7話 One for all, All for one
茨薔薇の園から押し寄せた生徒達は、立ち塞がる白百合の妨害を受けながらも、茨薔薇女学院を瞬く間に侵攻していく。
白百合達は携帯している拳銃を抜くことはない。
渋谷香菜の予想通り、彼らは生徒に銃を撃つ権限を持ち得なかったのだ。
そんな渋谷香菜が先頭に立ち、彼女らは学院長室へと辿り着く。
そこに立っているのは、一人の女性。
「―――これはいったい、どういうおつもりなのデスか?」
百瀬憂零。
長いブロンドの髪を靡かせ、腕を組みながら冷徹な眼差しで立っている、現百瀬当主。
「これが茨薔薇に通う学生達全員の総意ですよ、百瀬憂零。貴女の暴虐はここまでです」
それに対し、生徒達を代表として先頭に立ち、真っ向から言葉を放つのは―――渋谷香菜。
「貴女が何をしようとしているのかは知りません。ですが、あたし達はこの学院に通う学生として、貴女に対して断固として反抗の意思を示します」
「……なるほど、少しばかり勘違いをなされているようデスね。貴女達はこの百瀬憂零―――いえ、百瀬財閥そのものに縋るしかできない家柄に産み落とされた、その中でも底辺の存在デス。そんな貴女達が抵抗したところでワタクシの計画がストップするとでも?」
大勢の生徒達を前に、毅然な態度を貫いている憂零。
しかし、そんな彼女の元へひとりの少女が現れる。
「―――いいえ、お母さま。貴女の計画はここで潰えます」
百瀬アリカ。
後ろに二人の少女を引き連れ、彼女は己の母親である憂零を睨みつけながら言葉を紡ぐ。
「……アリカ。貴女、先程の放送はどういうことなのデスか?」
「聞いたままですわ。あたくしは貴女に反逆致します。そして、ここにいる学院生徒の皆さま、ご安心下さいませ。ここにいる百瀬憂零はあくまで海外部門のトップ。国内の百瀬財閥、その次期当主となるのはあたくし、百瀬アリカに他なりません。……そうですわよね、お母さま?」
「それはそうデスが、貴女はまだ成人すらしていませんでしょう。そんな貴女がどうやって百瀬財閥を率いるというのデス?」
「確かにそれはその通り。ですが、だからといって貴女がこの学院を好きにしていい謂われはありません。何よりも、彼女達―――茨薔薇女学院に通う学生の自由を、その尊厳を奪うような真似は許されませんわ」
百瀬憂零はあくまで代替として海外から帰国し、当主代理としてその座に就いている。
正式なる後継者であるアリカが、生徒達の眼の前でその立場を否定する―――それこそが、アリカの考えうる唯一の打開策であった。
「百瀬憂零。あたくしは貴女を許容致しません。これは百瀬次期当主としての言葉であり、今ここにいる皆さまがあたくしを認めて下さる以上、百瀬財閥はこの学院の権利を正当なる所有者―――百瀬百合花へと返還しなければなりません」
「所有者が百合花ですって……? この土地はあくまで百瀬財閥のもの。この学院に通っている生徒すべて、百瀬の恩恵を受ける為にここにいるのデス。ワタクシが撤退するということは、つまり完全に百瀬とは縁を断つということに他なりませんデスよ?」
憂零の言葉に戸惑いを隠せず、生徒達はざわつき始める。
だが、それでもアリカはそんな彼女達に向けて精一杯声を張り上げて、言う。
「あたくしは以前、この学院を我が物にしようとしました。そうです、今まさにあの時と同じことが起きています。あたくしは謝罪しなければなりません。あのように自分勝手な行動に出たこと。姉である百瀬百合花の尊厳や、大切にしているものを踏みにじろうとしてしまったことを」
そんな彼女の言葉に、誰もが口を噤んで耳を傾けていた。
ここにいる者達は全員、この現状を打破すべく立ち上がった故に。
「ですが、こうしてまた再び過ちを犯してしまった! だからこそ、あたくしが全身全霊をかけて何とかしなければならない……そう思い、ここに立っています」
皆は知っていた。
優れた姉を持ち、それを乗り越える為に戦おうとした彼女のことを。
渋谷香菜が伝えた真実を、ひとり残らずここにいる全員が共有している。
「だからこそ、あたくしはここに宣言致します! 百瀬の次期当主として、今は確かに力及ばないかもしれません。ですが、だとしても見逃すわけにはいかないのです。皆さまがこうして苦しみ、それでも立ち上がって下さった、その決意を無駄にはしたくない!」
―――故に、伝わるのだ。
誰しもが二番手、三番手である己を憂い、這い上がろうとする意思を持つ者達であるからこそ。
茨薔薇女学院という、大切な居場所を守る為に。
「お母さま……いいえ、百瀬憂零。あたくしの全権限を駆使して、貴女をこの学院から……国内の百瀬財閥から追放致します!!」
突きつける。
まっすぐに、指を差して。
それが百瀬財閥、次期当主としての言葉であると、この場にいる全員に知らしめるように。
「アリカ……ワタクシは、貴女の為を思ってここまでやってきたのデスよ。それを無碍にするつもりなのデスか?」
「そうです。あたくしは何も望んでなんていない。貴女の計画はここで潰えるのです、百瀬憂零」
「どうして……? ずっと今まで一度足りとも母に反抗などして来なかった貴女が、どうしてこんな―――」
実の娘に突き放され、狼狽えるように憂零はアリカの元へと歩み寄る。
全校生徒、従っていたはずの白百合達までもが黙って見守る中、二人の親子は睨み合う。
「……認めません。確かにワタクシの計画はアリカが主導者として進める予定でした。デスが、貴女がそれを放棄すると言うのであれば、ここからはワタクシが自ら先導していくのみ―――」
「でしたら、どうぞ海外へお戻り下さいませ。貴女の居場所はここにはありません。百瀬アリカの名において、二度と茨薔薇の地に足を踏み入れさせはしない」
覚悟を決め、立ち向かうアリカの姿を誰もが見守っている。
白百合の者達も、疑問を持ちながら百瀬憂零に従っていた者達が大半だったのだろう。
「何故、そんな……ワタクシは、最高の教育機関を作る為に……ただそれだけ、何も悪いことなどしていないのデスよ?」
「力で無理やり押さえつけ、閉じ込め、監視し、計画の為に道具として利用する。それを悪だと認識していないのなら、そんな貴女の思想そのものが悪なのです」
「な……アリカ、貴女に何が解ると―――」
「解りますっ!!」
叫ぶように、甲高い悲鳴にも似た声が響き渡る。
「……あたくしが、そうだったのです。誰の為でもなく、ただ周りの方々を巻き込んで……自らの欲望の為だけに、それらを利用しようとした……」
「な、なにを……―――」
「あたくしはもう、二度と間違わない。危険もかえりみず、こうやって皆さまがここに集まって下さった以上、あたくしは彼女達の意思を尊重しなければならない。百瀬財閥、次期当主として。そして何より、この学院を大切にしているお姉さまの為にも!!」
震えた声、悲痛な叫び。
惨めにすら見えるかもしれないそれは、しかし、ここにいるすべての者達の心に届いた。
「だから、もうおしまいです。この学院は、茨薔薇女学院は……! あたくし、百瀬アリカが命にかえても守り通します!!」
「そんな……アリカ、ワタクシは……!」
狼狽する憂零。
そこへ追撃をかけるように、香菜が静かに口を開く。
「……アリカ、よく言ってくれた。ねえ皆、あたし達だって同じだよね? この学院で過ごしたこと、大切に思っているもの……全部、くだらない計画なんかで潰されていいわけないよね!」
香菜の言葉に、生徒達は一斉に声を張り上げる。
それは彼女達がアリカに賛同するという、何よりも解りやすい意思表示であった。
「皆さま……ありがとう、ございます……!」
「さあ、もう解ったでしょう。貴女の計画は潰えた。これ以上抵抗するというのなら、あたし達が全員で貴女に立ち向かいますよ、百瀬憂零!」
百瀬憂零が、どうして白百合に発砲許可を与えられなかったのか。生徒達のプライバシーを尊重しなければならなかったのか。
それは、百瀬財閥としてではない―――あくまで百瀬憂零個人による計画の元であり、この学院に通うお嬢様達、各家柄を敵に回すわけにはいかなかったからに他ならない。
教育機関としての向上という名目の元、憂零はギリギリのラインで早急に事を進めようとしていた。
渋谷香菜は一連の情報からそのことを見抜き、百瀬アリカに伝えていたのである。
「ワタクシは……諦めるワケには……」
「お母さま、もうこれ以上は通りませんわ。この学院は本来お姉さまのもの。百瀬百合花の許可もないまま、百瀬財閥トップとしての地位を玩び、独断でこのような暴挙に出る……これだけの人数、これだけの家系を相手に、貴女はまだ諦めないと言うのですか?」
「アリカ、貴女はどうして……これまでずっと、ワタクシの言う事を大人しく聞いて……なのに……」
「知らないのですか、お母さま。子供というものはいずれ親に反抗するものなのですよ」
そうして、百瀬憂零は崩れ落ちた。
彼女の原動力はどこまでいっても百瀬アリカ、つまり実の娘そのものにあった。
今ここにいるのは、予想だにしなかった娘の反抗期に戸惑い、気力を失った一人の母親でしかない。
「ああ、まったく。これは少しばかり期待ハズレと言うべきかな」
―――パァン、と。
突如として現れた白服サングラスの男が、その手に握られている拳銃の引鉄を引いた。
あまりに唐突すぎる出来事に、誰もが硬直してしまっていて、
「……、え?」
その銃弾は、百瀬憂零の胸元を貫通していた。
「か、はっ……―――」
「実の娘にこうもしてやられるとはな。残念だが、これ以上の支援は無駄だと判断させて頂いた。百瀬憂零。貴様の担当する日本での計画はこれで終わりだよ」
「お……お母さまっ!!」
アリカが駆け寄る前に、白百合達が一斉に動いた。
彼らはその手に持つ拳銃をひとりの男に向けながら、憂零やアリカの周囲を守るように取り囲む。
「ほう。こちらのエージェント達もなかなかの仕事ぶりだ。だが、君達に私を撃つことはできまい。これはそう……契約に基づいた行為でしかないのだから」
「ど、どういう意味です……?」
「アリカ嬢。貴女の啖呵はなかなか面白い見世物だった。とんだダークホースだったよ。なに、ただの飾り人形だと聞いていたのだがね……これは評価を改めなければならないようだ」
「っぐ……ジ、ジェームズ……貴方、いったいなんのつもりデスか……」
「ああ、まだ息があったのか。貴様も理解しているだろう、ミス・憂零。失敗は許されない。ましてや情報の漏洩は大罪だ。我々の計画に携わるということはそういう事だろう?」
ジェームズと呼ばれた男は、向けられている銃口に目もくれず、踵を返して裏口の方へと歩いていく。
「ま、待ちなさい! 貴方、こんなことをして……どうして追わないのですか、皆さま!?」
「すみません、アリカ様。あの男は、我々でも……」
「……アリカ。いい、のデス。あの男に、これ以上……関わっては、なりません……」
「お母さま、喋っては……皆さま、すぐに救護を!」
ひゅうひゅう、とか細い息を吐きながら、今にも死に絶えてしまいそうな状態の中、百瀬憂零は手を伸ばす。
「……はぁ、はぁ。信じて……くれないかも、しれませんが……ワタクシは、本当に……貴女の為を、思って……」
「お母さま! 嫌です、あたくし……こんなことになるなんて、何も……あたくしはただ、お姉さまの大切なものを……っ!」
「ああ……アリカ。ワタクシの……ただ、ひとりの……可愛い……―――」
ぷつり、と。
まるで糸の切れた人形のように動かなくなってしまって。
「そ、んな……いや……いやぁ……っ!」
呼吸が止まる。
容赦なく、呆気なく、ひとつの命が終わっていく。
「お母さま……お母さまぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
茨薔薇女学院の奪還は成功した。
だが、その代償に喪ったものはあまりにも大きくて。
アリカの泣き喚く声だけが学院内に響き渡る。
あまりに一瞬の出来事に呆然としていた者達も、次第に現実を受け入れていったのだった。
◆◆◆
「―――待てっ!!」
白服サングラスの男―――ジェームズを追いかけるように、二人の少女が声を上げる。
それは遠巻きから事の一部始終を眺めていた紅条穂邑、そして三日月絵留だった。
「……紅条か。悪いが私には次の仕事があるのでね。あまり時間はないのだが―――」
そう言いながらも、男は歩みを止める。
振り向きざまに穂邑の顔を見つめると、何故か笑うように口元を釣り上げて、胸元へ拳銃をしまい込む。
「その目。無謀とも勇猛とも取れる貴様のそれに免じて、三分だけ応じてやろう」
「どうして、百瀬憂零を撃った?」
「聞いていたのではないのか? ヤツが失敗するということは、すなわち死と同義。我々の上層部は慎重でね。不穏分子、役立たず、裏切り者……そういったモノは即刻処分するよう言い渡されている」
「貴方達の計画……その目的はなんなんですか? 天使の棺は……本当の三日月絵留はどこにいるんです!?」
「なるほど。プロトタイプ、貴様はある程度の情報を持っていると見える。いやしかし……本物の、か。何をどう捉えれば本物と定義できるかは不明だな。ヤツは我々の手で殺した。それは貴様らも当事者なのだから知っているだろう?」
男―――ジェームズは、どこか楽しそうに言葉を交わす。
「百瀬憂零……いや、お前達の計画に天使の棺が利用されていることは知っている。この学院でそれを成すということは、天使の棺だってどこか近くにあるはずだ。そうじゃないのか?」
「ああ、そういうことか。貴様らが知りたいのは天使の棺の所在、その在処というわけか」
「そうです。わたしは天使の棺に囚われている本物の三日月絵留を助けなくちゃいけない。だから教えて下さい、いったいどこに―――」
「っ……ははは! これは傑作だ。まさか私が素直に教えるとでも? いやなに、これほど笑ったのは久方ぶりだよ。ははははは!!」
「な、なに笑って……―――」
馬鹿にしているのだろうか、よく解らない態度のジェームズに対し、憤りを抑えられない穂邑だったが、
「―――ロサンゼルスだ」
「……は?」
「タイムリミットはあと僅か、もはや間に合わん。なので今回は特別サービスにしてやろう。天使の棺―――三日月絵留の遺体はロサンゼルス支部に移送されている」
「ロサンゼルスって……そんな……!」
「更に言えば、我々の計画を行うのはこの学院だけではない。世界七ヶ所にて同時にスタートしている。何ならここは遅いくらいでね、もう間もなく天使の棺は作動する」
ジェームズはそれだけ言うと、満足げな表情で背中を向けて歩き始める。
「それではさよならだ、紅条穂邑、ミカエル・プロトタイプ。せいぜい平穏な学生生活を過ごすといい。安心しろ、もう二度と会うことはない」
穂邑と絵留はそんな男の後を追いかけることもせず、ただ呆然と立ち竦んていた。
迫るタイムリミット、天使の棺、ロサンゼルス。
それらの情報だけが脳裏を駆け巡り、どうしようもない絶望がじわじわと迫りくる感覚に襲われる。
天使の棺によって何が行われるかは解らない。
けれど、だからこそ手遅れとなってしまったことへの恐怖、焦燥感―――そういうものが積み重なっていく。
「あれ……?」
そんな絶体絶命な状況の中、絵留の胸ポケットに振動が走る。
「……どうしたの、える?」
それはスマホの通知によるものだった。
絵留が恐る恐る画面を操作すると、一通のメッセージが届いていた。
「え……これ、って……?」
そこに書かれていたものは―――
『送信者:三日月絵留』
「ほむらさん、見てくださいっ……!」
「えっ、何が―――」
他の誰でもない、本物の三日月絵留から送られてきた、一通のメッセージ。
『わたしとつながって』