異国の国境
ドルケンとグランとの国境は簡素な物だった。
街道から少し広い場所にでると、簡素ながら高めの柵で国境を区切られていて、その中に小さな門がいくつもあり、審査を受けて通れると言ったものだ。柵や広場の各所には櫓が設けられており、警備兵が警備に当たっている。一件仰々しい国境に見えるが、その実、柵があるのは街道周辺のみで少し山側に入ってしまえば特別な施設はないように見える。密入国になるが、やろうと思えば簡単に国境を超えられてしまう気がする。勿論、今のアデル達は無理にそちらを選ぶ必要はないのであるが。
朝早めに出発したため、越境の受付が始まると同時にアデル達はその門の一つに向かう。
今回は荷物も少なく、普通に少々若い冒険者パーティにしか見えないアデル達はドルケンを出る時、冒険者タグの提示を要求されたが、ドルケンの物ではなかったため少々の質問を受けた。
と、言っても商会としての正式な入国許可証を持ち、商会の小間使いだと説明すると、「ご苦労さん。気を付けてな。」といって送り出された。
一方、グランの方でも同様なチェックを受けたが、こちらは少し違った。
勿論、出国より入国の方がチェックが厳しくなるのは致し方ないのだが……
基本的に結びつきの強いグランとコローナの間は、現在は冒険者ギルドのカードが統一されている為、短期間の滞在で且つ正規のギルド登録店のタグも持っていれば簡単に出入りできるのだが、この時代には共用するデータベースなどある訳もなく、今回はドルケンからコローナの冒険者が入ると言う珍しい状況になってしまった為、こちらでも少々質問を受けることになった。ドルケンから来た理由、入国の目的などだ。
『ドルケンに滞在中の隊商から急用で』と伝えると、怪訝な顔をされたが、グラン国境ならとナミに渡された書状を見せる。するとこんな反応が返ってきたのだ。
「これは……ファントーニ侯爵のサインか。国境は……まあ問題ないが、今、王都に入るなら気を付けろよ。これは使わずに、冒険者ギルドのカードと店のタグで入る方が良いだろう。」
との事である。目的はグラマーであるので王都に用事はないが、不穏なものを感じ取りそこは黙っておく。ある程度の裏事情は分っているが、あえて知らぬふりで
「何かあったんですか?」
とアデルが尋ねると、
「ファントーニ侯は前の軍務大臣だったのだが、事情で交代させられて辺境に飛ばされてなぁ……侯爵は後任とその推薦者である国務大臣との折り合いが悪くてな。王都でこの書状を使うと、目を付けられるかもしれん。気を付けろ。」
と、教えてくれる。
「この辺りの軍はどちらを支持してるんですか?」
アデルが声のトーンを下げてさらに尋ねると、その兵士は少し周囲を気にした上で
「この辺りの部隊はファントーニ侯を支持している。実績も軍全体の運用も全然違うからな。だが、国軍の命令系統は一つだ。さあ、行け。」
と険しい表情で言うと、追い払うようにアデル達をグランに押し込む。
「すみません、気を付けます。有難うございました。」
ファントーニ支持故の、王都進入時の注意であった様で感謝を述べるが、その裏で、これでは内部分裂の影が国境の対岸に広がる訳だ。とも思えてしまう。しかし、内部分裂している暇なんてない。と知っているのはこの場ではまだ情報の早いアデル達のみだったのである。
アデルとしてはグラン王国に思い入れはほんの少ししかなく、さっさと本来の用事を済ませてコローナに戻ろう。改めてそう思ったのである。
グラン国内、特に国軍内で派閥が出来ているというのは旅人にとってあまり良い状況ではなさそうだ。グラン側の国境前広場の片隅に移動し、妹たちを集め地図を広げる。
「あまり長居はしたくない感じだな。もともとグランディアには寄らず、直接向かうつもりだったが……それ以外の町を寄るか避けるか、どちらがいい?」
アデルが問うが、答えは返ってこなかった。アンナは勿論、ネージュも基本的にこの手の判断は全てアデルに任せている。特に、或いは余程の希望がない限りは口出ししない。
「最短距離で突っ切る。野営ばかりになるがそれでいいか?」
「問題ない。」
「大丈夫です。」
相談とは一体……と思うが、アデルもこうなる事はある程度予測していた。ネージュにこれといった希望がないと判断し、アデルは地図の上でそのルートを思い描く。
街道は次の大きな町に向かうべく南西に向かう様だが、ここからグラマーはほぼ真南だ。道はないがそこは平原と馬。アデルは一直線に向かうことに決める。
「天気もいいうちにプルル達にも頑張ってもらおう。今日明日中にこの平原を抜け、明後日、この丘を通ってそのままグラマーに入る。」
地図を指でなぞりながら予定を告げる。一任されているにもかかわらず敢えて告げるのは、ネージュの方向感覚、地図の作成や読み取り能力を期待してのことだった。特に町と町を結ぶ街道を無視する場合、目印の無い平原は時間ごとの太陽の角度くらいしか方向を示すものがない。それもコローナで慣れているものとは少し変って来るだろう。詳細な時計の様な物を持っていないのでほぼ感覚だけで広い平原を抜ける必要があるのだ。勿論、街道との位置関係をある程度把握できていれば、最悪、迷ったら一度街道に出ると言う事もできるのではあるが、今回は極力時間を節約したい。最短距離を通る事で2日くらいはショートカットできるはずだ。
「方向がおかしいと感じたら早目に言ってくれ。こまめに確認しよう。」
そう言うと馬に乗り込み、目指すべき方角に向かって走り出した。
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「すごい……綺麗……」
2日で平原を走破し、半日かけて丘を上がり辿り着いたのは、グランに来るたびに立ち寄っている丘の上の小さな湖だ。
グランに住んでいたに関わらず、アンナはここを初めて見る様でその光景に感動している。
「ここなら……どうだ?」
アデルがここに立ち寄った目的は3つ。
1つは自然豊かと言えるここならアンナに応えてくれる精霊がいるかもしれないと思ったためだ。そしてそれは見事に的中した様で、アンナは周囲に向けて馴染みのない音、言葉でやり取りをすると、程なく、不意につむじ風が巻き起こる。風が去った後に2体の精霊が現れていた。蝶の形をした透明の翼を持つ、多くの人がイメージする“妖精”を具現化したものと、水柱が人の形になったようなものの2体だ。大きさは羽根の妖精が1mにも満たない。アンナの腰に届くかどうかといったサイズ、水柱が1メートル半、ちょうどネージュとアンナの中間くらいの背の高さだ。人間受けを狙うかの如く共にかわいいというよりは綺麗な少女、いや、大きいほうは女性の姿である。
彼女らとしばらく会話をしたアンナの話を聞く所、羽根の妖精が“風”、水柱の精霊がそのままずまり“水”の精霊であるようだ。見た目の通り得意分野も異なるらしい。彼女たちは、この様に自然に恵まれた所か、実体化の媒体に見合う宝石があればアンナ達に力を貸す事も吝かでないと言う。アデルが、グラマーか遅くなってもコローナで買うからと約束し、媒体に相応しい宝石をアンナに聞いておくように指示すると、エメラルドと、アクアマリンが良いそうですとのことだ。どうやら緑柱石が好みの様である。注意点として、2体同時に具現化するには術者からの相当のマナ供給を要し、1体につき1つの媒体となる宝石が必要とのことで、普段から近くにいるから宝石を買いに行くときはアンナと一緒に買いに行くべきとの話だそうだ。アデルは彼女らの能力はまた追々聞けばいいと思い、2つ目の目的を始めようとした時……予想外の形で先に3つ目の目的が現れたのである。
「え?」
アンナが更に驚きの表情で声を漏らす。
ペガサスが……3体。
「ウソだろ……」
アデルもいつもの(?)1体は期待していたが、流石に3体もいるとは……驚きと呻きを含めてそう呟くと、意外なところから意外な話が聞ける。
「御無沙汰(?)してたそうですね。こちらの天馬がお兄様を知っている様です。」
「言葉分かるのか?」
「はい。ペガサスは……風の精霊と強い関係があるようで……風の精霊を介してですが、何を言っているのかはわかります。え?ええ。……よく判りませんが……3体とも――え?毛づくろい?を所望している様ですよ?」
「おおう……」
余程気に入ったのだろうか。アデルのブラッシングはペガサス同士の口コミで広がっていたらしい。
「よし分った。いいだろう。言葉が通じるなら尚有り難い。来たかいがあったってもんさ。」
元々プルルとレンタルホースを労うつもりでいたのだ。今更2~3体増えた所で……
時間的には大分変わるが、ここまでくればあとは丘を降りるだけでグラマーだ。アデルは腕をまくり気合を入れて冷たい湖に足を踏み入れた。
南方ゆえコローナよりは大分あったかいとはいえ季節は10月。水浴びには少々遅い時期だが、要望のあった順にまずはペガサスから丸洗いを始め、プルルとレンタルホースにも同じように手を入れていく。
結局2時間程掛かり、アデルの手足は冷水により大分冷たくなってきていたが、作業量の所為か少々暑いくらいだった。今回は何と……新規に契約(?)した風の精霊の能力と、アンナの魔素の提供で彼らを乾かすのに温風を用意してくれた。そのさなか、アンナがアデルとネージュにこう告げる。
「お兄様は水の精霊に、ネージュは氷の精霊に好かれるみたいですよ?」
「ほほう。覚えておこう。また一つ調べなきゃならんものが増えたな。」
そんな話を聞きながらアデルはアンナに通訳を頼み、ペガサスたちに問いかける。
「この辺りはその内戦争になるかもしれないが、もしこの辺りが戦場になったら君達はどうする?」
すると、返事がくる。
「……この湖を離れる気はないそうです。この丘には色んなものからの“加護”があるそうで、余程のことが無い限り消失……焼失?することはないだろうと。」
「……そうか。ただ相手はフィンだろうからなぁ。余程の事を仕出かす危険はあるが……まあ、いざとなったらうまく逃げるくらいはできるか。西の方が騒がしくなったら気を付けるように伝えてくれ。」
「わかりました。」
アデルの言葉にアンナが返事をする。
「まあ、流石にペガサスのスカウトは無理だよな。」
アデルの下心はやんわりと否定された。まあ、通ったとしてもどうやって連れ帰って養うかも考え付かないのであるが。
「他にもまだ何体かいるのか?」
「……全部で20頭くらいいる様です。まだ小さい子も含めてですが。」
「20か……流石に無理だ。まあ、いいや。いよいよになったらコローナ王都で風の精霊を経由してくれりゃ、できることはしてやりたいところだが。とにかく、西の動向には注意する様にと。」
「わかりました。コローナってどこだ?って聞いて来てますけど……」
「デスヨネ。」
アデルは苦笑して地図を広げたが、ナミから渡された地図はグランの詳細図でコローナまでは記載されていない。
「ここから真直ぐ北西へ飛んだくらいかね?ネージュ先生。知ってる森と道を記しながら適当に書いてやってくれ。」
アデルがそう言うと、「通じるかなぁ……」と首を傾げながらも、紙に知ってる目印を書き込みながら地図を作る。
程なくして、アデルとアンナが感心するほどに判り易い地図が出来上がった。街道、森などの地形の特徴、そして空から見た王都やエストリアのランドマークをイラスト化したシンボル。即席の地図としては距離的な歪みもほとんどない気がする。これからコローナに来るという旅人相手なら売ってもいいような地図だ。これなら空から見れば何とかなるんじゃないかと思いつつも、実際にペガサスがこんなもの参照するのか?というセルフ突っ込みをいれたくなったが、せっかくネージュが書き上げた物なのでそこは飲み込む。
毛や翼の乾燥も済んだようで、満足そうに2~3回ゆっくりと、しかし力強く羽ばたくと、今回も各自、羽を2~3枚ずつ咥えて抜くと、最初のペガサスはご丁寧にネージュの地図を咥えて飛び上がる。
「また会おう。だそうです。」
アンナ経由でそう伝えられると、アデルも大きく手を上げて応える。
「必ずな。」
アデルの言葉をアンナが大声で伝える。後から確認するに、互いが纏う風の精霊を経由しての会話なので大声を上げる必要はないらしいが……まあ、いいだろう。
「もしかしたら、今迄も話しかけられてたのかな?ってゆーか、今迄はプルルに話しかけてたよなぁ?」
アデルがプルルに尋ねると、プルルは肯定する様に一度頭を大きく下げると唇を震わせた。
なんだかんだと、結局はアデルの方も馬と天馬たちに癒され、気持ちよくグラマーに入る事が出来たのである。




