前哨
その日、アデルは蛮族軍南拠点の数キロ手前の連絡陣地の上空付近をブリュンヴィンドに乗って偵察していた。
同行しているのはサポートとしてのアンナだけだ。ネージュは夜間の偵察に備えて、今日はまだイスタで休んでいる。
アデルが今望遠鏡越しに見ているのは、かつてネージュ(鬼子)を門前払いにした村の跡地だった。
結局、今回の蛮族軍の展開で襲われ、滅ぼされ、今は蛮族軍の前哨陣地となっている。
布陣しているのはオーガ中隊1つ、それに5騎程のケンタウロスの“騎士”であった。そのケンタウロスは全員がご丁寧にも、騎槍と、短弓を携えていた。
アデル達が飛行しているのはその陣地手前200メートル、高度70メートルといったところだ。肉眼では輪郭が分かるかどうかといった程度だが、アデルが持っている望遠鏡なら何となく様子と動きくらいはわかる程度にはなる距離だ。
今回アデルが偵察に来た目的は、夜の偵察に先がけて、敵軍の昼間の活動範囲、警戒範囲の確認と考察、それと指揮系統等を含む生活状況の観察であった。
現在、アデルが偵察しているのは二つ目の敵陣地である。
村の周囲は踏み荒らされ、掘り返された畑が囲んでおり視界を妨げるものはない。100メートルも裏手に回れば、すぐ森になってはいるが、そちらで何かをしている気配もなかった。
元々夜行性であるオーガやオークは日中、休んでいるらしく屋外に姿を見せていない。昼行性であるケンタウロスと雑兵であるゴブリンが周囲を警戒しているだけで、巡回部隊、警邏隊と云う様なものも確認できなかった。
5体のケンタウロスは、2つある村の入口に2体ずつ立っており、時折もう1体がどこか――おそらくは収奪した村の家屋のうちの一つだろう――から現れ、状況を確認する姿が見えた。ゴブリンとはほとんどコミュニケーションは取らない様で、彼らと接触するところはこの30分では見られていない。
先に偵察した1つめの陣地も同様で、その辺りの横のつながりのなさは覗えた。
まあ、昼はこんなものか――
アデルがそう思い、望遠鏡から目を離そうと思った瞬間、手前の門の右に立っていたケンタウロスと目が合った気がした。勿論、距離や視力からして互いの顔が見えているとは思えない。しかし、目が合った気がしたのだ。そしてそれは気のせいではないとすぐにわかる。そのケンタウロスは背中から弓を取り出すと、こちらに向けて矢を番えたのがわかる。
「うそだろ!?」
アデルはまず驚いたが、そこはすぐに対処をする。
「矢が来るぞ。数は少ない筈だが――気を付けろ。」
アデルがそう言い、左手で背中から楯を取り構えると、すぐにブリュンヴィンドに高度をとらせ、後方へと下がらせる。アンナもアデルの言葉と行動にすぐに反応し、同様に数歩分の距離を後退し、楯を構える。
やはりケンタウロスは見えている。アデル達が高度を上げたのを見て、弓の角度を上げると一つ矢を放ったのが見えた。
楯を持つアデルやアンナならともかく、防具らしいものを一つも身に付けていないブリュンヴィンドには1本の矢でも十分な脅威だ。勿論、急所でなければアンナによってすぐに治療が行われる状態ではあるが油断はできない。
アデルが集中し、ブリュンヴィンドを守るべく楯を構えると、アンナが少し前に出て移動した。
「おい!?」
アデルがアンナに注意を促そうとした瞬間、カチンと硬い音がする。
「1本くらいなら大丈夫です。威力もかなり落ちていましたし、見えました。」
アンナはそう言うと、器用にも楯で受けた矢を掴んだ。グスタフとの訓練を経て色々開き直ったのか、アンナの《戦士》としての才能も開花し始めていた。先のイスタ防衛まではほぼサポート専門だったが、対巨人戦も含めて今では自衛だけでなく、前衛としても充分な仕事が出来る様になっている。もしアデルやオルタがいない別の同期パーティであれば十分にエースを狙える実力である。
しかし、オルタを加えた今、近接戦の前衛は厚くなり、アデルとしてはやはり少々の心配もあり、できれば後ろで支援に専念してもらいたいと云う気持ちもある。ただ、アンナも自衛しつつ壁としての役割を果たせるならば、ネージュがよりフリーとなり、強敵単体への攻撃力は間違いなく上がることも確かであった。特に対ケンタウロスとして矢の雨を想定するなら、矢除けの風魔法や楯とする氷魔法は前衛にあって益々大きな力となる。
「鏃に毒が塗られていないか調べてもらいましょう。」
アデルの心配と言うか考え事もよそに、アンナは真剣な表情でそう言ってくる。
「そうだな。毒の種類も判れば薬の用意も出来るかもしれん。」
アデルはそう頷き、その陣地を後にした。
夜間の偵察は相手の補給路の確認である。展開からすでに3ヶ月、東部の村々で奪ったものだけでは南拠点を維持するだけでもすでに物資は尽きている頃だ。特に前哨の陣地などに物資の余裕などあるとは思えない。で、あるなら、軍の展開、士気の維持にもどこかから生活物資が送り込まれている筈である。カミーユはそう言いながらアデルらに偵察の依頼を出していた。即ち、アデル達にとっての本命の仕事がこの夜間偵察となる。ただ蛮族にとっては昼よりも夜の方が活動しやすい筈だ。外見、特に顔を含む上半身部分が人間に近いケンタウロスは、人間同様、暗視能力はないと言われている。実際、彼らが夜に行軍するときは何かしら灯りを携行する常であるが、雑兵であるゴブリンやオーク、それにオーガは、夜でもそれなりの視界を持っている。実際、村の襲撃の大半が夜襲であり、アデル達が迎撃したときも大抵夜の出来事である。
そのため、物資の搬入などは夜に行われるだろうと見込まれており、そちらの偵察をネージュに任せる予定となっていた。
アデルは偵察に向かうネージュに、ケンタウロスの話をし、矢には注意する様にと伝え、望遠鏡を渡す。
「あいつら、夜は殆ど何も見えないらしいし?」
ネージュはそう言うが、油断しない様にアデルが注意する。
「かといって、欲張って近づきすぎなくていいからな?鋭敏なヤツなら羽音や気流で気取られる恐れがあるからな。」
「……流石に単独でそこまでは接近はしないと思う。」
ネージュは静かにそう返した。餅は餅屋と云う訳ではないが、蛮族は(元)蛮族、その脅威と能力はネージュが一番承知している様だ。
「ならいいけどな。主な目的は前哨陣地の物資補給とタイミングの調査だ。」
「ん。」
ネージュは小さく頷くと、アンナに不可視の魔法を掛けてもらい、東へと向って行った。
夜半過ぎ、アデルが居間でうとうと休んでいるとネージュによって起された。どうやら雨に降られた様で髪やら装備やらが濡れていた。
「降られたか、先に着替えて風呂だな。準備してやる。」
「ん。」
アデル達の気配に気づいたか、アンナとオルタも起き出してくる。
「あちゃあ、降られたのか。ご苦労さん、茶でも入れるか。」
オルタはそう言いながら台所へと向かう。急速湯沸し魔具を風呂に使う為、台所での火は石炭となる。オルタは油紙を石炭コンロ差し込み着火具で火をつける。その間にアンナがネージュの濡れたレザースーツを外すのを手伝い、アデルが急速湯沸かし魔具で、自分たちが使った残り湯を再度暖めなおす。
程なくして用意できた風呂にネージュが浸かった後、アデルらはその報告を聞いた。
もたらされた情報は意外な物だった。
「前哨の陣地だけど、あれ、下っ端部隊の持ち回り制みたいね。中隊が自分たちで物資を台車で運びながら前哨陣地へと向ってって交代してた。馬の方が一つの場所に常駐しているみたいね。今日だけだと交代の周期はわからないけど……同じところを1週間も見張ってれば分かるんじゃないかな?」
「……なるほど。輸送隊がある訳でなく、拠点と陣地でローテーションを組んでいたのか。」
「まあ、奴らに輸送専門の部隊なんていう考えは出てこなかったみたいね。交代直後かその早朝あたりを狙えば結構簡単に落とせるかもしれない。」
「ローテーションなら異常があれば自動的に分かるって寸法か。交代は……1日1箇所な感じかね?」
「多分そう。拠点から出てったのはその1部隊だけ。」
「……と、なると、交代周期は拠点の数と同じかな。と、なると……思っていたよりザル警備かもな。これはいい情報になりそうだ。お疲れさん。昼までゆっくり寝てくれ。」
「ん。」
アデルがネージュの頭を軽く撫でながら報告を労うとネージュは自室へと向って行った。
「うーん。兄ちゃん。頼みがあるんだが……」
ネージュを見送り、寝なおそうと考えたアデルに、オルタが少し思案しながら言ってくる。
「どうした?」
「1日……じゃちときついか。丸2日、ブリュンヴィンドとアンナかネージュを貸してもらえないか?」
「む?」
オルタの言葉にアデルが眉間を寄せて聞き返す。
「いや、一度レイラの所に行って、俺もその手の暗視用の兜を用意してもらおうかなと。一応もう少し詳しく偵察するだろうし今日明日でいきなり作戦開始とはならんだろう?で、もし作戦があるとしたら……」
「夜間か早朝に各個強襲が有効な手だよなぁ……」
「うん。」
アデルの返事にオルタが頷く。
「わかった。俺もそっちの方が動きやすそうだしな。認めるけど、協力は個々に頼んでくれよ?」
「わかってる。」
アデルの言葉にオルタは短く答え、アンナをチラリと見る。
「え?ええ、アデルさんがそう言うなら……ブリュンヴィンドには明日の朝に聞いてみましょう。」
「よろしく。」
アンナの言葉にオルタは頷いた。




