託される。
翌未明、秋の空が明るみだした頃合いにマリアンヌが起き出した。その気配と肌が離れたことにより当たる朝の冷気とでアデルも同時に目を覚ました。
「起こしてしまいましたか。」
マリアンヌが部屋に来た時に纏っていたローブを纏いなおして尋ねる。
「元は冒険者ですからこれくらいの気配は……何かありましたか?」
アデルの答えにマリアンヌは微かにほほ笑むと
「これより出立の準備に入ります。昼過ぎにはここを“追い出される”身ですので。」
と、柔らかく笑う。一線を越えて割り切れたか、昨晩当初に見せていた様な鬱屈な表情は取れている。
「忙しくなりそうですね……」
アデルはそう言いながらマリアンヌのローブの前側を閉じ、止め紐を結ぶとマリアンヌの手に軽く口を付けてその後ろ姿を見送った。
起きるにはまだ少し早い時間であるはずだが、昨晩の色々な感覚、感触が蘇ってくると二度寝する気にもならず、アデルも部屋に案内された時の服を身につけた。と、いうかこの部屋には他に着られるものがない。
アデルが着替えを済ませるのを見計らっていたかのようなタイミングで侍女が入って来る。
「おはようございます。まだ早い時間ですが……ロゼール様がお呼びです。」
侍女が少し睨む感じでそう告げた。マリアンヌと肌を合わせてすぐにその妹姫に会おうというのだから、事情を知らぬ者が見れば『なんだこいつ?』レベルの話ではない。
「お仕事関連の厄介ごと対処の密談です。今回の救出依頼も元々はロゼール様とレオナール様の差し金ですし。」
アデルはそう恐縮して見せ、その侍女の後ろに続く。案内されたのは先日通されたロゼールの研究室らしきところだ。
そこには既に他の関係者が集められていた。
「“マリア”様は美味しそうでしたね?」
などと意味不明な発言を放ってくるのはネージュさんである。どこで教わったのか。しかも何か微妙に違う気がする。
「何を言っているんだ?お前は」
アデルがそう声を掛けようとすると、オルタが『まあまあ、時間がなさそうだし後でゆっくりね。』と話を切った。
ネージュはマリアンヌの降嫁の話を聞いた時以上にニヤニヤし、アンナは何となくそわそわと落ち着きがない様子だ。
オルタはいつものように飄々とした感じで、シルヴィアと袋から出てきていたエミリアナは不快そうな表情でアデルやロゼールを見ている。
そして当のロゼールはただ淡々と言葉を述べる。
「ロラン先生には会われましたね?フィンの者はあなた方にお任せしますので、一度ポルトへ連れ帰った後、エミリアナ様と話し合って決めてください。雇用するもレインフォールに売り飛ばすもご自由に。ポルトは一時的にはコローナ領扱いですが、土地そのものはグランの土地であることをお忘れなく。」
フィンへの帰還を希望する者、エミリアナに準じるとする者それぞれの希望や意見のある中で結局丸投げされた形の様だ。
「そしてご結婚のお祝いにこれをアデルさんに差し上げましょう。ティナ、ここへ。」
そう言ってアデルの前に呼び出されたのは先日の救出作戦の折りロゼールの部下として参加した《魔術師》である。
「……ん?」
呼び出されたティナは特に何も所持していない。何か物品でもくれるのかと思ったアデルがやや怪訝な表情でロゼールとティナを見る。
「この者を差し上げます。ご覧の通り隷従の首輪で無理やり従えている犯罪奴隷であるのは前に説明しましたね?」
このお姫様、自国で禁じている筈の奴隷の個人所有を宣言しだしたぞ……などと考えている暇はなかった。
「……HA?」
アデルは更に怪訝な顔をする。
「姉の結納に犯罪奴隷って?」
ロゼールの意図がわからずにアデルはついそんな言葉を口にしてしまう。
「まあ、そうですね。姉の身の回りの世話をさせるなり、店の経営に扱き使うなり、もし夜に姉を相手にするのに気後れするようなら練習台にしてもらうかとも思っていたのですが、そこはいらぬ心配だったみたいですね。」
「えーっと……うん?」
ロゼールの言葉にアデルは少したじろぐ。
「まあ、なんというか……結局は兄の所為なのですが今回のベルンとの婚姻の件、当初の予定と変わった為に少々こちらが弱い立場になりまして……嫁入りに際して、コローナに――私に同行を認められるのは侍女1人だけという話になったそうでして。」
ロゼールの顔が歪む。
「彼女は少々優秀すぎまして。それに侍女としての能力はありませんしね。ですから、あなた方に託します。用途は先ほど言ったように好きに使ってください。一応取り扱い説明しておきますと、基本的に“主人”は私になっています。その“命令”で禁足事項を除きアデルさんの指示に従う様になっています。」
「「「……」」」
ロゼールの言葉に全員が複雑な表情で沈黙する。ただ新しい玩具と見たかネージュさんはマリアンヌの話とは別の雰囲気のニヤリとした笑みを浮かべている。
「禁足事項とは?」
「アデルさんが命令しても従わない、従う必要がないという事項です。一つは自傷・自殺行為。アデルさんが『死ね』と言ってもそれは実行されません。」
「ああ、うん。」
いきなり物騒なことを言い出したが流石に理由もなくそんな命令を出すつもりはない。
「次にこの者の過去の開示。この者から口にすることは勿論、アデルさん達に尋ねられた場合でも一切明かせないようにしてありますのでご了承ください。因みにこちらは“フランベル公国”についても多少の知識を持っている様ですので、それは後日尋ねれば答えられるでしょう。」
「「ほほう」」
フランベル公国、かつてアデル達がドルケンで救出したカミラが故郷と言い張る、伝承にのみ登場する国の名前だ。高位魔術師であるティナと何か関係がするのだろうか?しかし、尋ねれば答えるというところを見ると直接ティナの過去とは無関係なのだろう。
「それから……残念ですが、カミラさんは諦めてください。」
「諦める?」
「はい。私がベルンに発った後は兄が直接保護することになりそうです。と言うのも、ティナのお陰でカミラさんが古代人の生き残り……恐らくは冬眠装置の様なもので現代に流れ着いた存在であると確信するに至りました。古代人の知識は下手に表に出せませんので……ね。」
先ほどの怒り・不満とは違う負の感情の篭った表情を覗かせ乍らロゼールが言う。
「それから、許可なしでの魔法の使用も禁止してありますので、必要に応じて指示なり許可なりを出すようにしてください。勿論大前提としてアデルさん達への攻撃、明確にアデルさん達の不利益を齎す様な使用は一切できない様にしてありますのでそこはご安心を。」
「お、おう。」
やや気圧される様にアデルは声を漏らす。聞く限りロゼールとしてはティナの過去の開示だけは避けたい様子が窺える。ロゼールか或いはコローナ王家の名誉に傷が付きかねない案件なのだろうか?さすがにあの国王夫妻がレオナールより前に隠し子設けたなどと言うことはないと思うが……そもそも見た感じティナはアデルと同年代、どう転んでもそれはない。万一御落胤だとしてもそれを奴隷同然の扱いにはしないだろう。
「まあそう言うことでどうぞお納めください。今日この後アデルさんが南に戻れば間もなく、私とベルンの王太子の婚姻と、姉の降嫁が公告されることになるでしょう。恐らくは――これが今生の別れになるものと思います。どうか姉と……コローナと……可能であれば父と母の力になってあげてください。姉とティナをお願いします。」
ロゼールは一瞬、力ない笑みを浮かべると、その後は強い口調と表情でそう告げた。覚悟は決まっている様だ。
「兄に何か悟られる前に部屋にお戻りください。アデルさんはこの後昼過ぎまで自由に動けないでしょうから……オルタ。フィン兵はあなたに任せます。それからアンナ、ぽっと湧いて降ってきた私の姉に遠慮はいりませんよ。尤も他にいい相手がいればそれに越した事はないですが……私の兄には気を付けなさい。ミリアム様で味をしめたか、アンナも狙われている様ですよ。」
ロゼールはアンナとアデルを交互に見遣りそう言った。
「ネージュは……まあ、馬鹿やって人類の敵にならない様に祈ってるわ。」
「お?おう……」
突然話を向けられたネージュが少し戸惑った顔をする。
「それからティナ。私が出来る事はここまでです。あとはあなた自身の力でなんとかしてください。平穏な余生を過ごすも捲土重来を期すもあなた次第です。願わくば再び敵として私の目の前に現れないことを祈ります。」
そう言われるとティナは不快そうに眉を寄せた。
「それでは……あまり時間もありません。皆さん、どうぞお健やかに。」
ロゼールはそう言うと、侍女にアデルを任せ、それ以外には各々の準備をするように言う。エミリアナとティナは改めて魔法袋に入るとそれをオルタが持った。アンナとネージュ、シルヴィアは一旦夜が明けるまで元の部屋に戻る様だ。
来る時と同じ侍女の後ろを歩きながらアデルは一つ確信を持った。
それは、ロゼールはこのままレオナールの都合通りに流されるつもりはないと云う事だ。




