黄昏
タルキーニの捕虜を連れ、陸路で戻ると言うウィリデやヴィクトル達に先行してアデル達――正確にはアデルとネージュ、それにアンナだ――は、一足先にホームであるイスタへと戻っていた。
ブリュンヴィンドはオルタの要求で現在、フィンのレインフォール商会――否、テンペスト武装商船団の旗艦、即ちレイラの元に向かっていた。
目的は3つ。1つ目は状況の報告、2つ目は“隕石召喚”に関する情報や考察、3つ目はタルキーニの内情やフロレンティナとの繋がりの確認である。ああ、そう言えば出る直前、ネージュがオルタに何かを発注していた様だからその物資調達も含めれば4つか。
ハンナはウィリデから付けられたフラムと共に陸路でイスタへ向かって来ている筈だ。彼女らの脚力があれば明日の昼にはイスタに到着できるだろう。
アデルは戻るとまずルーナとユナにリシアによる精霊魔法の講義が無期延期されたことを伝えた。その報には両者ともに残念だという感想を漏らしつつも、まずは一行の無事を喜んだ。リシアも呪いを解かれ、翼の先まで綺麗に元の姿に戻れたと伝えると、自分を守る形になったルーナ、そして自分と同じ種族であるユナも一応の安堵を見せていた。
一方で、ティアにカンセロ西にいたタルキーニ兵の大半が生存し捕虜としてだがイスタに向かってきている事を伝えると、こちらは『そうか……それは良かった。』とだけ呟くが、若干複雑そうな表情を覗かせた。
聞けば、同胞、自国の民であるタルキーニ兵の生存は喜ばしい事だが、自分だけ別に先にイスタに来ていて尚且つ、他とは違う扱いをされているのを他の兵に見られるのはどうかという事のようだ。
タルキーニ兵に殆ど犠牲が出ていない様だと伝えると、恐らく自分の顔、存在を知る者も数名はいるのではないかと言う。
それではどさくさに紛れて捕虜に混じるか?と尋ねるとそれも嫌だと答える。それはそうだろう。捕虜として最低限の生存の保証の元の拘禁生活と、下働き込みとは言え一般的な庶民生活を比べれば後者の方がいいだろう。況して捕虜となれば、いつ本国――今はフィン領タルキーニに送還されるか分かったものではないのだから。本人の意思に拘わらず、国や軍同士の利害や思惑で捕虜交換や身代金を出しての釈放と言うのは起こりうる。元々戦の為でなく、脱出を目的に軍に紛れ込んでいたティアには都合が悪くなるだけだ。
ならば、冒険者としてドルケンへ同行させられるか?と言えばそちらも否であった。
確かに《神官》としてビギナーからノービス、ランクE~D程度の神官としての実力はあるのかもしれないが、本人が危険は極力避けたいと言うのだからどうにもならない。
そこで落ち付いたのがアンナの案だ。
髪色を変え、外出時は必ず少し大きめのメガネを着用することとして、今迄通り生活させることにした。
特徴的だった青みがかった黒髪をロゼールやミリアの様な金髪にしたところ、そこには別人の姫君が現われた。
ティアは鏡に映った自分に一瞬驚いて見せたが、いくつか表情を変えてみた所で、
「流石にこれはちょっと……」
と難色を示した。
アデルとしては自分と近く、且つ自然に見える栗色を推したが、元々黒に近い髪なのでそれでは変装の効果が薄いとされ、ネージュが推した銀髪に決定された。印象ががらりと変わる。これならすぐには元の顔には辿り着かないだろう。ネージュが一人、ニヤついていたが、質すとオルタの帰りをお楽しみにとはぐらかされた。
自分たちの報告を終えると、アデルは留守中を確認する。
彼女らの留守番生活はシンプルなもので、朝食をルーナが用意し、その後読み書きと計算をティアとユナに教える。
その後やはりルーナが用意した昼食をとり、午後はルーナが指揮を執りつつ、掃除や洗濯を済ませた後、昼下がりからは武家の出であるユナがティアとルーナに剣を教える。ティアも護身術程度の剣は嗜んでいたようで、その辺の基礎はしっかりできているとのことだ。
また、ルーナには本人及び保護者(天馬)の希望が槍であるので、まだ基本以上の事を教えてはないらしい。体力に関しては逞しく育った村娘の方がある様だ。流石に長期の幽閉生活が祟っているようでティアの体力や筋力はルーナやユナには遠く及ばないと言う。
そして夕方から夜に掛けて、ルーナがティアとユナに料理を教える。
そんな感じで師と弟子が時間帯ごとに入れ替わる若干奇妙な共同生活を送っていた様子だ。
家庭教師の話が流れたせいで、アデルは彼女らの育成計画を少し考え直すことにした。
尤も建前上、ユナの保護責任者はオルタであり、ルーナの保護責任者はアンナであるのだが。
家でのとりあえずのやりとりを終えたアデルは、次に留守中に世話になったであろうディアスやソフィーに挨拶に向かい顛末を伝える。
“隕石召喚”部分には当然ディアスもソフィーも強く食いついたが、コローナ軍、特にその辺の造詣が深いロゼールらがレオナールの要請で“解析”を始めたと伝えると、『確かに、遺失魔法の“隕石召喚”とは何か違う気がする。』とソフィーが同調した。本来の“隕石召喚”ならもっと大規模な破壊が起きていた筈で、会戦した状態で使われる魔法ではなかった筈だとのことだ。恐らくそれの縮小版か劣化版の何らかの魔法をフロレンティナが保持しているのだろうという結論だ。最後の方には自分もその解析に関わりたいなどと言い出した。恐らく彼らが出向けば、ロゼールなりレオナールなりが歓迎することは間違いないだろう。
その後アデルは真直ぐにイスタ駐留のドルケン翼竜騎士隊長、スヴェンへと接見を求めた。
あちらも既にこちらのことは熟知しており、それはすぐに実現する。
まずは情報交換だ。
先にアデルがグランへ向かってからとグランから戻された経緯を伝えると、スヴェンは苦笑を浮かべながらそれを聞いた。
次にアデルがドルケンの事情を尋ねると、他言無用の念を押されたうえで意外な情報が聞けた。
ヴィークマンら、地方・強行派の造反は織り込み済み――というか、国務卿マルク・カールソン侯爵の謀略によるものだと言う。
彼らはまんまとその策に嵌り、中央に対して牙を向けてしまったのだ。
北からの襲撃がある今、討伐隊こそ差し向けられていないが、彼らが当て込んだ協力者の大半はすでに取り込み済みであるとのことだ。
あちらは交易等、物流を鈍らせて王宮へと圧力をかけるつもりのようだが、代替ルートを持てる領主をすでに王宮側で取り込んだ為、逆に自ら物資の鎖国状態に陥らせてしまっている筈だという。
万一苦し紛れに兵を動かしても、ヴィークマンらが動かせる兵数はその私兵を中心に、5~6000付近。少なくはないが、下手な行動を起こしたところで然程脅威でもないと言う数字だそうである。
ただし、やけになった彼らが西へと手を広げる場合も想定して、コローナに対して何かあった際にはスヴェンらが責任を持って対処するとコローナには通知してあると言う。
レオナールもそれに応え、実力派のウィリデを留守居役に封じたのではないかと言うのがスヴェンの見立てだった。
ただこの時点で既に、スヴェンやカールソン卿、そしてグスタフ王らの想定を遥かに超える事変が起こっていたのだが、それが表面化し、波紋となってアデル達の所に押し寄せるのは明後日の話であるが、勿論彼らに知る由はない。
その夜、ティアが挑戦――もとい、用意した夕食に全員が真顔になったのは本当に些細な余談である。
翌日、まずはルーナの用意した朝食をとると午前の鍛錬に入った。
それぞれアデルがルーナに、ネージュがユナに、アンナがティアを相手に武技や飛行の指導、手合わせ等を行う。
昼前にはハンナとフラムが到着したが、フラムはウィリデからの書状を市庁舎へと届けなければならないと、軽い休憩と給水を行うとすぐに市庁舎へと向かっていった。
程なくフラムが用事を終え戻ってくると、フラムはウィリデが戻るまでの間、(勝手に)アデル達の所でお世話になると宣言する。
それに関しては別段異を唱える者はなく、フラムを迎えての昼食後、狐人のとある能力が気になっていたネージュがフラムに話を持ちかけた。
見た目を他者に変えるという能力である。この能力は狐人や狸人と言った亜人の中でもかなり特殊な種族が持つ能力であるが、その有用性と同時に他者からの不信を招きかねない能力であるため、基本的に彼らはその能力を人前で使うのを良しとしない。
しかし、ネージュの口車(?)により、フラムは相当に渋い顔をしたが、結局それを披露することになった。
模倣するのはネージュだ。
まず服を脱ぎます。
勿論、通常、表面だけを模倣するだけならそこまでする必要はないのだが、ネージュが示した“実験”の為には必要なことだった。
ネージュが脱ぐことにはアデルは何とも思わなかったが、流石にフラムが脱ぐ時は少々目のやり場に困った。しかし大いに興味があるところなのでアデルは結局目を背けることなく観察する。
実験は大事だ。うん。
その後、フラムはネージュを見据え、しっかり観察した後にイメージを固めてその能力を発動する。
一瞬、湯気と言うか煙というかがフラムを包むと、その中からネージュと姿格好がよく似た存在が現れた。
「「「「おお~~」」」」
フラム以外の全員が思わず感嘆の声を上げる。
今回大事なのはその後だ。
ネージュが翼を動かしつつ、動かし方の説明をする。
フラムの方はその説明を聞いて自分が模した翼を動かそうとして見るが――
流石に難しい様だ。実際、ネージュの説明はなんとなく把握しづらい筋肉の動かし方だったが、それを理解できたのは元々有翼種であるアンナとユナのみだった。
フラムも頑張ってみたが、結局『ピクリ』程度しか動かすことはできず、無理という結論に至ったが、アンナが風の精霊の力を借りれば滑空ぐらいはできるかも?とフォローというか提案をする。
フラムは苦笑し、機会があれば……ね。と言葉を濁して元の身体へと戻った。
昼過ぎにはオルタとブリュンヴィンドも戻って来る。
オルタはまずネージュに注文されていた品らしき大きめの袋をネージュに渡す。そこでオルタとネージュは頷きあい、にやりと笑うとそれをティアに渡した。
当人以外疑問符に満ちた表情を浮かべたが、袋の中を確認した銀髪ティアが非常に困ったという表情を浮かべる。しかし当然それで許されるわけもなく、ネージュの無言の圧に袋を持って一度部屋を出ていく。
「「「おおおっ!?」」」
「「ほほう……」」
程なくして戻ってきたティアの姿に全員が湧いた。
ネージュがティアに押し付けたのはメイド服一式のようだ。フリルの付いた真っ白なブラウスとエプロン、それに黒地の服とロングスカートと、凡そ冒険者宅とは思えない様な本格的なメイド。
長い銀髪に整った顔立ち、今宅内にいる者の中では唯一、肉付きが良いと評せる存在は主張するところもきっちりと主張している。これはネージュさんにグッジョブを贈らざるをえまい。
しかし、オルタは――
「あー、一番無難なの選んだか―。」
と、少しだけ残念そうに言う。どうやら他のレパートリーも何着か用意されているらしい。これにはオルタ君にもグッジョブを贈らざるを得ない。
ウィリデがイスタに入る迄で数日。身体が鈍らない程度にこんなゆっくりとした時間を過ごすのもアリか。
アデルは腕を組みながら一人頷いた。
しかし、テラリア大陸に迫る黄昏は彼らに、そして大陸に『生きる』者達にそんな悠長な時間を与えなかったのだ。




