9話 罪人《クリミナル》
白百合の反逆―――もとい、百瀬憂零による先制攻撃とでも言うべき茨薔薇女学院制圧作戦が行われた、その夜。
わたくし、百瀬百合花の退院は叶わず、病院側も完全に百瀬の圧力に従うしかなくなった。
病室は厳重に監視され、自分の意思で外に出ることは難しい状況だったが、スマホを奪われなかったことは不幸中の幸いであった。
船橋灯里からのメッセージを受け、茨薔薇が制圧されてしまったことを知った頃には既に手遅れ。
完全に先手を取られてしまったことに、わたくしは奥歯を噛み締める。
しかし、これでわたくしの予想は間違っていなかったことが解った。
百瀬憂零がこれまでの事件の糸を引いていること、そんな彼女と対峙する為に行動しようとしていた矢先にこの出来事である。
万事休す、と言うべき状況ではあるものの、真相を確かめなければならない手間は省けたと言えるだろう。
何の為に茨薔薇女学院を制圧したのかは解らない。
恐らくミカエル・プロトタイプの捕縛が最優先なのだろうが、それだけだとも思えない。
アリカの反乱の際にも思った事だが、茨薔薇女学院がこうも執拗に狙われる理由、それはいったい何なのだろうか―――
◆◆◆
僕―――紅条穂邑は、学生寮『茨薔薇の園』一階にある自室にて閉じこもっていた。
正確に言うと、閉じ込められている―――のだが。
『そっちはどんな感じ?』
スマホを片手に、香菜にメッセージを送る。
一階部分は白百合の人達がちらほらと居て監視をしている状況だが、四階は完全に封鎖され、エレベーター前は厳重に遮られている。
『円卓の間に男の人がいっぱいで外出るのはきついかなー』
香菜からの返信を確認し、僕は思わず溜め息を吐き出す。
『そっか、わかった。今は大人しくするしかなさそうだね』
『うん。ほむりゃんもだからね?』
『大丈夫だって』
香菜に心配をさせてしまっていることに罪悪感を持ちつつ、僕は頭の隅でこの現状を打破する手立てを探していた。
以前のアリカちゃんの起こした騒動とは格が違う。
徹底している、と言えば良いのだろうか。
何もかもが一瞬で、一寸の無駄もなく、完璧な手際で学院と寮のふたつを抑えきってしまった。
今回の件に関して、生徒達には何の通達もされていない。
誰が手引きしたのかすら知らされていないし、きっとほとんどの生徒はワケも解らないまま部屋に閉じ込められていることだろう。
けれど、僕には解る。
いや、きっと香菜やえる、船橋さん辺りも気付いているはずだ。
―――百瀬憂零。
白百合をこれだけ動員し、容赦ない手段を平然と行使できる存在。
理由は解らないが、きっとえるの話していた内容に関わってくることなのだろう。
その上で、僕に出来ることはなんだろう。
恐らくアリカちゃんの時のようにはいかないし、ただの学生風情が大企業のトップに太刀打ち出来るとも思えない。
そもそもの理由、狙いが掴めないのだ。
もし以前の事件と繋がりがあるのであれば、える―――ミカエル・プロトタイプの存在が鍵になっている気はしている。
現に何度かメッセージを送っているにも関わらず、未だに返信が来ていないのがその証明とも言えるだろう。
けれど、焦っているわけでもない。
えるが必要とされているのなら、少なくともその身に危険が降り注ぐことはないはずだ。
現状、僕に必要なのは冷静な判断力。
成すべきことを正確に理解し、的確に行動を起こす必要がある。
(助けるって決めたんだ。絶対、なんとかしてみせるからね……える)
僕がそう意気込みながら再びスマホに向き合っていると、こつん、と言う音がどこからともなく鳴り渡った。
「……ん?」
気の所為か、と思いきや―――今度ははっきりと、コンコンと窓を叩く音が聴こえてくる。
夜も更け、一階とはいえ窓の外に誰かがいるとも思えないのだが、僕は重い腰を上げてゆっくりと近付いていく。
「何……って、え?」
カーテンを開けると、そこには見知った少女の顔―――
「開けてくださいませ、紅条さん……!」
―――百瀬アリカが、窓の外から部屋の中を覗き込むようにして立っていたのである。
◆◆◆
予想外の来訪者、アリカちゃんを窓から中に招き入れて、履いていた靴を預かり玄関に置いてきた後。
ソファーにちょこんと座る桃髪の少女は、そわそわと居心地の悪そうな仕草で部屋の中を見回していた。
「随分と狭いお部屋ですのね……?」
「一人部屋だし、これでも充分過ぎるくらいだけどね。四階にある香菜とか百合花さんの部屋に比べたら、そりゃ狭いけど―――」
「おっ、お姉さまのお部屋に入ったことがありますの!?」
「え、ああ……うん、一度だけね」
今度は警戒しているのか、ムスッとした表情でこちらを睨みつけてくるアリカちゃん。
いったい何をしにきたのか、その理由を問いただしたいところではあるのだが―――
「……いえ。今はそのような話をしている場合ではありませんでした」
僕が訊くよりも先に、アリカちゃんは真剣な面向きで言葉を紡ぎ始めた。
「まずは……今回の騒動、大変なご迷惑をおかけしたこと、お詫び申し上げます」
「えっ? これってアリカちゃんが?」
「正確に言えばあたくしだけではありません。お母さま……百瀬憂零と、それの率いる白百合によって行われたものですわ」
「……やっぱり、そうなんだね」
僕の予想通りだったことに納得してそう言い返すと、アリカちゃんは不思議そうに首を傾げていた。
「紅条さん、ご存知で……?」
「ああ、うん。大体のことはえるに聞いてるからさ。というか、アリカちゃんはそれを知ってて僕のところに来たんじゃないの?」
「いえ、それは……その。他に頼れるお方もいませんですし。船橋さんは二階にお住まいで、近付き難いというか……」
「ふうん、僕のことは頼れると思ってくれてるんだ?」
なんて、ついからかってしまいたくなって意地の悪い言い方をしてしまう。
てっきり言い返されると思ったのだが、アリカちゃんはいつにもなく大人しい、意気消沈したような様子でうつむいている。
「……あたくしは、取り返しのつかないことをしてしまいました」
「え……―――」
「もう二度とお姉さまの迷惑にならないようにすると……自分勝手にワガママな行動をするのは、これっきりだって……そう決めたはずでしたのに……」
―――その少女は、涙をこぼしながら独白する。
「ミカエル・プロトタイプこそが元凶なのだと、彼女さえいなくなればお姉さまは平穏な生活に戻れるんだって……そう信じ込んでしまった。お姉さまだけではありません。この茨薔薇女学院に通われている皆さま、そのすべてが……!」
「アリカちゃん……」
「なのに、現実はそうじゃなかった……! あたくしが信じていたものは何もかもが虚像で……お母さまは、お姉さまのことも……この学院のことだって、何ひとつ配慮なんてしていなかった……っ!!」
両手を膝の上で握り締め、堪え切れない嗚咽を吐き出すように、百瀬アリカは言葉を振り絞る。
「自分で決めろと言って下さったお姉さまの言葉を……あたくしは、結局また利用されて……自分の意思なんて、どこにもなくって……!」
「それは……アリカちゃん、でも―――」
「あたくしが……あたくしがまた、お姉さまを苦しめて……皆さんを、困らせてしまって……あたくしの、せいで……っ!」
そこにいるのは、これまで僕が見てきた性格の悪い憎むべき相手ではなく。
ただ己の非を認め、前に進もうとして―――それでも躓き、転んで……泣きじゃくっている、ただ一人の女の子だった。
「違う……違うんだよ、アリカちゃん」
僕は、そんな彼女のことがただ愛おしくて、守ってあげたいと感じたから―――
「こ、紅条……さん……?」
―――ただ、そっと。
彼女の頭を胸元に引き寄せて、なだめるように抱き締めていた。
「みんな、間違ってしまうものなんだ。僕だってずっと間違いだらけの生き方だったから。それでも、それを認めて前に進む事が大切なんだと思う」
「あたくしは……でも……」
「アリカちゃんは自分の意思で、その足でここまで来たじゃないか。他人に頼ることが悪いことだとは思わない。それが自分で選んで、間違いじゃないと感じたのなら、きっと君にとってはそれがその時で一番正しい選択なんだ」
「ですけど、皆さんが……三日月さんだって、捕まってしまって……」
「僕のところへ来たってことは、なんとかしたいと思ってるってことだよね? 頼りになる人に助けて貰いたいって、そう思ってくれたってことでしょ? 僕はそれが間違いだとはまったく思わないし、そんなアリカちゃんになら喜んで手を差し出せる」
「こう、じょう……さ……っ」
「―――よく頑張ったね、アリカちゃん。もう大丈夫、これからは僕が君のそばにいるから」
背中をさすりながら、自分にできる精一杯の気持ちを伝えて、僕は彼女を抱き締めて―――
「う、うう……うわぁぁぁんっ……!」
百瀬アリカは、かつては敵として僕達を苦しめてきた相手だったかもしれない。
でも、今は違う。
僕の腕の中で涙を流して泣き叫ぶこの少女は、ずっと大きな責任や立場といった重りを背負いながら、それでも気丈に胸を張って歩き続けてきた。
姉への抑えきれない感情を爆発させて、それでも認められなくて。
けれどそれが悪いことだと理解した上で、そのケジメを付ける為に、本当は大好きだった姉を守ろうと必死になっていて。
こうしてまた過ちを犯してしまっても、その責務から逃げずに立ち向かおうとしている、そんな彼女のことを責められる人間など果たしているだろうか?
少なくとも、僕にその権利はない。
出来ることがあるとするならば、そんな彼女に敬意を表して、その意思を汲み取って手を差し伸べることだけだと思うから。
「ほら、前にも言ったと思うけどアリカちゃんのこと好きだしさ。僕に手伝えることがあるなら、できる範囲で引き受けてあげたいと思ってるよ?」
「ぐすっ……ど、どうして……?」
涙で腫れ上がった目元でこちらを見上げる少女の姿に、僕は少しドキリとしてしまって。
「どうしてって……そうだなあ。アリカちゃんは知らないかもしれないけど、僕って女の子に弱いというか―――」
そんな彼女の頭を優しく撫でながら、僕はただ一言。
「アリカちゃんみたいな可愛い女の子、放ってなんておけないでしょ?」
少し調子に乗り過ぎたかとも思ったけど、それが僕の本音であることに変わりはなかったから。
過去は過去だ。
彼女がしたことを完璧に許したわけじゃない。
もしも悔やむことなく開き直るような人間性だったなら、ここまで入れ込むことはなかったかもしれない。
だからやっぱり、これは百瀬アリカという人間への敬意でしかなくて。
彼女が己の罪を悔い改め、反省し、それを踏まえて前に進める人間性であるからこその、僕なりの好意の現れだった。
「あ、あたくし……そんなこと、困ります……」
すると、アリカちゃんはどこか恥ずかしそうに顔を両手で隠しながら、
「殿方にだって、そんな……言われたこと、ありませんのに……」
「……ん? えっと、アリカちゃん?」
アリカちゃんは僕の身体を押しのけるように立ち上がると、目元をゴシゴシと擦りながら何やら独り言のようなものを呟いて―――
「―――……紅条さん。いえ、穂邑さま」
「は、はい?」
充血したままの瞳で、先程までの泣き喚いていた時とは打って変わった表情でこちらをまっすぐに見つめてくる。
「あたくし、必ずこの学院を取り戻してみせますわ」
「う、うん。それなら良かった……って、え?」
気付けばアリカちゃんの両手で僕の右手が包み込むように握られていて―――
「これからずっと、あたくしのそばにいて下さいね、穂邑さま」
「え……えぇぇぇ!?」
こうして、僕とアリカちゃんは手を取り合い、共に戦うことを誓った。
取り戻すべきものはふたつ。
捕らわれた三日月絵留―――ミカエル・プロトタイプと、白百合によって制圧されてしまった茨薔薇女学院、学生寮である茨薔薇の園。
その為には事件の首謀者との邂逅が必要となる。
百瀬憂零―――百瀬財閥の現トップであり、百合花やアリカの母親でもある女性。
成すべきことは決まっている。
あとはその為にどう動くか、何が必要なのかを見定めるのみだ。
―――僕達の戦いが、ここから始まる。