消える。
ティナの指摘により大急ぎでカンセロへと移動したアデルとエドガーは人気の少なくなった市庁舎前の広場に緊急着陸した。
エドガーはすぐにカンセロ市庁舎へと赴き、火急の用事を知らせると今の代官である旧義勇軍の次席であったジョルジョがややラフな格好で現れた。
「こんな時間に何事ですかな?」
一時的にエドガーの方が上に座っていたこともあるが、基本的にジョルジョの方が年は上だ。そしてジョルジョも前々から『ウィリデに使われるならともかく……』と思っていた節もあった。今は自分の“直接上”にいないエドガーに対して横柄な態度を取ってくる。
時間は既に22時付近、確かに「こんな時間」ではある。エドガーは若干ムッとしつつも、言葉と表情を取り繕う。
「現在そちらが預かっておられるカッローニ殿に緊急でお会いしたい。タルキーニの住民蜂起は既に聞き及んでいるでしょう?」
エドガーの言葉にジョルジョは顔を顰める。
「いくら“我々”で保護しているとはいえ、相手は公爵家の跡取り、この様な時間から押しかける訳には参りません。どうぞ、明日の朝にでも再度お越しください。」
ジョルジョはそう言う。その顔には明らかに『めんどくさい』という言葉が浮かんでいる。
「だから火急の用事だと――」
「時間を考えなされ。」
エドガーが少し声を荒げるがジョルジョは取り合わない。エドガーがちらりと取り次いだ兵を見ると、ジョルジョの後ろで首を横に振った。
「……そうですか。では日を改めましょう。」
エドガーが感情の抜け落ちた様な静かな口調で言うと、『結局こうなるか。済まなかった。』とアデルに向けて引き返す様に言う。だが、この時エドガーの顔が“酷く穏やか”だったことにアデルは気付いていた。何か考えている顔である。
「夜分に失礼した。では日を改めます。」
エドガーはそう言うと踵を返しブリュンヴィンドの所に移動する。
「済まないがこのままタンデムで乗せてくれ。」
エドガーが静かにアデルとブリュンヴィンドに言うとアデルはその希望に沿った。
「すまない。あそこ……直接はまずいか、あのあたりに一度降りてくれ。」
離陸して2分ほど。エドガーは南へと向かったブリュンヴィンドを一度止めると、地上の光が届かない位置で引き返し、カンセロ北西部の郊外の1区画を示した。
言われるままアデルがブリュンヴィンドに指示を出す。
エドガーの誘導に従うと静かな住宅地に到着する。南国とは言え、冬季の夜となればそれなりに寒い。町はずれであり、時間も遅く既に屋外に人の気配は全くなかった。指定された一角の広場にブリュンヴィンドは着陸する。
「ここで待っていてくれ。」
エドガーはそう言うとブリュンヴィンドを降り、徒歩でどこかへ歩いていく。
アデルはネージュとアイコンタクトを取ると、ネージュは周囲を警戒しつつ、エドガーにも気づかれない様に――勿論、エドガーはそれを織り込み済みだろうが――後を付けた。
程なくして険しい顔でエドガーが戻ってくる。状況からして向かった先はカッローニ家の次男とやらのところであろう。
「やられたようだ。だが……いや。ネージュを戻してくれ。」
エドガーは何かを言い掛けて途中で止める。ネージュがその場にいないことでネージュがこっそりと“護衛”についていたことを察するとそう言い再度ブリュンヴィンドの背に乗った。
直接連絡はできないがこちらが離陸すればすぐにネージュも上ってくるだろう。アデルはブリュンヴィンドを宙に浮かせると、予想通り程なくしてネージュが合流した。
「空振りだった?」
ネージュがエドガーに声を掛けると、エドガーは静かに嗤う。
「もぬけの“空”だったが、“大当たり”だった。少なくともお前らの従業員からの“情報漏えい”ではなかったことがはっきりしたよ。」
「「ん?」」
エドガーの言葉にアデルとネージュが怪訝な表情で聞き返す。
「カッローニだがな。一昨日の夕方から馬車で既に出かけていたらしい。行先はグランディアと言っていたらしいが……実際は……」
「先を越されていた訳か。ってゆーか、ざる監視か。」
「そうなるな。すまないが予定変更だ。心配せずとも通常料金を出す。ネージュは急ぎ店へ戻って、緊急でコローナ王都を往復してくると店の者に伝えてくれ。アデルは――」
「へいへい。今日も夜更かしか……」
「いや、悪いな。恐らく朝帰りになりそうだ。ネージュ、この件を明日朝――いや、今夜、店の次にでもポルタの城のボーヴォワールという者に伝えてくれ。」
「長っ!?……覚えられるかな。」
舌を噛みそうに案る名前にネージュがげんなりという表情を見せる。
「噛んだら、エドガーからオーブリーへの伝言と言えば取り次いでくれるだろう。伝言を衛兵に託したらそのまま店に戻っていい。」
「りょ。」
ネージュが分かりやすい方を記憶して返答する。
「新年祭前に――もう一波乱あるかもしれん。」
エドガーが笑う。その笑みは文官のうわべを取り繕った笑みではなく、武人の獰猛なそれであった。
ネージュがポルトへ向かうのを確認すると、アデルはブリュンヴィンドの負担軽減のため、エドガーに魔法袋を被せて中に入れる。
今回はアンナの【疲労軽減】なしで冬の夜空の高速移動ということで、袋の外、つまりアデルとブリュンヴィンドにはそれなりの負担になる。アデルは通常料金の他、魔石屑を要求しようと心に決め、急遽コローナ王都へ向けて飛んだ。
日付が変わろうと言う時間にも拘らず、ブリュンヴィンドを迎え入れた王城の対応は早かった。
ブリュンヴィンドがいつもの場所に着陸すると、時間帯、そして予定にない来訪に何かしらあったと周囲の者達が察したのだ。
エドガーは袋から出るとすぐに南部方面担当の文官に一方を淹れる。『カッローニが消えた。』と。
すると程なく中から騎士が現れ、アデル達によく当てられる王城2階の待機室へと案内された。
ブリュンヴィンドを慣れた衛兵に託し、アデルとエドガーが待機室で待っていると、そこにレオナールが夜着にコートという格好で現れる。脇には2人に正装の騎士がいるが、雰囲気からして近衛というよりは側近、恐らく文官のように見える。
カンセロとは危機意識が違う。後でわかる事だが、これは“現状維持”を望むグラン・カンセロと、南への“影響力強化”を望むコローナの温度差でもあった。
「礼等は一切省く。カッローニが消えていただと?」
険しい口調でレオナールがエドガー確認すると、エドガーはつい先ほど見聞きして話をする。
21時ごろにカンセロに行きジョルジョ経由でカッローニに接触しようとしたが、日を改めろと言われ、その後気になったのでカッローニが滞在する屋敷の警備、そして侍従らに確認したところ、カッローニは一昨日の時点で荷物を馬車に乗せてグランディアへと向かったと言われたこと。そしてその前、昼間に行ったグランディアでのファントーニらとの会談の詳報も付け加えた。
「……何故そのタイミングでカンセロに向った?」
報告を聞き、十数秒ほど沈黙したレオナールはまずそこをエドガーに確認する。
エドガーはチラリとアデルと見る。
「げっ……お前それは酷くね?」
アデルは小さな声をあげるが、レオナールや側近に睨まれ渋々といった風にいきさつを話す。
「大変お恥ずかしながら……本日、タルキーニ出身の経理担当に……店の金と商品の一部を持ち逃げされまして。丁度昨晩、今日の予定を割り振るための相談の折、迂闊にも国境封鎖の話をしてしまいまして。」
「タイミング的にその情報がカッローニへ漏れる前に対処をと急遽カンセロ飛んだところ、一昨日の時点ですでに……という訳です。」
アデルの後にエドガーが続ける。実はこの経緯は2人でこっそり打合わせした台本通りだ。カンセロに向かった理由を聞かれた場合こう答えろと。
「一昨日、つまりは――国境封鎖の決定前に既に逃げ出していたと言う訳か?」
「おそらくは。ただ急すぎたので各方面への確認は取れていません。実際にグランディアへ向かった可能性もなくはありませんが……」
レオナールにエドガーが答える。
「……店の被害額は?」
「……概算で10万ゴルト、他に着火と灯明の魔具を百単位で……」
レオナールの問いにアデルは恐縮して答える。
「10万だと?随分な金額だが……部隊を長く維持できる額でもないな。とはいえ1日で持ち出せる額でもあるまい?」
「発覚が今日の夕方故、こちらもまだ調査途中ですが……もともとその者に経理・事務を一任していまして……帳簿から利益を削り、金貨や大金貨に換金していたのではと言う話になりまして、明日にでも両替商や関係先を回って確認を取るつもりではいましたが……」
「場合によっては飛び回ってもらうことになるかもしれませんな。」
やはりアデル、エドガーの順で答えつつさりげなくフォローを入れる。この辺りはティナが示した通りとなっている気もする。
「ポルトはどうなっている?」
「護衛としてカンセロまで同行していたネージュにボーヴォワール殿まで言伝を託しました。ボーヴォワール殿なら町の仕事は問題なくこなすでしょう。」
「そうか……ふむ。」
そこからレオナールはまたもしばらくの思案に入る。だがその顔からは表情が消え、周囲に不気味な緊張を齎している。本人は否定するだろうが、この辺りはネージュに――いや、ネージュが似ている気がする。
「わかった。お前達はまず、裏を取れ。カッローニの逃亡が確定し次第、すぐに余の所に連絡をした後、グランディアへ向かいこの件を問い質せ。グランとタルキーニがコローナを謀ったという前提でな。」
「え?」
レオナールの言葉にエドガーは少し困惑の表情を浮かべる。エドガーとしてはジョルジョの対応は如何な者かとは思ったが、グランとタルキーニが裏で手を結んでいたとは考えていない。
「あくまで疑ってかかるだけでいい。どうせそれをすぐに否定する“証拠”はでてこないだろう。その内にシュッドとイスタを動かす。文句があるなら、カッローニを引き摺ってでも連れて来いとな。」
「……空から探させますか?」
「……可能であれば、な。だがタルキーニに向かったと言う裏を取るだけで充分だ。余計な手出しはせず、国境はそのまま知らん顔で越えさせてやれ。」
レオナールはエドガーとアデルに向けて冷たい笑みを向ける。
「どちらも約束を反故にしてくれたのだ。それなりの代償は払っていただこう。」
レオナールはそう告げるとエドガーらに行動に移る様に指示を出し、部屋を出ようとした。
「ところで――」
レオナールは思い出したかのように足を止めると、アデルを見て声を掛ける。
「マリアンヌはどうだ?」
「……顔色と表情は大分穏やかになりました。今は家の中の仕事をお願いしています。」
「そうか……」
レオナールは少しだけ表情を緩めて呟く。それはロゼールから何も聞いていなければ、妹を案じる兄の姿に見えるだろう。しかし……
アデルは今後に一抹の不安を覚えたのであった。




