解放と混沌
エストリアの上空から敵将の竜人――否、竜人に擬態していた夜魔が消えた。
それによって解放されたのは――
更なる混沌であった。
まずは門の外。魅了によって強引に一つの作戦に纏められていた蛮族軍はその統率が無くなり、でたらめな行動を取り始める。
特に顕著だったのが巨人達だ。
東の3体はカーラが消え、魅了が解けると突然周囲の妖魔共を襲い始めた。
暴れ出した巨人たちに、もともと魅了すら能わなかったゴブリンやオークといった下級妖魔たちはパニックを起し散り散りになる。
踏みつぶされない様に逃げ出そうとして他の者に転ばされ潰される。或いは巨人が適当に振り上げた足に数体纏めて蹴り飛ばされる。
魅了が解けた後のオーガやトロールといった上位勢はその下級妖魔を怒鳴り付け、或いは物理的に説き伏せながら巨人たちへの攻撃を始める。
蛮族たちの言葉がわかるならきっとそこは阿鼻叫喚とかいうレベルでは収まらないのであろう。
そんな中、東側3体の巨人はそのうちの1体を守る様に展開し、襲い来る妖魔たちを蹴散らしつつ後退をしていた。
また、西側でも2体の巨人が同様に暴れ出すと、一気に東へ合流すべく大股で走り出す。その猛烈な踏み込みや蹴り上げに巻き込まれない様にと妖魔たちが一斉に散る。。
一方、人族の方も一枚岩とはいかない様だ。
カーラの最後の闇に当てられた住民たち、主にマリアンヌの浄化が届かなかった西地区、ハルピュイアの爆撃を受けた付近を中心として住民たちが一斉に暴れ出したのだ。
解放されたのは恐怖の反動、抑圧された怒りと憎悪が周囲の兵、そして今上空にいる“竜人”にも向けられる。
口々から罵声を浴びせられ、中には石や瓦礫を投げつけてこようとする者までいる。残念ながら“空中戦の流れ弾”であるブレスに家屋や家族が巻き込まれたものがいるのは事実だ。だが、ネージュが対応しきれなかったらエストリア住民はたちまち妖魔たちの玩具か餌にされていただろう。
勿論、上空数十メートルのネージュに届く訳もないのだが、その外れた瓦礫に当たりけがをした別の住民やその周囲の者たちまで暴れ出し、複数の住民グループと兵士達の大乱戦が始まると、アデルやマリアンヌも流石に渋い顔をする。
マリアンヌは『ほぼ最後になりますが』と、残りの区画でも先ほどと同様の大魔法を掛けて回った。一応、暴動にまで発展しているのは北西部のみのようだ。
王女直々の鎮静と治療の魔法に、全てのエリアである程度の鎮静化は見られたもの、それでも再度何かきっかけがあればすぐにでも再燃しそうな空気を帯びている。そして門の外では蛮族達が敵味方なく大暴れしているのだ。下手な対処はできない。
「魔人の呪いでしょうか?完全に治めるのは難しそうです。それに私もそろそろ……」
マリアンヌが苦しそうな表情を見せる。
種類こそ異なれど、この半日で超範囲を誇る大魔法を10回以上行使しているのだ。流石のマリアンヌも限界が近そうだ。
幸いなのは人族の将兵や冒険者らの大半が理性的に動いている様子が確認できることだ。
西門外は元々数が少なめの所にネージュの強化ブレスである程度間引きされている。ネージュが開けた城郭の穴は少々気になるが、そこに埋まっている氷はそう簡単には破壊も溶解も難しそうだから今日1日くらいは大丈夫だろう。
そして東門の外はついに西の巨人達も合流し、統率の取れた撤退戦が続いている。それに対峙する蛮族軍もトロールやオーガの硬軟合わせた指揮により先ほどよりも軍らしい動きになりつつある。
「なんだあれ?仲間割れか?」
東側の状況確認に向かったアデルは蛮族同士の乱闘を見てそう呟く。
「……もともと巨人族は呪いと人質によって働かされていた様ですし、もし呪いと言うのが魅了の事であったなら、先程の憎悪増幅に当てられてああなっているのでは?だ、そうです。」
下から謂れのない――こともないが、やはり不当に近い罵声を浴びせられ不機嫌であろうネージュが冷静にそう説明した。例によって言葉にしているのはアンナだが。
「なるほど、それが一番現状に合ってるな。……ふむ。ネージュの方はもう一発いけるか?」
アデルの問いかけにネージュは首を縦に動かして肯定する。
「よし、東門と奴らの間に牽制を兼ねて氷塊を作りつつ抜けてそのまま離脱するぞ。殿下をブリュンヴィンドに移動させてくれ。」
「え……」
アデルがアンナに指示をすると、マリアンヌが振り返り何かを言いたそうな表情をアデルに見せたが、それ以上は何も言わずにその指示に従った。
アンナが抱えながらマリアンヌをブリュンヴィンドに乗せるとアンナがその前に座る。
「もう十分でしょう。本来殿下はここにいない筈ですし。このままヴィクトル達に状況を伝えてイスタとその部隊に報告。その後少し屋敷で休んでから今日中に殿下をカンセロに送ります。
「わかりました。」
マリアンヌが若干渋い顔をする。
まだ混乱中の戦地を離れることに難色を示したのだろう。しかし、ほぼ魔力切れの状況で、下手をすればアデル達を余計な騒ぎに巻き込みかねない。ここまでくればエストリアの部隊・冒険者らでも乗り越えられるだろう。下手に干渉を強めてエストリア辺境伯とその派閥貴族の態度を硬化させても仕方ないと拒否まではしなかった。
アデルとしても“マリアンヌの貸出期間”は聞かされなかったが、出来れば今日の内にマリアンヌをカンセロに戻し、マリアンヌの口からレオナールやロゼールに説明をして欲しいという気持ちもあった。
「よし。行こう。ネージュは最後のブレスの準備だ。拡散モードでなるべく広く撃ってくれ。場所は俺が指示する。アンナは風の魔法で、アリオンさんに『仮受けた殿下の魔力が限界近いので安全圏に撤収する。』と伝えてくれ。一方的で構わん。そのあとは……余裕があればあの巨人の中央――守られてるっぽいやつに“疲労軽減”でも掛けてやってくれ。こちらを攻撃してくるようなら無理はしなくていい。」
「GYO」
「わかりました。」
アデルの指示に妹sが即座に了解の返事をする。
「それじゃ、行くぞ!」
アデルは1度東門上空を旋回する様に1周し、ネージュに加速の指示を与えた。その間にアンナはアリオンに風の魔法で連絡――一方的な伝達を行う。
東門から数十メートル、一部逃げ散っているゴブリンもいるが、ほとんどの妖魔は上位者の命令に従い3体の巨人を攻撃している。しかし、巨人が適当に足を踏みつけるだけで元々小柄なゴブリン共は簡単に潰されていた。それでも一部の妖魔や上位種が武器を手に巨人の足を攻撃している。巨人たちは中央の1体を守る様に徐々に東へと後退している様子だった。如何に頑丈で分厚い筋肉に覆われていようと金属にはかなうまい。数なり技量なりで巨人の足を潰せばあとはどうにでもなるだろう。巨人に時間稼ぎを期待するつもりはないが……。
「引き籠る人族よりも直近の巨人か。利用されていただけなんだろうが……良いぞ。撃て!」
アデルの指示によりネージュが拡散氷雪ブレスを放つ。こちらに――エストリアに背を向けている妖魔たちの背後から強烈な氷雪が襲い掛かる。
幅にして十数メートルくらいだろうか。その範囲内の妖魔を凍らせ、氷に閉じ込める。氷塊は妖魔の背丈の倍以上の高さになっており、全体から見れば小さいがそれなりの障害物にはなるだろう。
アデルは両手を空けた状態で3体いる巨人の奥側の1体の外側やや上空を鋭く旋回して南へと抜ける。
そのすぐ後ろをブリュンヴィンドとアンナ、マリアンヌが続く。
下に集中していた所為か、巨人はすぐにアデル達に対応は出来なかった様だ。抜け際、アンナが指示通り中央の1体に疲労軽減の魔法を投げてそのままアデルの後ろを抜ける。
アンナは疲労軽減の魔法が掛かった瞬間、その1体と目が合ったような気がした。
その瞳は烈火の如き怒りを湛えていた様に見えた。
蛮族対巨人の戦場から南へと抜けたアデルはヴィクトル達の元へと降り立つ。
敵将カーラ――竜人ではなく、それに擬態していた魔人を討った事、その置き土産の両軍の大混乱を伝えると、ヴィクトルとラグ、それに近くで話を聞いた将兵たちが皆深い溜息をついた。
「とりあえず門の内側は自分たちでなんとかしてもらうしかないな。」
呆れた表情でヴィクトルが呟く。
「ケンタウロスはどうなったんだ?」
ラグがアデルに尋ねてくるがアデルは首を横に振る。
「1体も姿を見せていません。東――敵北拠点か。それまでの範囲にも姿は見えなかった様だし、俺らとしては、自力で魅了を解いて先に撤退したんじゃないかと考えています。勿論、断言も油断もできませんが。」
ラグもまた困ったような表情を浮かべる。
「巨人が勝つか、蛮族が勝つか。どちらにしろこちらに逃げてくるのがいるだろうしその場合は全部迎え撃つ方向でいいな。」
「そっちの余力次第で決めてくれ。俺らはこのまま一旦離脱しイスタの部隊、イスタの市庁舎へと報告をする。殿下の魔力も限界に近いようだしだしな。」
ヴィクトルの問いにアデルが答えた。
「わかった。一応、脅威は去ったが油断は出来んと後続に伝えてできれば急かしてやってくれ。」
ヴィクトルの言葉にアデルが頷くと、ブリュンヴィンドに跨ったままのマリアンヌが恐らく治癒だろうの魔法を掛ける。
ヴィクトルやラグらは姿勢を正してマリアンヌに一礼し謝辞を述べる。
「今日中にはカンセロにお返しする予定だ。殿下の心配はもういらんぞ。」
アデルの言葉にヴィクトルやラグたちは頷き、改めて武器を手に取って掲げて見せた。
その後ネージュの竜化解除させ、アデルがブリュンヴィンド前席へ戻るとネージュは幻装リングを起動させて人形態で南へ向かう。
予定外の竜化により、また1枚レザースーツが犠牲となったが、その辺はまた報酬を貰った後、サイズ調整を兼ねて新しいものを発注するしかないだろう。革が主体であるため、新品は動きにくくて困るとネージュはへそを曲げるかもしれないがそこは仕方ない。もしかしたら従来の物に代わる新しい防具が開発されれば良いのだが。
そんなことを頭の片隅で考えながら、少し南へ行ったところでイスタの地上部隊の姿が見える。
元々のイスタ兵、ヴェイナンツ領兵、ヴィクトルやラグに与えられた兵の内の歩兵、輸送隊などだ。中心となって率いているのはフラムだった。
フラムたちがこちらに気付いて行軍速度を緩める。
イスタ兵が多いお陰でブリュンヴィンドや人形態で接近するネージュやアンナに対する警戒はない。またヴェイナンツの領兵もカンセロ攻略の際にフラムと共に参加しておりアデル達の接近を阻害する者はいなかった。アデル達が着陸態勢に入ると、行軍が止まりフラムの周囲にスペースが作られた。
「アデル兄!もう戻ってきた?エストリアは……?」
こんなところで合流するとは思っていなかったのだろうフラムは驚きの表情でアデルに尋ねてきた。
「敵将の竜人もどきは仕留めた。しかし実は竜人よりも別の方向に厄介な相手でな。その置き土産で今混沌としている。」
アデルはフラムにカーラの正体とエストリア市街、蛮族軍それぞれの混乱の状況を伝えた。
フラムが最初に心配したのはヴィクトルやラグ達、イスタからの先行隊だ。そちらはまだ街内には入れていないが、それなりに落ち着いた状態であると伝える。アリオンに見捨てられて締め出された部分は敢えて言う必要もないだろうとそこは黙っておいた。
「門の防衛隊はまるまる健在だからな。あちらの混乱の中でそう簡単に門を抜かれる事はないだろう。内部の混乱は地元の領兵か辺境伯の私軍に任せるしかないだろうな。それよりもイスタの先行部隊が町中に入れない状態が続いている。今はそんな逼迫している状況ではないが急いでやってくれ。俺達は今日中に殿下をカンセロに送り届ける。」
「わかった。一応父さんにはちゃんと報告しておいてね?」
「勿論だ。」
フラムの言葉にアデルは返事を返すと速やかに再出発の準備に掛かる。ほぼ徹夜に近い状態で長距離2往復に加え、予定外の消耗にアデル達の方の疲労の色も強い。
アデルはエストリア防衛の顛末を見届けることなくイスタへと戻ったのだが……




