一部屋だけの前夜祭
閉店の看板が出ているにも関わらず、大勢の賑わいが聞こえる店内の様子を見てエドガーが決まりの悪そうな顔を見せた。
そのエドガーの後をチラリと見るとアデルもその理由を察する。エドガーの後ろに案内されるように待機していたのは他ででもない。明日の来賓である筈のレオナールとミリアムそしてファントーニである。
ファントーニがドルケン組に会うのはおそらく初だろう。アデルは『少し待っててくれ。』と言い店内に入り事情を話す。
様子を見に来たのか、それとも翼竜の飛来を聞いたか、恐らく後者だろう。アデルはグスタフやレイラにレオナールとファントーニの来訪を告げる。
せっかくの寛げる席ではあったが、そこは本業:国王と力の国の裏の女帝である。しかもどちらも“公式”の招待者ではない。事情を察し短く承知したとだけ述べると、グスタフは崩した服装を直し、レイラは変装術を掛け直す。
それを確認しアデルはエドガーの所に戻り、改めて扉を開く。
「お待たせしました。本日の営業は終了しておりますが……どうぞ。」
アデルが扉を開くと、エドガーが一歩下がり彼の“来賓”を店の中へと通す。
レオナール、ミリアム、そしてファントーニの順で店内に入ると中の様子を見てレオナールが一声かけた。
「お寛ぎの最中恐縮する。街に入る時に翼竜の編隊が見えたので、もしかしたらと思いまして。」
国力を考えずに単純に国と言う形にとらわれるなら立場的にも年齢的にもグスタフの方が上だ。レオナールは店内に入ると、まずグスタフに一礼し挨拶をした。
ディアスたちもマリエルとヴェルノを除けばレオナールとの面識はある。ただ彼らから見れば西の戦地でのブラックな雇い主としての面識であり、ディアスたちは一様に他の者とは違う意味の緊張をした。
レオナールはレイラの変装した姿も承知しているらしく、レイラを見て少し驚いたが、後にいるグランの者には一切悟らせずに目礼だけをした。レイラの方は商人らしく深い一礼をした後、別の――アデル達の店の者達の席へと移動した。
レオナールのすぐ後ろにはミリアムとファントーニ父子が並んでいる。親子間での和解は済んだのだろうか?とアデルは思ったが口には出さない。ミリアムが内心を殺してでも妥協するのは目に見えていた為だ。ロゼール同様、この辺りは覚悟のある貴族女子である。
そのミリアムを見てディアスやルベル、そしてヴェルノも一瞬言葉を失った。恐らく見惚れたのだろう。公式の華やかな衣装ではないとはいえ、その見た目と気品は貴族の子女の中でも別格であるのは間違いない。
「……俺から紹介した方がいいですか?」
アデルはレオナールに小声で尋ねた。この場にいる者全員と面識があるのはアデル達だけであるからだ。ファントーニに関しては面識と呼べるものかどうかは微妙なところではあるが。
「いや、良い。」
アデルの提案をレオナールは断ると、自らその妻とその義父をアデル達の“招待客”へ紹介した。
グスタフとベックマンが自ら名乗りを上げ、ファントーニに右手を差し出すと、ファントーニは補足の自己紹介をしながらその手を握り返した。
「うーん。冒険者の店の様な専門の部屋はありませんけど……別の部屋を用意しますか?」
冒険者の店の専門の部屋というのは防諜の施してある密談用の部屋のことだ。形ばかりの冒険者経験のあるレオナールにはそれで十分伝わるだろうとアデルはそのように尋ねた。
「……いや、必要ない。我々が勝手に押しかけて来ただけだ。話をできるだけでも有り難い。」
レオナールはほんの一瞬だけ思案しそう答える。
「承知しました。あっ、ちなみにこちらがこの町の新代官に正規に収まる予定のエドガー・ディオールです。」
アデルがついでの様にエドガーを紹介すると、グスタフらは少し表情を緩めつつもエドガーともしっかりと挨拶と握手を交わした。
アデルは視線でディアスに席の移動を頼むと、ディアスたちも既に手の付いた料理を持って別のテーブルへと移動した。
「アンナ、ルーナ、済まんが追加頼めるか?」
アデルが料理班2名に頼むと、2人はすぐに追加の品の調理へと向かった。
「使い掛けのテーブルで申し訳ないですが……」
とアデルはレオナールとファントーニをグスタフらのいるテーブルに案内し、ほぼ無意識に
「エドガーとミリアはどうする?」
と尋ねる。その瞬間、レオナールが一瞬だけ眉を寄せたが誰もそれには気付かない。
否、ミリアムだけはそれに気づいたか、ミリアムはすぐに目でレオナールの意向を伺った。『話に不要なら別の席に行きますが。』と。
それを受けたレオナールは即座にミリアムとファントーニを同じテーブルの席へと促した。
唯一促されなかったエドガーはわずかに苦笑をもらし、一歩下がり軽く礼をするとディアスたちに許可を取りそちらのテーブルに着いた。
「OK。じゃあ、オルタ。良さ気の酒を頼む。」
アデルは次にオルタに酒を頼むと、オルタはすぐに
「“レナ先生”自慢の品オナシャス!」
と軽く酔った雰囲気を醸し出しながらレイラに向け話を丸投げした。船乗りとして、レイラの側近としてオルタがこの程度で酔う訳がない。恐らくレナと言うのはレイラの変装時に使用される偽名なのだろう。『この姿のレイラはレナである。』そう固定させることで咄嗟の時でもその様に対処しやすいのだろう。
そう呼ばれたレイラがオルタが言う通りにまずはワインを用意するとフローラが侍女として完璧な所作でそれを“来訪客”らへと注いでいく。
『ほう……』と言わんばかりの表情でそれをレオナールとファントーニがその動作の一部始終を観察していた。
そのフローラの用意が整ったタイミングでアンナがすぐに出せる物を用意し、酒の供にとテーブルの上に並べた所で、アンナと視線を交わしたグスタフが小さく頷く。
グスタフは新しい物に取り換えられたグラスを持つと『それでは頂きましょうか。』と、“訪問客”3人にグラスを手に取るように促す。
「新たに生まれる町の大いなる発展に――乾杯。」
グスタフが音頭を取ると、レオナール、ファントーニ、そしてやや遅れてベックマンとミリアがそれぞれのグラスを響かせ合った。
少し間を置いてルーナとアンナがメインを張れる高級な白身魚の料理とグランでは庶民的ともいえる卵と海藻のスープを持ってテーブルに並べる。そのルーナの横顔を見てファントーニは一瞬ぎょっとした表情を浮かべた後、ミリアムと視線を交わす。ミリアムも同感だと言わんばかりの表情で父に視線を返して頷く。
「君は……?」
ファントーニが興味深そうにルーナに尋ねた。
「……?ここの店員です?」
少し語尾を上げ気味にそう答えるとそれに納得いかなかったか、ファントーニは追加の質問をする。
「出身はどこかね?」
「……ここからだと少し――結構東か。カンセロの北東、コローナとの国境近くの森にあった名もない村です。“魔女”に滅ぼされたので私と姉さま以外もう誰も残っていませんが。」
「姉さま?」
ファントーニの更なる問いにアンナが答える。
「私です。その村で3年程お世話になった事がありまして。」
――賊に売られたけれど、とは言わないが。
アンナがそう答えるとファントーニは少し顔を伏せ、『我が旧領内ではないか……そうか、辛い思いをさせて済まなかった。』と詫びた。
「いえ、私たちだけに限った話でもありませんし。すべてはフィンの所為。侯爵?様の心を煩わせる訳には。」
ルーナがそう答えると、ファントーニは再度『すまぬ。』とだけ呟いた。
アンナとルーナが下がるとアデルはティアとエミーにアンナたちと交代する様に命じた。
エミーはいささか不満げな表情を見せたが、この状況で自分が居座っても自分にも他にも碌な事にはならないと理解して大人しくそれに従う。するとエミーに宴の“準備”など出来る訳がないとエミーにオルタがついていった。
レオナール達が来る前から働いていた年少組に席について夕食をとるようにアデルが言うと、元王城付侍女の矜持か或いは“親への土産”と情報が欲しいのかフローラは一番最後で良いと着席を辞退し、そのままグスタフの後ろに控えた。
アデルとしてもそれはそれで有り難いので無理に下がらせることはせず、その辺りの判断は本人とテーブルに着いている者達に任せることにする。
アデル自身はモニカとエドガーと共にディアスたちのテーブルに腰を据える。“レナ”はシルヴィアと共に店員席に移動した。その席には現在アンナとルーナ、ユナがいる。
ネージュはハンナに声を掛けると2人でブリュンヴィンドの兄弟たちの相手をしてくるとテーブルの皿を何枚か持って裏庭へと向かっていった。
席の再編成、移動が済んだところで来客席にフローラが酒を注いで回る。レナの指示によりテーブルの脇に運ばれた台車の上にはいくつかの酒瓶と2種類のグラスが置かれていた。レナが少量だが西大陸の“清酒”と呼ばれる、変わった蒸留酒が手に入ったと告げると、グスタフのみならず、レオナールやファントーニもそれに興味を示すと、『飲みやすい割に酒精が強く、飲み過ぎに気を付けないと肝心の明日に障りますがね。』とレナが一言注意を入れた。
その言葉が聞こえたかルベルが少し羨ましそうな表情を見せたが、以前フロレンティナ強襲前の小宴で飲む機会があったディアスがそれを絶賛すると今度は恨めしそうな表情になり、周囲の笑いを誘う。
そんな中、アデルは小声でモニカに尋ねる。
「先程グリフォンからグルド山の南北で皇国兵が動いていると聞きました。北ではケンタウロスと衝突したそうですが、テラリアの話ってどうなってます?」
元々はネージュがお漏らししたネタであるが、今回グリフォンから裏付けが取れたのでそれとなく尋ねてみる。
「どれもグルド山の東側の話らしいな。我々も常に斥候から話は聞いているが、今のところ我が国に被害らしい被害は出ていない。ケンタウロスがテラリアの前線にちょっかいを掛けたらしいが……我々としては、そこからなし崩し的にグルド北を紛争地域とされない様に警戒はしている。どさくさに紛れて国境を越えるなんてことは奴らの常套手段だしな。」
「その辺り……グランも一部皇国と接してる筈ですよね?その辺の話聞いてるのかな……」
「テラリアとグランの関係はうちよりはこじれていない筈だ。勿論油断できる相手ではないが……その両国の国境はほぼ平地だ。軍全体からの評価の高い侯爵が不穏な動きを見落とすとは考えにくい。」
モニカはそう答えた。関わる気はないがそれでもテラリアの動きはアデルとしても気になる話ではある。
詳細は聞こえないが、レオナールたちは穏やかに歓談している様子だ。
レオナールからみれば、ドルケンとグランが友誼を深めれば当面東側が安定する。南や西にリソースを傾注できると言う訳だ。ドルケンから見れば戦後間もないグランはそこそこの経済力を維持しつつも色々物資が不足しており、武具や鉱物の新たな得意先となりうる。グランはとにもかくにも国内の安定が最優先で、可能であれば徐々に軍を補強していきたいというところだろう。それこそテラリアや蛮族の戦が飛び火してこない限り全く損のない話である。地勢的にもその飛び火の可能性はかなり少ないと言える。
レオナールたちも流石に祝典前夜の大事な時に長時間公務を開けるという訳には行かないのだろう、30分も経たないうちにグスタフらに暇乞いの挨拶を始めた。恐らくは本当にグスタフとファントーニの顔を繋ぐことが目的だったのだろう。立ち上がるとまず先にアデルを呼んだ。撤収の空気を読んだエドガーも一緒に立ち上がるとレオナールは手でそれを止める。先にアデルに話があると言う事なのだろう。
「マリアンヌ――いや、妹が世話になった。」
マリアンヌを敢えて“妹”と呼びなおしてレオナールは軽くアデルに頭を下げた。その様子に周囲の者は皆一様に軽く驚くが、下手なリアクションで空気を動かす様な真似はしない。
「いずれ“父”からも礼があるだろう。“妹”はあれ以来、塞ぎ込み体調を崩していてな。出来れば気晴らしにと新たな街を祝う祭りを見せてやりたかったのだが……」
「お察しいたします。事態が事態ですので、現実を受け入れるだけで一苦労でしょう。」
レオナールの意図が読めずにアデルは無難な言葉を返す。ただ『いずれ“父”から礼がある』ということは逆を言えば国王から呼び出しがありうると言う事でもある。
「ああ。本人も周りも……な。」
「ご身分がご身分ですので致し方ないのでしょうが、周囲がざわつけばざわつくほど王女殿下にはご負担でしょうに……」
「そうだな。あれは自分よりも周囲の苦労を厭う気がある。」
(その姉に妹は随分な言葉を掛けてましたがね。勿論、妹の方が正論ではあるのだけれど。)
アデルは内心でそう思った。だが次にかけられた言葉は予想外――いや、可能性は十分あるか。と思える話であった。
「しばらくの間、王宮の有象無象共とは無縁の地で――出来れば安全に静養させてやりたいと考えている。」
次に来るセリフは何となく予想がついた。言い方もまた巧妙だ。『有象無象』の所で表情を歪め、『出来れば~』から後ろを眉を八の字にして言う。いわゆる“予測可能回避不能”と言う奴である。
「しばらくの間、ここで受け入れてやっては貰えないだろうか?」
神妙な表情でレオナールが言う。アデルの予測通りだ。しかしアデルは少し斜め上の回避を試みる。
「宜しいのですか?ここにはレア様どころか何の神殿もありません。それに……うちで受け入れるとするなら逆に店番くらいはしてもらうことになりますが?」
マリアンヌは地母神レアの敬虔な神官だ。恐らく祈りを欠かす日は1日もないだろう。この町にはその神殿はない。また、庶民に紛れて生活させるというのであれば、店に於いて何かしらの役割を持たせないと色々不自然だ。マリアンヌの性格からしても、塞ぎ込んでいる今は分からないが、少し落ち着けば“ただ飯を食らう”ことを良しとはしないだろう。
アデルの答えにレオナールは少し破顔しながら言う。
「無論だ。今は無理かもしれないが……祈るだけで他者に全てを依存して過ごすなど出来る奴でもない。店でも奥でも好きに使えばいい。」
アデルはこの言葉を額面通りに受け「わかりました。」と了承の返事をした。
アデルはまだレオナールの“国の為の狡猾さ”を正しく理解していなかったのである。




