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【完結済】天使の棺 −虚ろな罪人と無垢なる少女−  作者: 在処
天使の扉 ―ヘヴンズ・ゲート編― 上
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1話 偽物《フェイカー》

 あれから一ヶ月が経った。

 わたし―――『三日月絵留』は何事もなかったかのように再び茨薔薇女学院へと戻り、学生としての日々を過ごしている。


 黒月夢幻理の起こした一連の事件はほぼすべて警察の尽力により解決した。

 ミカエルたちの身柄も地下研究施設から確保され、元々寿命の残り僅かだった彼女たちはそのまま命を落としたのだと言う。


 一体、ミカエルたちは何がしたかったのか……それは誰にもわからない。

 黒月夢幻理の計画『天使の梯子(エンジェル・ラダー)』については、船橋灯里がそのすべてを吐き出してくれたけれど―――


 あの日。

 わたし達は、一人の少女を喪った。


 ―――黒月夜羽。

 わたし自身ではない、本物。

 彼女は地上でミカエルと交戦したのか、その自爆に巻き込まれ、重症。


 百瀬本社で起きた爆発事件は、ヘッドセットに搭載された小型爆弾によるものであり、その被害は大きいものであったが、今回のものはそれよりも酷い。


 ミカエルが自爆した際、側にあった白百合の車に被爆、その威力は数倍にも増していたのである。


 わたしたちが施設から出てきた頃には息もほとんど無く、今にも死を迎えそうな状態であった黒月夜羽であったが、その直前にやってきていた渋谷香菜によって救急車の手配が行われており、間一髪、生還を果たす事ができた。


 しかし、命は助かっても喪われたものがあった。


「あら、こんにちは」


 病室、ベッドの上。

 お見舞いにやってきたわたしを見るや否や、彼女はそんな調子で声をかけてきた。


「……はい。具合はどうですか?」


「大丈夫。身体はまだ上手く動かせないけれど、こうやって座って何かする分には支障ないから」


「三日前もそう言って無茶して、ご飯落として無駄にしていたじゃないですか。駄目ですよ、お医者さんの言う事はちゃんと―――」


「あれ、()()()()()()()()?」


「―――……、そうですよ。もう、しっかりして下さいね」


 ―――黒月夜羽は、当日より以前の記憶を持てなくなっていた。

 わかりやすく正確に言えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「ああ、ごめんなさい。なんだか、貴女とは初めて話した気がしなくて」


「さっきも言いましたけど、三日前にも会ってます。夜羽さんが覚えてないだけですから」


 医師の話によれば、一時的なショックによる症状であるのだという。

 しかし突発的なものであるからこそ、それがいつ治るのかも見当がつかないとの事だった。


「貴女、わたしと似てない? もしかして妹とか?」


「違いますよ。他人……とは、言い切れないですけど」


「そっか……ごめんなさい。わたし、本当に何も思い出せなくて」


「それは仕方ないですよ。謝る必要なんて、ありませんから」


 わたしは―――いや、本物の黒月夜羽は超記憶症候群(ハイパーサイメシア)を持っている。

 一度覚えた記憶は必ず忘れない、いつだって思い返す事のできる能力だ。


 だというのに、今の彼女はまるでそんなものなど持ち得ないと言わんばかりで―――


「ねぇ、貴女。名前は何て言うの?」


 彼女は苦しそうな顔ひとつせず、むしろ笑顔すら浮かべている。


 わたしは―――黒月夜羽はこうなるべきだったのだと、鏡に写った自分にそう告げられているような気さえしてくるようだった。


「三日月、絵留です。えるって、呼んで下さい」


 どうせ、この記憶も明日には消えて無くなる。

 それでもわたしがこうして何度も彼女の元へ訪れているのは、それが本当に正解なのかどうか、それを確かめたいからなのかもしれない。


  ◆◆◆


 病室は変わり、今度は百瀬百合花の部屋へと訪れる。

 わたしは三日月絵留である以上、彼女の傍付きだから……頼まれているわけでもないけれど、数日に一度はこうしてお見舞いにやってきている。


「あら、絵留。今日は少し顔色が悪いのではなくて?」


 百瀬百合花は、リハビリも順調でほぼ完治に向けて進んでいた。

 あと少しもすれば退院もできるとの事で、彼女はその日を待ち望みながらも大人しく治療を受け続けている。


「あ、えっと……夜羽に、会って来たので」


「ああ、なるほど。いつもはわたくしの方から来てくれていたものね。夜羽の容態はどう?」


「まだ身体は自由に動かせないみたいですけど、本人自体は元気そのものでしたよ。心配なんて必要ないくらい」


「そう、それなら良かったわ。ほら、こっちにいらっしゃいな」


 百合花はベッドの傍に置かれている椅子を指さして、わたしを呼びつける。

 特に断る理由もないので、わたしはそこに腰掛けた。


「あれから、もう一ヶ月経つのね」


「はい」


「絵留……貴女は夜羽の記憶も持っているのだし、夜羽として見た彼女は……―――わたくしには想像もつかないけれど、無理して会いに行く必要はないのよ?」


「……一ヶ月経って、なんの兆候もなし。あれはクローン体ではなく、本物の黒月夜羽であることは間違いありません」


「それは……ええ、そうね。確かにその懸念はありました。けれど、あの夜羽が記憶障害だなんて……わたくしはまだ信じきれないわ」


 ミカエルシリーズは専用の薬を投与し続けない限り身体が一気に老化し、一ヶ月と経たない内に肉体が崩壊する仕組みになっている。


 唯一それを逃れる事ができた成功例―――このわたし、ミカエル・プロトタイプだけは別だけれど。


「黒月の計画は完全に崩壊した。企業としても存続は難しいでしょうし、百瀬も完全に被害者側。時を待たずして黒月は潰れるでしょう」


「百瀬は……どうするんですか?」


「お父様が死去された後、海外に出払っていたお母様が帰国され、体制の立て直しを進めています。アリカは時期当主とはいえまだ十五の子供だから、当面はお母様が百瀬の柱ですわね」


「百合花さんは……」


「わたくしは形式上だけとはいえ、既に百瀬から身を引いた人間です。もちろん百瀬が大変なのは理解していますし、見て見ぬ振りをするほど薄情なつもりもありませんが……まあ、わたくしもまだ小娘の身ですし。お母様に泣き付かれでもしない限りは大人しく療養に励みますわよ」


 そう言って澄まし顔をする百合花を見て、なんていうか、どこまでも彼女らしいなと思った。


「夜羽は……どうなるんでしょうか」


 そんな彼女なら、今のわたしの疑問を晴らしてくれるのではないか、そう思ったのだけれど。


「わかりませんわ。わたくし、まだ直接会ってすらいませんし」


「そう、ですよね」


「こればかりは神の采配、としか言いようがありません。天使の棺によるものでも、薬物の投与による作用でもない。黒月夜羽が元に戻るかどうか、それは誰にだってわからない」


 解っている。

 けれど、それでは駄目なのだ。


「わたしは、でも……」


「絵留、貴女は三日月絵留として生きると決めたけれど、黒月夜羽としての記憶を消すことはできない。貴女は絵留であり、夜羽でもある。本物の三日月絵留は死に、黒月夜羽は記憶障害となった。それは変わらない事実だけれど―――」


 そこで言葉を途切らせ、百合花はわたしの手を取る。


「百合花、さん?」


「貴女がもし責任を感じているのだとしたら、それはまったく不要なものよ」


「それは……―――」


「そして同時に、三日月絵留と黒月夜羽に引け目を負っているのだとしても、必要ありません」


 引け目を負っている、というのは少し違う。

 けれど、似たような感情が自分の中で渦巻いているのは事実であったし、それを察して見抜く百合花の観察眼は流石としか言いようがない。


「わたし……わからなくて」


「わからない?」


「……はい、その。わたしは結局、ミカエルですから。百合花さんや穂邑さんは、それでもわたしを絵留って呼んでくれて、認めてくれますけど―――」


 自分がミカエル・プロトタイプだと言うのなら、一ヶ月前のあの事件において無関係だとは言い難い。

 黒月夢幻理がわたしの身体を必要としたのだとすれば、わたしが原因であるとも言えるのだから。


「そんなわたしが、こうして三日月絵留を名乗って……。夜羽が記憶障害になっても、今こうして黒月夜羽としての記憶を思い出せる自分が……なんていうか、歪なものに思えてしまうんです」


「……難しい問題ね。わたくしが安易に口を出せるような次元の話ではないけれど―――」


 ぎゅっ、と。

 手を繋ぐ百合花の力が、強くなる。


「わたくしは、夜羽の幼馴染……いえ、姉として彼女の無事を祈っています。その上で、今ここにいる貴女が彼女の記憶を持った別人であるとしても、わたくしは貴女のことも妹のように思っています」


「百合花、さん……」


「そんな貴女が自分を歪だなんて言うようなら……姉として説教のひとつやふたつ、日が暮れるまでだって惜しみませんわよ」


 厳しくそう言う彼女の顔は、けれど穏やかに微笑んでいて。


「だから、姉を悲しませるような事はもう言わないで」


 三日月絵留でもなく、黒月夜羽でもない。

 そんなわたしを受け入れてくれる人がいる、その事が何よりも嬉しくて。

 だからこそ本当にこれでいいのか、そう不安になってしまうのかもしれない。


  ◆◆◆


 茨薔薇の園へと帰宅した頃には既に夕方になっていた。

 今日は日曜日なので学院は休みだけれど、ちょうど放課後くらいの時刻ということもあり、疲労感がどっと押し寄せてくるようだった。


(穂邑さん、部屋にいるかな)


 わたしは三日月絵留として学院生活を送っている。なので、最近は四階の黒月夜羽の部屋に出入りすることはなくなった。


 いや、実際には出入りしていたが、自分が偽物だと知ったあの日からは自主的に立ち入らないようにしている。


 幸いにも一階には三日月絵留の部屋が残っていたので、もっぱら四階でのゆとり生活から身を引いて、レベル1として身の回りのことはすべて自分でやるようになった。


 料理もレシピさえ見ればすべて暗記できるのでそつなくこなせるし、黒月夜羽としての自分的には面倒に思えることでも、三日月絵留としてなら率先して行える。


 記憶はしっかりあるけれど、最近のわたしは絵留として生きて―――性格も、すっかり彼女と似たようなものになっている自覚があった。


(あ……メッセージ、きてたんだ……)


 スマホをチェックすると、穂邑からのメッセージ通知があった。

 わたしはワクワクしながら画面を操作し、それを開く。


『今日の夜、香菜の部屋に行くことになったんだけど、えるも来る?』


 しかしながら、そこに書いてあったのは信じられないほどデリカシーの欠片もない一言。


(……行くわけないでしょ、バカ)


 心の中の夜羽が呟く。

 性格が絵留に寄っているとはいえ、こういうところは変わらない。


 わからないことと言えば、この感情もそうだ。

 ()()()()()()()()()()()()。それは間違いないのだけれど、その感情が果たして恋愛的なものなのかイマイチ判断がつかないままなのだった。


 夜羽的には、穂邑は幼馴染であり、運命の相手だと認識している。自分のせいで辛い思いをさせてしまった、そういう負い目から彼女を幸せにすることも大事に思っていた。


 絵留的には、穂邑は命の恩人であり、命を賭してでも守りたい存在であった。自分の寿命があと僅かだと知ったとき、真っ先に傍にいたいと思った相手でもある。


 二人の記憶を引き継いだわたしが穂邑のことを好きにならないわけはなく、わたしとして接して来た上でも彼女はとても魅力的な相手であるとは感じているので、好きだという事実は間違いない。


『行きません。お二人で仲良くして下さい』


 ……と、まあ。

 実際、こうして香菜相手に嫉妬するほどだ。


 あの二人が付き合っているのは知っている。

 いや、女の子同士だから、その、恋人的なやつとは少し違うかもしれないけれど。


『える、怒ってる?』


 だから別に、わたしが勝手に好きに思っているだけであって、彼女たちの邪魔をしたいわけではないのだが、


(既読無視……するのは、でも……)


 なんというか、それだけではなくて―――


(……なにしてるんだろ、わたし)


 本当にこのままでいいのか?

 疑問は尽きないし、どれだけ認めて貰えても、そう感じてしまうのだから仕方がない。


 同胞とも呼ぶべきミカエルたちは全て処分された。

 黒月の計画―――天使の棺、天使の梯子、そのどちらもが破綻した。


 ―――わたしは、偽物フェイカーだ。

 狂気の計画、その産物であるクローンたちの一体に過ぎない。

 いや、それを言えばミカエルⅩⅢだってそうなのだが、問題点はそこではないのだ。


 ケジメを付けるはずだった本物の黒月夜羽は記憶障害となり、病床に伏せた。

 わたしは、そんな彼女が今現在持ち得ない記憶を所持している。

 超記憶症候群(ハイパーサイメシア)なんていう特異な性質さえも引き継いで。


(……全部、終わったはずなのに。どうして胸騒ぎがするんだろう……?)


 自分という存在が、存在しているという事。

 それがどこまでも歪で、綻びのように思えて仕方がない。


 何もかも解決して、今度こそ平穏な日常に戻ったはずなのに。


(天使の梯子……エンジェル・ラダー……か)


 あの日、ミカエルたちから受け取ったヘッドセットは、未だに自室に保管されてある。

 どうしてもあの言葉が気掛かりで、壊すことすら躊躇って……気が付けば一月が経っていた。


『まだ早い』


 わたしや黒月夜羽と瓜二つな、けれど全く別の存在である彼女たちの言葉を思い出す。


 あれは果たして本当に意味の無い言葉だったのだろうか。

 警察によって事態が解決したのは事実だし、ミカエルシリーズ全てが処分されたのも間違いない。


『大丈夫』


 結局、指揮していたのは黒月夢幻理だ。

 ミカエルシリーズたちは自我を獲得するにしては稚すぎる。

 そんな彼女たちが自らの意思で何かを企んでいたとは考えにくいのだ。


 だから、これは本当にただの杞憂に過ぎない。


(……はあ、まただ。いい加減、思い出さないようにしたいのに……)


 超記憶症候群ハイパーサイメシアがあると言えど、完全に無意識の状態なら記憶を引き出すことはない。

 意識すれば一瞬で完璧に鮮明な状態でサルベージできるというだけではあるのだが、今回はその意識レベルに至る要因―――想起させ、連想させる思考が脳裏によぎってしまった。


(自分が本当に存在していいのかなんて……こんなこと言ったら、また怒られるんだろうなぁ)


 優しくも厳しい姉の姿を思い浮かべながら、わたしは溜め息を吐きつつ、スマホに目を向けて、


『新着メッセージ、一件』


(あれ、穂邑さんかな……まだ返事してないのに)


 わたしは、そのメッセージを、


(……、え?)


 ―――まったくの無警戒のまま、開いた。


『お願いします。

 わたしを殺してください』


 わたしは、目を見開いて。

 スマホに映った、その文字のひとつひとつを確認しながら。


(これ……どういう、こと……?)




『送信者:三日月絵留』

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