決闘②
何もない背後から突如飛来し、自らの身体を貫いた物体に気付いたシルヴィアは数秒の驚愕ののち、憤怒の表情へと切り替わった。
背後から音も気配もなく――正確には打ち消されつつ――飛来してきたのは2本の太矢だ。
“影矢”
2本の内、最初の矢は見せ球の様な物だった。逆光に紛れ込ませ、払い除けられるのを前提にした矢。本命はその陰に隠れた2本目の矢であったのだが、空中に於いて敵はすぐ前にしかいないものと油断していたシルヴィアは1つ目の矢すら回避することもなく、2本の矢をもろに浴びてしまったのだ。
竜ではない、恐らく翼竜だろう、が、アデル達と一緒に接近してきていたのは魔力感知で分かっていた筈である。それなのに目の前の敵にのみ気を取られ背後からの攻撃を受けたのは自分の慢心だ。しかし、決闘に見せかけて背後からの攻撃を仕掛けてきたアデル達にそれ以上の怒りが向かう。
「貴様らー!」
憤怒の表情を浮かべるシルヴィアにアデルは涼やかに答える。
「“人間風情”が“本物の竜人”を相手に無策で挑むことの方が失礼かと思いまして。」
「貴様ぁぁぁぁ!」
シルヴィアは怒りに任せて背中に刺さる2本の矢を引き抜く。無造作に引き抜けば当然相当の出血を伴う筈だがそれは意に介さない様だ。
シルヴィアは矢を引き抜くとアデルらに投げつける。そして剣を額に翳すとその体が光に包まれていく。
竜化する。
シルヴィアの取った行動をアデルは正確に汲み取った。そしてそれは彼らの企図した第一段階の成功を意味していた。
アデル達が“午後”に“南西”から接近した理由。単純に考えればドルケンの部隊かコローナの部隊かの特定を遅らせる為と察するだろう。しかし今回のそれはそれだけではなかった。
空と陸から攻撃する方向を合わせるためでもあったのだ。
2本の矢は勿論ハンナが放ったものだ。風の精霊魔法の補助を受け、射程距離延伸と風切音の抑止の効果を受けた矢である。
しかし、流動的な動きをする空戦に於いて陸上から空中の対象の背後に向けて矢を放つというのはなかなか条件が難しい。その条件、タイミングを作り出すための策。それがこの南西からの接近であった。
まずは悟られない様に敵の注意を引き付ける。勿論これはアデルとネージュの仕事だ。最初に旋回し間合いを計るのは、ネージュがいつも地上で見せる物と同じであるが、同時に“魔力視妨害”開始の合図でもある。その効果が確認できた段階でシルヴィアに太陽を背負わせる――即ち地上、森からこっそりと接近するハンナにシルヴィアの背中、更にはアデル達の正面の軸を合わせ、背後からの矢と同時にアデルがチェーンのついた槍を投げつけ、さらにネージュがブレスを吐きつけ離脱する。完全に対となる2方向からの同時に2段攻撃を仕掛け、何とか深手を負わせ竜化をさせるという作戦である。今回は完全に油断しきっていたのか、アデルの槍の投擲を要せずシルヴィアを竜化させることが出来た様だ。
シルヴィアの姿が竜へと変化する。その体躯は氷竜化しているネージュよりも一回りは大きい。感じる魔力、圧力もネージュのそれとは比較になりそうもない。
「コロス。」
竜の口から明確にそう聞こえる音が発せられた。次の瞬間、竜の口に巨大な光球が収束を始める。
ネージュは直ちに後ろ上方へと羽ばたいたが、シルヴィアが最初に取った行動は矢を放ったと思われる南西方向の森に拡散ブレスを放つことだった。
収束ブレスと比べれば十分に目で追える速度の光球は森へと着弾すると同時に轟音と共に爆発し土煙を巻き起こす。
上空からそこを確認すれば、直径20メートルほどのクレーターが見て取れた。シルヴィアの“魔力視”がどの程度の魔力、対象のサイズに対応しているかはわかりかねるが、少なくともこのタイミングでその位置にハンナはいないだろう。ハンナには矢を放つと同時にすぐに逃げる様に伝えてあるし、ハンナも竜人のブレスの破壊力は何度も目にしている筈だ。魔力視妨害はアデル達の支援ではなく、ハンナへの支援であるのだ。
シルヴィアの意識が下へ向いている隙に高度を稼いだネージュとアデルはシルヴィアの頭部へと狙いを付け、重力を乗せ加速する。
勿論シルヴィアもそれを容易く許す筈もない。ごく短い時間ながら、息を吸い、光を収束させるとカウンターとすべくネージュにそれを放つ。
しかしそれは余りに雑な攻撃だ。光線が放たれる瞬間を見切るとネージュはバレルロールでそれを躱し、シルヴィアの腹の下へと潜り込む。その瞬間、アデルは鐙に体重を乗せ、目一杯に槍を伸ばすとシルヴィアの腹を突き上げた。
「固いな。」
竜鱗で覆われた背中は言わずもがな。腹部の表皮も十分な固さを備えている様だ。アデルの突きはシルヴィアの腹に深く突き刺さることはなかったが、ネージュの速度の勢いを乗せ、ある程度表面を引き裂くことはできた様だ。
「GYUOOO」
シルヴィアが苦悶らしい声と共に腕を、鋭い爪を備えた竜の前足を振り下ろした。しかしその瞬間にはネージュはすでにシルヴィアの後ろ下方数メートルの位置まで移動している。
その勢いのまま真上へと機動を変え宙返に移る。
勿論シルヴィアの方も行動している。宙返りの後半、再びシルヴィアの姿が見えた時にはシルヴィアも同様に左旋回を終えこちらに頭を向けネージュを視界に捉えていた。
機動戦の初手は仕掛けが早かったアデル達がやや優位を取っていた。シルヴィアの身体はまだ上を向いておらず、アデル達の正面にはシルヴィアの背中が見えている。しかし10メートルほどの距離ができていたため、アデルの槍では届かず、ネージュがブレスを叩き込むには近すぎる位置関係となっていた。
ピッチ角225度。ほぼ真下に向けてアデルが槍を投げつける。突然の投擲にシルヴィアは咄嗟に身体を捻るが、槍を回避しきれず背中、尻尾の付け根付近に攻撃を受けた。しかしアデル達の取る機動戦の意図――後方の占有に気付いたか、負傷に構わずにそのまま左上、斜宙返へと移行した。
シルヴィアの動きを確認したアデルはすぐにチェーンで槍を手繰り寄せ、ネージュは90度右ロールし背面飛行状態を是正する。さらにシルヴィアを背を追うべく更なるロールをしながら右斜め宙返りで追い掛ける。 極力旋回半径を抑えつつシルヴィアを追うと、宙返りを終えたシルヴィアの側面が見えた。ネージュはここぞとばかりに見越し角を付けたうえで氷の拡散ブレスを吐きつけ様とする。それに気づいたかシルヴィアは速度を殺し、強引に機動を捻じ曲げると半ば強引に至近距離での正対状態に持ち込み、対抗すべくブレスを吐き出す。
強引なカウンター気味に放たれたシルヴィアの光熱ブレスは先に展開させたネージュの氷片の一部を瞬時に溶かすと、咄嗟に回避しきれなかったネージュの肩を激しく穿った。
「グッ……」
ネージュは肩の傷の痛みに呻きながらも衝突を避けるべく目一杯身体を捻り旋回する。シルヴィアの方もやはり衝突は避けたい様子で同様に旋回すると両者の腹が数メートルの距離ですれ違った。位置的な優劣はほぼ互角。後は己の機動力と経験だ。
シルヴィアの方もネージュの肩ほどのダメージは無さそうだが、しっかりと氷片を浴びていた。氷片が翼の被膜を傷つけ、また翼の付け根に氷が付着する。
ネージュは衝突を回避するとバンク角を正し即座に宙返りへと移行する。その間シルヴィアは右旋回からの斜下宙返を試みていたが、ネージュの反転の方が早かった。
シルヴィアの後ろ上方を捉えたネージュは今度は収束ブレスを2発、立て続けに放つ。
シルヴィアは後方からの攻撃を気配で悟ると、瞬時に軌道を変え、一瞬の加速の後に左へ急旋回を行う。1発目をギリギリのところで躱すと2発目はバレルロールで避ける。こうなれば位置的には圧倒的にネージュ達の優位に変わる。
ネージュは少し高度を取り旋回半径を抑えつつ、シルヴィアの反転先の上方を抑えようとするが、機動力はシルヴィアの方が圧倒的だった。
若干距離が開いていたのを幸いとシルヴィアは急減速しフックの要領であっという間に回頭すると、牽制するように収束ブレスでネージュたちの正面の空間を薙ぎ払う。
シルヴィアのブレスは正にレーザー光線だ。狙いを付け放たれてからの回避では間に合わない。
シルヴィアの頭部付近に光が収束しだすのに気付くと同時にアデルは警戒し、正対し、放たれようとする直前に体を後ろに倒しネージュにピッチアップを指示した。
ネージュの少し下を光の線が横に走り抜ける。アンナから魔法に対抗する防護膜を張ってもらっているとはいえ、下手に受ければ重傷は免れないだろう。アデル達にも緊張が走る。
シルヴィアはさらにそのまま鋭く左旋回をすると、加速し一気に後方へと駆け抜けた。
アデルとネージュはすぐにそれを追いかけるべく右シャンデルに移る。シルヴィアはそのまま左スライスターンを行っていた様で、またもほぼ同時に向かい合う事となった。
しかし向かい合ったのは一瞬、両者ともに十分すぎる速度を出しつつも、旋回半径は極力抑えていたせいか、相対距離が短く、攻撃に移る前に何とか衝突を避ける様にすれ違うのみだった。
風切り音と共にシルヴィアの姿は後方へと消える。今度はネージュの左旋回とシルヴィアの右旋回の競争、これもほぼ互角。一瞬相手を視界に捉えた後さらに右シャンデルと左スライスターン競争となる。
両者は互いに3次元に8の字を描き、回頭速度を競い合う、ローリングシザース状態へと突入した。2度3度、シャンデルとスライスターンを繰り返して4合目。アデル達が若干優位となったところでついに焦れたか、シルヴィアは横方向の機動を捨てローGヨーヨーからの速度を使ったハーフループへと切り替えた。そうなれば当然、旋回半径が小さいアデル達がさらに有利な状況になるが、シルヴィアは急減速による“つんのめり”をうまく使うフック機動で強引に中距離ヘッドオン状態に持ち込むと、ここぞとばかりにブレスを1発、2発と放つ。ネージュも負けじと3発の収束ブレスで対抗するとぶつからなかった光弾と氷柱が熱と冷気で水蒸気を変質させながらヴェイパーを伴い交差しそれぞれの脇を抜け後方へと飛び去って行く。
この辺りから徐々にシルヴィアの動きから精彩が消えていく。徐々にネージュたちが後ろを占有する時間が増えていく。ネージュの氷片ブレスによりシルヴィアの翼や付け根に付着した氷塊が水蒸気を集め、徐々に成長していっていたのだ。
真後ろ付近からネージュが狙いを付け次々とブレスを放つ。しかし歴戦の勘によるものか、シルヴィアはバレルロールと急旋回、時には狙いを付けさせない様に小刻みに機動を変えるジンキングを用い、竜人のそれと比べると速度に劣る氷柱ブレスを難なく躱していく。
それでも追い詰めているのは確実にネージュたちの方だった。徐々に距離が詰まっていくと拡散氷片ブレスでさらにシルヴィアの動きを鈍らせる。シルヴィアは旋回・ループ、急減速と何とかネージュを前に押し出そうと色々試みるが、どれも決め手に欠け、ネージュが余裕を持って後方を支配していく。
さらに数分、ついに勝利の瞬間が訪れる。
序盤の傷が障ったか、徐々に増していく氷塊の重さと冷たさに限界を悟ったか、シルヴィアのオーバーシュート狙いの一か八かの急減速を見切ったネージュが素早く上を取り前足でシルヴィアの肩口を掴んだ。アデルはすぐにそれに反応し、素早く翼の付け根を攻撃しその揚力を奪う。
さらにその次の瞬間、強烈な下降気流がネージュたちごとシルヴィアを襲った。事前に打ち合わせしていた、アンナの風の精霊魔法、“下降気流”がほぼ完ぺきなタイミングで発動したのだ。
シルヴィアを生け捕る為、ネージュがシルヴィアを掴んだ瞬間、或いはシルヴィアの翼を損傷させた瞬間に行使するように指示していた魔法がネージュの下降圧力と相乗して抵抗し浮揚しようとするシルヴィアの身体を地面へと向かわせていく。
最後にはシルヴィアの抵抗も力尽き、自由落下へと移行すると、ネージュも最後の瞬間にはシルヴィアごと持ち上げようと羽ばたく。
落下する力との反作用でゴキっとシルヴィアの肩の骨が砕ける音が聞こえたと同時に今度はモニカが地表との衝突ダメージを軽減すべく展開した“空気緩衝”の魔法で落下の衝撃を緩和させる。
それでも殺しきれなかった落下速度と墜落の衝撃は、地面に小さなクレーターを開けると同時にシルヴィアの意識を完全にシャットダウンさせた。
シルヴィアの竜化と同時に幕を開けた決闘は5分強の空中機動戦の末、浅からぬ傷を負いながらもバックアップに頼ることなくネージュの、ネージュたちの勝利で幕を閉じた。
この部分の為にワイバーンに乗った爺様と3戦してみるなど。
自動消火装置有能。
あとレーザーずるい。




