戦争と戦場
アデルとラウルが陣地の外れで密談をしていたころ、被害状況の確認を終えた本隊からの部隊が一部を除いて前線へと戻っていった。一部とは昨晩の襲撃とその被害を受け前線の一部を削り補充された部隊100名である。
彼らが持ち帰る報告とは、“兵站の被害は微小”である。戦争として見た場合、『会戦予定が半日ずれただけ』であり、昨夜の一戦がこれ以降大きく取り上げられることはなかった。
確認部隊が戻ると、ラウル達のパーティもそれを追いかけていった。全員が騎馬で移動できる彼らなら程なく追いつくことが出来るだろう。
部隊が前線に戻ったところでロゼも活動を再開し、アデル達だけとなった馬車の周りで、アデルはプルルにブラシを入れながら、地図をラウルに渡したことをネージュに告げた。
「そう。役に立ったら……ミスリルシールドかミスリルプレートでも要求してみる?」
『何か別の物で返してくれ』る約束を貰ったと伝えると、そんな事を言いだす。ネージュとしても薄々はラウル隊に渡す事を想定していたのだ。何故ならあの地図をアデルが軍に供出するとは考えられなかったし、自分たちが前線に立って使うというのも考えられなかったからだ。それよりも、ブランシュに自分の種族が薄々勘づかれていたことに問題を感じていた。
「アモールさんに頼むべきなんだろうけど、アルムスさんに前後開閉式の兜頼んだら作ってくれるかな?」
「兜?」
「いや、まあ角が伸びてからでいいんだけどね。」
アデルは兜を装備するネージュを想像して、無言で見つめた。内心で「ないな」と呟くと、なぜか脛を蹴られた。以心伝心とは良い事ばかりでもない様だ。
その日の夕方には、前線部隊が野戦に勝利を収めたと言う情報が、多数の負傷兵によってもたらされた。
早朝から会戦の予定が、昼過ぎにずれ込んだだけとなったらしい。裏を返せば、半日で決められると前線司令部が見越しての行軍だろう。既に戦局は決まりつつあるようだ。それを一時的に覆すためにも、昨晩の夜襲がナンバー3の自らの手と命によって強引に行われたのだろう。情報と分析の結果、こちらの行軍予定を事前に掌握し予め西に大きく迂回する形で騎兵を進めていたようだ。ごく一部、少数とは言え騎兵の行動を殆ど把握できなかったことに、担当の斥候部隊はかなりの叱責を貰った様である。単純に兵の練度だけを比べるならまだまだオーレリア軍の方が上の様だ。その辺は徴兵制が長く続くオーレリアと、再編したとはいえ志願兵ばかりのオーレリア国軍、貴族の私軍の寄せ集めの軍との差であろう。
そんな中、ガチガチで固めたノール城は難攻不落と言われているらしく、攻城戦は熾烈になるだろうと前線から送り返された負傷兵が漏らす。
(だったらなんでいきなり簡単に明け渡したんだよ……)とは勿論口には出さない。
久しぶりの大規模野戦であったせいか、快勝とは言え負傷者はかなりの数に上った。特に後陣の救護所に送られる様な負傷者は、良くて重傷、悪けりゃ危篤。そしてそんな彼らを支えて共に戻ってくる兵士もたいていは怪我を抱えてすぐに戦闘に出られない、或いは十全な力を発揮できないといった者ばかりだ。
流石に数が多く、神官団先遣隊や元から従軍していたフォルジュの神官でも対応しきれない為、魔法以外の《狩人》や《薬師》等の支援技能で対応出来る範囲の治療は、アデル達を含め、輸送隊の兵士他、多少なりとも心得のある者が手伝う状況になってしまっている。
アデル達は救護棟ではなく、馬車付近で専ら腕や足の骨折の応急処置やら、止血の済んだ刀傷等の包帯の交換や傷口の洗浄や消毒、貼り薬の貼付などを行っていた。ここでも、少ない魔力で水を用意できるアンナは大いに活躍した。また、止血されているとはいえ、少しの刺激で再び傷口が開きそうな者には、神官団には内緒という事で、それなりの回復魔法も使ってしまっている。
「同じ部隊じゃないのか?なぜ内緒なんだ?」
との問いには、
「戦場はともかく、下手にそこそこの魔法を使えるなんてバレたら、高い治療費取ってる教会に目を付けられかねないでしょ?」
と、冗談めかして返している。実際は、神官団の予備(戦)力として、数に加えられたくないだけなのだが。アンナの魔法の能力を折り込んだ見積もりを出されて当てにされてしまうと、いざ何かあった時にこちらが困ってしまう。実際、昨夜の夜襲の際も、もし昼間にアンナが魔力のほとんどを使ってしまっていたら被害はもっと深刻に、或いはアデル達や馬車、ひいては神官団にまで損害が出ていた恐れもある。尤も、これが杞憂であったことは数時間後に判明するのであるが。
治療行為の最中ということで兵士たちも安堵感があるのか、或いは、治療を受ける方は特に出来る事もなく手持無沙汰なのか、必要以上に情報をくれた。今回も一番活躍したのは“緋色の花”であったらしい。ラウル達の活躍も聞かれたが、インパクトはやはりあちらの方があるようだ。特に、広範囲の爆発魔法は野戦に於いて相当な戦力になるようだ。
なんとかしてその魔術師の名前はわからない物かと聞いて回った所、名前はカタリナと言うらしいことが判明した。
アデルにも心当たりはあるが、魔術師ではなかった筈だ。《神官》から転職したのか?魔法にはまったく詳しくないが、仮にそうだとしてもここ2~3か月と言う短時間で以前、“火球”を見せて、使わせてもらったナナよりも上位の魔法が使えるとは思えない。可能性があるとすると、あの黒い書物の影響だろうか。
兵士たちの話を聞くと、ノール城奪還はノールやフォルジェの軍だけでなく、北東の国土を治める北部貴族連合の合流を待って、包囲してから行うとのことである。
それ、奪還戦じゃなくて殲滅戦じゃね?という気もするが、逃げ遅れた住民も少なからずいるだろうし兵糧攻めや火攻めはないだろうとは思う。
そんな感じで、夕食も取り損ねるほどドタバタとしていると、日が落ちた所で司祭がロゼを伴ってやって来た。
「アデルさんにお願いが……」
神妙な顔で司祭がそう言う。
「何かありましたか?」
アデルも心配そうに眉を顰めて尋ねると、司祭からの依頼は意外な物だった。
「ロゼさんを連れて、先に王都へ戻って頂きたい。」
「「「え?」」」
これには、アデル達兄妹3人が思わず声を揃えてしまった。
「どういうことですか?」
アデルの問いに司祭は何事もないかのように答える。
「ノール攻めには少し時間を置くようなので、今のうちに追加の人員、物資の手配を済ませたいのです。」
「なるほど。神殿の『伝令をやれ』的な?」
「ああ、そう言った方が判り易かったですね。その通りです。」
以前、ロゼからそれとなく、この先遣隊は適切な支援や物資を勘案する任も持っていると言われたことを思い出す。
「馬車と荷物はどうするんですか?」
「荷物だけ置いていってください。馬車は騎手ギルドからの借りものでしょう?」
「そうですね。」
「フォルジェの騎手ギルドで一旦それを返却し、4人用の……特に荷物もない筈ですし、移動用の騎馬を数頭借りればあなた方ならすぐに到着するでしょう。そして、ロゼさんを王都のレア神殿に送り届けた所で、アデルさん達の依頼は完遂と見做します。その書面も用意します。」
「あれ?つまりはまたこちらに戻ってくる必要はないと?」
「はい。次の隊はおそらく国が主導して、神殿長と相談の上送り込んで来るでしょうから、編成その他で1週間はかかるでしょう。」
「……わかりました。」
若干腑に落ちない部分もあるが、今の状況でこの申し出はある意味で渡りに船に近い。昨夜の夜襲に対するカウンターでネージュとアンナが少々目立ち過ぎた感が強い。特に評価されにくい支援、後方部隊での功績は周りから受ける期待と仕事に対して対価が微妙になり易い。特に戦時中の軍が相手となると、下手に評価されて“徴用”される可能性もないとは言えない。前線支援にこだわったロゼが納得して伝令として戻るといのであればアデル達に否やはない。ラウル達には少々申し訳ない気もするが、渡すべきものは渡した。あとは彼ら次第だ。
「出発はどうします?今から出ろと言われれば出れますけど。」
「いえ、そこまででなくても結構です。皆さん、昨日・今日とお疲れでしょう。しっかりと休んだのち、明日の早朝に出立してもらえると。」
「わかりました。ロゼの準備の方は大丈夫なんですか?」
本人の準備と言うよりは、伝令などの打ち合わせや書類などの準備の方だ。
「そちらもこれから用意します。明日の朝にはお渡しします。」
「わかりました。ではそのようにこちらも準備をしておきます。」
アデルがそう伝えると、司祭は「よろしく」といって去って行った。
「あれ?ロゼは?」
「今日はこちらで休ませてもらおうかと。」
「「え?」」
ロゼの発言にアデルとアンナが固まる。こちらでって……うちのテントで?それとも馬車で?
「ご迷惑でしょうか?」
正直に言えば迷惑だが、流石にこの状況で面と向って言うほどの肝はない。それに、明日から王都までの日程を考えると、アデル達のテントで寝る事は避けられなくなる筈だ。
「いや、こちらは大丈夫だとは思いますが……」
アデルはアンナをチラッと見る。さすがに寝てる者の背中をまさぐる事はしないとは思うが……
「どちらにしろ、俺やネージュは見張りに起きてますから……」
「なるほど……」
ロゼが安堵とも残念ともつかない表情を浮かべる。
「とりあえず、夕食を取らせてもらいます。そのあとは狭いテントですがごゆっくり。」
アデル達は保存食を取り出すと、馬車の中でかじりついた。
夜が更け、就寝の時間になったところで、改めてアンナとロゼをテントに入ようとする。ロゼがアデル達は?と問うが、アデルとネージュは、基本どちらかが見張りと言うか警戒に着くのが常だからと馬車の方に入る。2人きりとなるアンナが少し困ったような表情をアデルに見せたが、人見知りだから……とロゼに適当な事を言ってごまかした。強ち実はその通りだったりするのだが。
結局、明日からは3人ずつ交代でテントで寝ることになるだろうから、ということでロゼとアンナをテントに入れた。その夜、アンナはほとんど眠れなかったと後に語ることになる。
一方、アデルとネージュは馬車の幌の中で今後について相談していた。
当初、2ヶ月と言われていた依頼期間だが、明日から王都に向えば、フォルジェまでは馬車で移動するため2日弱は掛りそうだが、そこからは数日も掛らないだろう。前回、ローザの依頼で王都からフォルジェに来た時は、プルルでなく移動用の速度の出る馬であったが、丸1日でなんとかなる距離だった。今回は足の遅いプルルと考えても、2日あれば到着するだろう。そうなると1ヶ月弱で依頼完遂となりそうだ。
その後別の依頼でまたこちらへ戻るか、或いは他の依頼を探すかというところで、ネージュが珍しく、少しゆっくりしたいと言い出した。
何かあるのかと思ってアデルが理由を尋ねると、何となくという答えが返ってきてよりアデルが困惑する。ネージュが言うには、アデルの装備やアンナの武器と訓練、自分の鍛練を行いたいという話だが、何となくそれだけではないのだろうとアデルは感じた。故にアデルはその希望を優先する意向を示す。恐らくネージュの中で何かが引っかかっているのだろう。アデルにしても、今は仕事にがっつく必要もない。足元を固めるのも重要だ。
翌朝、ロゼとアンナが起き出してテントから出てきた。
馬車の幌の中では、うつらうつらと居眠りをしているアデルの膝を占拠しているネージュに、二人して小声でずるいと漏らすと、その気配でアデルが起きた。アデルが起きて動くとそれを感知してネージュも起きる。
「早いな。おはよう。」
アデルが寝ぼけた様な感じでそう言うと、アンナとロゼは「おはようございます。」と、返事をくれる。ネージュは無言のままムクりと起き上がると、テントの撤収に掛かった。それを見て、慌ててアンナとロゼがそれを手伝おうとする。夜の後半部分を起きていたアデルはまだ少々ぼんやりとその光景を眺め……なんとなく暖かい気持ちになっていた。
ロゼ達が起きているのを確認したか、司祭が3通の封書を持って現れ、全てをロゼに渡した。
それぞれ、神殿長、王宮、ブラバドへ宛てた物だと言う。
「よろしくお願いします。」
と、司祭がロゼとアンナに軽く頭を下げると、ロゼがそれを受け取り、速やかに出発の準備に入る。そこで他の神官団先遣隊の面々、さらには一昨日夜の中隊長の騎士他数名も見送りに来てくれた。
「大将首取ったらしいな?もう偉そうなことは言わないからまた手合せしてくれ!」
これは例の修道僧の言だ。戦場で一旦別れるに当って、また手合せしてくれは何となくフラグなような気もするのだが、アデルやネージュはそんなもの知らない。
「その時にはこれの練習用が出来てるといいんだけど……」
ネージュはニヤリと笑って腰の蛇腹剣を取り出し、上に向けて撃ちだして見せる。
「《暗殺者》なんて初めて見たぜ……」
「私たちも、勧められるまで知らなかったし?」
モンクの言葉にネージュはアデルと目を合せてにっこりと笑う。
(ぐぬぬ。)
(これが妹力か……)
その笑みを見たアンナとロゼが内心で歯噛みしたようだが、やはりアデルとネージュにはわからない。
「君達の活躍に改めて礼を言う。適切な評価がされていない様で申し訳ないが……」
次に、騎士がそう告げる。
「いえいえ。こちらも明らかに“軍とは関わりたくないオーラ”を全力で出してましたので。そもそも依頼の延長程度のつもりだったので、儲けものでしたよ。」
今風に言うなら、両者の思惑と利益が一致したwin-winと言う奴だ。グノー子爵が裏で扱いやすい駒としてアデルを見ようとしたようだが、やはりアデルとネージュにはわからない話だ。
実際は、現場責任者としてあの場にいたこの騎士が、グノー子爵の思惑に不満を覚えて司祭に伝えた事も、アデル達を王都へ戻す判断の材料の一つであった。もちろんアデルとネー(ry
「そうか……それでは、王都への連絡、頼んだぞ。」
「「はい。」」
力強い騎士の言葉に、アデルとロゼが同時に返事をする。そしてロゼが馬車に乗り込んだところで、
「「ロゼ様~~~」」
「「アンナ様~~」」
彼女らの治療を受けた兵士たちだろう。が、二人に向けて全力で手を振って別れを惜しんだ。この辺は無事にフラグを回避できそうな勢いだ。
「フォルジェまで運ぶものがあればついでに運んじゃいますが?」
どちらにしろ、馬車はフォルジェまで届ける必要があるので、とアデルが申し出ると、司祭と騎士が顔を見合わせて頷きあう。
「では……済まないが……彼らを、フォルジェの神殿まで送ってやってくれ。」
恐らく想定していたのだろう、或いはアデルが申し出なかったら改めて頼むつもりでいたのだろうか、タイミングを待っていたかのように数人の兵士が、仲間の兵の助けを借りながら馬車へとやってきた。彼らの状態は一目見れば誰でも分かる。四肢欠損だ。一昨日の夜――はそのような話は出ていなかった筈なので恐らくは昨日の昼の野戦だろう。そこで四肢のいずれかを失ったのだろう、9名の兵士が馬車へと運び込まれた。左腕を失くしたのが5名、右腕が2名、右足が2名。そのうちの5名はまだ若そうな新兵だ。しかもそのうちの一人は女性の様だ。コローナの軍は国軍、私軍共に全て志願制だ。国の為にと志願して戦地へ立った結果がこれなのだ。ロゼが一際沈痛な表情を浮かべる。
「命を落とした者もいる。命があっただけでも幸運だったのだろう。」
騎士がそう言う。だが、彼ら兵士の表情には明暗がはっきりとしてた。比較的に穏やかな表情なのが国軍、正に絶望の底という表情なのがどこかの貴族の私軍なのであろう、国軍と違う、質の良さそうな装備をしている者たちだ。
国軍と私軍の大きな差がここだ。一時の稼ぎがいい私軍の兵は、他よりも良い装備を揃え、それなりの収入がある。反面、国軍の兵士は出来あい装備で皆一律の給金だ。勿論、他の公務員よりは充分に高いのだが。逆に除隊後、特に怪我による除隊後はその後の保障に雲泥の差がでるのも事実だ。国軍兵士がやり遂げた感がある表情に対し、私軍の兵士は地獄の入り口に立っているというような顔をしていた。勿論、冒険者が戦場に立った場合は後者に近い、下手をすればそれ以下の扱いになるのでまさに他人事ではない。
そんな彼らを馬車に迎え入れ、アデル達はフォルジェへと目指す事になったのである。




