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【完結済】天使の棺 −虚ろな罪人と無垢なる少女−  作者: 在処
天使の扉 ―ヘヴンズ・ゲート編― 下
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3話 孤独な逃亡劇は終わりを告げる

 わたくし―――百瀬百合花のいる病室は東館の三階。

 夜羽のいる病室は反対側にある西館の五階部分にあるらしい。


 東館から西館へ移動するには一階のエントランスホールを通るか、四階部分にある接続通路を経由しなければならない。


 当然、東館を下手に歩き回れば白百合達に見つかってしまう可能性がある。

 特に一階にあるエントランス部分は病院の出入り口である以上、監視の目は厳重だろう。


 わたくしはできるだけ物音を立てないように着替えを済ませ、必要最低限の手荷物を鞄に仕舞って、ここから抜け出す準備を整える。

 流石に髪までセットする余裕はなかったので、ブラシで溶かしてストレートにまとめておいた。


 ―――さて、ここからどうするかのおさらいをしよう。


 まず、白百合の監視から逃れる必要がある。

 その為には東館から西館へ移動し、そこから一階へと移動、反対側の出口から見付からないように脱出―――徒歩で直近の駅まで辿り着く。


 そこから百瀬本社へ向かい、わたくしの権限を使って百瀬憂零の計画を突き止め、それを潰し、茨薔薇女学院を取り戻す。


 なんともない、取るに足らない作戦だ。

 わたくしなら完璧にこなせるはずだし、やり遂げるだけの自信もある。


(さあ、行くわよ百合花。これ以上、お母様の好きにさせるわけにはいかないのだから)


  ◆◆◆


 東館三階、非常階段。

 そこまで問題なく辿り着いたわたくしは慎重に四階へと上っていく。

 ここまでの通路は暗い廊下に蛍光灯だけが照らすものだったが、非常階段は普通に電灯が付いていて、それが逆に不安を増幅させてくる。


 白百合達も病院側のルールに従わなければならないだろうし、深夜帯にまで監視の目を光らせているとは考えにくい。

 それでも、警戒だけは最大にしなければならないのだ。見つかればそれで終わりなのだから。


 どれだけ慎重になっても足音はするし、服の布が擦れる音、鞄の中で荷物が暴れる音―――静寂の中ではそんな些細な物音ですら響いてしまう。


 呼吸すら満足にできない状況。

 緊張、恐怖、警戒―――それらの感情が入り混じり、額から流れる汗が唇へ。

 気温はそこまで高くないし、体調だって良好のはずなのに。


(らしくありませんわよ、百瀬百合花……)


 心の中で自分自身を叱咤する。

 失敗は許されない。

 これは、わたくしにしかできないことだ。


 四階へ辿り着き、息を止めて通路に繋がる扉に耳を当てる。

 音はしない。三階と同じように、誰一人としているはずがない。だというのに―――扉を開くのが、怖い。


(っ……南無三……!)


 慎重にゆっくりと開く。

 ギィ……と、金属の擦れる音にドキリと心臓が跳ね上がった。


 ―――そこに広がるは、一面の暗闇。

 大丈夫だ、誰もいない。白百合の監視はない。このまま西館方面へ直進し、安全圏へと抜けなければ。


  ◆◆◆


 結果だけ言えば、わたくしは無事に西館へと到着した。

 白百合の監視なんてまったくなかったし、完全に杞憂だったと思わせるほどの呆気なさ。


 西館の四階も暗闇と静寂に包まれていて、物音ひとつしやしない。

 足音を立てないように摺り足で壁沿いに移動し、一番端にある非常階段を目指す。


 もうすぐだ。

 息の詰まるような空間から飛び出して、わたくしはもうすぐ自由になれる。


 ―――そう思っていた矢先のことだった。


『……―――、―――!』


(え……今の、何……?)


 これだけ無音の世界だからこそ、わずかな物音すら確かに耳に届く。

 

(人の……どこか、苦しんでいるような……)


 呻き声、とでも言えば良いだろうか。

 少なくとも四階からではない。

 頭上からほんの僅かに聴こえた程度のものだったので、恐らくひとつ上の階層―――


 ……そうだ。

 五階には、()()()()()


(まさか……―――)


 わたくしは嫌な予感がして、早歩きで非常階段まで向かう。

 先程まで感じていた緊張感は吹き飛んでいて、ただ頭の中を駆け巡るのは夜羽の悲痛な姿。


 気が付けば、わたくしは非常階段を跳ねるようにして一気に五階へと駆け上っていた。


(ええと、確か名前は……渋谷さんの―――)


 渋谷香菜が夜羽を保護した時、黒月に狙われてしまうことを防ぐ為にあえて偽名を使って病室をひとつ丸ごと貸し切ってくれた。

 費用に関してはわたくしが請け負ったものの、彼女の機転がなければ夜羽は今頃この病院にはいないだろう。

 しかし、まさかこのタイミングで夜羽に危険が迫っているなんて。


(あった……! この部屋から……?)


『―――っ、く―――う、あ―――』


 暗闇の中、見つけ出した部屋から聴こえてくる呻き声。


(うなされて……いるの……?)


 どうやら危険な目にあっているわけではないようだ。

 しかし、それはそれとして彼女をこのまま放置しておくわけにもいかない。


 だが、部屋の鍵は閉まっている。

 わたくしが中に入ることは敵わないのだ。


(夜羽……―――)


 ドアノブに手を掛ける。

 開かないと解っていても、本能が勝手にそうさせていた。


「夜羽。そこにいますわね? 開けてください」


『―――っ、―――く、う―――』


 形振り構っていられなくて、わたくしはドアノブを回し、部屋の中へ声を掛ける。

 扉は開かないし、向こう側にいる夜羽の反応もない。


「―――なるほど。ここが黒月夜羽の隠れ蓑というわけか」


 その代わりとでも言うように。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()


「な……!?」


「泳がせて正解だったようだな。思いも寄らない成果だよ、これは」


「貴方は、いったい―――」


 わたくしが大声を上げるよりも先に、男は胸元から何かを取り出して目の前に突きつけてきた。


「黙れ。少しでも騒げは撃つ」


 ―――まずい、最悪の状況だ。

 わたくしは監視の目を掻い潜っていたのではなく、ただ単に泳がされていただけだった。

 そして自分が捕まるだけでなく、夜羽の所在までも知られてしまったのだ。


「百瀬百合花。いや、貴様はもはや百瀬ではないのだったか。ならば旧姓―――()()()()()、とでも呼ぶべきか?」


「……貴方は、白百合ではありませんわね?」


 男はその手に握りしめたもの―――一丁の拳銃を、わたくしの額に押し付ける。


「喋るな。貴様は何も知る必要はない。命が惜しければ大人しく―――」


 ああ、もう。

 わたくしは本当に、どこまでも愚かだ。


「……っ!」


 しゃがんで射線から逃れつつ、タックルの要領で男の足元に飛び掛かる。

 銃を撃たれてしまえばおしまいな状況で、わたくしはあえて無謀な手段に身を投じた。


「誰か、誰か助けて下さいませ!!」


「き、貴様……―――」


 不意を打たれてバランスを失った男は尻餅をつくものの、その手の凶器は握りしめたまま。


「チッ……良いだろう、あの世で後悔しろ!」


 わたくしは、拳銃を向けられて―――


「く、う……ああああ!!」


 突如として眩しい光が廊下へと差し込み、その先から一人の少女が飛び出してきた。


「―――夜羽!?」


 腰を抜かし、呆然としていたわたくしの身体を抱きしめ―――間一髪、放たれた銃弾から転がるように逃れることに成功する。


「おいおい、なんだ……?」


「ちょっと……あなた達、なんなの!?」


 わたくしの叫び声を聴いてか、次々と部屋から患者達が廊下へと出てきては、各々それぞれが騒ぎ立てている。


「夜羽、貴女……どうして……?」


「わからない、けど……声がしたから……身体が、勝手に……」


 抱き合うような形で見つめ合うわたくしと夜羽。

 彼女の様子を見る限り、記憶を取り戻しているわけではないようだった。


「これはいったい何事ですか!?」


 警備員が騒ぎに駆け付けた頃には、あの男の姿はなくなっていた。

 監視だけではなく、引き時まで完璧とは恐れ入る。


「わ、わたくし達は大丈夫ですわ。夜羽も、怪我はありませんわよね?」


「ええ、わたし……は……―――」


 言いつつ、夜羽は疲れ果てたようにぐったりと倒れ込んでしまう。


「警備員さん。拳銃を持った不審者が逃亡しています。大至急、捜索をお願いしたいのですけれども……」


「け、拳銃……!? というか、君達は―――」


「わたくしは百瀬百合花。百瀬財閥の令嬢、と言えばお解りですかしら?」


「もっ……!? は、はい!」


 その名を告げた瞬間、警備員は素直に応じてくれた。

 携帯端末で連絡を始めたので、もうすぐこの場は今とは比べ物にならないほど騒がしくなってしまうだろう。


(夜羽は……もう、置いていくわけにはいきませんわね……)


 わたくしは夜羽の頬を軽く叩き、その意識を呼び戻す。


「起きて下さい。早く、逃げますわよ」


「っ……逃げ、る……?」


「事情は後で説明致します。立てますわね?」


「ちょっと、そんな……いきなり……っ!」


 自分よりひと回り背丈の高い相手を背負うわけにもいかず、わたくしは半ば引きずるように夜羽の腕を掴みながら立ち上がる。


「何がなんだか解らないけれど、解った……から……っ、引っ張らないでよ……!」


 文句を言う夜羽の手を握り締め、わたくし達は騒動から逃れるようにその場を後にした。


 非常階段を降りる夜羽の足取りは重く未だに身体の節々が痛むようではあったのだが、あのまま病室に残すわけにはいかない。

 

 監視されていた事に気付けず、まんまと踊らされ、挙句の果てに夜羽まで危険に巻き込むことになってしまった。

 完全にわたくしの失態であり、夜羽はただの被害者でしかないのだけれど―――


(今はただ、逃げなくては。わたくしの目的の為、夜羽を守る為に……)


 心のどこかで、わたくしは安堵していた。

 孤独な戦いを覚悟していたのに、今こうして夜羽と共にいることが何よりも嬉しかったのだ。


 ◆◆◆


 あれからは特に追っ手の姿もなく、わたくし達は病院から抜け出すことに成功した。

 まだ身体が本調子ではないのか、夜羽は息を切らせながらもしっかりとついてきてくれている。


「はぁ……はぁ……ここまで、来れば……」


「ねえ、貴女っ……いったい……なんなの……?」


 物陰に隠れて呼吸を整えていると、夜羽が苛立ちの混じった声色でそう問いかけてくる。


 ―――黒月夜羽は記憶障害となってしまった。

 その事実は絵留を通して知っていたものの、いざこうして初対面のような態度を取られてしまうのはやはり堪えるものがある。


「わたくしは、百合花と言います。貴女の……そうね、幼馴染ですわ」


「幼馴染……ごめんなさい、わたし何も―――」


「大丈夫、すべて知っています。それに謝るのはわたくしの方ですわ。本来なら貴女は無関係だったはずなのに、危ない目に合わせてしまって……」


「貴女が悪いワケじゃあないでしょう。だって、飛び込んだのはわたしなんだもの」


 あっけらかんと、それが当たり前のことだと言うように夜羽は言い返してくる。

 記憶はないはずなのに、その口ぶりは以前の彼女を彷彿とさせるようで、少しばかり頬が緩んでしまう。


「……そうでしたわね。助けて下さって、感謝致します」


「ううん、あれはわたしも助かったから」


「それはどういう……?」


「ちょっと色々考えすぎちゃってて。頭は痛いし吐き気はするし、まともに眠れやしなくて……ずっとうなされていたから。なんていうか、スッキリしたって感じ。まさか銃で撃たれそうになるとは思わなかったけれどね、ふふっ」


 やはり、あの呻き声は夜羽のものだったか。

 記憶障害の辛さは本人にしか理解できないものだし、わたくしが何かしてあげられるわけでもないけれど―――


「こんな夜中にあんな……百合花、貴女っていったい何者?」


「わたくしは……そうですわね。端的に言えば閉じ込められ、監視されていました。そんな病院から抜け出す為に行動した結果、あのような……」


「にしても、拳銃で撃たれるなんて尋常じゃあないでしょう。自分のこととか、わたし、何も思い出せないけれど……あれが普通ではない事態だってことは解るわよ?」


 夜羽の言うことも最もだ。

 あれが白百合であるなら、わたくしを銃で撃つなど本来ありえない。

 しかも公共の施設で容赦なく、である。


「あれは……もしかすると、わたくしの知らない『何か』なのかもしれません」


「なによそれ、ようは殺人鬼ってことでしょ? 百合花……貴女、そんなのに狙われるなんておかしいと思わないの?」


「殺人鬼、とは大袈裟な表現ですわね。まあ、あながち間違いではないかもしれませんが……とにかく、抜け出すことには成功したのです。追っ手に気付かれ、追いつかれる前に、わたくしは行かねばなりません」


「行くって……どこに?」


 目的地は決まっている。

 だが、ここから先も夜羽を付き合わせる道理はない。


「いえ。まずは、貴女を安全なところに匿うのが先ですわね」


「はあ……? それじゃあわたし、なんで連れて来られたってのよ……?」


「貴女もまた狙われている、と言うことですわ。こればかりはわたくしの失態ですので、きちんと責任を持って―――」


「だから、そうじゃないでしょう」


 夜羽はわたくしの話を遮るように、握っていた手を両手で包み込むように胸元へと抱き寄せる。


「助けを求めているのはわたしじゃなくて……貴女の方でしょ、百合花」


「え……―――」


「わたしにだってそれぐらい解るわよ。手は冷たいままだし、ずっと震えてるし。助けてって、顔に描いてあるもの」


「いえ、わたくしは……夜羽を巻き込んでしまったから、放っておけなくて……」


 あの殺し屋らしき男は夜羽の居場所をも探していた。

 わたくしの監視が主な任務で、その副産物と言った口ぶりではあったものの、あのまま夜羽を置いていけば間違いなく危険が及んだはずだ。


 だから、連れてきた。

 確かに心のどこかで孤独ではなくなった安心感を得ていたのは事実だけれど、決してその為ではないはずなのに。


「……ああ、もう。不安なクセに強がって。そういうの良くないと思うけれどね、わたしは」


「わ、わたくしはもう昔とは違―――って、いえ……貴女は何も覚えていないのですわよね」


「うん、ごめんなさい。やっぱりわたし、貴女のことは思い出せない。昨日のことすら覚えていないのに、偉そうなこと言える筋合いじゃあないのかもしれない。わたしが危ないっていうのも、解るわよ。でもね」


 彼女は以前とは違うかもしれない。

 けれど、確かにそれが黒月夜羽なのだと思わせるような、強い意志の込められた瞳でわたくしを見つめながら―――


「幼馴染って言うのなら、最後まで助けるに決まってるじゃない」


 ―――優しく微笑んで、そう言ってくれたのだ。

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