冒険者と適正試験
突然異種族の……しかも世間的には敵性とされる種族の兄妹が出来るという大きなイレギュラー以外は結局何も起きずに、アデル達はコローナ領に入っていた。
途中、猪を見つけ「御馳走だ!」と飛び掛かったネージュを追いかけたら大型の猪に出くわし慌てて始末したり、暗闇の中灯りも持たずに森の中に入っていき、ほどなくしてなぜか中型の猿を意気揚々と持ち帰るネージュにぎょっとしながらも、美味しく頂いたりと新たな二人旅を苦笑で楽しみながら森を抜ける。
もともとテラリア皇国との国境は魔の森が緩衝地帯となっており、明確な国境がある訳でもなく、またそれに付随する関所などもなかった。尤も、長い間この2国間では紛争もなく、生活域としての土地的な必要性や危険度のわりに無駄に長く広がる森に兵を常駐させるコストが見合わないのためである。
また、両国――森の両側と言うべきか。には多数の開拓村が存在し、独自の生活をしている為、ある程度の規模の町の出入り口以外は衛兵のような者もいない。良い時代に越境する事ができたものだ。
ネージュには、アデルの麻製の上着を着せ、腰の部分を皮ひもで結んでしまえば、超安物のワンピースが出来上がる。
翼は折りたたませ、極力目立たない様にする。肩から上へはみ出さないようにはするものの、側面から背中のラインを見るとどうしても浮き上がってしまう為、少し大きめの背負い袋を背負わせ馬の背に乗せる。
アデル自身も大きめの背負い袋を背負い、馬の手綱を引いていれば、パッと見る限りには周囲から見ても何の違和感もない。
すると目立つのは、異様に白い髪色と、こめかみからわずかに覗くまだ幼い竜の角である。事情を説明し、髪を首のすぐ後ろでざっくり切り落とすと、保存袋を加工し、フード状にして縫い付けた。
角や髪色を隠すには不十分過ぎるそれにネージュは懸念を示すが、
「大丈夫だ。問題ない。」
と、アデルは自信気である。
アデルが言うなら、とネージュはあっさりと受け入れた。ネージュだけなら飛んでどこかへ逃げればいいだけで、バレて困るのはアデルだけだからという自分に正直な理由の為である。
そして、彼らにとって最初の難関である……エストリアの町の入口にたどり着く。
エストリア――コローナ王国の東部、主に魔の森からの魔物の襲撃に備えるエストリア辺境伯の本拠地である。
魔の森からそれほど離れてもなく、時々威勢の良い魔物が突撃してくるため、周囲は高さ5m程の石壁に囲われ、東西2カ所の門が人間を受け入れている。
幅5~6m程、中型の荷馬車がなんとか通れるくらいだろうか?の門の両脇に一人ずつ衛兵が配置されている。
『コローナは王都の一部以外、種族に関しては寛容である。』
以前、父親や隣の家のおじさんに聞かされていたことを思い出す。
早速衛兵に声を掛けられる。衛兵たちはやはりネージュに視線を向けたあと、アデルの方に声を掛ける。
「身分証の様なものは持っているかい?」
「いいえ。僕らはテラリアの開拓村から森を抜けこちらにたどり着きました。」
すると、衛兵は驚いたような表情を見せ確認する。
「森を抜けてだって?どうしてまたそんな真似を……」
そこで、アデルはチラッとネージュに視線を飛ばし説明する。
「実は……妹が“鬼子”とばれてしまい、村を追い出されまして……」
「……両親は?」
「母は妹を産むと同時に亡くなりました。以後ずっと父親とひっそり暮らしてましたが……僕の不注意で妹が鬼子とばれてしまうと逃げる様にこちらを目指したのです。あっちはどこへ行っても差別が酷いですから。」
「父親は?」
「森を抜ける途中、グリズリーに……」
グリズリーというのは肉食の大型の熊だ。魔物と云うよりは動物の一種ではあるが、一般的な村人にとっては最大級の脅威である。
もっとも、アデルは森で出くわしたそれを仕留め食糧にして毛皮を戴いたのであるが……森にいたという事実の方が重要だ。
衛兵は揃ってネージュを観察する。
申し訳程度に隠した頭部、鬼子の特徴にして、被差別の対象である小さな角。服から出ている四肢の無数の傷。
「そうか……大変だったな。こっちで生活の当てはあるのかい?」
「冒険者か……無理なら運び屋でもやろうかと。父が残してくれた馬が無事でしたので。」
アデルはそう云いながら、馬の手綱を引き寄せる。
「そうか……ならばこの道を真直ぐしばらく行った所にあるエストリアの曉亭に行ってみるといい。あそこなら、冒険者登録もできるし、厩舎も備えてある。君に冒険者としての資格があるなら、かなりいい条件で部屋を貸してもらえるだろう。」
「!?」
アデルは強かに驚く表情を見せた上で……
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げて、街の中へと入って行った。
「……ふう。」
「……“鬼子”って何?」
「あれ?そっちは知らんのか?“鬼子”ってのは――人族の両親からごくごくまれに生まれる、小さな角を持つ子供の事だよ。」
と、アデルはネージュのこめかみの小さな角を軽く指ではじく。
「昔、鬼族に孕まされた女性の子やその血統に残る鬼族の因子みたいなものがたまーに出てくるらしい。これには二つ大きな問題があってな……」
「……?」
無言で話を促すネージュに少し困った表情でアデルが続ける。
「俺も実際目にしたのは、あちらの王都で1回だけだ。そのあとおじさんの話を聞いたところによるとだな……まず一つ目。人族だから卵でなくそのままの格好で頭から産まれてくる。こめかみからそんな感じで伸びる角をはやした状態でな。するとだいたい母親はお腹から産道が傷だらけになって、最悪死ぬ。早い段階で気付いて神官なり治癒術師を呼べば助かるかもしれんが、それが望めない田舎に行けば行くほど忌み嫌われる傾向がある。言葉は悪いし語弊もあるが、「産まれながらの殺人者」になりかねないからな……」
『産まれながらの』の部分に多少共感する部分があるのか、ネージュも眉間に皺を寄せる。
「二つ目。角以外にも鬼族の特徴が出やすいらしく、だいたい体が大きくて力もある。が、感情というか欲求を抑えるのが苦手らしいんだ。その辺はどこぞの翼のある種族と共通だな。で、大抵の町や田舎だと警戒されるんだが――冒険者となればその限りじゃない。流石に人種差別の激しいテラリアじゃ無理だろうし、全部が全部ってわけにはいかないだろうけど、コローナやフィン、ベルンシュタットあたりなら受け入れてくれる所はそれなりにある筈だ。」
「……どれも、隣のおじさんの受け売りだがな……」
「このところ、隣のおじさんばっかりだね……」
「まあ、槍の師匠だしなぁ。もともと、テラリア皇国の騎士団の中でもそれなりの身分だったらしいんだが、助けてくれた狐人族の女性に一目惚れして周囲の猛反対を押しのけて結婚……駆け落ちに近い感じで俺らの村まで落ちてきたって話だ。実際、目指したのはコローナだったんだろうけどな……俺やフラムを何度か帝都へと連れていってくれことがある。」
「帝都ってどんなところ?」
「町も綺麗で治安も良くて物もたくさんあって……田舎者には少々息苦しく感じることもあったけど、憧れの地というのは納得したよ。同時に田舎の何もなさと不自由さに絶望しかけたけどな。これで差別さえなきゃな。尤も連れてってもらった時にはまだフラムの種族が割れる前でさ、差別なんてものすら知らなかった――というか、他人事だったってのもあったんだが……今思うとがっかりするな。表向き奴隷を禁止しつつも、獣人たちを当然のように安働きさせたり、鬼子に危険な仕事をやらせたり……帝都に限らず、田舎もこっちの悪い部分はしっかりと息づいていたけどな……おじさんがその辺の事情も教えてくれたのは、フラムの種族バレした時に俺に期待があったのかもしれん。結局何もできなかったけどな……」
(その知識が、別の“亜人”を保護するために活かされているとは師匠も思うまいよ。)
アデルがそう呟くころには、紹介されたエストリアの曉亭がすでに見えてきていた。
アデル達は話を切り上げると、お前は田舎生まれの“鬼子の妹”ってことでいくからな?と念を押す。
馬の手綱を一旦ネージュに預け、先に中を見てくるとアデルが一人先行して店内に入ると、そこはそれなりに繁昌している様だった。
店内は、広めの食事処と言った感じだろうか。かなり広いスペースに、テーブルが10個くらい置かれている。
店に入ってすぐ隣に受付らしいカウンターがあり、店に入った所ですぐに声を掛けられた。
「エストリアの曉亭へようこそ。初めて見る顔だな。今日は何の用だい?」
「田舎から冒険者を目指してやってきたのですが、衛兵さんにここを紹介されまして。あと妹と馬がいます。」
「ふむ。馬はともかくとして、妹か……両親は?」
(まあ、聞かれますよね)
と、尋ねられたところで先ほど衛兵にしたものと同じ説明をする。
説明を終えると、受付は暗い表情になり、マスターを呼んでくると言い店の奥へ入っていくと、ひとりの壮年男性を連れてくる。
「ふむ。君がアデル君か。確かに良い体つきをしているな。馬と妹は?」
「勝手がわからないので、店の入り口脇で待たせています。」
「では、合流し一緒についてきなさい。」
男はそういうと店の外に出、入り口脇にいたネージュとプルル――馬の名前だ。を一瞥すると
「ほう……まあ、うちの店の奴らなら鬼子がどうのって言いだす奴はいないだろうから安心しろ。」
と言い裏手へと向って行く。
アデルは簡単に説明し、一緒についてくるように言うと、ネージュが手綱を握ったまま裏手へ一緒に付いてきた。
店の裏手には、厩舎と50m四方ほどの裏庭兼訓練場があった。
「うちの店を利用するなら、厩舎はここの空きスペースを好きに使うといい。利用できるかは君次第だがね。」
「俺次第って?」
「まず、君は冒険者という存在についてどれだけ知っている。」
そう尋ねられる。
「そうですね……主に魔物や害獣、賊の退治や依頼主の護衛とかを行うといったところでしょうか?コローナではテラリアのそれよりもかなりいい環境だとは聞いています。」
「テラリアは……なぁ……」
その言葉にマスターは渋い顔をする。
テラリア皇国では冒険者という職業はあまりよく受け入れられていない。特に古い都市部では選民思考が強く、冒険者などは流れ者にしかなれないようなやつらが最後に手を出す仕事だと言うのが一般認識だからだ。地方や田舎は排他的な思考が多く、余程必要に迫られない限りはそちらでも歓迎されることは少ない。
「テラリアと比べれば確かにコローナは活動しやすい環境にある。とはいえ、仕事の内容は大体が体を張り命を賭けるような仕事がほとんどだ。適性のない奴はこの場でお引き取り頂いている。」
「……でしょうね。」
「武器は持っているんだろうな?」
「これですね。」
そういうとアデルは背負っている袋から愛用の槍を取り出す。
アデルの槍は、槍としては短めの片手用の槍で、柄の部分には細い麻縄が巻き付けられている。
「槍か。馬に乗れるなら悪くないが……この紐は何だ?」
マスターはアデルが出した槍を手に取って確認すると、その柄に巻き付けられた紐に興味を示す。
「これですか?狩りの時はこの先端を持って投げます。」
アデルは槍を返してもらいながらそう答えると、紐の先端を左手で握り、10m程離れた所にある、大人の人間サイズの訓練用案山子に向い、3歩ほど助走(?)をつけて投げつける。
投げられた槍は巻きつけられた紐がほどけることにより、螺旋状に回転しながら見事に案山子に突き刺さると、今度は紐を手繰って投げた槍を引き寄せる。
「こんな感じですね。ビッグボアとかが逃げ態勢に入られるとどうしても追いつけませんし。」
「ほう……」
マスターの目つきが一変し感嘆の息が漏れる。
ビッグボアとは文字通り、大きな猪である。
その突進は相対する者の脅威でありつつ、一度逃げの態勢を取られてしまうと常人では凡そ追いつく事ができない。
「なるほど。狩りは実践済みか。もっともその体格と筋力量で田舎育ちというなら当然と言えば当然か。いいだろう。適性を見てやろう。技能は何か持っているか?」
「技能ですか?」
「冒険者技能と云うものだ。まずはそこからか。」
そういうとマスターが“冒険者”と“冒険者技能”について説明をしてくれる。
要約すると、“冒険者”とは職業「冒険者」である。
仕事の内容は先ほどアデルが述べたとおり、魔物退治や主に行商人らの護衛、他には傭兵なども含まれると云う。
職業としては、等しく“冒険者”で、そこに“戦士”や“魔法使い”などと言ったものはない。
ただ、冒険をする上で必要な“技能”を“冒険者技能”と呼び、そこには、《戦士》《拳闘士》と言った体術系の技能や、《魔術師》《精霊使い》等の魔法を操る技能、他に《斥候》や《狩人》、《騎手》《射手》《薬師》と言った各方面に習得しておくと冒険に役立つ技能などがある。
唯一、《神官》だけは、神の祝福を受けた者が得られる“技能”でありまた“職業”となりうるそうだ。だが、彼らは神殿や修道院等で働いていることが多く、冒険者として活動する者は多くない。
このような技能のカテゴライズ……系統があるのは、ある程度似通った部分を纏める方がその者が持つだいたいの能力の把握やそれらの技能の伝授の効率がいいからだ。
技能分類上《戦士》と纏められはするが、そこから剣を扱うか、槍を扱うか、斧や鈍器を扱うかなどは個人の自由で、その場合はその武器の先生に習うのが一番早い。ただ、戦士技能レベル5と言われれば、冒険者の知識がある者なら、その冒険者がどれくらい白兵戦ができるかという目安になる。
少なくとも、(実質)1人でやっていくとなると、体術か魔術の何かと戦う為の技能は必須となるのは確かだ。
「一応聞いておくが、魔術は?」
「一度も習ったことがありません……」
「だろうな。」
この世界に於いて魔術は、長い時間を掛けてでも頑張って習得すればほぼ誰しもが扱うことができる。ただ、その力の元となるマナ(魔素)やエーテル(元素)のキャパシティには個人差があり、習得の早さや制御力については主に理解力(つまり賢さ)によってやはり個人差が生れる。また、習うには優秀な師か、機関などに高額の報謝を支払う必要が生じ、実際には誰でも――という訳にはいかないのが実情だ。
「まずは、《戦士》として槍の実力を見せてもらう。得物はこれを使え。」
マスターはそう言うと訓練用の武器置き場から、アデルの物と同じだいたい同じ長さの木の棒の先端に鉄の重りの付いた物を寄越す。
「こんなものでも舐めてかかると大怪我するからな?冒険者を目指す以上、多少の怪我は覚悟しろよ?できないならこの時点で回れ右だ。」
マスターはそう言うと、自身は剣に見立てた鉄の棒を手に訓練場の真ん中まで歩いていく。
「好きに打ち込んで来い。但し、いきなり投げつけるのは無しな?純粋な技量を見たい訳だからな。」
と挑発する様に手招きをする。
「それでは――」
と、アデルも自身の全力を以て対峙する……が、結果は何度やっても惨敗だ。何回か当てられそうなシーンはあったが、どれもぎりぎりの所で回避され、手痛い反撃を受け地面に転がされる。
「ボロボロの見た目の割には随分と見事だな。誰かに師事していたのか?」
「田舎の隣の家のおじさんが俺の師ですかね。」
「名前は?」
「ウィリスって言いますが……テラリアの片田舎の話ですし……」
「ウィリス?テラリア?どこかで聞いたような……まあ、中々見事なものだ。駆け出し冒険者にしては十分すぎる腕だな。」
マスターはそう言うと何かを唱える。すると掌から柔らかな光が発せられ、アデルの打ちつけられた箇所にかざす。
「……これは!?」
「基礎的な精霊魔法だよ。神官達の神聖魔法と比べると効果も効率も落ちるが、こちらは基礎を学び、精霊に嫌われなければ誰でも扱えるようになる。さて、次は……」
アデルの体から痛みが消えた所で、マスターは厩舎から一頭の馬を連れてくる。プルル同様、早さよりも力強さ、頑丈さに重きを置いた馬のようだ。
「次は馬上での腕前を見せてもらおう。今回は双方、馬への攻撃は禁止だ。」
「え……?」
「ん?なんだ?せっかく馬を持っているのに馬上戦はやったことないのか?」
「ないですよ。この馬も乗れない事はないですが、どちらかというと荷運びをさせる事の方が多いですし……」
「ふむ。そう言えば鞍の類が付いてないな。ま、物は試しだ。乗ってみせてみろ。」
「おおう……」
マスターがニカっと笑ってそう言うと、アデルも覚悟を決め、ネージュからプルル手綱を受け取ると、プルルの首筋を何度か撫でてやったあとに跨る。
左手で手綱を握り、右手で訓練用の槍を構える。
“馬に乗る”と“槍を構える”は別々にこなすなら何の問題もないが、同時にこなすとなると途端に難しくなる。鞍や鐙もない馬上で多少重さのある槍を構えただけで姿勢が不安定になる。
「ああ、うん。全然形にすらなってないな。まあとりあえず打ってこい。」
アデルはそう言われ何度か仕掛けてみるものの、不慣れな――と云うよりもむしろ初めての馬上槍でどうこうできるわけもなく――
開始数十秒で馬の背中から転げ落ちさせられるのであった。
……
…………
………………
アデルは立て続けに5回ほど転がされたところで、ネージュが呆れたという表情を浮かべたのに気づいてしまった。
アデルとマスターは馬上戦を諦め、再度地上に立っていた。
ただ、今回はアデルはマスターの勧めで左手に丸い木の楯を持っている。
「馬上戦は当面、実戦は諦めろ。無理にやっても、せっかくの馬を無駄に消耗するだけだしな。そこでだ――
得物が片手槍なら、空いてる左手で盾を持ってみたらどうか?」
と、言う事である。
アデルにとっては青天の霹靂であったが、“冒険者”としては大いにありの様子だった。元々素質があったのか、軽い木の楯は直感的に扱う事が出来た。と、言ってもせいぜい見え見えの大振りを楯で防ぐ程度だが。
しかし、それが無ければ体ごと避けるか槍の柄で受け流すか弾き返すしかないので、行動の選択肢と安定感はぐんと増し、先ほどの地上戦よりも大分マシな戦いが出来る様になったと思える。
とは言え、その実力差は文字通り歴然としており、アデルが一本を取ると云う様な事もなく、またしても5回目に転がされようとしたときにそれは起きた。
「「!?」」
二人の横を何かが高速で抜けると、マスターがそれとは反対側に飛び退く。
その位置に見えたのは、マスターの背後から決めるつもりだったであろう肘鉄を空振りしたネージュの姿である。
「チッ」
マスターは小さく舌打ちをし少々の怒りの表情を浮かべると、それでも手加減をしているとわかる速さでネージュのいる位置へ鉄棒を振り降ろす。ネージュの方もそれを余裕で飛び退き避ける。
「「おい!」」
声を上げたのはアデルとマスターだ。そしてマスターはさらに続ける。
「何の真似だ?こういう時にふざけた事をしていると大怪我するぞ?」
「お兄ちゃんがあまりにも不甲斐なくて……狩りしてる時はもう少しカッコ良く見えたんだけど……」
「悪ぅございました。」
ジト目で見つめてくるネージュにアデルは肩をすくめる。
「まあ、見てるだけで暇だったし……」
そこでネージュはニっと笑うと、マスターとの距離を一息に詰める。
「「ちょっ!?」」
マスターは降ろしていた鉄棒を振り上げようとするが、一気に剣の間合いよりさらに内側に入り込んだネージュはその鉄棒を外側に蹴りつけ妨害すると、右手を突き上げた。
120cm位の体躯から全力で突き上げられた右拳は――
無情にもマスターの股間を直撃していた……
10歳程度の少女の力とは言え当たりどころが当たりどころだ。マスターはしばらくうずくまったあと、大きく息を吐き出すとゆっくりと起き上がり何度か軽くジャンプをしてネージュをにらみつける。
「人としてやっていい事とやっちゃいけない事の区別はつけるようにしろよ?あと坊主もそこんとこしっかり教育し直しとけや……」
「面目次第も御座いません。」
アデルはネージュの頭を右手で、アイアンクローを上から掛けるように掴むとその頭と一緒に自分の頭も下げて謝った。
「次はないからな?まあいい。冒険者としては合格だ。むしろ駆け出しとしては十分すぎる腕前だ。槍の腕前を磨くもよし、馬上槍を身に着けるもよし。その辺りは自分で判断しろ。嬢ちゃんも無駄に良い動きしてやがるしな。そのうち優秀な《拳闘士》になれるだろう。」
「そのうち?」
「そりゃそうだ。冒険者は成人してないとなれないからな。」
この世界における人族の成人は国や村によって若干違うこともあるが基本的に15歳だ。
開拓村に於いては、年月日という概念は薄いが、それでも農作業や気候の予測など大人なら何かしらの記録なり暦などで把握できるだろう。ただ、アデルもネージュも正確な自分の誕生日と云うものを知らない。そう告げると、
「まあ、本人たちが気にしてないならだいたいで十分だ。兄ちゃんの方はガタイもいいし充分満たしてると認められるが、嬢ちゃんの方は流石に無理だ。」
「ぇぇぇええええ」
実際の所は16歳と9歳なのだが本人も誕生日を知らない以上把握はできていない。
「とりあえず、冒険者と認めてカードとタグは作ってやる。あとでギルドの方に登録する書類に記述しておけ。文字は書けるな?」
「あっ……」
「多分、大丈夫かと……」
苦い表情をするネージュとアデルにマスターは苦笑すると、
「俺の名前はアリオンだ。まあ、マスターとでも呼べ。お前らは?」
「アデルとネージュです。宜しくお願いします。」
「ああ。厩舎はそこの空いてる場所を好きに使え。掃除は係の者がいるが、食事と手入れは自分でやる事だ。あと部屋だが……登録後から1週間は素泊まりはタダだ。まあ、これは新人に対する期待と試験合格に対する俺からのご祝儀だ。他所の店は知らん。それ以降は1人部屋だと1日10ゴルト。2人部屋だと15ゴルト、月契約ならそれぞれ、200ゴルト、300ゴルトとそれなりにお得になるが、出掛ける等で使わない日も1日として数えられる。護衛依頼等で町から離れることがあると少し損な気もするかもしれないが、契約月中はいなくても部屋の現状を保持するから拠点として長く使うならそちらを勧める。とりあえずは……1人部屋でいいよな?」
「大丈夫です。」
「うん。」
「よし、では書類を書いた後にアデルの方に部屋の鍵を渡そう。その後で厩舎の職員に馬の――いや、決定してるならこの場でいいか。馬を紹介しておけ。」
「わかりました。」
「他にに何かあるか?」
「そういえば……道中で狩った獲物の毛皮とか売れませんかね?」
「ああ、素材等の戦利品か。うちでいいならあちらで買い取りをしているぞ。相場と大きく離れている事はないと思うが、額に不満があるなら自分たちで取引先を探せ。」
「今回はすぐ入用ですしこちらでお願いします。」
まずは、厩舎の職員にプルルを紹介し、道中で狩ったビッグボアやグリズリーの毛皮を換金してもらう。その時点で、
「グリズリーを狩れるのか……ならわざわざテストする必要もなかったかもしれんな……。父親に関しては触れずにおくが。」
「恐縮です……実際、槍を習っていたのは俺だけですし……」
整えた顎髭を撫でながら呟くアリオンにアデルは肩を竦めるしかなかった。
書類を記したあと、部屋の鍵を貰う。
冒険者としての生活に必要な物のほとんどがここで完結できる環境はアデル達にとって本当に有難かった。