7話 疑念
僕は摩咲からの電話に出ると、どういうわけか彼女は興奮しているようだった。
『オイ、聞けよ紅条。オマエは無理だとか思ってたんだろうが、オレはやってやったぜ?』
まるで褒めて欲しいとばかりに弾んだ声色。
「やってやった、って何を?」
『オレが今どこにいるのか当ててみろよ』
「え、まさか―――」
その言い方だと、思い当たるのはひとつしかない。
「香菜の部屋に入れたの!?」
『おうよ、だから言っただろうが! これで少しはオレを頼る気になったかよ?』
「そんな……まさか本当にピッキングなんかで……?」
『違ぇよ! さすがのオレでもそんな犯罪まがいなコトやらねぇわ!』
裏庭でやろうとしていた人間の台詞ではないのだが、それはさておき、本当に香菜の部屋に入ったと言うのか?
『当然、ちゃんと許可を取ったに決まってんだろ?』
「許可って……いやでも、いったい誰に? 寮監は休みでいないのに……?」
『あ? オマエ何か勘違いしてんじゃねぇか?』
すると摩咲は電話越しでもわかるくらいに呆れたような声色で、
『寮監が休みなワケねぇだろ。寮は土日だろうが生徒がいるんだから、それを管理してるヤツが居ないワケねぇだろうが』
「……、は?」
『って、まあ知らねぇヤツもいるか。あの女、基本的に引き篭もりだからな……。まあとにかく、オレは犯罪なんかしてねぇぞ! ちゃんと事情を説明して鍵を借りて、寮監のヤツも付いてきてんだからな!』
待って、どういうことだ。
確かに僕は蜜峰さんに寮監がいないと聞いていた。もしかして、たまたま不在だったとでもいうのか。そうだとするとタイミングが悪いにもほどがある。
『それでよ、なんか手掛かりがあるかと思って色々探ってるんだが、やべぇモン見つけたぜ』
「な、なに!?」
『香菜の予定表だ。テーブルの上に置いてあったんだが……あ? 勝手に見るな? うるせぇな、必要なんだよ!』
何やら向こうで言い争っている。恐らくは寮監だろう。
しかし、これは相当な収穫だ。もしかすると香菜の行方がわかるかもしれない。
『つーか紅条、オマエは今どこにいやがるんだ? どうせならオマエもこっちにこいよ』
「ああ、言ってなかったっけ。僕は今、蜜峰さんって人の部屋に来てるんだけど―――」
『……あ? 蜜峰、だって?』
「そうだけど、それが?」
『いや、今ちょうど香菜の予定表を開いて中を見てんだが、コレじゃねぇのか? ハチミツの蜜に、峰……ってオイ待てよ、こりゃオマエ―――』
摩咲が何かを言おうとした、その時。
「お待たせ致しました、紅条さん」
僕のすぐ傍、三蜜峰さんがそこに立っていて、
「いつの間に私以外のお方と仲良くされていたのですか? それとも最初から……?」
そう言って彼女は僕のスマホにそっと手を伸ばし、通話を無理やりオフにしてしまった。
「な……!? いきなり、なにを―――」
そのまま彼女はスマホを取り上げ放り捨て、妖艶な笑みを浮かべたまま僕の身体をソファに押し倒す。
「ちょっ!?」
「やはりお香だけでは即効性がありませんね。邪魔さえなければ今頃は蕩けてしまっているかも知れませんが」
僕は何が起きているのかわからず思考が追いつかないまま、気が付くと彼女に馬乗りにされていた。なんとか抵抗しようとするが、何故か全身に力が入らない。
「なにを……」
「ふふ。もう気付いていらっしゃるのでは?」
気付く、だって?
まるで考えが纏まらない。
こうして彼女に触れられているだけで頭がおかしくなってしまいそうだと言うのに、僕がなにを―――
「これ、なんだか分かります?」
そう言いながら、彼女は手に持っていたそれを僕の目の前に差し出した。
僕の見間違いでなければ。
それは、注射器のように見えた。
「これが本来の姿です。そのお香も、私の身につけている香水も。全てはこれの副産物なのです」
「それは、いったい……」
「媚薬ですよ。ふふ……匂いが思考能力に影響し始めたかしら。それとも私とこうして身体を擦り合わせているのがたまらなく気持ちいい、とか? そうだとすると嬉しいですわ、試し甲斐があります」
駄目だ、力が完全に抜けている。
頭も回らないし、まともに喋ることさえできない。
それになにより彼女の言う通り―――
「ふふ……可愛らしいお方。本当に、いやらしい」
僕は、かつてないほどに欲情している。
「少し痛みますが、我慢して下さいね? 大丈夫、すぐに痛みも快感に変わってしまいますから」
注射器が僕の腕に突き刺さる。
チクリとした感触がするがそこまでの痛みはない。それからすぐに僕の身体は熱くなり、彼女に触れられる度に敏感になっていく。
もうこのまま快楽の海に溺れてしまいたい。そんな気にさせる『何か』が全身を駆け巡っている。
「気持ちいいですか? 私の作ったとっておきのお薬で、もう蕩けてしまっているんでしょう……?」
意識が朦朧とする。
目の前が徐々に白くなり、身体は完全に言うことを効かなくなってしまっている。
「紅条さんは最高ですわ。船橋さんや渋谷さんでさえ、ここまで感じてはくれなかったのに」
溶ける。
溺れる。
そのまま、沈んでいく。
「ああ、楽しみ……楽しみですわ、紅条さん。貴女はいったい、どれだけ果てて下さるのかしら……!」
嫌だ、やめないで。
嫌じゃない、やめて。
相反する二つの感情は正常な思考から生まれるものではなく。
一方的にされるより、どうせなら僕だって―――
「紅条ッ!!!!」
そんな最高で最低な状況を破壊するように、一人のヤンキー少女がその場に飛び込んできた。
「誰です!?」
蜜峰さんが声を張り上げながら僕の上から離れていく。彼女に触れられなくなった瞬間、少しずつ身体の感覚が戻ってくる。
「って、なんだこりゃあ!? オイ紅条、コイツが蜜峰か!?」
「ああ、なるほど。貴女が紅条さんの話していたお相手ですか。それにしてもおかしいですね、鍵はちゃんと閉めていたはずですが」
「ちょっとした裏技ってヤツだよ。で、オマエが蜜峰で良いんだな?」
「まあ、なんとはしたない。私の部屋に勝手に入ってきたばかりか、その言葉遣い。同じ学院に通う人間として恥ずかしいですわ」
「うるせぇな、オマエに言われたくねぇ。紅条に何をしたのかは知らねぇがコレで終わりだ。オマエが全ての元凶だってのはもう全部バレてんだよ」
「何のお話ですか?」
「渋谷香菜を監禁したのはオマエだろ、蜜峰。何が目的かは知らねぇが、年貢の収め時ってヤツだ。観念して大人しく認めろ。オマエがやってんのはな、ただの犯罪なんだよ……!!」
濠野摩咲は吼える。
シャーロック・ホームズとは似ても似つかないが、それでもその姿はまさしく犯人を追い詰める正義の味方のようだった。




