竜 vs 竜人
「ふん。馬鹿め!」
アデルの突進に対してカーラはすぐに次の魔法を放つ。
しかし、それを予測し待っていたアデルは光球がカーラの手から離れた瞬間に急旋回をしそれを避ける。元々アンナとマリアンヌを抱えた状態で接近戦を挑むつもりはない。
アデルが狙ったのはカーラの注意を一瞬でも引き付けることだ。
そしてアデルの狙った通り、エストリア上空に冬でも滅多に見られない光景が現れた。
雪だ。
その場にいた全員、そして少し離れた位置でもそれを確認できる者すべてがそれを目にした。
急激に冷やされた空気の中を漂う白い花。それが一瞬強く放たれた殺気を合図にして指向性を持ちカーラへと集まっていく。
「なんだとっ!?」
発生したのは吹雪……違う。雪を纏った竜巻だ。それは瞬時にカーラを包み込みその内外との視界を遮断する。
アデルはその隙に氷竜化したネージュに接近し、アンナの手を借りてブリュンヴィンドからネージュの背へと移動する。
「アンナ、今から徹底して注意を引き付けるから殿下を連れて一度離脱しろ。そうだな、東の救護所……或いはアリオンさんの指示を聞いてみるか。少なくともアンナがいつも通りに飛べるようになるまでは体力と魔力の補給を最優先にするんだ。もしかしたら魔力ポーションでも融通してもらえ。多少の出費はやむを得ん。」
アデルの言葉にアンナが悲しそうな顔をする。しかし現状、自分たちが都市を巻き込んだ空中戦に於いて足手まといにしかならないであろうことは理解できる。しかし――
「私もそちらに。アンナさんとはまた異なるでしょうけど、見合うサポートは出来ます。」
マリアンヌが強い口調でそう言ってくる。
「しかし――」
アデルが何かを言おうとするが、マリアンヌがそれを妨げる。
「私が“そこ”で体を張ることで民たちへの言葉となりましょう。魔力増幅も使えるかもしれません。あなた方の身と名誉は私が全力で、身を賭してでも守ります。」
「いやいや、最優先課題は殿下の身の安全、流石にそれは――」
言いかけてアデルは言葉を飲み込む。
マリアンヌの表情はいつもの柔らかさは一切なく、ただ毅然と――凛とした表情だ。それは北部反攻の折、敵の奇襲を受けた時にオーバーワークの中でも多くの兵の治療に当たった時のロゼのそれに似ている。そしてアデルも自分達の身と名誉をマリアンヌ――王女が全力で守る。その言葉の意味を理解したためだ。
カーラに逆らうことで起こりうるエストリアの被害、恐らく犠牲者も出るだろう。その中にあっての“正当性”を民に、エストリアに示すと云うものだ。
ネージュが大人しく自刃すればカーラが引き下がる。そんな訳がない事は将兵、民を問わず全ての者が察しているであろう。しかし、その引き金とされるネージュの行動に罪や憎悪を向ける者も少なからず現れることも事実だ。人間、誰しも他者のせいとでっちあげ、自分の辛苦を紛らわそうとするのはある種の生理的な物なのかもしれない。実際、アデルもこの交戦の所為で被害が拡大した場合、或いは犠牲者が増えた場合、ギリギリまで避難をさせなかったエストリア伯が悪いと考えた事だろう。
「わかりました。その代わり作戦は任せてもらいますよ?」
アデルがそう言うとマリアンヌは強く頷く。そうなれば後は早い。カーラに対しての“目くらまし”が機能している内にアンナの手を借りてマリアンヌを移動させる。それが済むとブリュンヴィンドに指示を出してアンナを休める場所へと向かわせる。ブリュンヴィンドは直ちに高度を速度に変換させ、東門の方へと移動を開始した。
「おのれ鬱陶しい!」
氷雪の竜巻の勢いが失われてきたところで、身体を守るように腕と翼を交差させていたカーラが己の魔力を周囲に叩きつけて周囲の氷雪を吹き飛ばす。
その氷雪を巻き起こした者――一瞬見えた限りでは青白い氷竜だった筈だ――の姿を探すと、ソレはカーラの前から離脱し、西門の外へと向かっていた。
「理不尽な選択肢にびびって逃げたか?」
カーラは一瞬鼻で笑ったが、その背に先ほどまでグリフォンに乗っていた者、即ち見知らぬ男と、コローナの王女が乗っているのを見て、それがただ困った末の離脱ではないと察した。
「どういうつもりだ?」
カーラは周囲を窺う。地上では先ほどまでと同様、兵や住民が恐怖の表情でこちらを見上げている。しかしカーラが探したグリフォンの姿は見えない。わざと後ろを追わせ、背後から奇襲というつもりでもない様だ。しかし奴らが何かしらの意図をもって西へ向かっていると考えたカーラはそれを追い掛けた。
「こちらへ向かってきましたね。」
背後の様子を窺っていたマリアンヌがアデル達に報告する。
「それはそれで大いに結構。魔力増幅、頼みます。」
アデルは振り返らずにマリアンヌに言う。マリアンヌはすぐにその言葉に従い、“魔法拡大”の魔法をネージュの背中に掛ける。
「さて、どういう効果になるものか。」
アデルはネージュの首筋を挟む腿でネージュに指示を与える。まずは軽いピッチアップ。上昇だ。
「殿下は全力でしがみ付いていてくださいね。」
アデルの言葉にマリアンヌが応える。マリアンヌは身体をアデルに密着させ、胴回りを強く抱き込む。毎度の事ながら金属鎧の上からでは背中の感触を味わえないのがアデルとしては残念なところだ。
「拡散ブレス一発目用意。」
アデルがそう言うとネージュが口を開き、魔力を貯め始める。
「目標、敵軍中衛、撃て!」
発射の指示と同時に口から猛吹雪が吐き出される。ネージュは長い竜の首を左から右へ振りながらブレスを吐きつけ、敵陣の中央付近を薙ぐ。
「「おおお……」」
アデルとネージュが同時に声を上げる。
前回、オーヴェ平原を見舞った吹雪よりも強力かつ広範囲の氷雪がエストリア西門外側を襲った。マリアンヌの魔法の効果だろう、範囲も“手ごたえ”も2~3倍に増幅されている。
氷雪がキラキラ舞い落ちる中、城郭外の平地に先ほどのアンナの氷壁の倍以上の高さと長さを持つ氷壁、氷塊が屹立する。元々アンナは氷魔法が苦手と言っていたが、それでもマリアンヌの増幅によりあれほどの立派は氷壁を築いたのだ。氷の精との相性抜群と言われ、自らも氷雪の化身とも言える氷竜の殺意を込めた息に魔力を増幅されたネージュのブレスは数十メートルの長さに亘り、敵ごとその空間を凍り付かせていた。
アンナの精霊魔法“氷壁”では物体を巻き込んで凍らせることはできないが、ネージュのブレスはむしろ氷壁・氷塊が副産物であり、敵を凍らせ、各種凍傷を巻き起こすのが主目的である為かその手の制限は存在しない。
アデルもネージュも少し感動したが、ただ自分たちのブレスの威力に舌を巻いている訳にはいかない。アデルはさらに左斜め上ループを行い今度は西門とそれに群がる妖魔共を纏めて凍り付かせた。
その時点でカーラはすでに西門に到達しており、戦況と環境を一変させたブレスの威力に驚いている。
「貴様ら!何者だ!?」
答える代わりにアデルは槍を伸ばし強烈な突きを放つ。カーラはそれを剣で受け流し、防御態勢を取った。
「あんたらが良く知っている、元・出来損ないだよ!」
アデルは腰に下げていた剣、シルヴィアの竜剣を左手で取り出してカーラを更に突く。カーラは目ざとくその剣の正体に気付く。
「まさか……」
カーラが何かを言おうとした瞬間、ネージュが身体を一気に丸めて視界の外から長い尻尾で攻撃する。
「くっ!?」
カーラは視界の下を経由し背後から撓って来る尻尾を咄嗟に横に回避し、そのまま横へと距離を取る。
「奴が負けたというのか!?」
「ああ、つい昨日の出来事だぜ!」
『きっちり敗者の“らくいん”も刻み込んできた!』
アデルが人族の言葉で、ネージュは精霊語でカーラに嗾ける。
「面白い!その剣は私が貰う!」
カーラさんはなんだかんだとシルヴィアさんを強く意識している様だ。それはうちのネージュさんも一緒だけどな!
接近戦を挑んでこようとするカーラをアデルが槍で牽制する。同時にネージュも強く羽ばたき高度を取ると、次のブレスの準備に入る。
カーラも追随して上昇しネージュの動きをブレスを阻害しようとするがアデルの槍がそれを許さない。ある程度高度を取ったところでネージュは牽制の小さなブレスを吐きつけ、今度は右斜め下ループで距離と速度を稼ぐ。
速度に関してはアンナの風魔法の支援がなく、また通常竜化よりも鈍重気味な氷竜化中であるため、それほどの加速はなかったが、それでも動きを1秒封じられたカーラを引き離すには十分だ。
スライスターンを延長し、そのままシャンデルへ移行、頂点部でロールして姿勢を戻し収束のブレスを準備する。アデルは再度“魔法拡大”の魔法を頼み、ネージュのブレスの高威力化を図る。
(ブレスの予備動作って意外と隙になるのかもな……)
アデルがそんなことを考えている内に、ネージュが大きく口を開くと、明らかに先ほどの牽制とは段違いの魔力量で収束する氷の息に脅威を感じたか、カーラもついに竜化を行った。
カーラの竜化はシルヴィアやエストリア東の北拠点の竜人の竜化とは何か違っていた。白く発光する事はなく、なんというかぐにゃりと空間を歪ませ、視覚情報をも一瞬歪ませた後に他の竜人と同様の竜化をして見せる。しかしこの時、アデルは何らかの違和を感じていた。イレギュラーであるはずのネージュの氷竜化ですら竜化の瞬間は一瞬の発光があるのに、カーラの竜化にはそれがない。ネージュの氷竜化が竜化と異なる点は、氷竜化と同時に周囲の気温を急激に冷やすため、意図せずとも水蒸気を氷雪に変えてしまうことくらいだ。カーラの竜化は何と言うか、明らかに異質だった。
「あんなに歪んだ竜化があるのか?」
アデルが呟くがそれに返ってくる答えはない。
ネージュはすでにブレスをスタンバイした状態で口を開き切ったままであるし、マリアンヌは竜化という事象そのものを昨日のネージュで初めて目にしたのだ。
「とりあえずやっちゃえ!」
アデルの言葉に合わせネージュは収束モードの氷ブレスを吐き出す。従来なら巨大な円錐となって飛んでいくブレスであるが、増幅された今回の物はまさに巨大な氷塊。直径10メートルはありそうな巨大な氷の砲弾が、これまた今までのネージュの収束ブレスの数倍の速さでカーラに襲い掛かる。
「遅い!」
カーラが竜化した状態でアデルにもわかる声を返してくる。
その瞬間、カーラは一切羽ばたきもせずに高度を上げると、身体を捻りこんで翼を伸ばして加速を付けながら開く口にエネルギーを収束させる。
「まずいな……」
アデルは呟きながらシルヴィアの竜剣を腰の鞘に戻すとすぐに楯を取り出し防御態勢を取る。アデルの呟きから別の理由を汲んだマリアンヌがすぐに魔法防護の魔法を掛けなおす。マリアンヌの防護魔法なら通常のそれよりも大きな効果を期待できるだろう。しかしアデルが呟いた“まずい”はカーラのブレスに対してではなかった。
カーラがブレスを吐こうとしたまさにその瞬間を狙ってネージュは高度を速度に変えつつさらに自らの翼で加速しカーラの懐下方へ飛び込む。
アデルの防御態勢を完全に無視したその機動に虚をつかれたかカーラは着弾地点の再調整をする間もなくブレスを放っていた。
「うわぁ……あれややばくね?」
正対から素早く懐下に滑り込み、上下に交差する瞬間にきっちりとカーラの下腹に槍で斬撃を加えながらカーラの後ろに抜ける。
アデルは槍で先ほどカーラに避けられたネージュの収束ブレスの着弾地点を示しながらも、足でピッチアップの指示を送る。ネージュとマリアンヌもピッチ角が上がりきるまでの数秒で目にした光景にアデルの言わんとしたことを察する。
マリアンヌによって質量と速度を増幅された氷の砲弾は見事にエストリアの西門の北側十数メートルの地点の城壁をぶち抜いていたのだ。
幸か不幸かぶち抜いた地点にめり込む様になっていたため、城壁の穴にはならなかったが、氷が溶けた後には早急な修復が必要だろう。とりあえず今日1日持てばいいか。
「ありゃ、都市上空じゃ使えないな。」
針路が180度反転したところでアデルが自分とネージュに言い聞かせるようにつぶやく。
カーラの位置は前方下方、あちらはすでに左旋回を終えてこちらを正面に捉え向かってくるところだった。
しかしその姿を見てアデルはやはり強い違和を感じる。
その後、アデルは横方向の旋回を軸に2~3回交差しつつの刺し合いを演じた。そしてようやく違和感の正体が明確になる。
「あいつ、本当に竜人か?」
アデルの呟きにネージュとマリアンヌが怪訝な表情をする気配を見せた。
「旋回半径、上昇率、風の流れ、羽ばたきの強さと向き、どれもおかしい。」
ネージュと、アンナと、ブリュンヴィンドと、グスタフやスヴェンらドルケンの翼竜騎士と、そしてシルヴィアと。
アデルは今まで演じてきた全ての空戦の動きと比べ、明らかにおかしいカーラの動きに一つの仮説に思い至る。
「あいつ、シルヴィアが言う様に本当に“吸精鬼”――魔族なんじゃないか?」
アデルの問いにはやはり誰の答えも返ってこない。しかしアデルは続けた。
「殿下。毒とか麻痺とかの状態異常の治療じゃなくて……例えば、幻影とか変身とか透明化とか?の状態変化を解除する魔法ってありませんか?」
状態異常の治療ではなく、強化・状態変化の解除。アデルが言うのはそれだ。
「“解呪”でなく、“消去”ですね。可能です。しかし最低でも10メートル。出来れば接触するくらいに近づきませんと……」
どうやら射程がものすごく短い魔法である様だ。陸上でなら訳はないかもしれないが空中では――
「ネージュ、悪いが正面からブレスを一発浴びるぞ。その後、衝突寸前のところでバレルロールですぐ上を通過する。」
「DYO」
ネージュから濁った『りょ』が即答で返ってくる。アデルは今度こそがっちり楯と槍を構え、カーラの真正面、やや下方から一気に接近を試みた。




