プロローグ
漆黒に染まった世界。
満月が冷たく輝く夜空の下で、一人の天使が羽ばたくように地上へと舞い降りた。
―――その日。
虚ろな罪人は、無垢なる少女と邂逅する。
◆◆◆
深夜。静寂が支配する住宅街の闇の中。
純白のワンピースに身を包んだ少女が一人、腰まで伸びた黒髪を揺らし、静まり返った車道を駆け抜ける。
「はぁ、はぁ……っ!」
靴を履いていない足裏がアスファルトを叩く。体力が尽きかけているのか、息は荒く切れ切れだ。
背後から忍び寄る“何か”の手から逃れようと、全身全霊で走るその姿は、猛獣に追われ希望にすがる小さな獲物のようである。
「うっ、く……はぁ、はぁ……!」
車が走るべき硬い道路を、少女は血のにじむような裸足で踏みしめる。
深夜の住宅街は光に乏しく、わずかに自販機の淡い明かりや、点滅する街灯が闇を薄める程度。背後に迫る存在をはっきり見定められない中、ただ追われているという現実だけが、冷たい恐怖となって少女の心を締め付ける。
―――あと少し。あと少しで人のいる場所へ。
その一縷の望みが、限界を迎えた彼女の脚を動かし続ける唯一の力だった。
背後を振り返る余裕もなく、遠くに見えるかすかな光だけを見つめ、少女は無我夢中でそこを目指す。
だが―――
「……っ!?」
その焦りが裏目に出たのか、次の瞬間、少女の視界がぐるりと反転した。
直後、全身を打ちつける衝撃と鈍い痛みが襲う。悲鳴を上げる間もなく、意識は暗闇に沈む。
道に転がっていた空き缶に足を取られ、勢いよく転倒したのだ。だがその事実を、少女は冷静に受け止められなかった。
「……ぁ、う―――」
終わりだ、と少女は思う。
貧弱な身体を酷使し、やっとここまで辿り着いたというのに、もはや立ち上がる気力すら残っていない。
うつ伏せに倒れたまま、ぴくりとも動かず、消えゆく意識の中で、彼女はただ願う。
(……お願いです。奇跡でもなんでもいい。この地獄から、私を救ってください―――)