離任
イスタ帰還から1週間が経過したある日、シャルロットと名乗る女性がアデルの家に訪ねてきた。
当初、オルタが応対したが見覚えのない女性にアデルに名前だけを伝えると、アデルも知らないという。しかし、アデルが実際に玄関を開けその人物を見ると、何となくだが見覚えのある人物だった。
拠点制圧前夜にシミュレーションを行った時の相手、その後何度かカミーユの呼び出しの連絡に来ていたシャルと呼ばれていたカミーユの従士であった。
「ああ、あなたでしたか。何か御用でも?」
「カミーユ様が至急会いたいとの事だ。話だけなので仕度はいらぬ。時間がない故、すぐについてくるように。」
シャルロットは一方的にそう捲し立てた。
シャルロットの地味に不快そうな雰囲気にアデルも少々不快に感じたが、ネージュの一件で色々世話になったカミーユの緊急の、時間の取れない急用との事にすぐそれに応じた。
場所は市庁舎の応接室。以前にレオナールとも面会した部屋だ。
「急な呼び出しで済まないね。君に話しておきたい案件がいくつか出来た。挨拶の時間も惜しい。掛けてくれ。」
カミーユは右手を指し出し、握手だけ済ませると急かす様にアデルを席に座らせた。
「さて、どれから話そうか……そうだな。まずは私のことからか。」
カミーユは一人でそう言い、深呼吸をすると複雑な表情でアデルに告げた。
「……明後日よりイスタを離れ自領へと戻る事になった。イスタ市総督の後任はイベール・デュラン子爵が担当する。」
「それは確かに急ですね。」
少し驚いたふうにアデルがそう答えると、カミーユは苦笑いを浮かべる。
「まあ、今回の対東部蛮族戦線から外されることになった。王太子殿下は今回の戦績に不満のようだ。」
「なんですと!?」
続くカミーユの言葉に、アデルは今度は本気で驚いていた。
カミーユでなければイスタの部隊はここまで纏まらなかっただろうし、今回の東征の内、誰かが欠けていたら1回の出征による敵拠点の排除は叶わなかっただろう。アデルはそう考えている。
「これ以上の戦果なんてそうそうないと思いますが……」
アデルの言葉にカミーユは少しだけ沈黙し、自分の言葉を続けた。
「過程か損害か、何かしら思うところがあったのかもしれん。心残りはあるが、正直この話自体は私にとって悪い話ではない。自領の整備と守りを固めなければならないしな。」
「カミーユ様の――エルランジェ家の領地ってどのあたりなのですか?」
「フォルジェ領には行ったことがあったのだろう。あの東から北東にかけてだ。フォルジェ領よりも広い。」
「おや?ってことは“北部連合”の一員なのですか?」
「一応は、な。ただ付き合い程度でノーキンス辺境伯とは少し距離を取っているよ。今回の北伐にも軍は出していない。」
「そうでしたか。でもやっぱり急ですね。将軍がイスタにあってドルケンとの関係をほぼ一手に担っておられたと考えていたのですが。」
「まあ、な。自分でも軍事よりは政治の方が向いているとは思っている。」
「イベール様も?」
「あちらは……軍事寄りだろうなぁ。それに関しても君に話しておきたい事がある。」
「はい。」
カミーユの言葉にアデルは居住まいを直す。
「今回、コローナ東部から魔の森を含む蛮族の軍団に対し、ドルケンと正式に合同作戦に当たる事になったそうだ。」
「なんですと!?」
またまた大いに驚くアデルである。
「聞いてはおらぬようだな?」
「イスタに戻って1週間、まだドルケンの方々がまだこちらに見えられていないので……ある程度落ち着いたなら、報告と称してこちらから訪ねても良いのかも知れませんが。」
「そうだな。“君達”の今後の為にも一度話は聞いておく方がいいかも知れない。恐らく君達にも声が掛かる事になるだろうが、その時の“立ち位置”はじっくり考えてから決めた様が良い。」
ところどころ引っ掛かりのある物言いだった。恐らくネージュに対する味方の警戒感を懸念してのことだろう。確かにその件に関しても――竜化ができることはすでにドルケン王宮勢は知っているとしてもだ――一度話をした方が良さそうだ。
「イベールだが、彼はロベールを気に入っていた。あの最期には納得できていない様だ。」
カミーユが険しい顔で言う。つまりネージュを――恐らくはアデル達をだろう――快く思ってはいないという警告だ。
「これは私の個人の意見であるし、出来れば他言は控えてもらいたいのだが――」
カミーユはそう言うと意味深な間を置く。
「君達は国に――コローナにとらわれ過ぎない方が、結果として君達やコローナにも良い方向に向かうだろうと思っている。“君達それぞれ”が何を望むのか。一度確認してみてはどうだ?」
「……はい。有難うございます。」
カミーユは立場に拘らずアデル達を親身になって心配してくれている様だ。アデルも自然と感謝の言葉が出てくる。
「話はここまでだ。君達には随分と世話になった。いつかまた会えることを祈っているよ。」
「こちらこそ。お世話になりました。」
カミーユはそう言い立ち上がると、アデルに退出を促した。
アデルも一度深く頭を下げ、その場を辞した。
「何があったんだ?」
浮かない顔で家に戻ったアデルにオルタが訊ねてきた。
「明後日にはイスタから離れることになったらしい。ご丁寧な挨拶と、一度自分たちの希望と立ち位置を整理した方が良いだろうとのことだ。後任のイベール子爵だけど……『ロベールを気に入っていてあの最期に納得していない』と教えてくれたよ。あと、魔の森の対蛮族にドルケンも絡む事になったらしいから、それとなくあちらの話を聞いておけという感じだな。」
「ふぅん。」
オルタは聞いてきた割にはあっさりとした感じで返事をする。
「立ち位置とかはまあ、兄ちゃんに任せる。望みっつってもレイラに恩返しを兼ねた、レインフォール商会の足場固めだしなぁ。商会が安定すりゃ俺も安定することになるし。今のところ居心地は良かったけど、俺は別にイスタに拘るつもりはないよ?」
オルタは飽く迄レインフォール商会に軸足があるという発言だ。
「ネージュは?」
「……まあ、任せる。良くも悪くもいろいろありそうだし。できればあのクソ女はぶちのめしてやりたい気もしないでもない。」
「北拠点の竜人か?」
「うん。まあ、いっぺん地面這わせて吠え面かかせてやれればあとはどうでもいい。」
「なるほど。」
以前は実力とパーティとしての立場を踏まえ、戦いには拘らない。むしろ避けるというニュアンスだったようだが、竜化を手にした事で少し心境の変化があったようだ。
「アンナは?」
「皆で穏やかに生活できればそれ以上は……」
控えめな返事が返ってくる。もともと積極的に何かを望むという事はなかったが……
いや、最近はある意味積極的か。帰還以降2日に1度は何かにつけてアデルの寝室に押し掛けてくるようになった。初めて味わった臨死体験に色々感じるものがあったのだろう。アデルとしてもこれ以上アンナを危険な目に合せたくはないとは考えている。
曰く、『今迄は自分の生死に執着はなかったと思っていました。偵察や戦場でも怖いと思ったことはなかったのに……でも、あの瞬間、死ぬ恐怖と悲しさに震えました。』とのことだ。
庶子として片親に預けられ、捨てられ、売られ……自分の価値とこの世に未練なんてないと思っていたが、ここへきて“今が終わる”ことが怖くなったという。アンナの今迄を思えばそれ自体は悪い変化ではないと。アデルは考えた。アンナのここまでの凄絶な人生を思うと同時に、力を持つことの必要性を強く感じるのだった。周囲に抗う力を持たなければ、ずるずると押し流されてしまう。流される方向は当然、相手にとって都合の良い、つまりは自分にとっては悪い方へ悪い方へとどんどん押し流されてしまうことになるのだ。勿論、その力が武力であるとは限らないのだが。
「とりあえず、立ち位置はお任せ。希望は……あんまり危険な真似はしたくもさせたくもないってところだね。」
アデルが反芻していると総論をオルタが纏める。尚、ハンナの意見は聞いていない。
「そうだ。このあと2~3日、特に予定ないよね?」
オルタが言う。
「ん?まあ、今のところ何の話もないにはないが。」
さしあたる予定はないとアデルが答えると、オルタは一つ提案をしてくる。
「一泊二日くらいの予定で兄ちゃんとアンナでドルケンに、俺とネージュでレインフォールへいって話を聞いてくるってのはどうだい?」
オルタの提案にアデルはなるほどと納得した。アンナの今後やまだ未成熟ながら竜化を会得したネージュに関しての相談しながら、あちらの情勢や思惑を確認してこようというのだ。
「そうだな。今のうちに話を聞きに行っておいた方が良いかもな。」
アデルも賛同する。
しかし、その日の午後、意外な来客によりそのフライトはキャンセルとなった。




