です。だから、もし……ほむらさんが行きたいと思うなら、行ってあげて欲しいんです」
どこまでも真摯な、まっすぐな瞳。
ああ、僕は知っている。彼女はそういう人間だ。どこまでも純粋で、自分のことよりも他人のことを大切にできる、素晴らしいひとなんだと。
あの日の夜。
僕が香菜からの連絡が返ってこないことを伝えたとき、この少女は何かを言おうとしていた。
結局、その言葉を聞くことはなかったけれど―――今ならそれが、自分よりも他人を心配していた故のリアクションだったのだと、理解できる。
「確かに蜜峰さんとは関わった。連絡先だって交換した。……その、言いにくいけど、ちょっとだけ良いなと思うこともあった。事件の首謀者だと知ってからも、彼女を憎む気持ちはなぜか生まれなかったよ。それよりも、どうしてああなってしまったのか、その理由―――彼女自身について知りたいとすら思えた。僕にとって蜜峰さんは、確かにどうでもいい存在なんて口が裂けても言えないだろうね」
「だったら―――」
「けど、そこまでだ。だからってえるを放っておくわけにはいかない。あの百瀬百合花に託された以上、僕には僕のやるべきことがあるはずだ。……確かに、気にならないと言えば嘘になる。けどさ。自分にできないことがあるのは事実で、それを理解もせずに興味本位だけで首を突っ込み続けるのは、きっと僕の目指すものじゃない。愚か者にだけは、なりたくないからね」
すべて、心からの言葉だった。
えるが僕を心配して言ってくれているのだろう、と確信を持てるからこそ言える本心だ。
「大丈夫、どうでもいいなんてことはないよ。ただ信じてるだけさ。あの、どこまでも気丈で、頑なで、厳しくもあって―――けれど、どこか親しみの持てる、僕達の生徒会長を」
「ほむらさん……」
「それにさ、こうしてえると二人で話す機会もこれから減りそうだし、僕にとっては大事な時間だよ?」
「そ、それは……わたしもっ、そう、思います……けど……」
どこまでも歯切れの悪い言葉。
人死にが関わっているのだから、テンションが下がってしまうのも無理はない。
「―――『見るべき場所を見ないから、それで大切なものを全て見落とすのさ』」
そして、えるは唐突に、僕にもわかる『台詞』を紡いだ。
「える……それって」
「ほむらさんなら、わかるでしょう……? わたしだってこれくらいわかります。きっと、誰にも望まれていないことであっても、ほむらさんにとっては大切なことなんだって」
「いや、でも……僕は」
「ほむらさん。わたし、決めました。わたしにできること、何もないかも知れない。でも、それでも、わたし、このままここで待っているだけじゃ絶対に後悔するって思うんです。だから―――」
今まで見たこともない、どこまでも強い意思を持った眼差しで、えるは言う。
「だから、お願いします。わたしと一緒に、百合花さんのところへ行ってくれませんか……?」
勇気を振り絞って、これ以上もないくらい、自分のすべてをさらけ出すように。
そんな顔でそんなことを言われてしまったら、もう僕だって我慢の限界だ。
「まったく。そんなワガママ言える子だったなんて、驚いた―――ううん。嬉しい、って言うべきかな?」
「ほむらさん……?」
「僕だってさ、正直ずっと押し込んでた。自分で見て確かめる、その言葉通りに行動しようと思ってここまでやってきたのに、結局置いてかれちゃうのか……ってさ」
だからこそ、取ってつけたような理由で誤魔化して、自分の立ち位置を決めつけて、その行動理由を正当化しようとした。
けれど、そんな僕の姿は―――えるにとっては、どうしても諦めきれないものだったのだろう。
「でも、そうだね。えるの言う通りだ。僕にできることはないかもしれない。えるを巻き込むべきじゃないかもしれない。けど―――それでも、諦めたくない」
それを気付かせてくれた。
ならば、この少女だって決して無関係ではない。
「ありがとう、える。それじゃ行こうか。かの探偵が言った台詞を信じて。彼のようにはできなくても、きっとこれが必要なことだと、それを確かめるために」
―――そうだ。
僕達は名探偵にはなれなくても、観測者になら、きっとなれるはずだから。
「はい! わたし、頑張ります!」
ここから、僕とえるの二人で。
真実をこの目で確かめる為に、立ち上がる。




