6話 例え道を踏み外したとしても
日も暮れた頃、茨薔薇の園にて。
四階にある円卓の間に集まったのは五人の少女達。
「皆様、お集まり頂きありがとうございます」
一人目。
百瀬財閥の令嬢にして、この学院を統べる百瀬百合花の妹―――百瀬アリカ。
「ねえアリカ、いったいこれってどういう事?」
二人目。
茨薔薇女学院の生徒達の過半数と面識を持つ、成績優秀な少女―――渋谷香菜。
「それはこれから説明致します。濠野さん、寮監である貴女のお姉様はどちらに?」
「ああ、それならクリスが預かったっていう例のミカエルってヤツを連れて二人で寮監室に向かったぜ」
三人目。
百瀬財閥と提携している濠野組の次女であり、寮監である美咲を姉に持つ少女―――濠野摩咲。
「先に捕まえていたナンバーⅦと一緒に拘束した上でしかるべき処置を取るって言っていました」
四人目。
黒月夜羽と三日月絵留の記憶を持ち、その真実はミカエル達のプロトタイプである少女。
「……夜羽さん。申し訳ありませんが、この場では三日月絵留としての人格は抑えて頂けませんかしら? 貴女には百瀬での事件も含め、ここでは貴重な証人として―――」
「いえ、その。わたし、最近この学院から外へ出た事はないんです。それに、本当は黒月夜羽ですらなくて……」
「ええ……? それでは、本日あたくしとお話したことも……?」
「はい。ミカエル・プロトタイプ……そう、呼ばれました」
絵留の言葉に驚きを隠せないアリカ。
しかし、疑いの眼差しを向けることはなく、それ以上の追求は行わなかった。
「絵留が本物の黒月夜羽じゃないっていうのは正直信じられなかったんだけど……そのアリカちゃんの様子だと、本当に他の―――いや、本物の黒月夜羽が存在しているんだね?」
五人目。
天使の棺によって喪っていた記憶を取り戻し、自分自身を手に入れた少女―――紅条穂邑。
「ええ……どうやらそのようですわね。あたくしもにわかには信じ難い事実ですが、今思うと、本日あたくしと行動を共にしていた夜羽さんは髪が長かった。ですが、ここにいる夜羽さん……いえ、三日月絵留は―――」
「わたしが髪を切ったのは三日前の午後七時半です。……どうやら、間違いないみたいですね」
「それじゃえるるん……夜羽は、ほんとにそのプロトタイプって奴なの……!?」
今の絵留は肩にかかる程度のショートカット。しかし、アリカの知っている夜羽は以前のようなロングヘアだった。
矛盾は真実を暴き、現実を突きつける。
自分を黒月夜羽だと思い込んでいた少女は間違いなく偽物―――プロトタイプと呼ばれるクローンの一人であったのだ、と。
「でも、わたし……何故かショックはあまり受けてないんです。今のこの状態だって充分異常だし……それに、自分が黒月夜羽じゃないって解った瞬間、肩の荷がおりた気持ちにすらなって」
「絵留……それって?」
「ずっと感じてたんです。わたしは誰なんだろうって。三日月絵留としての記憶があるわたしは、黒月夜羽であってそうではない……どちらとして生きていくべきか、ずっと悩んでいました。忘れられない記憶……中途半端な自分、それらに対してどう落とし所を作るか―――」
少女は、いっそのこと清々しいほどの笑みを浮かべなから、言う。
「わたし、ようやく決心ができました。本物黒月夜羽がいる以上、わたしはもうその名前は名乗れない。この記憶は消えないけれど、この一年間、わたしは確かに『わたし』だったから」
「絵留……」
「だから、ほむらさん。貴女が記憶を取り戻して、それでもなおこの一年間で生まれた僕という自分を大切にしたように、わたしも三日月絵留という一人の自分を大切にしたい」
「……そっか。それが、君の答えなんだね」
迷いのない、澄み切った瞳で少女は宣言する。
それは穂邑が以前に見た、清楚で何も知らなくて、それでもなお綺麗な心を持ちながら己の意思を貫き通した少女―――三日月絵留そのものだったから。
「もちろん、夜羽として貴女と過ごした日々も記憶の中で大切に保管しておきます」
「あはは、うん。……改めて宜しくね、える」
絵留と名乗る事を決めた黒月夜羽ではなく。
それらを抱えた上で、本当の意味で再び三日月絵留として生きると決意した少女へ向けて、穂邑は敬意と親愛を込めて呼ぶ。
―――える、と。
「三日月さんの意思は理解しました。あたくしとしても夜羽さんを追わなければなりませんし、貴女が三日月絵留として生きていくと言うならば問題はありません。……それで、そろそろお話を進めても宜しくて?」
「ええ、ごめんなさいアリカさん」
「……前言撤回するつもりはありませんが、やはり少し慣れませんわね」
「アリカちゃん。夜羽を追ってるって……どうして茨薔薇に戻ってきたの?」
穂邑がすかさず質問を投げかけると、アリカは見るからに不機嫌そうな表情を浮かべる。
「……紅条さん。その、ちゃんと言うのは辞めて欲しいと言いませんでしたか?」
「そうだっけ。でも、様を付けるつもりはないよ?」
「別に呼び捨てで結構です。ちゃん、と言うのは……その、慣れません」
この時、アリカは無意識に頬を赤らめていたのだが特に他意はない。
しかしながら、穂邑はそれを見るなり『可愛い』と感じて、
「んー、アリカちゃん。良くない? 僕はそう呼びたいけどなー?」
「〜〜〜っ! ああもう、調子に乗らないで下さい!」
「なあオイ。じゃれ合うのはいいけどよ、これじゃ話が一向に進まなくね?」
「まさきちって、こういう時めちゃくちゃ冷静だよね……ま、あたしも同感なんだけど。はあ」
重い空気で包まれていた円卓の間ではあったが、少しずつ変わっていく雰囲気を感じて微笑む絵留。
そして、穂邑とアリカのやり取りを呆れ顔で眺めている香菜、摩咲もまた内心ではほっと一息ついた気持ちになっていた。
―――そんな矢先、一人の少女が現れる。
「遅くなりました。少しばかり話が長引いてしまいまして。申し訳ありません」
六人目。
円卓の一員であり、警視庁の長官を父に持つ黒髪おかっぱの少女―――倉敷八代である。
「あ、やっちー。大丈夫、まだ話すらまともに進んでないから」
「渋谷様、そこにいるのは百瀬アリカ様と見受けられますが……これはいったい?」
「あら、倉敷さん。貴女が参加して下さるのはとても心強いですわ。何せ、今回の事件……どうしても必要な情報がありますから」
「まさか、それが渋谷様の言っていた……?」
と、八代は何かに気付いた素振りを見せる。
「そそ。あたしっていうか本当はアリカの提案なんだけどね。流石にアリカの名前出しちゃったら協力して貰えないかもなーって、隠してたことは謝るよ。ごめん」
「いえ、それは……まずは事情を説明頂けますか? わざわざこの場所に呼び出したということは円卓会議を執り行うという事でしょうが、生徒会長は不在ですし―――」
「ええ。ですから、このあたくしがお姉様の代わりに円卓会議を開廷させて頂きます。貴女も警視庁長官であるお父上から聞いているでしょう? 百瀬本社で起きた爆破事件……それが事の発端なのです」
アリカの発言に八代の顔色が変わる。
「まさか、生徒会長が……?」
「重症ですが命に別状はありません。それも含めて、一から説明する必要がありますわね」
「アリカちゃん、それって―――」
「ですが、まだ一人足りませんわ。あたくしが指定した人物……まさか、呼んでいないなんてことはありませんわよね?」
「もちろん。呼んだのはあたしじゃなくてほむりゃんだけど、彼女にはとある資料を取りに行って貰ってるから、少し遅れるの」
噂をすれば影がさす。
香菜がそう言った瞬間、円卓の間にもう一人の少女が駆けつける。
「はあ、はあ……お、お待たせ致しました……!」
七人目。
かつて様々な事件を巻き起こした中心人物である、眼鏡の似合う実験好きな少女―――蜜峰漓江。
彼女の手にはひとつのクリアファイルと、その中には書類がまとめられていて。
「ご苦労様ですわ、蜜峰さん」
「え……あれ、アリカ様……? ええと、紅条さん……これって……?」
「いいから座って座って。蜜峰さんで最後だからさ」
「は、はい……?」
こうして、七人の少女達が集まった。
百瀬アリカ、紅条穂邑、渋谷香菜、三日月絵留、濠野摩咲、倉敷八代、蜜峰漓江。
少女達による円卓会議が、ここに開廷する。
◆◆◆
その少女は捨て子だった。
両親の身元は不明で、拾われたのは路地裏に放置されていたベビーカーの上。
本来なら届け出を出し、孤児院やらに引き渡されるべき少女の身柄だったが、それを拾い上げた女性は目を丸くし、口を開けて―――
『これはきっと……私への贈り物なのだわ……』
少女を抱きかかえ、そのまま自宅へと連れ帰ってしまったのだ。
その女性は子を成せない身体だった―――いや、正確には子を成せなくなった、が正しい。一度目の出産が相当に悲惨なもので、それ以降、子を成すのは難しいだろうと医師により宣告されてしまったのだ。
それ故、嫁いだ先の家では居場所もなく、自らの地位も危うくなりかけていた矢先の出来事だったのである。
そうして拾った少女を隠し子として育てる事にした女性だったが、結局は捨て子―――それが正式な子供と認められる訳もなく。
『亜里華。貴女も私も、黒月にとっては必要のない存在なの。それでもね、私にはもうここしかない。捨てられていた貴女を拾った私を恨んでいるかしら……?』
まだ二歳になったばかりの赤子に語ったところで、まともな返答など貰える訳はない。
それを解った上で、その女性―――夢幻理は自問自答する。
『黒月に嫁がなければ未来はなかったの。母は死に、父は破産寸前。船橋の行く末を決める事が出来るのは黒月財閥だけ―――』
船橋グループは夢幻理の実父の経営する株式会社であり、その株の大半は既に黒月財閥が握り締めていた。
『これから……どうすれば、いいのかしらね……』
夢幻理に出来る事は何もなかった。
黒月の長男であり、現在では当主となっている男―――黒月御門が彼女に惚れ込んでいること、それだけが夢幻理が黒月にしがみついていられる理由だった。
しかしながら、夢幻理は特に船橋グループの継続を望んでいるわけではない。
ただ流されるままに黒月に嫁がされ、子供の生めない身体になり、その寂しさや悔しさから捨て子である亜里華を抱いた事―――
その責務を全うしたい、自分と娘の居場所が欲しい。
ただそれだけを願っていただけだった、そのはずだったのに。
『……天使の棺、ですか?』
亜里華が船橋姓を名乗り、中学に上がった頃。
極秘裏に進められていた黒月の計画について、御門が夢幻理に話を切り出した。
『ああ。世の中には天才なんてものが本当にいるんだと思ったよ。黒月に相応しい才能を持つ人間……夜羽が作り出された天才だとすれば、紅条一樹は正真正銘の天才だろう』
『夜羽、ですか……私が子供を生める身体だったら、こんな事にならなくて済んだかもしれないのに―――』
『……いや。結局、黒月は才のある人間を欲している。俺達の子……百合花も、特別な能力を持たぬが故に百瀬へと引き取られる事になったんだ。どこまでいっても親父の考えは変わらない。黒月の為に、夜羽のような子供こそが必要だったんだろう』
『だからって、クローンだなんて……』
『この計画が上手くいけば黒月は世界すら取れるかもしれない。人が死を克服する……それが禁忌とされていた理由も、この計画ならクリアできる』
御門も不本意ではあるのだろう、夢幻理はそれを感じながらも納得はできなかった。
自分が黒月に嫁いだ意味なんて無かった。御門の寵愛だけに甘えていただけで、己の力で居場所を勝ち取ることなんて出来なかった。
例え血の繫がりがなくても―――あの日、この腕に抱きかかえた娘である亜里華の事すら満足に守れない、ちっぽけな人間。
ただ健やかに過ごしたかった、そんな願いすらろくに叶えやしない。
『なあ夢幻理。百瀬に亜里華って名前の娘がいるんだが、知っているか?』
『……え、ええ』
『源蔵……ああいや、百瀬の当主がなぜ百合花を引き取ったか―――その本当の理由、お前なら解るんじゃないか?』
『それは……良くわかりません』
そんな夢幻理の反応に、御門は怪訝な表情を浮かべながら、
『あいつ、子供が作れないんだ』
『―――それ、は』
『お前と似てるんだよ、あいつは』
その事実を夢幻理は知っていた。
それもそのはず、彼女と百瀬の当主である源蔵の関係性とは―――
『それにしても、知らなかったよ。お前とあいつが幼馴染だったなんて』
『……いえ、私は―――』
『だから預けたんだろう? お前が拾ったあの子、亜里華を』
『それは違います。亜里華は船橋の家にいますし、名前が被ったのはただの偶然で……』
『……まあ、その事についてはいい。俺が知りたいのは夢幻理、お前が百瀬と裏で繋がっているかどうかだ』
『私を……疑っているのですか?』
『本心では疑いたくないと思ってる。だけど、俺が黒月の人間である以上、不穏分子は排除しなければならない。それが例えお前であれ、その娘であっても』
御門は本気で言っている、そう夢幻理は感じた。
そして、その指摘はほぼ全て当たっていたのである。
『百瀬の亜里華と船橋の亜里華。お前と源蔵。この偶然が俺の杞憂であるというなら、それを証明して欲しいんだよ……夢幻理』
『私は……解りません』
『そうか。お前がそう言うなら俺はそれを信じるしかない。だが、もし裏が取れてしまったら、その時は―――』
御門はそれだけを言い、夢幻理に背を向けて行った。
『御門……さま……』
夢幻理は、確かに百瀬源蔵とひとつの約束を交わしていた。
それは彼女が捨てられていた赤子を拾ってから数日後、幼馴染のよしみで源蔵に相談を持ちかけていたのだ。
捨て子をどうすれば自分の子供として育てられるのか。
まだ名前すら決めていなかった彼女は、源蔵に聞かされた話でひとつの計画を思い付いた。
『もうすぐ妻が出産する。名前は……百合花とイントネーションを近くする為、亜里華と名付けるつもりだ』
『え……? でも源蔵君、貴方は子供を―――』
『ああ、俺の子供じゃあない。だが、百瀬の当主として養子である百合花ひとりに全てを押し付けるわけにもいかんからな。競争相手は必要だろう。……出来れば、男なら良かったんだが』
『そ、そう……だったのね。複雑かもしれないけれど、祝福……するわ』
『ああ、ありがとう。……それで? お前はいったいどんな用件だったんだ』
『いえ……その、ううん。なんでもないわ。ちょっと久しぶりに話したかっただけだから』
『そうか。それならもう切るぞ。俺も忙しいんでな』
そうして、夢幻理は源蔵に拾い子のことを相談せずに終わった。
しかし、その時から彼女の中でひとつの計画が浮かび上がっていたのである。
『亜里華……か……』
拾い子であり、未だ名前もない赤子。
黒月がこの子を認める事はないだろう。子を産めなくなった自分が天より授かった、まさに奇跡のような存在を。
自分の居場所すら定められない自分が、果たしてこの子の居場所を作る事が出来るのだろうか―――
『私は……』
そうして、夢幻理は赤子に『亜里華』と名付けた。
それは百瀬に生まれた子と同じ名前。
いずれ、この子の居場所となるかもしれない―――いわばこれは保険だった。
『黒月も、百瀬も……船橋だって、どうでもいい……』
才能も、地位も、権力も。
何もかもが障害でしかないのなら、それを乗り越え、かつ利用してやる。
今は何も成し遂げられない身であるとしても。
いつかきっと、自分達だけの居場所を作り上げられると信じて。
◆◆◆
船橋灯里は、二人のミカエルとの通信が途絶した事に気が付き、次なる一手を打つべく、九番目―――ミカエルナンバーⅨを目覚めさせていた。
「おはよう。目覚めの気分はどうかしら?」
裸のまま無表情で立ち尽くす黒月夜羽の写し身を眺めながら、灯里はそんな挨拶の言葉を投げかける。
しかし、反応はない。
今のナンバーⅨには、およそ自我といったものが無かった。
「……こうして見ると、本当にただのお人形。夜羽様がここにいたら、きっとすぐにでも彼女達の処分を命じるのでしょうね」
灯里は手に持ったヘッドセットを握り締め、それを見つめる。
(こんなものを使わなければまともに動けないなんて……それが本当に人間だと言えるの?)
そのヘッドセットは、これまで活動していたミカエルシリーズ達の記憶すべてを引き継ぎ、共有する為の装置。
天使の梯子。
すなわち、天使同士を繋ぐ為の装置であり、人を進化させる為の計画―――その梯子となるべき存在。
(記憶のデータ化、そして転送……共有、か。あの天使の棺さえも利用した、黒月による真の計画。あの人にとってもはや黒月も百瀬も、船橋だって……私ですら既に眼中にないんでしょうけど―――)
端的に言って、黒月夢幻理は狂ってしまった。
自分の目的の為に全てを利用している。守るべきはずのモノでさえも、だ。
灯里は、黒月亜里華としての責任を全うするつもりなど毛頭ない。己を拾い上げ、隠し子として船橋家で育て上げた夢幻理に対する恩もない。
いつしか自分を目的の為の駒としか見られなくなっている義理の母のことなど、灯里の眼には映っていないのだ。
だから、それを止めようなんて発想も当然沸かない。
目の前に立ち竦む人形に意思がないのと同じように、灯里にも明確な己の意思など存在しなかった。
他人に利用されることを良しとして、ただ時を待ち続けた―――その報いを受ける時が来たのかもしれない、そう感じてすらいた。
「さあ、思い出しなさい。貴女は九番目……けれど同時に、貴女はすべてのミカエルでもあるのだから」
天使の梯子―――ヘッドセットを被せ、装置を起動させる。
それはミカエルとして生まれたクローン達にとっての生であり、
(これが完成した時、私は……その時こそ……)
まさしく死を司る悪魔の所業。
そんな計画にとって唯一無二の存在―――ミカエル・プロトタイプを手に入れる為、天使は再び少女達へ牙を向ける事となる。