自棄な時期
国境を跨いだ翌朝、アデル達は日の出と共に起き出すとすぐに出発の準備を整える。
昨晩の約束通り、出発する旨をルイーセに伝えに行くと、長旅の疲れかまだ数名が寝ていた様だった。ルイーセが起きていたので出発を伝えると、仕度をするので四半刻(15分)だけ待ってほしいと言う。
仕方なく自分たちの出発のチェックをしつつ四半刻待つと、そこは聖騎士ご一行。プレートアーマーをしっかりと着込んだ騎士たちがきっちりと準備を終えていた。
朝食を取ったのか少し気になったのだが、先を急ぎたいと言うのもあり、こちらからは触れずにすぐに出発する。今日からは、編成が少し変わる。アデルが昨日山賊から奪った馬に乗り、後にアンナを乗せる。プルルはネージュに任せ、レンタルホースはミリアに任せる事になった。『嗜む程度』とは言っていたが、速歩の馬をしっかり制御できる点は素直に評価したい。流石は元軍務卿の娘と言ったところだろうか。アンナに声を掛けると全てを云う迄もなくアンナは行動に移る。好評の疲労軽減の魔法を騎馬9頭とミリアに掛けて回る。
騎士たちは最初戸惑ったが、『気休め程度ですがそれなりの効き目はあります。』とのアデルの説明に、わざわざ馬を遅れさせるような真似はしないだろうと受け入れた。
明るい場所で、見る者が見れば一目で聖騎士をはじめとする9騎の騎馬に態々喧嘩を売って来る輩もいないだろう。予定通りアデルが先行し、ネージュ、ミリア、そしてルイーセ以下5騎が続く。
かなりの速度と、やはり聖騎士の鎧だろう、が目立つ所為かすれ違う通行人は何事かと思いつつも素直に道を空けてくれる。聖騎士鎧の権威はコローナでもある程度は通用するのだ。
そんな中、アデル達にしてみれば通常通り、騎士たちにしてみれば想像以上のペースで旅路は進む。2度の休憩を挟みつつ、その日の内に町を2つ通過し、3つ目のやや小規模の町に到着した。
アデルはルイーセと翌朝の合流時間を決め、それぞれ別の宿を取る。ルイーセ達はその身分に見合う高級な宿だ。一方アデル達は、アンナとミリアをそこそこの宿に、アデルとネージュは安宿に入ろうとしたが、そこはアンナとミリアが嫌がった。アデルとしてもここで油断して何かあったら本末転倒だと考え直し、結局4人部屋を借りることにした。
アデルは馬を預け、チェックインしようとしたところで、男の受付からやっかみを受ける。
「兄ちゃん、なかなかやるねぇ。お楽しみかい?寝具は汚さないようにしてくれよ?」
一瞬何を言っているのかわからなかったが、すぐに意味を理解し、ネージュ以外は眉間に皺を寄せる。特に、アデルとミリアが鋭く殺気を飛ばすと、受付の男は簡単に折れた。
「いや、軽い冗談じゃないか。そんな顔しなくても……」
「護衛対象と冒険者ですが何か?ここに来るまで暗殺者を3人程始末しましたが、絶対安全と責任とってもらえるなら別の部屋を2つ頼んでもいいですよ?何かあったら王都でそれなりの規模でそこそこの曰くのある商会を敵に回すことになると思いますが。店主さんはいらっしゃいますか?」
「いや、勘弁してくれ……」
受付の男はそう言いながら四人部屋の鍵を渡してくる。
「少し気を付けた方が良いかな?」
アデルが鍵を受け取り振り返った所でネージュが動く。
「ひぃぃ!?」
同時に男の小さい悲鳴が上がり、何事かと振り返ると、机に置いていた左手の指の隙間にペンが突き刺さっていた。
部屋の番号を探しながらアデルは考える。確かに今のままじゃそう言う目で見られることも増えてくるのか……今回は地味に見せているとはいえそれでも一際人目を引くミリアがいたためであろうが、今後、アンナやネージュが成長してもっと女性らしくなったら彼女らだけでも十分目を引く様になるだろう。
そんな事考えながら進んでいるとすぐに鍵の番号と一致する部屋が見つかる。
「さて……」
全員が部屋に入った所で、内側から鍵を掛ける。まずはネージュが一通り部屋の様子を観察する。
「変なのはないかな?」
「この時点で何かあったら流石に2度とコローナで商売出来ないようにしてやるさ。」
部屋は2階の中央付近だ。アデルは一度窓を開け、外と窓の状態を確認して窓をしめ、鍵を閉めるとカーテンを引く。壁も天井も、以前の覗きを受けた宿よりは厚みがあるようだが、所詮は木製だ。
「まあいいか。風呂に入るなら先に準備しといてくれ。」
「おう。」
言うが速いか、ネージュは奥にある浴場を確認すると、すぐに水道を開いた様で水を貯める音が聞こえてくる。グラマーからここまで、既に5日目経過したが、宿を取ったのは今回が初めてになる。
「あれは3度の飯より風呂が好きでね。自分で準備する分、一番風呂は譲ってやってくれ。」
アデルがゲストでありクライアントであるミリアにそう言うと、ミリアは意外にも
「私は一番最後で結構です。」
と言う。
「最後?俺より後?」
とアデルが尋ねると、やはり一番最後でいいと言う。
それじゃあと、ネージュ、アンナ、アデルの順で久々の入浴を堪能する。ネージュが上がる頃に先にアンナに向かわせ、しっかりと着替えてから部屋に出てくるようにさせると、その辺りはネージュ達も心得ている様で、しっかりと上着を羽織って風呂から上がってくる。その辺りはロゼとは対応が違うようだ。
アデルの順番が回ってきたときに、そう言えば最近ネージュと一緒に入ってないな。と思うと同時に、先日のアンナの夜這いもどきを思い出して意識してしまった。況して今は、元王太子妃候補、一歩間違えたら……いや、順当に歴史が進んでいたなら将来の王妃となっていたであろうミリアがいる。先ほどの受付の男の言葉がまた蘇ると、アデルも年頃の男だ。湧きおこるイメージを振り払おうと思ってもなかなか振りきれない。
「王都に戻ったらこっそりそっちの対策も考えないとな……」
アデルは身体と頭髪を洗い、すっきりすると風呂を上った。
「しまった……」
風呂から上がったアデルは、目の前の微笑ましい光景を見て自責の念に駆られた。
同じ様に風呂で体と頭髪を洗ったネージュとアンナがアンナの風の魔法で髪を乾かしている。
アデルはチラリとミリアを覗くと、ミリアは特に何も関心を持たぬまま、次は自分の番ね。と言い残して浴室へと向かう。
「人の事を言えんが、油断しちまったな。」
アデルはそう呟くと、『ん?』という表情をするネージュの小さな角を指で弾いた。
「あ……」
理由に気づいたネージュが声を上げる。
「何か反応があったか?」
「そういえば……特に何も。」
皮膜の翼と比べれば大したことないのではあるが、それでも知識がある者が見れば一目で竜人とわかるらしい。そして間の悪いことに、現在テラリア人、それも事もあろうか聖騎士と共に行動している。厄介なことにならなければいいが……
そう思いつつも、風呂上りで気が緩んでいるのか、乾いた後にいつものお団子を生成すると、解決した気になってまったりする。
そんな彼らの前に更なる無防備が姿を見せたのである。
「えーっと、ミリアさん?」
困惑する……というか、目のやり場に少々困りながらアデルが声を掛ける。ミリアはワンピースの薄絹一枚を身につけただけの格好で風呂から上がってきた。
「私にも風の魔法をお願いするわ。」
「え?ええ。」
ミリアの言葉にアンナが少し困惑すると、ご要望にお応えする。
「私の本当の名前はミリアムよ。ミリアム・ルーチェ・ファントーニ。もうどうでもいい、何の価値もない存在だけど。」
何か鬼気迫る、思いつめたような表情でミリアムが語りだす。
「私の失敗を聞きたかったのでしょう?簡単よ。私は従兄、父の弟の息子ね。に誑かされて、ここよりもずっと綺麗な……そうね。あの聖騎士たちが入った宿のような感じの店に食事に誘われたの。断ったのだけど、どうしても知らせておきたい話があるんだって。」
「…………」
突然の告白にアデル達はますます困惑するのみだ。
「私の失敗は情報不足。その宿が貴族たちが、貴族の男女が密会をする為に使われる店であったことを知らなかったことね。話は実に下らない話だったわ。王宮内で父のライバルに当たるラパロ公爵の娘が王太子殿下に接近しているというね。酒を勧められたあたりで、おかしいと思って店を出たらそこはもう、罠が張り巡らされていたわ。」
「従兄……だろ?」
「ええ。父が家をなんの苦労もなく家を継いで自分を追い出したと妬む叔父の情念の中で育てられたね。勿論従兄とは何事もなかったし、身の潔白は主張したわ。屈辱的な検査も受けた。だけど、宿も、検査をした女神官もすでにラパロの手が回っていたわ。」
「侯爵……父君は何もしなかったのか?」
「最初の数日は色々手を尽くそうとしたみたいだけど、悉く先回りされていると悟ったらあっさりと私を切り捨てたわ。損切りってやつかしら。勘当して籍を抹消したうえで追放。それこそあっという間だったわね。」
「……殿下の方は?さすがに全く知らないって訳じゃないだろう?」
「殿下は私より2つ年下でね……晩餐会やら夜会やらで何度か注意をしてから煙たがられていたみたいね。」
「……」
アデルは言葉を失った。
「殿下が生まれた時から私は宛がわれる為だけに作法を、ダンスを、地理を、財務を、政治を、経済を、そして身体の維持を押し付けられてきたわ。成績はすべて上位に収まるようにずっと努力もしていたわ。そして、その結果――なれの果てが“コレ”よ。」
ミリアの目に涙が浮かぶ。それは辛さからくるものか、悔しさからくるものかアデル達にはわからない。
「さあ、私の話は聞かせたわ。あなたのワケを聞かせて頂戴。例えば――あの聖騎士とはどういう関係?」
ミリアは動けずにいたアデルにスルスルっと寄ってきて伸ばしていたアデルの脚の膝に跨ってくる。ミリアは薄絹以外何も身につけていない。絹を汚さない様に、巻き込まない様に、アデルの左太腿に乗っかる。ミリアの温度が直に伝わってきた。風呂場で何とかやり過ごした感覚がまた蘇ってくる。
「……あの聖騎士とは本当に何もないよ。どこから話すか……まあ、最初からになるか。」
アデルは極力意識をどこか別の所へ持っていくようにして淡々と話す。
自分がテラリア出身であること、テラリアは身分制度以上に身分にうるさい事、亜人を“人”とは思っていない事、兄妹同然に育った“亜人の妹”、その親で槍の師匠である愛に生きた元皇国将軍。あの聖騎士の父が彼らの地方の領主であり、その師匠と友人であった事。アデルはアデルの親に代わってその師匠に何度かその領主のいる町に連れて行ってもらったことなどをだ。
「……なんだ、そんな程度の事なの?」
ミリアはさも期待が裏切られたという表情でそう言う。
「あの聖騎士を絡めようとするとな。ワケアリってのは……そこじゃない。そもそもあの聖騎士と出くわす前に話したよな?」
「……それじゃ何なのよ。“共犯者”になってあげるから素直に教えてよ。」
「はぁ……」
さらに十数センチ接近してくるミリアにアデルはため息を漏らす。“共犯者”という言葉に妙な得心がいったか、ネージュに目配せして、顎を上げて見せる。
すると、察したネージュがパーカーの中から翼を広げ、ミリアに風を撃ち込んだ。
「ちょっ!?……な……そう言う事……」
ミリアは打ち付けられた風で薄絹が捲れるのを慌てて手で押さえると、アデル達のワケをようやく知った。
「はぁ……」
今度は何故かアンナがため息をつくと、ネージュと同様に翼で空気の塊をミリアに叩き込む。
「え?えぇぇぇぇ……凄い……」
ミリアはアンナの姿に驚きと感嘆の声を漏らす。ミリアの気配を察したか、アンナもミリアと同様にアデルの右膝に跨ってくる。
アンナの牽制が効いたか、ミリアは先ほどまでの思いつめたような表情が消えた。
「このまま一思いに全て壊してもらおうと思っていたのに……」
ミリアがさらに数センチ身体を寄せ、腕をアデルの腰に回す。
「どれだけの苦労と屈辱を味わったかはモノが違いすぎて想像は出来ないけど……壊すにはまだちょっと早い気がするぞ。」
アデルはミリアの腰ではなく、頭の後ろに腕を伸ばす。
「ナミさんの様子からして、復縁までは知らんが、社会復帰は何か目論んでいるような様子だったしな。」
「社会復帰って……それじゃまるで廃人になったみたいじゃない……」
ミリアは苦笑を浮かべながら涙を溢れさせた。アデルの腕が誘うままに顔をアデルの胸にうずめるとただ静かに泣き出した。
そしてきっちり5分後、アンナはミリアをアデルから引きはがすと、そのまま抱えてミリア用のベッドに押し込んだ。
その夜、結局アデルは悶々と一睡もできなかったが、翌朝、ミリアの顔は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。




