5話 決断《ディサイド》
紅条一希との会合を終え、わたしと船橋灯里はとある病院へと訪れていた。
そこは、百瀬百合花と黒月夜羽が入院している病院であり、わたしは昨日ぶりにそんな場所へ足を踏み入れる。
「あの、三日月さん。私はロビーで―――」
一階のロビーフロアにて、灯里はどこか遠慮しがちな口調でそんなことを言う。
「いえ、灯里さんも来て下さい。これから話す内容は、貴女にも関係のあるお話ですから」
「……やはり、そうなりますか。仕方ありません、覚悟を決めるしかなさそうですわね」
わたしはそんな彼女を引き連れ、百瀬百合花の元へと向かった。
お見舞いではなく、事の真相を伝える為に。
―――百瀬憂零。
百合花やアリカにとっては母親と呼ぶべき相手が、すべての事件を裏から操っていた存在だったなんて。
紅条一希には他言無用だと言われたが、そんな口約束を守るつもりにはなれなかった。
わたしは、わたしに出来得るすべてを行い、三日月絵留を救い出す。
自分を、自分の手で。
その時わたしが何者になるのか、それはきっとその時にならなければ解らないのだろう。
病院の受付にて面会の手続きを済ませ、そのまま三階までエレベーターで登り、百瀬百合花のいる個室へと辿り着く。
その入口には白百合のガードが二人いるが、こちらに視線を向けると軽く会釈し、部屋の中へ通してくれた。
「失礼します、百合花さん」
わたしは部屋の中へ入るなり声を投げ掛ける。
「あら、二日連続なんて珍しいわね。そちらにいるのは……船橋さん?」
「ご機嫌よう、百合花様」
「……なるほど。今回は、ただのお見舞いというわけではなさそうね?」
◆◆◆
わたしは百合花と灯里に手に入れた情報の共有を行った。
三百人委員会なる組織が暗躍していること。
天使の棺やエンジェル・ラダー計画は、そういった連中による大きなプロジェクトの一旦でしかないということ。
そして、そんな組織と繋がっている者がいて―――それこそが百瀬財閥の現トップ、百瀬憂零なのだということを。
「にわかには信じられないお話ですが……もしそれが本当なのだとすれば、想像以上に大きな事態になっていますわね」
百合花は深刻そうな表情で呟く。
灯里もまた、口こそ開かないがその顔色は似たようなものになっていた。
「百瀬憂零や、三百人委員会とかいう組織が何をしでかそうとしているのかは解りません。もちろん、紅条一希の話を鵜呑みにするわけでもないですけど……でも間違いなく言えるのは、何かが起きようとしている、ってことです」
「……百瀬本社の爆破、黒月夢幻理による計画、ミカエルシリーズ達の不可解な行動、結局何も起きることなく解決したかにみえた事件―――結果的に黒月は崩壊し、百瀬は体制を立て直す為に百瀬憂零が現当主となった。それらがすべて何らかの計画によるものだったなら……」
「まさか、黒月……いえ、私達ですら利用されていた……お母様も……?」
百合花の言葉に、灯里が反応する。
そう……これがもし本当なのだとすれば、わたし達は真実を知る必要があるはずだ。
「百合花さん、灯里さん。わたしの目的はたったひとつです。三日月絵留を救出し、彼女を利用した計画を破綻させること」
「絵留……」
「わたしは、黒月夜羽でも三日月絵留でもない。本来なら廃棄されているはずだったミカエル・プロトタイプです。でも……だからこそ、そんな彼女達の記憶を持つわたしだからこそ……やらなきゃいけないって、思うから」
「……貴女がそこまで言うのであれば、私も覚悟を決めなくてはいけませんね」
そう言って一歩前に出てきたのは灯里だった。
「亡きお母様の……いえ、私自身の犯した罪を償う為に。皆様を騙し、アリカ様を利用しようとしてしまった、愚かな自分と決別する為に」
「船橋さん……」
彼女はその手を差し出した。
普段の彼女らしくもない、だからこそ意味を持つその行為。
「百合花様。私は貴女の大切なものを潰そうとした。きっと、貴女にとって私は憎むべき存在でしょう。だと言うのに、貴女は私を再び学院へ受け入れてくれた。……ずっと、感謝を伝えなくてはと思っていました」
「……、ええ」
「お母様が殺され、エンジェル・ラダー計画が頓挫して……居場所のなくなった私を貴女の元へ連れて行ってくれた、アリカ様にもです。赦されたなんて傲慢な考えはしていませんが、それでも救われたのは事実で……とても大きな恩を得た、と思っています」
百合花が何故、灯里を赦したのか。
それは、わたしにも解らないけれど。
「だからこそ、私も。これ以上、貴女達の大切なものを脅かす存在を……黒月やお母様までも利用した、そんな奴等を放って置くわけにはいきません」
「わたしも灯里さんも、戦うつもりでここまで来ました。百合花さん……わたし達には、貴女の力が必要なんです」
百瀬を捨ててまで守るべきものを守り通した彼女なら、きっと共に立ち上がってくれると信じているから。
「お願いします。一緒に、百瀬憂零を……事件の裏側で糸を引いている存在を、止めて下さい」
気付けば、わたしも手を差し出していて。
灯里とわたしの手が、百合花の目の前で重なる。
「……お母様―――百瀬憂零は、今の百瀬に無くてはならない存在です。わたくしやアリカでは当主の座を頂くには早すぎる。あの人を止める、ということは……百瀬そのものを崩壊しかねない―――」
「それは」
「―――ですが。その上で、もしもあの人が本当にすべての元凶なのだとしたら、それは百瀬の面汚しに他なりません。お父様亡き今、お母様を止められるのはわたくしとアリカのみ。となれば……当然、協力しないわけには参りませんわね?」
「百合花さん……!」
「一週間後。わたくしが退院できるように手配致します。行動を起こすのはそれより先の話です。それまで、お二人には情報を集めて頂きますわ」
「一週間って……身体は、大丈夫なんてすか?」
「心配は無用ですわよ。わたくし、そこまでヤワじゃありませんもの」
不敵な笑みを浮かべて、百合花はそっと手を掲げて―――
「必ず暴いてみせましょう。これが正真正銘、最後の戦いです」
―――重なる。
三人の手が、ひとつになる。
これまで取り合う事もなかった、わたし達の手が。
天使の棺でもなく、天使の梯子でもなく。
未知なる計画―――すべての元凶とも呼ぶべきその魔の手から、今度こそ大切なものを取り戻す為に。
わたし達の最後の戦いが、始まったのだ。
◆◆◆
マンションの一室で、紅条一希は思い耽っていた。
昨日訪れた少女―――黒月夜羽。
髪を切り、黒月とも袂を分かち、心機一転とでも言うように新たな道を歩み始めた彼女。
それに比べて自分は、なんだ?
たった一人の妹に拒絶され、これまでの努力は雲散霧消し、何者にも得られ難い地位は失われた。
脳科学の天才―――そう言われる事に優越感などない。
ただ自分の為、かつては黒月夜羽という才能を守る為に、自分にできることをしてきただけだ。
その結果、妹を穢し、両親を切り捨て、孤独の身になって。
それでも成し遂げなければならないと、必死にやってきただけなのに。
「俺はもう、終わりなのかな……穂邑……」
ぼそり、と呟く。
脳裏に映るのは、一ヶ月前―――久しぶりに会った妹の、憎悪と嫌悪に塗れた、怒りの表情。
例え血の繋がりがないとしても、今となっては唯一とも呼ぶべき肉親に拒絶されたあの日。
俺は、そこでようやく―――自分が孤独なのだと気が付いた。
「それなら、もう……―――」
無気力。
もはや自分自身を立ち上がらせる原動力など存在しない。
すべて、終わった。
紅条一希という人間の物語は、あの日に潰えたのだから。
(ああ……だけど。せめて、最後に……―――)
―――バンッ!! と。
玄関から聴こえる、鈍い音。
それが何者かによってドアが蹴破られた音だと言うことに、俺は咄嗟に気付くことができなかった。
「紅条一希、だな?」
リビングへと駆け込んでくる、複数の男達。
それぞれが白いスーツを着ていて、サングラスを付けて顔を隠している。
「なん……だ、お前……達……?」
俺は、そんな連中に対して身動きひとつできず、ただ呆然と口を開けて―――
「死にたくなければ、大人しく着いてきて貰おうか」
先頭に立つ男が胸元から取り出したのは、一丁の拳銃。
それが自分のこめかみに向けられていることに対してすら、俺は何の関心も抱くことはなかった。
「……着いていく、って?」
「問答は無用だ。これは取引ではない。貴様の命はすでに我等が握っている」
「俺を欲しがるってことは、お前達は天使の棺……いや、その先のプロジェクトに関わる人間か?」
「問答は無用だと言っている!」
ピシュン、と言う風を切るような音と共に、俺の耳元に銃弾が打ち込まれる。
その銃口にはサイレンサーが取り付けられているようだった。
「次は外さん。大人しく従って貰おうか」
「……そうか、なるほど。お前達は百瀬の―――」
「聴こえなかったのか? それとも、死にたいのか?」
「はぁ……随分と幼稚な脅しだな。お前達が俺を必要としているなら、俺を殺すわけにはいかないんじゃないか?」
「舐めた口を……!」
二発目の銃弾が、今度は俺の肩に直撃した。
とてつもない痛みと共に衝撃が襲いかかり、そのまま俺は倒れ込む。
「おい。本当に殺すわけには―――」
「解っている。この程度では死にはせん」
何やら男達が言い合っているようだが、あまりの痛みに俺の思考はそれどころではなかった。
「ぐっ……は、ははっ……」
それと同時に、笑いがこみ上げてくる。
「なんだ……何がおかしい?」
「いや、まだ俺なんかを必要とする奴等がいるなんて……ぐっ、しかもこんな強引な手口……もはやひとつしか思い当たらないと思ってね……」
「だからなんだ?」
「ミカエルⅩⅢを……殺したのも、お前達……ってことか……」
「……なるほど。銃弾を受けておきながらそこまで頭が回るとは。やはり常人のそれではないということか」
黒月夜羽が三日月絵留を助けようとしている。
それは彼女の中にある、三日月絵留の記憶がそうさせているのかもしれない。
けれど、それでも。
俺はかつて、ただ一人の女の子の為に―――
「ずっと、曖昧だった……が、これで確信に至ったよ。三百人委員会……百瀬憂零……それらの起こそうとしているプロジェクト……」
「そこまで理解しているのならば話は早い。お前の頭脳が必要とされているんだ。研究者冥利に尽きるだろう?」
そこで、俺はやっと気が付いた。
どこまでも手遅れで、今更で―――けれど、この瞬間だからこそ意味がある、その事実に。
「はは……穂邑、夜羽ちゃん……そうだよな……」
痛む肩を抑えながら、ゆっくりと立ち上がる。
今にも倒れてしまいそうで、呼吸も困難だけれど。
「なんだ……貴様。何のつもり―――」
「そうだよな……だから、俺は……」
彼女達の姿を、言葉を思い返しながら。
まだ子供だっていうのに、大人である自分には無いものを持っていた、あの女の子達のことを想いながら。
「何故、この状況で……笑っている……?」
俺には、君達のように―――
「悪いな……俺はもう、からっぽなんだよ」
歩み寄る。
銃口をこちらに向けながらも、まるで異常者を見るかのような目をしている男の元へ。
「だから……―――」
「なっ……何をする!?」
こめかみに、銃口を当てて。
両手で男の手を掴むように、その引き金に親指を添えて。
(俺には、君達のように……守るべき、大切なものが無かったんだよ)
力を込めて。
最後の一瞬、自らの間違いを正す為に。
「残念だが、お前達に着いては行けないな」
―――この世界との決別を、果たそう。