翼の国
ナミの宣言通りに一行は早めの朝食を取るとすぐさま行動を開始した。
出立の準備を始めると、8時前にはヴィークマンの町を離れる。
急な予定変更ではあったが、商会員たちに否やはなく、また外部の者もアデル達のみであったためその辺のトラブルは見られなかった。昨夜の賊が現れ、おそらくはこの町の盗賊ギルドの者だろうを始末したとの情報はヴェンをはじめとした数名の幹部にはすでに共有されている。
今朝から異様にピリピリとしているナミに代わってヴェンがアデル達の近くに来て耳打ちする。
「おそらく今後、この町に立ち寄る事はないだろう。帰りは別のルートを考える。」
「俺達のせいですか?」
「いや、それだけではない。少なくとも、“覗き”に来て簡単に返り討ちにあったのはあっちの賊がヘボだっただけだ。ただそれが本当にこの町の盗賊ギルドの者かどうかはわからない。その情報も集めていく。」
「違う可能性もあると?」
「そりゃあな。例えばコローナとの交易の後見となればそれなりの利益は見込める。それ以外にも国境を越えるやり取りの窓口になろうとするなら他の貴族から見れば面白くないだろう。我々とヴィークマン伯爵の接触を快く思わない者も少なくはない筈だ。」
「なるほど。でももしそうなら逆にこの町を避ける理由がなくなりますけど?」
「いや、そうでもないぞ?町の盗賊ギルドってのは、余所の賊を排除するのも役割だ。仮に昨日の賊の所属が別の組織だったとしたら、今度はそれを排除できないこの町の警備と盗賊ギルドの落ち度だからな。その場合、いずれそちらからこちらに何らかの接触があるだろうさ。」
「はぁ……」
ヴェンの言葉に曖昧な返事をする。アデルにはいまいち“盗賊ギルド”というものがよく判っていない。
「コローナにもあるんですか?そんなの。」
「規模の差こそあれ、ある程度人が集まる都市ならどこにでもあるだろうよ。ただ治安が悪いと、一つの町に複数のギルドが出来て対立やら抗争やら起しかねないから、裏で管理する方も大変だろうな。」
今のところ治安に関する部分で不満に思う事はなかったコローナ王都にもあるらしいとの話にアデルは少し困惑する。ただ、なければないでより無法が広がるというイメージはつかめた。できればあまり関わりたくないと思うと同時に、情報屋として自分たちの情報を抜こうと思う奴らがいることは頭の片隅にでも入れておくべきだろうか。勿論、それを引き出そうとする者がいるのであればだが。
しかしそこでカタリナやローザたちの事を思い起こすと、今迄の行動の中にも迂闊だった部分はあったのかもしれない。
ドルンへの道は途中からは急な山道となる。単騎の馬はともかくとして、馬車の馬の負担はかなり大きくなりそうだ。今回もプルルとアデルが借りた馬、それに大きめの馬車を引く馬数頭にアンナの疲労回復ブーストの魔法を掛けてもらう。また、険しい一本道となれば山賊に対する警戒も必要となりそうだ。冒険者風の者が時折行き交うほかは、コローナの街道のような警備兵の巡回のようなものとは出会わなかった。
山に入って数刻、日が最も高く上った頃、プルルを含む一行の馬が一斉に東の空を見て緊張する様子を見せた。
「む?」
アデルを始め、ネージュやそれ以外の《騎手》技能持ち達が何事かと自分の馬の視線の先を見遣る。
程なくしてそちらの方向から2体の小型の竜――正確には竜とは少々異なるらしいが――翼竜が2体現れた。
アデルがネージュに目配せをし、戦闘態勢に構えようとしたのに気付くと、すぐにナミが止めに入る。
「待ちな!」
そこで一つ息を飲み込むと、上空の翼竜を見ながら続けた。
「噂には聞いていたが……ドルケンの正規軍、ワイバーンライダーだ。全員、馬を落ち付かせろ!入れ込む馬は一旦、目隠しをしてしまえ。」
ナミの号令が合図であったかのように、2体の翼竜が接近してくる。ナミの言葉通りにその翼竜の背には人間であろう、何者かが乗っているのがわかる。
(そうだ……望遠鏡買わなきゃいけないんだった。)
遠目に翼竜の上に乗る者を確認しようと思い、アデルは先日の陣地防衛の際に物見が貸してくれた望遠鏡の存在を思い出していた。視野こそ狭くなるものの、望遠能力は肉眼とは比べ物にならない性能に驚いた記憶がある。
2騎のワイバーンライダーは、こちらの様子を確認する様に上空で1周旋回すると、高度を下げカイナン商事一行の前方を塞ぐように着地した。
「こちらはドルケン第2警備隊だ。失礼だがあなた方は?」
2騎の内、片方のライダーが降りてこちらに問いかける。
「貴国のダールグレン侯爵の紹介でこの度、貴国との交易を始めるための交渉をしにドランへ向かうコローナの商会、カイナン商事だ。侯爵の紹介状と貴国の通行手形、それにコローナの身分証がここにある。確認して頂きたい。」
商人と言うよりも軍人に近い口調でナミが一歩前に出て3通の書状を渡す。
「商人?ふむ。馬車の積荷はなんだ?」
書状に一通り目を通した翼竜騎士は少し不審げに馬車の中を確認しようとする。
「今回はまだ交渉段階ゆえ、土産物しかありません。コローナの工芸品と、グランの港町で入荷する香辛料、それに酒です。箱を開けて確認して頂いても構いませんが?」
「……そうか。ではいくつか確認させてもらう。もしこれによる損壊等が生じたら、第2警備隊第1飛行隊のワイナールによるものだと伝えてくれ。」
「わかりました。」
そう言うと翼竜騎士はそれぞれの馬車の中から適当に1~2個の木箱を開け中を確認する。
「ふむ。問題ないな。いや、何故か我らの翼竜があなた達の列を見て少し緊張した様子を見せてな。少し気になったので確認させてもらった。」
「翼竜が?」
「うむ。少なくとも騎乗用に訓練された翼竜は余りそのような様子を見せないのだがな……」
「それは確かに気になりますね……なんだろう、我々も少し注意しておきます。」
「むう。この後は真直ぐ王都に?」
「その予定です。」
「分かった。ここからは道も険しくなる。最近は賊もほとんど出ないが、もし何かあったらこれを打上げると良い。」
「これは?」
「信号弾――まあ、地味な花火と言ったところだ。これが上がれば近くの警備隊が“飛んでくる”筈だから、何かあったら早めに使うと良い。」
「お心遣い、感謝します。」
筒を受け取るとナミは感謝の言葉を述べる。それを確認し、一行をぐるっと一瞥してその騎士は翼竜に戻ると待機していたもう1騎と共に空へと戻っていく。
「……なんですか?今の。」
「知らなかったのかい?まあ、私も生で目にしたのは初めてだが……あれが、ドルケンが誇る飛竜騎士団さ。ドルケンが軍事的中立を保てる最大の理由だね。」
「あんなのがぞろぞろいるんですか?」
いよいよになったら空から逃げる。今迄アデル達の行動の最大の保険となっていたものがここでは通用しない恐れが出てくる。アデルにとっては脅威ともいえた。
「いや、国全体で多くて300騎程だろう。とは言え、この山岳地帯に飛竜騎士が100騎も出張ってきたら、通常の軍の2000~3000程度なら余裕で撥ね退けられるだろうがね。
それよりも……なんだか嫌な感じがするね。」
「嫌な感じ?」
「ああ、彼等じゃなくて……なんだろう、翼竜が緊張する様な気配があるんだろうな。」
「???」
アデルが表情で疑問符を浮かべると、ナミが小声で言う。
「今回の交易な……グランが国として機能不全に陥る想定で話を進めているのさ。」
その言葉に、アデルも同様に、しかしナミとは別の“嫌な予感”を感じるのであった。




