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【完結済】天使の棺 −虚ろな罪人と無垢なる少女−  作者: 在処
天使の扉 ―ヘヴンズ・ゲート編― 下
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5話 虚ろな罪人は眠らない

 記憶を喪うということは死と同義だと思う。

 一日足らずと思考してきたわたしの出した結論がそれだった。


 ―――わたしの名前は『黒月夜羽』という。

 自分では思い出せないので、あくまで教えて貰ったものに過ぎないけれど。


 幼馴染である百合花に聞くところによると、わたしは本来『超記憶症候群(ハイパーサイメシア)』という特異な性質を持っているらしい。

 それはこれまで見てきたものすべてを記憶し、いつでも思い返せるというものだった。


 しかし、何故か今のわたしはそんな能力とは無縁と言ってもいい状態に陥っている。

 たった一日分の記憶しか保持できない―――正確に言えば、朝起きて夜眠るまでの間しか物事を覚えておけないという症状だ。


 どうして自分がこんな状態になってしまったのか、今のわたしには解らない。

 過去に何があったのかすら覚えていないのだから当然ではあるが、なんとなく自分がこうなったのは自分のせいなんだろうなという自覚があった。


 けれど、だからといって耐えられるかといえば答えはノーだ。

 明日になれば今の自分が消えてしまう、それを想像するだけで震えが止まらない。


 病院からの脱出劇を終え、逃げ込んだホテルの一室で、わたしは襲い掛かる睡魔と戦いながらそんなことをひたすらに考え続けていた。


 隣で眠る百合花の疲弊しきった寝顔を眺めながら、幼馴染だという彼女のことをまったく思い出せない自分に嫌気がさす。


 ―――眠れば、すべて忘れてしまう。

 百合花を助けたことも、二人で病院から逃げ出したことも、彼女を助けたいと思ったわたしの気持ちでさえも。


 嫌だ。

 忘れたくない。

 黒月夜羽にとって、百瀬百合花という人間がどれほどの相手かなんてことはわからないけれど。


 それでも、彼女はわたしを頼った。

 わたしのことを助けようとして、わたしに助けを求めてくれた。


 そこにきっと偽りはない。

 百合花にとってわたしはきっと大切で、わたしにとっても彼女はそんな存在であるという確信がどこかにあったから。


 何も思い出せないとしても、魂が告げている。


 だから、忘れたくない。

 このまま眠りについて記憶を無くしてしまったら、今のわたしは死ぬ。そんなのは嫌だ、許容できない。


 ―――意識が、薄れる。


(あれ、わたし……今……)


 瞬きほどの間隔。

 決して眠りについたわけではない。


 ……だと言うのに、うまく、思い出せない。


(どうして、わたしは……)


 眠れば終わりだ。

 けれど、何故―――


(わたしは、()()()()()()()()()()()()()()……?)


 わからない。

 眠ることに恐怖はある。

 けれど、何故眠ってはいけないのかが解らない。


(百合花……わたし、どうしたらいいの……?)


 目の前にいる少女の名前は解る。

 病院での騒ぎも、彼女と繋いだ手の温もりも、彼女の澄んだ声色も何もかも、鮮明に思い返せるというのに。


 眠ることが何故いけないのか、それだけがまったくもって思い出せなかった。


  ◆◆◆


 わたくし―――百瀬百合花は、ホテルの一室にて目覚めた。

 起き抜けて寝ぼけた頭を抑えながら、おぼろげになっていた記憶を探る。


(……そうだわ。わたくしは病院から抜け出して―――)


 ふと思い至る。

 ああ、そうだ―――わたくしは戦う為に立ち上がり、たった一人で駆け出して。


 けれど、そんな自分を助けてくれた少女がいたことを思い出した。


「夜羽……、夜羽?」


 ()()()()()()()()()()()()の肩を揺さぶる。

 目元は腫れ上がり、涙を流していたであろう痕跡が残っている。


 そんな彼女の寝顔を見て、重要な事実を思い出す。

 黒月夜羽の症状―――たった一日程度の記憶しか保持できないというものを。


「う、ん……」


 わたくしが肩を揺さぶり続けていると、夜羽がうめき声をあげながらその意識を覚醒させる。


「あれ……わたし、どうして……」


「目が覚めましたのね……夜羽、わたくしは―――」


 目元を擦りながら、夜羽はゆっくりと身体を起こす。

 ふらつくそれを支えながら、わたくしは意を決し、記憶を喪っているであろう彼女に再び自己紹介を済ませようとして、


「ゆり、か―――」


「え……?」


「百合花……よね? わたし、いつの間にか眠ってしまって……」


「わたくしのこと……昨日の出来事を覚えているのですか!?」


 まるで理解が追いつかない。

 だが、夜羽は確かにわたくしの名を呼んだ。

 忘れていない―――本当に、そうなのか?


「え、ええ。どうしてかは解らないけれど……」


「睡眠時間が浅かった……? いえ、そもそも夜羽の記憶が喪われるトリガーとなるものが何か、それもわたくしは知らない……」


 あえて自分から関わることを避けていたこともあり、黒月夜羽の症状についての詳細は知る由も無かった。

 ただざっくりと『寝て起きたら記憶が無くなる』くらいのものだと認識していたが、そうではないということだろうか。


「わたし、覚えてる……ねえ、百合花。わたし、忘れてない……!」


「……夜羽?」


 まるで泣き崩れる子供のように、夜羽はわたくしの胸元に顔を埋めてくる。

 嗚咽混じりの呼吸だけが聴こえ、そんな彼女の背中を抱きしめ、宥めるように擦ってみる。


「もう大丈夫ですわ。貴女がこうして覚えていることの理由は解りませんが、今はただ喜びましょう?」


「ぐすっ……ねえ、百合花。もしかしたら、わたし―――」


 鼻を啜り、その手で涙を拭いて、夜羽は上目遣いでわたくしの目を見つめる。


「―――……あれ?」


「ど、どうしました……?」


()()()()()()()()()?」


「……えっ?」


 まさか、そういうことなのだろうか。

 夜羽は眠ることで忘れるわけではなく、時間経過によって一定の記憶を段階的に喪っていくのかもしれない。


「ねえ、百合花。わたし、貴女のことは覚えてる。病院から一緒に抜け出したことも……覚えていることが、すごく嬉しいことだってことも」


「ええ、ですが―――」


「なのに、自分が何者なのか全然思い出せない。そもそも、()()()()()()()()()()()()()()()()()、それさえ解らない……」


「……貴女はわたくしの幼馴染。黒月夜羽。貴女がいてくれたから、わたくしは今もこうして生きています」


 滅茶苦茶だった。

 夜羽の記憶は途切れ途切れになっていて、人間としてまともな精神状態を保てるとはとても思えない。


「わたしは、黒月夜羽……」


「夜羽。やはり貴女にはこれ以上、わたくしに付き合って頂くわけには参りません。このままでは恐らく古い記憶からどんどん喪われていってしまう」


「待って、お願い。わたしは百合花の傍から離れたくない」


「ですが……」


「まだ百合花と逃げた時のことは覚えてる。どうして忘れてしまうのか、それすら解らないけれど……わたしがおかしくなってしまったとしても、貴女を助けたいって気持ちは残ってるから」


 寝起きの瞬間、彼女は確かにすべてを理解していたように思える。

 つまり、黒月夜羽の記憶障害には何らかの穴があるのかもしれない。

 そこに彼女自身を救う手掛かりがあるのだとすれは―――


「……解りました。一緒に行きましょう、夜羽」


 ここから先、わたくしは茨薔薇女学院を取り戻す戦いへと赴くつもりだった。


 けれど、もうそれだけではない。

 大切な幼馴染であり、かけがえのない妹である夜羽を本当の意味で助け出す。


 記憶を喪うことを恐れ、涙を流していた彼女の寝顔を思い返しながら、わたくしはそう決意したのであった。


  ◆◆◆


 百瀬財閥、本社。

 一ヶ月前に起きた爆発事件から復旧を進めているものの、未だ体制は完全に整っているとは言い難い。


 わたくしと夜羽は、そんな本社ビルへと足を踏み入れた。

 エントランスホールを歩く従業員、カウンターに佇む受付の人間たちはすぐさまこちらに気付く。


『目的はお母様……百瀬憂零の進めている計画についての情報です。夜羽は出来る限り悟られぬよう、外見では優秀なボディガードとして振る舞っていて下さい』


『わかった。いざとなったらやっちゃってもいいのよね?』


『その身体で何ができると言うのです。もしも緊急事態になれば逃げ出しなさい。いいですわね?』


『……オッケー。でも、その時は百合花も一緒だからね』


 なんともまあざっくばらんな内容ではあるが、事前に夜羽とも打ち合わせは済ませてある。


 わたくしが百瀬と縁を切った、というのはあくまで父である源蔵との口約束でしかない。

 百瀬憂零が不在な今、百瀬財閥においてこの百瀬百合花を妨害する者など一人としていないはずだ―――


 そう考えていた、のだが。


「……これはいったい、どういうおつもりです?」


 百瀬財閥本社ビル、エントランスホール中央。

 わたくしと夜羽が正面から足を踏み入れた瞬間、周囲に複数の人間が集まり、()()()()()()()()()()()()()()


「百瀬憂零様に命じられております。百合花様が現れたならば、速やかにその身を拘束せよ、と」


「悪い冗談ですわね。まさかわたくしにそのようなものを向けるだなんて」


「……ねえ、百合花。流石にこればっかりはわたしだってどうしようもないわよ……?」


 何も知らない従業員たちはざわつき、時に悲鳴を上げながら、この有り得ざる光景を眺めている。

 この平和の象徴たる日本で、このような暴虐は許されるものではない。その思想、遠慮のなさは海外から帰国した百瀬憂零の手によるものと考えて間違いないであろう。


「お手を、お上げ下さい。百合花様。それに、そちらの―――」


「彼女は関係ありません。ここへ来たのはわたくしの一存によるもの。わたくしの身柄を拘束するのは勝手ですが、彼女は見逃して頂けますかしら?」


「ちょっと待って百合花、わたしは……!」


「今は黙っていなさい。貴女がここで口を開いたところで不利になるだけです」


 全方位を固められ、外へ逃げ出すことも不可能―――流石は百瀬憂零直属のエージェント達だと言えよう。


「いえ。残念ではありますが、そちらのお方のことも職務に含まれております。黒月財閥唯一の御令嬢……黒月夜羽様、ですね?」


 情報はすでに伝わっていた、ということか。

 あの病院で遭遇した謎の男は白百合ではないと確信してはいたものの、百瀬憂零とは繋がりがあった、と。


「……絶体絶命、というわけですわね」


 もっと慎重になるべきだった。

 いや、こうなることを予測しなかったわけではなかったが、他に取れる手段など限られていたのだ。


 わたくしに出来る事―――それを果たす為にここまで来たけれど、それも叶わないまま。


 百瀬の人間として、その資格はとうに失われていた。


「……ふざけないで。わたしの道はわたしで決める。貴女達のような()()()()()()()()に邪魔されてたまるかっての……!」


「夜羽……!?」


 わたくしが観念して手を上げようとした瞬間。

 啖呵を切るように、わたくしの全面へ立ちふさがるように立つ、一人の少女の姿。


「無駄な抵抗はおやめ下さい。我々は学院を制圧している白百合達とは違う。憂零様より直々に貴女がた二人への発砲許可を得ているのです。それ以上反抗すると言うのであれば足のひとつでも撃ち抜き、その気概を砕かせて頂く」


「やれるものならやってみなさいよ。わたしだってタダでは捕まらない。良い大人がよってたかってこんな風に……見て解らないの、貴方たち。百合花、震えているじゃない……!」


「我々は命じられた任務を遂行するのみ。そのような感傷は不要なのです」


「は……だから、つまらないって言ってるのよ!」


 ……お願い、やめて。

 多勢に無勢、これ以上は無意味なのだ。

 彼らの言葉に偽りはない。偽る意味がない。だからきっと、本当に撃たれてしまう。


 それだけは、駄目だ。

 だから夜羽―――お願いだから―――


「……そうですか。それは、残念です」


 ―――パァン、と。

 乾いた銃声が、エントランスホールに響き渡る。


 誰もがその一瞬を目の当たりにした。

 冷酷な表情で引鉄(トリガー)を引いた男も、周りで眺めていた従業員たちも、絶望に打ちひしがれながらその背中を眺めていたわたくし自身も。


「―――っ、あ……」


 がくん、と膝を折り、その少女は倒れ込む。

 あまりにも無慈悲、理不尽な暴力。


 息を呑んでその一部始終を目に焼き付けた者達、そのほとんどすべてが悲鳴を上げる。


 まさか本当に撃つなんて思わなかった。

 偽物だろうと思い込んでいた慢心、甘え―――その代償がこれとは、いくらなんでも割に合わない。


「よ……夜羽っ!!!」


 駆け出す。

 彼らに撃たれることなど気にしていられない。

 床に倒れ伏した少女の元へ、わたくしは飛び付くように駆け出す。


「ぐっ……う、あ……!」


 撃たれていたのは右足だった。

 流れ出る血を食い止める為、わたくしは上着を引き千切って巻きつける。


 銃弾は貫通している、大丈夫だ。

 血さえ止めればきっと命に別状はないはず。


「これでお解りでしょう、百合花様。我々に与えられた権限、課せられた使命を」


「貴方達は……っ!」


 ああ、もうおしまいだ。

 わたくしは所詮ただの小娘だった。

 百瀬財閥の娘なんて肩書きに意味などなく、今のわたくしには何の力も残っていない。


 わたくしの戦いは、ここで潰えてしまうのだ。


「―――全員、動くんじゃないよ!! お前ら……やっちまいな!!」


 絶望的な空気を一変させるような、張り上げられた女性の声が轟く。


「なっ、なんですか貴女達は……!?」


 わたくしと夜羽を取り囲んでいた者達が動揺し、それぞれにとある一点へと視線を向けた。


 聞き覚えのある、声。

 それが何者のものであるのか確かめようと、わたくしは後ろを振り返る。


()()()と聞かれりゃ答えるのが道理というもの。いいかい、よく聞きな外道ども―――」


 そこにいたのは、着物を纏う一人の女性。


「濠野組頭領、濠野咲弥(ほりやさくや)。我らの掲げる義を成す為、落とし前を付けに来た(モン)だ」

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