寒い夜
敵本隊、そして周辺エリアまで探したものの結局“魔女”は見つけられないまま夜を迎え、アデル達は一度報告に戻った。
コローナ軍は大型広範囲魔法の再攻撃を警戒したか、なるべく散開するように陣を取ったようである。森や、敵に有利な丘攻めであったイスタ東部とは違い、場所だけならいくらでもあるのだ。
「“魔女”どころか、中央で部隊全体を指揮している様な将も見つかりませんでした。」
戻ったアデルの報告にウィリデは少し渋い顔を浮かべた。
将官、そして冒険者ら何かしら“戦闘”という行為と縁がある者の常識において、『魔法を使うには視認と詠唱が必要である。』というものがある。魔法の勉強を少しでもした者なら、『魔法の発現及び制御には視認と詠唱が必要になる。』ということになるのだが、そのあたりは実質的には誤差の範囲だろう。
「アデル兄たちが空から派手に仕掛けてたみたいだから、敢えて隠れたんじゃないの?魔法の詠唱なんてしてたらいつ上から狙われるかわからないだろうし。捜索が牽制となったなら向こうが一旦引いた後も魔法を使ってこなかったってのの説明になるし。」
そう発言したのは合流を果したフラムである。
フラムはウィリデの無事を知り安堵の表情を浮かべたが、国から預けられた兵が多数犠牲になった事に心を痛めていた。
「そう思ったんだけどな……一度の詠唱で5発なのか、短時間で5発なのかでまた話が変わってくるような……」
そう言うのはアデルだ。アデルがヴィクトルから聞けた範囲で考えると、恐らくは後者ではないかと思われる。それはウィリデも同様のようだ。
「陽が落ちてから使ってこなかったのはおそらく消耗だろうと思うがな。最初の巨岩を降らせた時間差を考えると短時間で5回は発動できると考えておいた方が良いと思う。」
ウィリデが言う。
「とりあえず夜になったが……どうだ?」
「そろそろ準備に入りますかね。アンナがまだ戻ってないのが少し気になりますが……恐らくは先導を任されているのでしょう。」
ジョルジョたちに合流を促すべく向かわせたアンナがまだ戻っていない。状況的にどうこうされているとは思わないが、やはり心配である。
「何をする気だ?」
「ナニモシマセンヨ。」
当然ながらのウィリデの問いにアデルは片言で答えた。当然ながら怪訝と言うか生暖かい視線が返ってくる。
「グランの風と水の精霊に伏してお願いに上がるとか?」
自分たちのことなのに疑問形でウィリデに返す。
「精霊魔法なのか?」
「……そういうことにしておいてください。」
「それだとアンナにいらぬ疑念が湧きかねんぞ?」
アデルの答えにヴィクトルが口を挟んだ。確かにこの言い方ではアンナが強力な魔法を使った様に見えてしまうかもしれない。
「……まあ、ここでならいいか。いや、面子的に良くても場所的に悪いな。」
アデルはそう言いながら周囲を見る。今ここにいるのはウィリデとフラム、イリス、そして既に事情を知っているヴィクトルのみだ。しかし言葉だけではすぐに信じられないだろう。実演するには場所は夜営するコローナ軍の陣地のほぼ中央の陣幕である。教えること自体には否はないが、実演するには場所が悪い。
「知り合いにまだ未成熟ながら氷竜がいましてね……」
「何だと!?」
「「何!?」」
ウィリデ、そしてフラムとイリスが驚きの表情を見せる。
魔神や邪神など神格化されたり伝承化された存在を除けば竜という種は生命体の中でも最上位と言われている。
成体でなくてもその能力は人間に御せるレベルではなく、成竜ともなれば天災に近い存在だとされる。
そのうちの一種、氷竜と知り合いで手を借りられるというのであれば確かに起死回生の策ではある。
しかし、竜種は基本人の世、特に戦争には干渉しないと言われている。ごく稀に竜と意気投合できたり、利害関係が一致したり、気まぐれでOHANASI-AIをして分かり合えたりした場合、協力を得られることもあるとは伝えられているが……
かつて火竜の背に乗り大陸西部の数多の種族を制圧し、統一した竜騎士が軍事国家ベルンシュタットの祖と言われているが、それを証明する資料はなく、ベルンシュタット以外の国ではベルン国民の自称だろうと言われている。事実、文明崩壊後から再統治がなされた400年のテラリア歴に於いて、竜騎士の存在が示唆されているのはその一例のみである。
「ってゆーか、ウィリデさん辺りにはソレとなく伝えられてるかと思ってましたが……」
アデルはチラリとヴィクトルを見るとヴィクトルは怪訝そうに首を振った。
「カミーユさんの箝口令が思いの外しっかり守られているのですかね。」
その言葉でヴィクトルもようやくアデルの言わんとしたことが理解できたようだ。
「そうだといいんだがな……」
ヴィクトルはただ肩を竦める。
「普段はこんな恰好をしていまして……」
アデルはそう言いながら、猫を掴むようにネージュの首を軽く掴んで引き寄せた。
「に゛ゃ?」
ノリが良いのか無意識なのか。ネージュが尻尾を踏まれた猫の様な声を上げる。
「氷竜?」
そう眉間に皺を寄せたのはウィリデだ。
「竜化できるのか?いや、氷竜?」
竜化した竜人のブレスは超高温の光熱であることは周知の話だ。
「話を聞けた古い“珠無し”さんの話ですと、祖先の祖に氷竜がいたんじゃないかと言う話でしたが詳しくはわからないそうです。が、珠無しでも氷竜限定で竜化できるのは事実です。当初の発現は暴走に近い物でしたが、今はある程度制御できていますので。向こうが変な行動を起こす前にやって来てしまいましょう。オルタには伝えておきますが、戻りは遅くなるかもしれません。竜化できてもうまく解除できないと流石に戻れませんので。アンナが戻ってきたら話を聞いた後、オルタらと一緒にいる様にと伝えて下さい。」
アデルはそう言うと、狐につままれたような表情を浮かべるウィリデらに軽く一礼し、ネージュを連れて陣幕を出て行った。
アデル達は揃って陣地を外れ、少し進んだところで確認行う。
今回、アデルとネージュが攻撃をしてくるのはオーヴェ平原のフィンの追撃隊1500弱、それを崩壊させた後、この付近にまで来て竜化を解き陣に戻る。
アンナがまだ戻らないので、アンナの到着をしばらく待つが、夜半まで戻らない場合はオルタとブリュンヴィンドで捜索に行くことだ。
しかしネージュが竜化する直前、新たな提案をした。
「平原の敵の後、カンセロ?西の輸送隊の中の督戦隊とか言う奴を強襲できないかな?一昨日と同様の展開なら簡単に半壊させられそうだけど。もしかしたら仲間割れを起せるかも?」
詳しく聞く所、輸送隊は督戦隊を中央にそれを守るように周囲にタルキーニ兵が構えている。高高度から接近し、督戦隊の真上から氷塊を収束させて落せば督戦隊にだけ大打撃を与えられるのでは?というものだ。
督戦隊を狙う理由として、士気の低いタルキーニ兵の戦意をごっそり削ぐ事、あわよくば同士討ち、そこまではいかなくても、フィンとタルキーニ兵との間に疑心を産ませられる可能性、そして先日捕えたティアに安心して働いてもらえるようにとのことだ。また、収束モードの氷塊を上から落すというのは、メテオに対する意趣返しも含まれる様だった。
最後の所にはやや驚いたがアデルもその案を推し始めた。仮とはいえ仲間、旧領の兵士の無事でティアを安心させる為か、いつでもピンポイントでヤれると脅しをかけてこちらが安心して留守を預けられるようにする為なのかはわからないが、実現可能であれば効果が大きい案だと評価する。
結局、最終的にはカンセロ上空で状況の確認を行ってからの結論だが、この方針でいくことにした。オルタらの役割は変わらない。アンナの帰りを待ち、余りに遅い様なら捜索に向かうというものだ。
アデルは当初の予定よりも遅くなるかも。とオルタに伝え、カンセロ西、輸送隊強襲については他には黙っておくようにと念を押した。
ネージュが竜化すると周囲の空気が一段冷える。種族的な所為かハンナの体が一瞬強張る。既に何度か訓練と言う形で対峙しているブリュンヴィンドの方は少し寒そうに羽根を膨らませた以外は平気そうだ。
アデルはハンナやオルタの手を借りつつ伏せたネージュの首筋を跨ぐように座る。空中での意思疎通、特に機動に関する意志疎通に関しては事前から試行錯誤しながら練習している。
鞍や鐙、手綱などを使えない中で、相互の動きの意思の疎通と統一、異なった場合の優先度、緊急時の対処など、普段から騎乗用として人間の判断を優先するように訓練されているワイバーンや、普段から飛行体の姿をしているブリュンヴィンドとは一味違う方法だ。
勿論、アデルが口で言えばネージュは理解できるが、戦闘中、逐一それでは戦闘機動としていささかレスポンスに難がある。実際、当初はそうだった。それを克服しなんとか善処したのが今の案、首筋に座り、アデルの重心移動を感知してネージュが機動を取るというものであった。
飛行の慣れや種族的な速さに於いて機動のみではブリュンヴィンドには中々勝てないが、その分ネージュにはブレスがある。氷塊を拡散し、或いは収束させ攻撃に回せば、相手の動きを阻害し、或いは離れた位置から直接落す事も出来るだろう。さすがにブリュンヴィンド相手に練習でそんな真似はしないが、随時2人で構想は考えている。
尤も今回は、空対空は想定していない。この辺の訓練の成果が光る事はないとは思うが。
ネージュが浮揚を始め、高度をある程度とったところで、オルタはアデルを乗せて来たブリュンヴィンドに移動し、ハンナを伴い陣に戻った。
------------------------------
オーヴェ平原中央、フィン軍の夜営地点周辺の上空200メートル程。そこでアデルらは一度動きを止めた。
この位置なら相手からは通常の光源では見えないだろうし、暗視持ちがいたとしても肉眼で見つけるのは困難だろう。撤退戦時、あれだけ派手に両翼を攻撃すれば敵も無警戒という訳ではないだろう。もし仮に見つかったとしても、通常の弓兵の攻撃が届く距離ではない。
しかし相手は遺失魔法を扱うとされる魔女である。下手な接近も危険とこの場での最終確認を行った。
フィン軍は夜襲を警戒してか、コローナ軍がいるとみられる南西の陣を若干厚くし、光源や哨戒兵を多く配置している。
コローナ軍で使われた天幕、陣幕と言ったものは見つからず、相手の指揮官の所在地は望遠鏡と暗視兜の効果をもってしてもすぐにはわからなかった。
「この寒いにもかかわらず、防寒具の一つもなしか。」
これから自分たちがしようとしていることを棚に上げ、アデルは小さく呟いた。アデルにその気があったかなかったかはわからない――いや、少なくとも多少はあっただろう。その呟きをネージュは『思いっきりやってやれ』と同義としてとらえた。
背後――東側から襲うのは確定として、どの程度の規模の攻撃を行うかを考える。
目的は殲滅ではなく、撤退せしめることである。但しこちらの姿はなるべく見せないようにしたい。アデルはネージュに説明する様に一つ一つ言葉にして呟いていた。
「中央、やや東、騎馬数体。あの辺狙う?」
片言の精霊語が聞こえてきた。ネージュが鋭意習得中の精霊語である。精霊の言葉は竜状態の口からも発声できるらしいが、人に聞き取れるようにするには一度精霊を経由させた方がわかりやすい。ネージュの言葉は風の精霊の仲介を経て人間の耳に聞こえる音域に調整してもらったものだ。
「殲滅ならそれでいいんだが、下手に潰走されても困るからな。とはいえ……魔女が討てればそれはそれで美味しいか。」
アデルは少し接近し、騎馬が並んでいる辺りを良く観察した。
しかし、魔女らしき者の姿は見えない。
「いなさそうだな……こっちに気づいた様子もないし……よし。先の案を先取りして騎馬隊上空にある程度のサイズの氷塊を落して東から接近、あとは合図したら拡散モードで3発、機動は任せてくれ。最低高度は30メートル付近だ。それ以下には下げないでくれ。」
「Gyo」
今度は竜の口から竜の音域でいつもの「了解」の「りょ。」らしき声が返ってきた。
アデル達は高度少し上げつつ騎馬隊上空まで移動し、ネージュは目一杯に息を吸い込んだ。
「落とせ。」
フーセンガムを膨らませる大きさを競う子供の様な勢いで氷塊を生成したネージュはその氷塊の制御を切った。それは即ち、氷塊を重力に任せるということである。
氷塊は世の理に倣い、ほぼ真っすぐに騎馬隊の上に落下し――
轟音と破砕音と共にその質量と氷片を周囲にまき散らした。
当然ながら敵軍は大慌てだ。
自分たちがやった大型魔法を逆に返されたと思ったのだろう。管理規模はわからないが、部隊長らしきものがそれぞれのエリアの兵士たちに怒号を飛ばす。
先に自分たちが似た様な者を使っていたせいか敵軍は混乱の中でも指揮は思いの外理に適っていた。散開だ。向こうもこちらに“目”があると悟っているのだろう。層を厚くしていた南西方面の部隊は素早く2つに、4つにと分散していった。
その間アデルは太腿と足でネージュに機動の指示を出して東方面へと回り込んでいた。
少し余裕を持って東に抜けるとそこから反転降下(スプリットS)の機動で速度を増し、動きの鈍い東側に迫る。
「撃て!」
ネージュはすでにブレスの準備を済ませている。アデルの指示がでると食い気味にブレスを拡散モードで吐き出す。
「背後――!?」
フィン軍東の一帯を凍てついた暴風が襲う。その風はただの吹雪ではない。霙でもない。明確な殺意を持った無数の小さな氷塊と氷刃をまき散らす風だ。
速度が出ていたためか、射角は60度ほど。思っていた範囲よりも小さかったものの、その分氷塊の密度は高く金属鎧を纏っていようが革鎧を纏っていようが関係なく穿っていく。況して言わんや胴鎧程度で防ぎきれるものではない。暗視状態では色の識別はほとんどできないので敵兵が何をまき散らしているのかはっきりとしないが、氷塊、氷片が穿ち抉った部位の他、口からも粘性を持った液体が放出されているのが見えた。
アデルが重心を後ろに倒す。それはピッチアップ、上昇の指示だ。ネージュはすぐにそれを感知し体の向きを上へと向けるが、離脱際、置き土産を配る。
圧縮された冷気のパルスだ。
こちらは大粒の雪を伴い放射状に広がっていく。
冷気パルスはたちまち周囲の地面や逃げ遅れた兵士たちを凍らせていき、周囲が銀世界になるときにはすでにネージュらは上空数十メートルの位置まで離脱していた。
「なんだ今の?」
初めて見る攻撃にアデルが少し驚いた口調で言う。しかしすぐにその現象は過去に2回目にしていたことに気付く。暴走、暴発竜化したときのアレだ。
「暴発した時のアレの原理が分かったのか。機会と場所があれば攻撃以外にも使えるかもしれんな。」
アデルがそう言いながら右脚に力を込めた瞬間、その“指示”通り。否、指示を通り越してネージュは200度ロールからの急旋降下を行った。暴発という言葉が癇に障ったか。
「いや、褒めたつもりだったんだが……」
アデルは引き攣った笑みで必死にネージュにしがみ付く。鞍やハーネス、固定ベルトがない状態で不意に120度以上のロールをされたら……重力が頭上方向からやって来るのだ。今はまだネージュの成熟しきっておらず、竜のやや長い首も細いため、腿で挟み込み、足でほぼ一周巻きつけらえるので良いが、これが成長し太くなると何らかの補助が必要になるだろう。
尤も今そんなことを考えている時ではない。アデルは言葉で多少の針路補正をさせると、次弾の発射を指示した。
最初の爆撃、次の背後からの強襲の後、敵を後ろ方向から左、右と2回ブレスを吐きつけ、最後にハーフループからの氷塊落とし、仕上げに冷気パルスを放つ。傍から見れば足に噛みついた巨大な蛇がぐるりと胴に巻き付き、仕上げに頭にもう一発噛みついて締め上げたようにも見えたかもしれない。
アデル達が戦果の確認もせずにオーヴェを離脱した時、平原には銀世界が広がっていた。




