接触
ユナからタルキーニの“隊商”がグラン国を出国したという報を確認しアデルは立ち上がる。
しかしアデルが告げたのは開始の合図ではなかった。
「昨日の予定から少しだけ変更がある。」
アデルの言葉に店員たちが少し驚く……というか、困惑の表情を浮かべた。
今迄の付き合いの中でアデルがすでに動き出している作戦を変更するのは珍しい。特に今回はオルタとネージュが出払っている状況でだ。何か予期せぬイレギュラーが起きたのかと心配する。その様子を見てアデルの方が少し驚きつつ苦笑を漏らす。
「作戦自体の大幅変更じゃないんだ……本隊にティナを同行させる。それからハンナも夕方には出撃できる態勢でこの部屋で待機していてくれ。」
アデルの言葉にハンナが驚くように顔を上げる
「出れるノカ?」
突然の臨戦態勢の指示にハンナが小声で尋ねる。
「ああ。直接は無理だが、前線の拠点で合流できる手段が見つかった。」
アデルがそう言うとハンナは少し嬉しそうにアデルを、それ以外の者は全員ティナを見る。昨晩ティナがアデルに何かの“話”を持ち込んだのを知っているからだ。
「まあ、こういうのに2度手間なんて言うのもないか。先に説明しておこう。」
アデルとしてはネージュやオルタがいるところでまとめて話したかったが周囲の反応を見る限りここで一度説明しても良いだろうと考えた。今のヴェントブルーノ商店の利点でありいずれ欠点ともなりうる点だが、原則としてアデルが決めてしまえば事後報告でどうにかなってしまうのだ。勿論、事前に話し合いができる場合はなるべく意見ある者の意見を集約するようにはしているが。
「マリア達の救出作戦に関わった者ならすでに知っていると思うが――ティナはもともと高レベルの《魔術師》だ。俺がいくつかの条件を飲む代わりに“全力”での支援をしてもらえることになった。」
全員の視線がティナに集中する。最初に口を開いたのはエミリーだった。
「条件とは?」
「俺達に有益となる魔法は事前の命令無しでも行使できること。」
これに関してはアデル達にとって利点しかなく誰も異を唱える事はない。
「次に命令できる者を限定し順位を付けること。今回から首輪による強制的な指示は、俺、マリア、アンナ、オルタの順でそれ以外の指示・命令は強制力は持たない。」
「「「……」」」
これには複数の者が微妙に表情を変えた。
「ネージュは?」
最初にアンナがそう尋ねる。
「ネージュさんは……現時点では持たせていない。ここぞとばかりにふざけて何を言い出すか……ね?」
この答えにアンナは苦笑し『そうですね……』と返す。
「姉さんよりマリアさんの方が上なんですか?」
微妙に不服そうにそう言うのはルーナである。ルーナとしてはパーティ・店への加入時期的に序列としてアンナが上であって然るべきと考えている。
「そう言われてもな……基本、そう言う場合は別行動中か俺が直接指示出せない場合だろうし……その場合マリアの方が“安全な判断”をするだろうとな。」
「……」
アデルの説明にルーナは不満げな表情を崩さないがアンナがその方に手を添えて脇へと寄せた。
「……で、魔法でなんとかできるのか?」
ルーナと同じく不満そうに眉を寄せていたのがエミリーだ。
「ああ。実際に“出来る”ことは確認済みだ。ただ現地入りが必要条件でな。ハンナの出発というか合流は夕方になる。今後、遠征する場合はこの形になるだろうからその実戦訓練になるかもな。“迎え”にくるまできっちり整えておいてくれ。」
アデルはエミリーでなくハンナにそう説明する。言葉が少々長くなったためハンナがどこまで理解できているかはわからないが少なくとも必要な部分は伝わっている様だ。
「夕方迎えが来るダナ?」
「おう。暗くなる17時くらいには合流できるように準備していてくれ。」
「もう行けるゾ。」
「そのまま維持――は難しいだろう。陽が落ち始めたらウォームアップだ。ハンナは暗視下での戦闘は初めてだろうし準備はいつも以上にしっかりやっておいてくれ。もしかしたら狙いを付けにくくなるかもしれんし、ゴーグルをした状態で弓の打ち込みの練習をしていてもいいかもな。」
アデルがハンナの頭、そして馬体の背部を撫でながら言うとハンナは上機嫌に『ワカッタ。』と答えた。元々上下のはっきりした縦社会で育ってきたためだろうか?単純に成長途上期である為か、このあたりは純真というか真っすぐである。
「……まさか“門”を扱えるとはな……」
少し呻くようにそう呟くのはエミリーである。アデルの説明からその移送手段が高位真言魔法である【時空門】であることを察したのだろう。その言葉にアデルとティナ、マリアを除く全員が一様に驚きの表情を見せる。
【時空門】ソフィーですらまだ扱えないという代物を使えると言う事に驚く者、今まで“遭った”転移・空間系の魔法がコローナをさんざんに苦しめたものであるため、ぎょっとした表情を浮かべた者もいた。
「……巨岩を上空にまで動かすほどの力はないがな。」
ぎょっとした者――フロレンティナ戦を経験しているアンナとルーナを見てティナが言う。
「尤も、あれのお陰で陽に当たれる様になったのだがな。」
言葉を飲み込むアンナ達にティナが自嘲気味に言う。
曰く、フロレンティナの似非【隕石召喚】の分析と攻略の為に地下牢から“黒姫の資料室”に拘束場所が変わったとのことである。それを聞きマリアはいつものやるせない表情を浮かべた。
「あとの条件は、自由時間の確保と魔法研究の再開許可と支援だな。尤も新興のポルトにどれだけの資料が集まるかは疑問だが……」
アデルがそう言うとフローラがここぞとばかりにカールフェルト王城の地下書庫の充実具合のアピールを始める。
「カールフェルトの王城地下には他には残っていない書物が多く残されている様ですよ。フィンから奪い返すことが出来ればきっと役に立つ筈です。」
「……カールフェルト王城の地下書庫?それは興味深いな。」
《魔術師》2人がいきなりカールフェルト王城奪還云々などと言いだし始めたが流石にそれは後日にしてくれとアデルが話を止める。
「変なところで盛り上がるのは後日にしてくれ。とにかく今言った編成で回収作戦に向かうぞ。」
編成変更の説明の後、改めて本隊が出撃する運びとなった。
まずはオルタと合流し、国境を越え目標の位置や状況を確認して最終的な具体案を決める。アンナが言うにはネージュも参戦する気満々らしいが、まずはティアとの“接触”を優先するとのことだ。
出立はブリュンヴィンドにアデルとティナ、ブロースカにエミリー、ヴィトシュネにルーナとアンナだ。残るマリアとフローラは出立前には全員の無事の帰還を祈り彼らを送り出した。
昨夜の半分を移動に費やしたティア達は後続である本隊を大きく引き離しタルキーニ第2の都市と言われたオヴェリアの町まで残り僅かという地点にいた。
そこは本来なら最後の難所となる大きな川の手前数キロメートルという場所である。そこで周囲が完全に暗くなるのを待っているのだ。
東からの進入を妨げる大河――そのエリアの中にあって橋と云うのは殊更重要な地点である。その為タルキーニ東部を流れる大河に掛かる7本の橋はその全てがフィン軍の監視下にあった。
水運にも使われる程のこの川をタルキーニ出身の彼女らが知らない筈はない。むしろ知っているからこそ、この時期の帰還を決行したとも言える。
その理由は川の水量であった。タルキーニは海流と季節風の影響で、南大陸のジャングルほど極端ではないが雨季と乾季があり、乾季終盤となる今が一番川の水が少ないのだ。
監視が厳しい橋を避けたい以上、水量が少ない時期にフィン軍の見張りが少ない場所で闇に紛れて渡河する必要がある。それがこの時期なら訓練された馬であれば渡河が可能な場所がいくつかあったのだ。
偵察部隊の入念な調査の結果、水深が浅く、また指揮の低いフィン軍の見回りを疎かになっている地点をいくつかピックアップされていた。彼女らは世闇に紛れ一気にオヴェリアの町にまで侵入するつもりでいるのだ。
しかし、そんな彼女らを補足し、様子を窺っている者がいた。
ネージュである。
ネージュ当初、恐らく先行して渡河を試みるであろう護衛の馬が水に入り少し経ったタイミングで仕掛けるつもりだったが、ティア達が夜を待つ様子であるので仕方なく先に仕掛けることにした。
昨晩まではしきりに背後上空を気にしていたティアだが、今日になってその回数は明らかに少なくなっていた。国境から距離が離れ大分安心しているだろうか?暗視の付与はあるだろうが、どうやら魔力を見ることが出来る者はいない様だ。昨晩アンナと別れた後、ネージュは眠ることなく不可視状態を維持しティアたちの後方に付けている。
ネージュはティア達の後方上空から不可視状態で音も立てない様に滑空して接近を開始する。
(完全に油断してるな)
ネージュは接近しつつ護衛やサラディーノ達の装備を確認する。
魔法を扱える者はいるかもしれないが少なくとも弓を持っている者はいない。
彼等は夜の渡河に備え休憩を取っていた様で、サラディーノとティア、そして護衛の1人が腰を地に降ろして休憩している様でネージュの接近に気づく気配はない。
ネージュは降下しながらティアの傍で座っている護衛に狙いを付けると、立って周囲を警戒している護衛の隙間を縫うように一気に接近する。
ネージュは護衛の1人を討ってしまおうと思っていたが、逆にちょっとした意地悪を思いついた。
「!?敵!?」
標的に襲い掛かる直前、ネージュが空中で急制動を掛けたため気流が乱れたか、ネージュが狙った護衛が慌てて立ち上がり右手で剣を抜いた。
護衛にはまだネージュの姿は見えていない。しかし不自然な空気の乱れと強烈な殺気を感知したのだろう。ネージュがいる方向に向けて剣を突き出す。
「きゃあああああああ」
女の悲鳴が上がった。ティナを背に騎乗していた護衛はどうやら女性騎士だったようだ。現役かどうかは知らないが、反応だけは悪くない。
ネージュは真っすぐに伸びてくる剣を全力の羽ばたきで機動を変え躱すと、その突き出された右腕に蛇腹剣を巻き付ける。攻撃を仕掛けたことで不可視の術が解け、薄闇の中に小柄な竜人の姿が浮かび上がる。
残りの2人の護衛が慌ててサラディーノを守る様にネージュとサラディーノの間に割り込んだ。
ネージュは地に足を付けることなく護衛騎士の右腕に巻きつけた蛇腹剣を獲物のかかった釣り竿の様に払い上げた。
「ぎゃあああああああ」
巻きついた蛇腹剣が引き上げられると、革鎧に覆われていなかった護衛の腕の肉が削ぎ落される。
女性騎士の悲鳴が響くが、残りの2名の護衛はとにかくサラディーノの守りを優先する様だ。すぐに剣と楯を構えると、サラディーノもまた剣を抜き空中のネージュを牽制した。
「ああ、暗視しか能がないかと思ってたけどあれ、神聖魔法だったっけ?」
ネージュはそう言うと彼らの牽制に構うことなく少し離れた位置から蛇腹剣を再度伸ばすと、今度はティアの護衛騎士の腕を切り落とし巻きつけて回収する。
「サラディーノってのは絶対に殺すなって言われてるから大丈夫よ?」
ネージュはサラディーノとその護衛に向けて静かに言葉を投げた。
「私達の標的はこっちだから。」
そう言うと隻腕となったティアの護衛を蹴り飛ばし改めてティアに視線を向ける。
「あ……あ……」
ティアは恐怖の表情でその場にしゃがみんだ。
「ああ、始末しに来たわけじゃないから。とりあえず伝言。『あんたが店から持ち出したものは何年かかっても取り立てる。利子は真っ当な相場で計算するからご心配なく。』だってよ。」
「まっ……お許しを……お許しを……」
両手を付き酷く怯えた様子のティアをサラディーノが駆け寄り、右手の剣をネージュに向けながら左手でその背を抱き寄せる。
「貴様は……!?」
「あれ?聞いてないの?そいつに着服?横領?された店の店員だけど?一応神官らしいし、これは半年分の利子として貰ってく。いずれ元利合せて請求に行くからせいぜい浪費はしないことね。」
ネージュはティアにそう言い放つと『今更お前らの命には興味ない』と言わんばかりに一瞥し、全力の羽ばたきに風の精霊魔法の補助を乗せて一気に離脱した。
サラディーノや護衛達が呆然と見送る中、ティアは数年ぶりに会った実兄の腕の中でただ震えていた。




