丘の上
負傷者の応急手当、戦死者の埋葬、敵死骸の埋葬と焼却が済むと、丘の上の敵軍の防衛施設は全て除去・焼却された。
現状、イスタ――コローナ軍にとってこの場所は防塞を構えてまで常時守る程の場所ではない。また、敵が纏まって侵入し、ここを再度拠点化できるとも考えにくい。
片付けが終了する頃には既に雪や霜も消え、見た目上は殆ど元通りの丘に戻っていた。
夕日が西側を一際明るく照らす。ここから西へ見下ろす光景は、森や草原が広がっており、初夏あたりなら心地よい風に吹かれ、絶好の観光スポットとなるのであろう。
そんな丘の上での戦勝であったが、生き延びた将兵たちは安堵の表情は一様に見て取れるが、戦勝後ならではの明るい表情はない。
将官から兵士、騎士から傭兵、冒険者に至るまで黙々と自分たちの作業を続けていた。押せ押せムードから一転、最後は色々と後味の悪いものとなってしまったのだ。
特にアデルは深刻だ。
味方からの攻撃でアンナは重傷を負い、未だ意識不明のまま目を覚ます気配はない。場合によっては後遺症の恐れも残るという。
ネージュは本来の姿を失ったまま姿を消し、一部将兵から腫物扱いされている様子だ。中にはジーンの様に露骨に敵意を現す者までいる始末。
オルタとブリュンヴィンドは……そのうち戻ってくるだろう。飛び去った方角からして、恐らくはグルド山、グリフォンの巣に戻りそこで夜を明かすつもりだろうとアデルは考えている。
取り残されたアデルを気遣う様に、そして半ば監視する様にラウルら3人とヴェルノがその様子を窺っていた。ブランシュはアンナ以外の負傷者の治療にも当っている様でこの場にはいない。いつもならアデルとアンナもそちらに参加している筈なのだが……
そんなアデルを一人の兵士が……否、従士、シャルが呼び出しに来る。
改めてカミーユの所に出頭しろというのだ。カミーユの方も少し時間が取れる程度には処理が進んだのかもしれない。
「今回の案件は全て“事故”として処理をする。」
カミーユがアデルに真っ先に告げた言葉はそれだった。
アデルは無言のまま動かず、続きの言葉を待つ。
「短期間に度重なった戦闘と、ネヴァンによる精神攻撃魔法の後遺症により恐慌状態に陥り混乱状態にあった。攻撃を受けた者は己の身を守る為に已む無く反撃し、ロベール以下数名がその混乱の収束に尽力したが収束能わず巻き込まれ死亡した。」
「つまり?」
「順序を問わず、全ての者に責任は認められない。ロベール殿は戦の終結に全力を賭し落命した。」
「……」
アデルは沈黙する。理解はできるが納得は出来ないという奴だ。局面的には1対1の状態で味方が優勢に立っていた状況に、巻き込み上等の射撃を行ったにも拘らず、責任は誰にもないというのだ。
同時にそれは結果としてロベール他数名のコローナ軍を殺したネージュにも当てはまる。先に仕掛けられたうえで納得はいかないが、妥結すべき話であるとは理解できる。
「……わかりました。その様に考えます。」
「ああ、すまないな。」
アデルの言葉にカミーユが謝罪する。カミーユの謝罪の意図がすぐにつかめずにアデルは疑問符のついた表情でカミーユを見返す。
「君達の立場は少々悪くなるだろう。同士討ちの顛末を理解しても尚、ネージュがロベール殿を殺したと訴えている者がいる様だ。亜人、特に竜人に対する疑念、偏見はすぐには払拭しきれない。」
「……わかりました。」
経緯を理解した上でそう言う輩がいる。アデルとしては腸の煮え返る思いだが、アンナが落された時、アデルもまたカッとなって弓兵に斬りかかろうとした。重装兵とロベールに止められたが、ネージュがやっていなかったら自分がやっていたかもしれない。それがネージュが竜人だからという理由で尾ひれがついてしまった。アデルは落ち着く時間もなかったとはいえ、感情に任せた己の迂闊な行動を悔いる他なかった。
「彼らは戻ってくると思うか?」
アデルの複雑な表情を読み取ったか、カミーユがそう声を掛けてくる。
「この場ではないと思いますが、一度は戻って来るでしょう。今夜はおそらくグルド山――グリフォンの実家?で夜を明かしてくるかと。明日には竜化は解けていると思います。」
「……そうか。戻ってきたらなんとかフォローしてやってくれ。双方の為にな。」
「はい。」
カミーユの言葉にアデルは静かにうなずく。
「今回の顛末は全て殿下に報告させてもらう。罪に問われることはないと思うが……どこかで軍かギルドの尋問くらいはあるかもしれない。覚悟しておいてくれ。」
「わかりました。」
アデルが静かに答えるとカミーユはアデルに退出を促した。
結局その日はその丘で夜を明かすこととなった。
既に陽が沈みかけていることに加え、3日連続の戦闘に心身ともに疲れ果てていた為だ。勿論警戒は怠らないが、事前に周辺に索敵を掛けたうえ、敵性戦力は周囲にもう残っていないと判断された。
戦自体の勝利は宣言され、酒も振舞われたが、出撃前日の様な喧騒は全く起きなかった。ただただ、己と仲間の無事を喜び、或いは失った仲間に捧げる鎮魂の酒と言ったところに落ち着いていた。
少々困った問題として、ネージュがいなくなったことで第1、第4陣地で捕虜となったケンタウロスの扱いに困ることになったが、ブランシュが片言の蛮族語で一応の意思疎通を図れることはできた。
アデルが引き受けることになっているハンナとピート、ウルシュラはグリフォンと共に東へ飛んだ白竜をはっきりと目撃していたらしく、あれがネージュであると聞き、少々顔色を悪くしていた。
アンナは夜半過ぎ……すでに周囲が白みを帯びてくる頃になってようやく目を覚ました。それまでアデルは一睡もできておらず、言葉が出てこなかった。目を覚まし困惑の表情を見せたアンナをただ1度強く抱きしめるのみだった。
アンナは戦勝の方に安堵すると、周囲にネージュやオルタがいないことに気付き、その顛末をアデルに尋ねた。
アデルはかなり掻い摘んでアンナに伝える。アンナの負傷に際してネージュが竜化したこと。矢を射かけた者を返り討ちにしたこと。更に一部から攻撃を受けそうになったところで、ブリュンヴィンドに先導されてグルド山へと向かったこと等だ。ジーンの件や、それ以外の悪い風評に関してはアンナには伝えなかった。
アンナがもう少し詳しく聞きたいと思ったところで、またしてもシャルがアデルにカミーユの呼び出しを伝えに来る。
アデルとアンナが出頭すると、カミーユはアンナを見て必要以上に気を遣ってくれた後にアンナに依頼を出した。当初はアデルに出すつもりだったが、出来るならアンナに頼みたいという。
依頼は報告書を“速達”として王宮に届けることだ。送り先は王太子レオナールだが、直接でなく王宮の武官に頼みレオナールに届くようにしてくれれば良いとのことだ。ブランシュに無理はさせるなと言われている上にアデル自身も一人アンナを送り出すことに抵抗があった。しかし、ネージュらが戻ってきた場合の備えやハンナ達の対応にアデルが必要であると言われるとそちらも心配になる。結局、カミーユの思惑を汲んでアンナが単身書状を届けに王都へ行くこととなった。
それが更なる難事と戦、出会いと再会、そして別離への序章となるのである。




