2話 深夜零時の作戦会議
百瀬アリカは語る。
彼女が知る限りの情報―――百瀬憂零の目的、この茨薔薇女学院が制圧された理由、そしてミカエル・プロトタイプがどうなったのか、どうして彼女が必要とされているのか。
「―――……以上が、あたくしの持ちうる情報です。お母さまがあたくしに嘘を言うとも思えませんし、信憑性は極めて高いかと」
それらを聞かされた上で、僕―――紅条穂邑と、船橋灯里、蜜峰漓江の三人は神妙な面向きで顔を見合わせる。
「ヘヴンズ・ゲート計画……か……」
海外の百瀬財閥を取り仕切る百瀬憂零が持ち込んできた『計画』。
ヘヴンズ・ゲートと呼ばれるそれは、学院とそこに通う生徒達をまるごと利用した大いなる実験であった。
「それにしても、まさかエンジェル・ラダーが本当に関係しているとは……私やお母様、いいえ、もはや黒月そのものが踊らされていただなんて……」
船橋の言う通り、その計画の要には天使の梯子が使用されるらしい。
その為にミカエル・プロトタイプが必要とされている、ということだ。
「私達、そんな相手に太刀打ちできるのでしょうか……?」
ふと、蜜峰は不安を顕にする。
途方も無い、常人には理解の及ばないような話ではあったものの、天使の棺と因縁のある僕にしてみればそれが現実のものであると理解はできる。
だが、それが自分達の立っている世界とは掛け離れた世界の話であると言うことも否が応でも感じてしまう。
「皆さま、あまり驚かれていませんのね……?」
「驚く暇すらないというか。ある程度の前知識はあったしね。えるが教えてくれたから」
「ええ、私もです。漓江は……ちょっと、怖じ気付いてしまったみたいだけど?」
「わ、私はその……でも、だから諦めたってわけでもなくて……」
船橋灯里や蜜峰漓江も同じく、そんな非現実に近いものと隣り合わせで生きてきた者達だからこそ、アリカの語る内容について疑うような素振りは見せなかった。
そして、その上でこれからどうするべきかを話し合っている。
監視の目が光る中、針の糸を通すようにこうしてこの場に集まったのだ。なんとかしたいと思っているのは共通認識で間違いない。
「それでは率直にお聞きします。この状況、どうすれば覆すことができるとお思いですか?」
この場を取り仕切るように、アリカが僕達へ向けて問いを投げかける。
思わず背筋がぴんと伸びてしまいそうになる辺り、流石は百瀬百合花の妹だ……なんて、口に出せば怒られてしまいそうだけれど。
「目指すべきは百瀬憂零の説得、ないし計画そのものを破綻させてしまうことだけど……流石に僕達だけじゃそれは難しそうだね」
「アリカ様が主導者となる、そういうお話でしたわよね? それならその役目を放棄してしまうのは如何です?」
「いえ、それは不可能です。あたくしが百瀬の人間である限り、お母さま……百瀬憂零に逆らうことは許されない。お姉さまのように縁を切る、なんて暴挙も今回ばかりは通用しませんでしょうし」
「それなら、アリカさんが完全にその計画を自分のものにした上で、軌道修正をしてしまうっていうのは……?」
「それはあたくしも考えました。現実的なアイデアの中ではそれが最善だとも思います。ですが……あたくしには、それを成し遂げる自信がありません。何よりそんな悠長に構えていても、今苦しんでいる人達を救うことはできない。何かがあってからでは遅い、と思うのです」
皆の提案に対して返答するアリカ。
確かに彼女の言っていることはもっともで、僕が知恵を振り絞ったところでアリカの考えうるプランを超えることはできないかもしれない。
ただ、それでも成し遂げなければならないことだけは解る。
どれだけ理想論で、現実から目を背けているようなものだとしても―――
「計画に必要なのはえる……プロトタイプ、なんだよね?」
「ええ、そう聞いております」
「そもそも、天使の梯子の機能を十全に発揮できるのは、超記憶症候群を持つ三日月さんか、本物の黒月夜羽のみ。普通の一般人が使ったところで意味はありません」
「それじゃあ、その……革新的な教育プログラムっていうのは……?」
蜜峰がそう問うと、船橋は口元に手を当てて黙り込む。
「えるが必要とされる理由、か。天使の梯子を使えるからってのは解るけど、実際それを使って何をするつもりなのかは未だに不透明なままなんだよね」
「そうですわね。あたくしもそこまでは……」
「けどさ。その内容はどうであれ、えるさえ取り返せば交渉の余地はあるんじゃないかな?」
「それはあまりにも甘い考えでは? 私達は命を握られているのですわよ?」
船橋の言うことももっともだ。
今回は百瀬財閥のトップが自ら白百合という軍勢を率いて行っている、紛う事なき盛大なプロジェクト。
害のない学生風情でさえ、歯向かえば容赦なく制裁されてしまうかもしれない。
「灯里ちゃん、流石にそこまでは―――」
「……いえ、船橋さんの言う通りですわ。あたくしが前回用意したモデルガンのように威圧目的だけのものではない、白百合達が本物の拳銃をそれぞれ所有していることは確認済みです」
「拳銃……っ!?」
蜜峰がびくりと身体を震わせて驚愕の意思を示すなか、僕や船橋は動じず、ただ嘆息を漏らすばかり。
エージェント達に拳銃を所有させるほどの重要な計画なのだ、余計な行動は相手の警戒心を強めてしまうだけだろう。
「三日月さんを取り戻したとしてもすぐさま武力によって押し切られてしまうでしょうね。実際、彼女の身柄を一時的に解放するだけなら、あたくしにも可能だと思いますが……」
「そんなことをしたら、今度はアリカちゃんの監視が強まるだけ、か」
「……まったく。こうして集まったのは良いですが、どうすれば良いのか皆目検討も付きませんわね」
まるで茨薔薇の中だけが外とは隔離されてしまっているかのような非現実感。
ひとつ間違えれば命を失ってしまうかもしれないという状況下で下手な行動を起こすことはできない。
「ねえ、漓江。ひとつだけ聞きたいことがあるのだけれど」
「えっ……なに、灯里ちゃん?」
ふと、船橋が改まって蜜峰へと向き直る。
「貴女はどうしてここにいるの?」
「え……―――」
「ああ、それは僕が誘ったんだ。頼れる人は少しでも多いほうがいいかなって。もちろん、無理強いするつもりはなかったんだけど……」
「紅条さんは少し黙っていて下さいます? 私は蜜峰漓江本人に問い質しているので」
「あ……うん、ごめん……?」
いつにもなく刺々しい口調で言い返され、僕は大人しく口を噤むことにした。
「それで、どうなの漓江」
「私は……」
僕が蜜峰を誘った理由は、彼女が無関係であるとは言い切れなかったからだ。
黒月夜羽と親しい間柄であり、黒月の研究員としての肩書きも持ち、船橋がスパイであると見抜いた上で自分なりに行動した。
結果的には失敗したものの、その思考の奥底には彼女なりの『正義』があった、と今の僕はそう解釈している。
だからこそ、彼女の意思を尊重したかった。
何も知らないということは、何も決断できないということだから。
「私は、皆さんにとても迷惑をおかけしました。二重人格だから、なんて言い訳はできません。この私も、もう一つの私も、蜜峰漓江という人間であることには変わりないから」
ああ―――その言葉は、僕自身にも突き刺さる。
そして、彼女はやっぱり己のしたことを悔いてくれていたんだ。
「それでもこうして未だにこの学院に通えていて、大切な友達や、憧れの方とも一緒にいれて。私は……恩を、返さなくてはならないのです」
そう言って、蜜峰は向かいのソファに座っている僕へと視線を向けた。
「紅条さんに誘われた時、私なんかにできることなんてない……と思いました。でも、それ以上に……嬉しくて」
「嬉しい?」と、隣の船橋が聞き返す。
「うん。きっと私、誰かに必要とされたかった。夜羽様の為の研究も、いつしか自分の為のものに変わっていたみたいに……私は、誰かの為ではなく、誰かに求められたい自分自身の為にずっと生きてきたから」
かつて、蜜峰が言っていた言葉を思い出す。
あの時の彼女は今の人格ではなく、もっとお嬢様然としつつ、性的欲求が強い側の人格の彼女だったけれど。
「でも、そんな自分の欲求が周りに迷惑を掛けてきました。特に渋谷さんや紅条さん、灯里ちゃんにだって」
「私は……いいえ、それは私がスパイだったから―――」
「そうだとしても、私のやり方は行き過ぎていました。興奮した自分を抑えきれない……そんな別の自分がいることを理解していながら」
二重人格―――解離性同一性障害。
彼女のそれがどのような状態なのかは未だに理解しきれていないものの、それが事実であることはこの一ヶ月ほどで確認済みだ。
そんな、ある意味で僕と似たような存在である彼女が出した答え。
それがいったいどんなものであるのか、それを彼女の口から聞いてみたかったのは確かで。
「だから、今度こそ間違えない。罪滅ぼしになるなんて思わないけれど、それでも私は、この学院の為に……皆さんの為に、できることをしたいのです」
「……そっか。うん、聞けて良かったよ」
蜜峰漓江のしたことは間違っていた。
それでも、前を向こうとすることが大切なのだと―――僕を含む、この場にいる全員が共感できるはずだ。
だからこそ、この四人が集まった。
自らの罪を認めて、前を向くことのできる人間になりたい―――僕自身、そう心に誓ったのだから。
「そう、解った。それなら、私はもう何も言わない。貴女の好きなようにすればいいわ」
「正直じゃありませんのね、船橋さん。嬉しいなら嬉しいって言えばよろしいですのに」
「それアリカちゃんが言う?」
「あ、あたくしはいつだって正直ですわよ、穂邑さま!」
あはは、とつい笑いが溢れてしまう。
先程までの息の詰まる空気感は一変し、緊張が解れたような気持ちになる。
「……はあ。まあ、私に対してどう思われようが構いませんが。ところでアリカ様、いつから紅条さんのことを名前で呼ぶようになったのです?」
「えっ? いえ、あたくしは別に―――」
「いつの間にか仲良しこよし、昨日の敵は今日の友、とでも? 私はそんな簡単に割り切れませんけれどね」
「いやいや、船橋さんだって呼びかけに応じてくれたんだし、似た者同士じゃない?」
「はあ? 言っておきますが、紅条さん。私は貴女に靡いたりはしませんからね」
「灯里ちゃん、顔赤いよ……?」
「漓江は黙ってて!!」
なんというか、やっぱり皆も年相応の女の子なんだなと思う。
こんな絶望的な状況であるにも関わらず、それでもこうしてはしゃぎ合えるのだから。
きっと、そんな彼女達だからこそ成し遂げられる『何か』があるはずだ。
「……というか、こんな時間に集まったのは良いですけど。これからここを拠点に四人で活動するわけにもいきませんわよね?」
「え。あ、そっか。船橋さんは二階だから―――」
「もしかして、なんの計画性もなく呼び付けたのですか……?」
「いえ、計画ならありますわ」
船橋の憂慮に対し、アリカが即答する。
「……それは?」
「その答えは蜜峰さんが持っています。ですわよね?」
「えっ、私……ですか?」
「あ、そうだ。そういえば―――」
そこで僕も思い出す。
蜜峰漓江に協力を求めた理由、それはいつかの事件を振り返ることで浮かび上がる。
香菜と蜜峰さんが画策した、茨薔薇の園からの脱出計画。
軟禁されている状況から監視を欺いて部屋から抜け出す為に、まさか自殺を装うなんて―――その意味、そこに答えがあったのだ。
「アリカちゃんと話してたんだ。前に蜜峰さんが寮から抜け出したことを思い出して……何か、秘密があるんじゃないかって」
「あ……はい。あの時は、私の立てた作戦ではなくて、渋谷さんが考案して下さったのですけれど―――」
そうして、その真相を蜜峰は語る。
「まず、茨薔薇の園は内外ともに監視の目があります。寮監様が常に見張られているので、下手に動いても無意味だったのです。そこで、渋谷さんが提案したのは、私が部屋を出る為に一芝居打つというものでした」
「一芝居……それが、自殺現場?」
「はい。けれど、どうしても再現しきれなくて、ちょっと無茶をしてしまいましたが……まあ、なんとか作戦通りに事が運ばれて、私は部屋から抜け出しました。その間、倉敷さんが監視していてくれる手はずだったのですが、それは上手くいきませんでしたね」
「抜け出した……窓から、だよね?」
「はい。ですが、正面玄関付近には人もいますし、監視カメラもあります。そこを通れば偽装して抜け出した事がバレてしまう。そこで、渋谷さんが教えてくれたのが、裏側の庭園を通って学院側に出る、というものでした」
―――庭園というのは、窓から出て寮の裏側へ回ったところにある森林のような場所である。
茨薔薇の敷地の三分の一を占めるもので、周囲を取り囲む壁に沿って植えられた木々や花畑が広がっているのだ。
「そこを上手く通り抜けることで、監視カメラを避けつつ、学院校舎へ辿り着く事ができる。渋谷さんはそこで私に協力をして欲しいと言っていました。何をするのか、それは解りませんでしたが―――」
「渋谷香菜はいち早く黒月夜羽の行動を察知していたのよ。科学研究部……そこで資料を漁り、漓江の知識を借りて、事の真相を突き止めようとしていた」
そこで、船橋が口を開く。
彼女はその時に香菜を刺し、その記憶を薬によって奪い取った張本人なのだ。
「そこで、私は灯里ちゃんと遭遇して……止めようとしたけれど、偽装の為に切った手首の傷……血が足りなくなったのか、頭が朦朧としてしまって。あとは、紅条さんも知っての通りです」
「なるほど。ありがとう、話してくれて」
一連の話を終えると、船橋は目頭を抑えながら俯いていた。
「……私は、貴女の大切なものを傷付けた。なのに、こうして手を取り合うことになるなんて……そんなこと、本当は……」
確かに僕は彼女のしたことを許したわけではない。そして、それを口にすることもないだろう。
けれど、それでも―――今は。
「船橋さん。君が後悔しているなら、いつか香菜に謝って欲しいと思う。僕が言えるのはそれだけだよ。その為にも、この現状を打破すべきじゃないかな?」
「ええ、解っています。だからこそ貴女達の誘いに応じたのですから」
「灯里ちゃん……」
「―――さて。これで必要な情報は出揃いましたわね。ここから学院へ監視の目を避けながら辿り着く手段は判明しました。問題はその後どうするか、ですわ」
「まずは、えるの救出だね。彼女の身にいつ何が起きるか解らないんだ。こればっかりは危険が伴うし、僕が一人で担当するよ」
「それなら私は学院側の動向を探りつつ皆さんへ定期的に連絡するというのは? スパイ活動、得意ですので」
僕と船橋がそれぞれの意見を口にすると、アリカは思いっきり溜め息を吐き出して、
「……ああ、もう。危険だから駄目だと言っているのに、聞き入れては貰えないようですわね」
「はは、ごめん。でも、僕はやっぱりえるを助けたいんだ」
「危険なんて重々承知ですし、怖くもありません。私は成すべきことを成すだけです」
「一人で抱え込んじゃ駄目ですよ紅条さん、灯里ちゃんも。私にできることがあればなんだってやりますから」
―――四人の視線が重なる。
各々のすべきことは定まった。
後は、ただ実行に移すのみ。
「よし、作戦決行だ―――!」
紅条穂邑、百瀬アリカ、船橋灯里、蜜峰漓江。
それぞれの決意、それぞれの役割を胸に、少女達の戦いが幕を開ける。