歪む青写真②
眼下に広がる街並みを眺めながら、ヴァルフレート・トルリアーニ旧――元というべきか。グラン王国軍大将は歯噛みしていた。
カンセロ。グラン王国の主要都市の中で最も西にある大きな町だ。
かつて、将軍に列せられてまだ間もないころ、2000の国軍を率いて派遣部隊のトップとして防衛を任されていた思い出深い都市。
西のタルキーニ、北のコローナ、そして東の王都グランディアや大港であるグラマーを結ぶ要衝。
西のフィン――の傀儡と化したカールフェルトの女王フロレンティナによって奪われていた町。
そんな戦火の中としては幸いと言えるのか、都市施設の損傷はそれほどではない。
自陣として再利用するつもりであったのか、少なくともフロレンティナは焼き討ちや破壊、略奪らしきものは殆ど行わずに王都を目指した様だ。
奇しくも今、当時と同じ2000程のグラン王国軍の駐留部隊の長としてこの町の守りについている。
カンセロの街は今、奪還の報を聞きつけ、逃散していた者たちも徐々にだが戻り始めている。奪還に湧くグラン王国民の喜びと安堵の中、かつてほどではないが確実に活気を取り戻している。
しかし今、この町は“グラン王国”のものではない。
グラン王国軍。その中で彼の上に立っているのは由緒あるグラン王家の王ではなく、簒奪者たるパトリツィオ・ファントーニであるのだ。
彼は政争に敗れた後、密かに西の者と通じ力を蓄え、王家が滅びたタイミングで挙兵しグラン王国の実権を握った。
勿論、その政敵に与していた自分の見る目のなさ等、悔いるべきところはある。
しかも今回、この都市の長として収まっているのは自らの力だけではない。かつてよりの友好国、コローナの助力あってのものであるというのも自らの不甲斐なさを思い知るところであった。
グラン王国軍大将としての趨勢は完全に不利である。しかしまだ全てが手遅れとなったわけではない。
周囲が全てがファントーニをグランの王と認めたわけではないのだ。
自分の下には誇りあるグラン王国軍の将兵、そして国の為、同胞の為と慣れない武器を手に取り“敵”に立ち向かう勇敢な義勇兵が集い、支えてくれている。
また、カンセロが意味する“門”はほぼそのまま無事に残されている。先だっての奪還戦に於いても門の内側に忍び寄り閂だけを破壊し、門の機能を奪ったのはコローナの冒険者だという。
恐らく――いや、間違いなくあの水色髪の翼人達であろう。彼女の言葉には……発音にはグラン西部の田舎特有の訛りが含まれていた。彼女もまたグランを故郷とする出自なのだろう。
彼らの期待をこれ以上裏切るわけには行かない。
そのためには――
前途多難ではあるが――トルリアーニは西に沈む夕日に目を細めつつ、はっきりとした光を見出し拳を握っていた。
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眼下に広がる広大な海を見下ろしながら、パトリツィオ・ファントーニは苛立っていた。
自分の下には1万を超える将兵、海を支配する海兵が集い、グランディア奪還、そしてグラン王国再興を信じ、戦っている。
将兵のみならず、国民もまたこの厳しい状況の中、必死の遣り繰りで自分の軍の物資や兵站、各地の治安維持のために一丸となってくれている。
あと足りないのは――
ここへきて急に足踏みが始まってしまったグランディア奪還とフロレンティナの排除。そして友好国、恐らくは当面の後ろ盾とすべき大国、コローナからの承認だ。
取りうる手はいくつも打った。
軍部の再掌握、王国東部の有力者の支持、物資・人員の調達、グランディアの封鎖。
一度は政争に利用され無価値となった娘はその美貌と身体でコローナで現在最も力を持つという王太子の懐へと潜り込ませることが出来た。
先日久しぶりに会った娘は“自分の価値と仕事”を正しく理解している。後はその王太子妃という立ち位置を不動のものとするのみだ。
グランの掌握は順調だった筈だ。しかしここへきて不穏な面もある。
まずは敵将フロレンティナ。旧時代の魔法を行使し、相手陣営に抵抗らしい抵抗をさせずに退けたという実力。
次に今頃になって湧いて出てきた旧グランの無能大将であるトルリアーニ。
自分が失脚したのち王宮の実権を握り、グラン王家を滅亡に追いやったラパロ、その腰巾着のベルトーニ、そしてそのお零れに預かっただけの無能大将が、更にコローナのお零れに預かり、西の要衝、カンセロを事実上たなぼたで手にしている。余程運がいいのか……或いは根回し等の政治力があるのか。無視をするには危険な存在だ。
そしてそれを利用してグランへの影響力を広げようと画策するコローナ王太子レオナール。この両名を何とかして大人しくさせなければ自分の力はどんどん削がれるばかりだ。
焦りと苛立ちがどんどん募っていく。
彼らを黙らせる方法は――
いや、今はまだ雌伏の時だ。まずはグラン王国をこの手に取り戻さなければ何も始まらない。
ファントーニは目を煌々と光らせながら深いため息を吐いた。
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眼下に広がる大都市を見下ろしながら、フロレンティナ・フォン・カールフェルトは苛立ち気に脇に控える側近に言葉を投げた。
「まだ誰も見つからぬのか?」
占領した旧グランの王城、そのバルコニーに立つのは嘗ての“亡国の美女”。今はただ“魔女”と呼ばれ、数多の者に恐れられている存在だ。
「も、申し訳ございません。各方面手の者を回し懸命に捜索しております。――が、恐らくは投降した兵に混じってコローナに拘留されているではないかと。」
フロレンティナが探しているのは、旧タルキーニ王国の宰相であったカッローニ公爵家の子女だ。
サラディーノとティアマト。かつてフィン王の指示により自らの手でタルキーニ王国を制圧した際、王族と宰相ら有力貴族の身柄と引き換えにフロレンティナが引き取り、幽閉した公爵家の次男と次女である。
公爵と言う地位にある通り、傍流ながらも古き王家の血を引いていることは確認済みだ。フロレンティナが必要としているのは、古き王、タルキーニ初代の王の血を引く者であった。
大陸南部に侵食している魔王に対抗するには、かつて邪神を滅ぼし胤を封じたとされる“神装”と呼ばれる存在が不可欠だ。そしてそれを扱えるのは、旧ブリーズ3国とグランの“初代”王の血を受け継ぐもののみである。
大陸南、フロレンティナから見れば西の魔王が表舞台に現れる前に滅ぼし、旧領を取り返さなければならない。
手の者を使い、ひと月ほど前に“幽閉先から逃亡させた”両名を旧タルキーニ軍の輸送隊に紛れ込ませ、タルキーニを脱出させ手元に呼び寄せる算段だった。
しかし、その輸送隊に何らかの不審を感じたフィンが輸送隊に督戦隊を付け監視を付けるなどもたついている間に、グランの援軍であるコローナ軍がその輸送隊を攻め掛かるという知らせを受けた。
何としても回収するべく、無理な魔法を行使し魔力と体力を使い果たしてしまったが結局両者ともその回収は叶わず、そのままコローナとグランの残党の合同部隊に要衝であるカンセロを落とされ、輸送隊は壊滅。多くの者がコローナの手によって捕虜にされてしまっているという。
あれから一月弱。体力と魔力は取り戻しつつあるが、肝心なものが未だ回収できていない。
更に悪いことに、いや、取り返しが利くだけ殲滅されるよりはマシではあるが、コローナ軍がフィンの部隊だけを殲滅したことによりフロレンティナ自身もフィン本国から不審な目で見られることになってしまっている。
それにより、当初の補給どころか次の補給すら受け難い状況になってしまっていた。コローナ軍がフロレンティナとフィンの離間まで狙っていたとは俄かには考えにくいが状況は想像以上に悪くなったと言える。
幸いグランディアはほぼ全て掌握できており、その気になれば徴発も不可能ではない。しかし、徴発で賄えるのは一時的なもので、やればやるほど先が苦しくなるのは目に見えている。
「急がせろ。時間は多くはない。やむを得ぬなら力づくでも構わぬ。見つけ出し生かしたまま連れて参れ。それから次の戦に備え、大岩の用意もだ。」
「ははっ!」
側近は強張った表情のまま、フロレンティナの傍を辞した。
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居城から北に広がる大森林を見下ろしながらブルーノ・ヴィークマン伯爵は焦っていた。
連邦と手を組んだ北、魔の森の蛮族たちがドルケン北東部に侵攻する。
それにより国軍が西南部の領を離れ、翼竜騎士団が北方防衛に向かったところで、ドルケン西部・南部で10ある地方派の領主たちが一斉に主要な街道を押さえ王都に対し、私兵や関所の数、そして税率の上限の引き上げを求める。その引き上げによって追加された財源と兵力で領地“保全”の強化を行う。
地方貴族や竜人の遣いである鳥人などと申し合わせ、その様に行動した筈が、実際に行動に移った地方貴族は10の内の3つに過ぎない。
竜人たちの方は実際に北東部に相当規模の軍を派遣しているようだが、地方貴族で実際に立ち上がったのは、ヴィークマンの他、南部で最も有力な伯爵と、ヴィークマンの寄り子の子爵のみだが、その両家もヴィークマンと同時にではなく、ヴィークマンが働きかけを強めてようやく腰を上げたと言える様子だ。
西と南、現在敵対している北と東を除けばそれなりの影響力を示せているが、中央を動かすにはもっと多くの領主たちの“賛同”がなければ圧力が強まらないどころか下手をすれば各個排除されかねない。
ヴィークマンは側近に、まだ腰を上げない領主たちに対して働きかけと圧力を強める様に指示はしているが、他の領主の腰は重いようだ。
「このままでは中央の力がどんどん強くなると分かっているだろうに……」
ヴィークマンは苦々しげに呟く。
この数年、中央――王宮が地方の貴族の意見を無視して内政外交を決め、地方は従って当然という態度を明確に強めてきている。コローナとの交易が始まり、本来一番恩恵を受けるべきは最短距離の道を擁する自領である筈なのだ。それが、やや南に逸れるルートが正規の交易ルートとされてしまっている。交易を始めようとする商会にはきっちりと飴と鞭を与えた筈なのに。
「例の隠し子は?」
「コローナ東部、イスタにいるとの情報がありますが……なかなか手出しができない様です。」
「……イスタか。――」
ヴィークマンが何かを言いかけた瞬間、執務室の扉が大きく開かれた。
「も、申し上げます!」
「貴様!ノックもまともに出来んのか!?」
いきなり遠慮も礼もなく扉を開いた兵にヴィークマンが怒鳴りつける。
「そ、それどころでは――GYAAAAAAAAAAAA」
「「!?」」
その兵が突如、炎に包まれ燃え上がると、ヴィークマンと側近、二人とも声を失う。
「警備兵!何事だ!?」
一呼吸してヴィークマンがそう叫ぶと部屋に見覚えのない、大柄な女がにこやかに入って来る。ヴィークマン好みの綺麗な女ではあったが――そのこめかみからは湾曲した長い角が2対4本伸びていた。
「貴様は……何者だ。」
ヴィークマンが息をのみつつそう声を掛けると、女はにやりと嗤い、告げた。
「これよりこの城と領地は私が管理する。」
「何を言っている?話が違うではないか!?」
「話?そなたと話すのは今が初めての筈だがな。ああ、あのネヴァンを遣わした竜人のことを言うなら、あいつは別人だ。身内でも仲間でもない。」
「何を勝手なことを!」
「お前たちの事情など私の知るところではないが……」
女が言葉を止め、一瞬別の何かを発音すると、脇にいた側近が先ほどの兵士の様に燃え上がる。
「ひっ……」
「お前たち人間の選択肢は従うか死ぬかだ。1度だけ選ばせてやろう。」
女の言葉にヴィークマンは無意識に膝から崩れ落ちていた。
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「足りぬ。」
グルド山の東、かつてテラリアと呼ばれていた国の中央で女性が苛立たしげに傍らに控えていた竜人に告げた。
「足りぬ……とは?」
隻腕の竜人が恐る恐る女に声を掛ける。
「こやつらも“不味くはない”が、違う。私が欲しているのは、私を使い捨て、裏切った奴らの末裔の血だ。最初の娘の血は真に美味であった。」
「テラリア王家の血ではないと?」
「違うようだな。」
女の横には干からびた男の死体が転がっている。
(現在の人族の歴史の名前にも冠されている国。テラリア皇国の皇太子の生き血を啜った上でまだ違うと言うのか……)
隻腕の竜人は困惑する。
「血も肉も、魔力も確かに一級品だ。だが……違う。これでは私の渇きは癒せぬ。」
人族から亜人と蔑まれる者たちを扇動し、また人族同士で文字通りの骨肉の争いをさせ、ようやく手に入れたテラリア皇族の血。それでも尚不服と言うのか。
「しかし、それなりの逸品であったのは間違いない。約束通り褒美を取らせよう。」
女は少しだけ表情を緩めると竜人に聞き取れない言葉を何か呟く。
すると白い光が竜人を包んだ。
「むむむっ!?ぬおぉ!?……熱い!」
竜人は身体の表面を駆け巡る熱、失った筈の腕がその内側から焼いている様な苦痛を感じながら数秒、その光が収束し消える。
光が消えた時、竜人の腕はかつての通り、否、当時以上に魔力を漲らせ再生していた。
「おおお、これはっ!」
竜人は再生した腕、そして翼やその他の四肢を動かしてみて満面の笑みを浮かべる。
腕はもちろん、全身が明らかに今まで以上の力を秘めていた。
そして、その力を以て如何にして今迄の返礼をすべきかと幾つかの顔を脳裏に浮かべる。
己の腕を奪った小癪な人間、胸部に深い傷を負わせた鬼子、そして今までずっと自分をいびってきた金の竜人、さんざん苦杯を嘗めさせられたその竜人の妻であった銀の女、見の程をわきまえず傍若無人に振る舞うその妾。
どれも今なら一ひねりで潰せそうな気がする。
「古き血。それを探し我に差し出せ。」
女は竜人に静かに、そして強くそう言い渡した。
蛮族、亜人、そして他派閥との抗争をつづける中、その国の中枢が邪悪な人ならざる者に乗っ取られている事に気付けている皇国の貴族は誰一人いなかった。




