決意
「名前はシルビア。便宜上私の親。実力は軍団内でもトップクラス。正面からやりあったら私じゃどうにもならないし、地上を巻き込んだカンセロやオーヴェのアレより酷いことになると思う。」
ネージュの言葉をアデルとグスタフが1回ずつ聞き返すが、ネージュの口から否定の言葉は返ってこない。
アデルもいずれ遭遇する可能性はゼロではないとは考えてはいたが、まさか単身で乗り込んでくるのがそれであるとは思っても見なかった。
微妙な沈黙が少し続いた後、グスタフが短くネージュに尋ねる。
「どうしたい?一応希望は聞くが?」
グスタフの真剣な視線をネージュは正面から受け止め、少し思案する。
ネージュは少しの思案の後、アデルとアンナをチラリと見て口を開く。
「墜としたい。殺したいとまでは思わないけど、生かしておくのも難しい?」
ネージュはそう答えグスタフを見る。
「落してどうする?」
「竜玉を奪う。竜玉はあの剣に埋め込まれている筈。その後は鎖かなにかでぐるぐる巻きにして……少しだけ話は聞きたいかな?」
「その後は?」
「その後?決めさせてくれるなら……うーん……話次第?奴隷にしてレインフォール商会が引き取ってくれればいいけど、無理だったら……死んでもらうしかない?」
「……そうか。」
淡々の答えるネージュに対し、グスタフは複雑な表情を見せる。
さらりと母親を奴隷にするか殺すとか言うのだ。しかし、発言の節々から殺意自体はないのも分かる。恐らくは周囲に対する配慮だろうか。実際ドルケンの貴重な翼竜騎士と翼竜が4騎殺されている。竜玉を没収したとしても、それを生かしたままにしておくのは危険だという事を一番理解してるのはネージュなのだろう。グスタフはそう考えた。
ネージュ――というより竜人という種族には、忖度と言うものはあるかもしれない配慮と言う言葉はないのだが。
「勝算は?」
グスタフの問いにネージュは再度思案する。
「1人じゃ無理。みんなで作戦を立ててそれが嵌れば辛うじて。でも、チャンスは1回だけだと思う。」
「ほう。」
グスタフは感心気に声を漏らすとアデルに視線を向ける。
「いや、いきなり振られても……それに、例えば仮に、今日明日その竜人と戦って勝てたとしても、ヴィークマンを喜ばせるだけになるのでは?下手をすると、コローナがテラリアに唆されたアレみたいに、蛮族軍がドルケンへと向かう引き金になるかも。」
「なるほど。」
アデルの懸念にグスタフが頷く。
「しかし、現状のままビゲンの町を放置するという訳にも行かぬ。」
「ビゲン?」
「ヴィークマンの城のある町だ。ヴィークマンはともかく、竜人一人に国土を制圧されたまま、国が手をこまねいているというわけにも行くまい。それに明後日にもエストリア攻防が本格化するとなれば、交戦や対話の機会は当分来なくなるのではないか?」
グスタフがアデルを見る。その視線に言外の言葉を感じ、アデルは思わずたじろいだ。
「今日明日中に何とかして来いと?」
「その気があるのであればな。勝機が薄いなら無理にとは言わぬ。が、今日明日中でなければいずれ我が軍が戦うことになるだろう。そうなればこちらの被害も相当になる。その後の事は保証できん。だが、今日明日……せめて1週程度なら、君達にも悪くない条件を出せる。」
「悪くない条件?」
グスタフの隣でカールソンがぎょっとした表情を見せるがグスタフは気付いていないのか或いは無視した。
「こちらから出す条件は、ビゲン東側から攻めない事。こちらの斥候――勿論翼竜騎士だが――を1人伴い、尋問に立ち会わせる事。この者には作戦の成否、或いは竜人の顛末を伝えるための者なので戦闘には参加させない。が、この条件で動いてくれるなら、ヴィークマンと領地に対する懸念、戦場となった場所の森林などの資源被害、そして竜人の身柄の引き渡しは必要ないものとする。勿論、竜玉を奪い、再度ドルケンを襲ってこられない様にする措置は必要だが。」
「エストリア侵攻の件もあります。仮に勝ったとしても、竜人の救助や救援を名目に他の部隊が南下して来ませんか?」
「竜人の救助は――ないと思うなぁ。」
アデルの懸念をネージュが否定する。
「竜人同士の決闘ならともかく、格下相手に負けた竜人には価値も居場所もないって感じだし。」
「……“氷竜”が格下なのか……」
「情報が本隊に届かなければ一緒?」
「なるほど……」
確かに今現在ではネージュの――氷竜の存在が蛮族軍本隊に届いている可能性は低い。
「元々の父親の目移りもあったけど、私のせいもあって冷や飯っぽいの食わされてる面もあるし……ね。」
母が重要視されなくなった一因にネージュが大きく影響しているとネージュは感じている様だ。周囲に数秒の沈黙が訪れる。
「そもそも……人族同士の争いではない。あいつらが“名目”なんてものを気にする事があったか?既に北東部では布告もなく侵攻してきた彼奴らの軍と交戦しており、我が国ヴィークマン領も侵略された今、既に我が国の問題でもある。提示しているのは君達に交戦や対話をする機会を見繕っているだけだ。こちらとしても竜人1体でも、人的損害なしで排除できれば大いに有難い話だ。」
「なるほど……」
グスタフの意図はわかった。ドルケン軍に――ドルケン人にこれ以上の被害が出る前にやれるならやってこい、政治絡みの細かい心配はいらん。報酬として、こっそり対話の機会を与える。というところだろう。
「どうする?」
アデルはネージュに声を掛ける。
「……やろう。多少手の内がばれても、こっちを舐めきっている内に墜としてやりたい。」
「作戦は?」
「……細かいところはお兄に任せる。まずは南?に釣り出して、何とか凌いで竜化させる。そうなれば“私達”ならやれる。」
「竜化させれば?」
本来、竜人と人族が戦うとすれば、竜人を本気にさせて竜化させる前に奇襲で叩くというのが鉄則だ。しかし、ネージュが言うにはあれを相手に奇襲は困難。それなら最初から竜化させた方が良いと言う。
「竜化させればすぐに反転は出来ないし、真後ろにはブレスも爪も飛んでこない。」
「……なるほど。」
ネージュの言葉にアデルもイメージが伝わる。
竜化した竜人対策。このためにブリュンヴィンドやイスタの翼竜騎士団を巻き込んで地道にイメージトレーニングや実践的な特訓も行ってきていたのだ。
それは相手後方やや上、敵の攻撃の死角となる場所の取り合い。
尻尾を追う犬の喧嘩を範とした戦い。即ち――ドッグファイトである。
「しかし、相手相当早かったぞ?」
ドッグファイトとは即ち機動戦だ。飛翔体の速さ、揚力などが物を言う。先ほどの接近を見た感じ、あちらの方が1段どころか2段くらい上手にみえる。
勿論、相手の動きの読みや徹底して後方を押さえる為のノウハウも必要にはなって来るが。
「だから1人じゃ無理。風の精霊の力を借りつつ、後ろに対する牽制も要る。」
「ふむ。」
「何をする気だ?」
決意を固め、作戦を練り始めるネージュとアデルにグスタフが興味本位で対抗策を問うた。
そしてそれに返ってきた彼等の答え。空中で素早く相手の死角となる位置を奪う。竜化状態でのドッグファイトにグスタフは大きな関心を持ったようだ。ブレスを吐けないワイバーンや翼竜騎士では、彼らのイメージしている戦闘の再現は難しいが、その分人数を揃えればいかに巨大な力を持つ竜人と言えど勝機はでてくる。参考になる部分は大いにあると考えた様だ。
アデルが『最近、イスタの防衛担当が変わって以降、御無沙汰でしたが、スヴェンさんらとはそれを模した訓練をやっていた。』と言うと、そのうち『見聞きしに行かねば』とグスタフも前のめりになる。隣りで今まで以上に渋い表情をするカールソン卿の姿はグスタフの目には止らない様子である。
アデルはすぐに作戦編成の思案に移る。
最終的にはネージュと自分、アンナのサポートで戦うことになるだろうが、僚騎、自走対空射手がいれば心強い。
――勿論、オルタとブリュンヴィンド、そしてハンナの事である。
さらにアンナよりも強力な風の精霊使いがいればより盤石なものとなるのだろうが、残念ながらリシアは不在だ。
だがそこでアンナが《精霊使い》らしい提案をする。
竜人――シルビアが“魔力”を見ているなら、風の精霊を実体化させずに配置することで目くらましが出来るのではないかと。
ここでグスタフとカールソンが『魔力を見ている』という言葉に反応し、質問を寄越したのでアデルは先ほどの話をする。
“不可視”を掛けて、それなりの距離を取っていたのにいたのに見つかった事。
その時に『見えている。』と警告された事。
感知していたのはネージュだけだった様で、アデルやアンナの不可視が解けた瞬間、それぞれほんの一瞬だが、驚いた様子を見せた事。
この辺りの説明をすると、カールソンがその可能性は極めて高いと頷いた。
そして、新型エーテル弾が幻惑、攻撃に役立つのではないかと言う。
「新型エーテル弾?」
アデルの問いにカールソンが得意げに話す。
先日、ハルピュイアが使っていたと言うエーテル弾の話を聞いて、ドルケンでも研究開発していたという代物だ。
ハルピュイアのエーテル弾が衝撃による発火をトリガーとしていた物に対し、ドルケンでは、屑魔石を応用し、“合言葉”により発火、炸裂をする物を開発したと言う。まだまだ試作段階で量産体制は整っておらず、北東部での前線では投入されていないが、今回の竜人単体相手なら、幻惑・攻撃に使えないかと言う話であった。
エーテル自体は魔力を帯びた液体であり、比較的低い温度でも気化し、気化すればそれは魔力を帯びた気体でもある。
残念ながら誘導・追尾性能などがある訳でもなく、牽制や魔力欺瞞程度にしか使えないだろうがという話であるが、小型の物を用意してくれるそうだ。
本音は実戦での発動率、発火率、有効起爆距離等のテストをしたいだけの様だが。
竜人が魔力又は熱を見ている様であれば、確かに欺瞞効果はありそうだ。
風の精霊による認識阻害に、エーテルの欺瞞弾、僚機と、対空射手を用意してのドッグファイトと、一体何の話をしているのか?という感じだが具体的な構想が出来上がっていく。
あとは如何にしてビゲンから南に釣りだし、竜化させるかだが、その辺はネージュに心当たりがあるようだ。
ネージュ曰く、シルビアは集団内でも指折りの戦闘狂らしく、元々の馴れ初め(?)も、父に挑み敗れ、そのまま最初の子を孕まされたものだと言う。
喧嘩の売買は大の得意で、売るのも買うのも好きなので少し挑発してやれば飛びついてくるだろうと言うのだ。
(ああ、そうですか。)と、ネージュ本人と、接触の少ないカールソン以外が数秒、生暖かい表情になったのは余談である。
作戦の方針が固まりかけたところでグスタフとカールソンが新たな提案をしてくる。
カールソンがまず小型の試作エーテル弾の用意を約束してくれたと思えば、グスタフも信頼できる翼竜騎士を付けると言い出す。ドッグファイトに興味を持ったのだろう。
当初は成否の結果報告を行う斥候1人の予定だったが、その斥候の他、精霊魔法の得意な者を支援として1人付けると言うのだ。
その心当たりの名前を聞き、カールソンがえらく驚き慌てたそぶりを見せる。
「本気ですか!?今の状況で殿下に何かあったら……」
「これ以上の機会はあるまい?」
アデルは何となく不穏な単語が聞こえた気がした。
しかし、今迄の情報からすれば、殿下と呼ばれる、即ちグスタフの子供はアンジェリナこと、アンナが一番上である筈だ。そうなれば高く見積もってもアンナより1つか2つ年下になる筈なのだが……
「あの……殿下というのは……?」
アデルに聞かせるつもりではなかったのだろうか、グスタフは慌てて言葉を漏らしたカールソンを睨むと、少し困った表情で予想外の事を言いだす。
「……余の末妹でな。もう30手前になるのだが……いや、我が国で最も優れた《精霊使い》にして名うての“翼竜騎士”だ。実力は保証する。それ以外の部分でも、余が最も信頼できる者の一人だ。……結婚はもう難しいかもしれんが、もし見合う実績を上げられたなら、それなりの爵位を持たせて放り出そうかと。」
「あ、はい。」
アデルは引き攣った笑みで返事を返した。王妹とは予想外だが、アンナの上を行く《精霊使い》が翼竜騎士として自分で空を移動できるなら、これ以上の支援者はいないだろう。ちゃんと支援に専念してくれるなら、だが。
助っ人というには王妹と言うのは若干のプレッシャーはあるが、国王がドルケン1の精霊使いと断言するあたり頼もしい存在であることは間違いなさそうだ。だがここで話を聞いたアデルにも少し色気が出る。もしかしたらもう少し有利な条件を引き出せるかも。と。
「竜人とヴィークマンを排除した後に、領を継がせるおつもりですか?」
状況からして、アデル達が私的に竜人を排除するよりも、妹に手柄を取らせることが出来ればその後いろいろに利用しよう言う魂胆だろうと踏んだのだ。先程の『これ以上の機会は』というのが正にそれであるのだろうと。
「そうなれば理想であるが……あ奴に領地経営は……どうだろうなぁ。当初こそ、力とカリスマで民を引っ張り従えることも出来るだろうが……」
「領主と言うよりは将軍向けですか……」
「うむ。お主やオルタならいい勝負が出来るかもしれん。勝つことが出来たら嫁にやってもいいぞ?」
グスタフがにやりと笑う。
(ついさっき30手前、婚期絶望って……)
「ドルケンの王族として、精霊魔法を修め、剣技も身に付け、騎乗技術も修めた結果……自分に勝てる相手でなければ結婚しないと言い出して早10余年……槍で余が負けることはないが、魔法と剣技はあ奴の方が才を持って生まれた様でな。」
女性騎士や姫騎士の物語として稀に聞く話であるが……こじらせたまま10年を過ぎるとそうなるのか。そういえばイリスさんたちも全員未婚だし……北に向かったローザも……まあ、日銭を稼ぐ冒険者と違い、騎士の道を選ぶ貴族女性はそういう人達なのだろう。とアデルは本人たちには聞かせられない感想を持つ。
「考え方が竜人とまったく同じなんだけど……」
アデルがうっかり感想を漏らす前に、ネージュさんが率直な感想を述べてくれた。




