蛇の道は
四半刻だろうか、かなりの時間を待ったところで先程の兵士が部屋に戻ってきた。
兵士が先ほどされたように今度はベックマン侯爵に耳打ちをすると、ベックマンが立ち上がった。
「場所を変えたい。全員でついて来てくれ。」
全員という事はアンナとブリュンヴィンドもなのだろう。アデルはそれに従いベックマンの後ろを歩いて別の部屋に移動する。うろ覚えだが見覚えのある部屋だ。内々用の応接室、国王や軍務卿、国務卿や財務卿ダールグレンらと会談した部屋である。
「お連れしました。」
ベックマンが丁寧に扉を開け中に伝える。ベックマンの言動からすると中にいるのは目上、恐らくは――
「失礼します。」
ベックマンに促され、中に入るとそこで待っていたのは1人だけだった。ドルケン国王グスタフである。
「もうそんなに大きくなっていたか。」
国王はブリュンヴィンドを見た瞬間に目を細めてそう言った。
「4~5か月目くらいでしょうか。」
「もうそんなになるのか。今年は特に月日の流れが早く感じる。」
順序はめちゃくちゃだが、アデルが改めて国王の前で跪いて見せると、アンナもすぐにそれに倣い、ヴリュンヴィンドは座る。プルルの死で前後の見境を失くした上にグリフォンの代理人として少しでも有利な交渉を、と会った初回は随分な大立ち回りをしたものだが、准騎士としてワイバーンを拝借している手前かアデルは丁寧なあいさつを述べる。
「公式の場ならともかく……今は不要だ。」
国王はそう言うとベックマンに合図を送り、ベックマンがアデルらに着席を促した。
「アニタについて話があるそうだな?」
アデルらが着席したのを確認して国王が言う。国王はアデルに言ったがその視線はすぐにアンナへと向けられる。
それに気づいたアデルはアンナに小さく声を掛ける。アンナはそれに頷くと自分の髪の色を本来の色に戻した。
「おお……」
呟きを漏らしたのは国王だ。ベックマンは単純に驚いたという表情を浮かべている。
「アニタさんと一緒に陛下のキマイラ討伐に遭遇し、支援したと言う翼人に会いました。今のところその人の話を丸々信じたわけではないのですが、気になる話を聞かされまして……内々にお伺いしたいことがあります。」
「申して見よ。」
まずはアニタらが関わったと言うキマイラ討伐が本当にあったのか確認しようと思ったが、この様子では有ったとみて話を進めていいのだろう。
「アニタさんのお連れさんが言うには、討伐成功の後、城への招待を受けたものの、その折彼女らは入国許可証を所持しておらず辞退したと。その後捜索されていた様なのでまずアニタさんだけが出頭したとのですが、その後、音信が途絶え、今でもずっと噂を頼みに探しているとのことでした。先日、アンナの口からアニタの名前が挙がった時に、陛下から『母は息災か』という声が掛けられたと思います。10年から20年前、その連れの方とアンナの記憶にない時期の部分の話をもしかしたら何かご存知なのかと。」
昨夜、不安に震えるアンナを抱きとめながら、極力リシアに咎が及ばぬ様にと危うい部分を削って用意した言葉を述べる。
「……」
国王は険しい表情で沈黙した。流石に『あなたの隠し子疑惑を払拭したい』などと言えよう筈もない。相当遠回しな言い方をし、万一部外者の耳に触れたとしてもそれだけでは伏せられた疑惑には結び付かない筈だ。
しかし、険しい表情で黙り込む国王にアデルは不安を感じた。
「それを知って何とする?」
「いえ、現時点では何も。もし会う事が出来るなら、あの村に預けて姿をくらました理由を聞いてみたいと。“捨てた”と、“預けた後に戻れなくなった”とでは大分違うと思いますので。」
「……それを何故余に訊ねた?」
「その連れの翼人が言うには、招く口ぶりなどから傍に置きたいような感じだったと……その後いろいろな噂があったようでして。勿論噂ごと否定されるならそれでも良いのですが。」
「……そなたもそれを望むのか?」
国王がアンナの顔を覗きこむ様にしてそう尋ねる。
「……いいえ。私にはお城や王室の話など分かる筈もありません。アデルさんが私達の身の安全の為と言うのであればお任せします。勿論、母やあの村に思う処はありますが……私は“今こうして生きていられる”事に感謝しています。」
「……あれ?」
アンナの声に少々抜けた声を上げてしまったのはアデルだ。
「ネージュの話や今迄のことを考えて、今を思えば、今はもう十分です。」
「まあ、珠無し竜人と比べたらな……」
小声で言うアンナにアデルは微妙な心境で納得した。先に部屋へと連れて行ったネージュからネージュの体験談か何かを聞いたのだろうか?一昨日、アニタの名前を聞いた時からの不機嫌度全開振りを思えば随分と大人しい。国王を前に遠慮しているという訳ではなさそうだが。
「そうか……相わかった。最初にグリフォンの遣いとして見た時からずっと気にはなっていたのだが……やはり誤解は解いておかねばな……」
誤解を解く。その言葉にアデルとアンナは頷きながら息をのんだ。
「翼人を目にするのは初めてだった。窮地に現れ、進退窮する状況をほんの数秒でひっくり返したのは天の使いを思わせる容姿、武技もまた見事なもので、我ら無骨一辺倒の中にあって一際優雅な槍捌き、武人としても――男としても本当の一目惚れであった。」
国王が目を伏せた。
「あちらの事情を知らず――尤も許可証不所持はあちらの不手際なので如何ともし難いが、招待を拒否された余は初めて世の中で思い通りに行かぬことを覚え、躍起になってアニタらを探した。」
そこで一つ息を吐く。
「余も若かった。これに関しては父王らの力を借りるわけにもいかず、何としても我が手で我が物にしようと手を尽くしアニタを傍に置こうとしたのだ。あの時はまさに盲目であった。これではフィンの者ども?を謗る?ことも出来んな。しかし当初はアニタの方にも打算があった様だ。我らに取り入り、隠れ里との物資の売買や交換を極秘に行うというな。裏で――これ以上は無粋か。」
何かを言いかけた国王だったが、敢えてアンナに聞かせる話ではないと言葉を飲み込み、少し間を置く。
「3年掛けて、互いに利害関係以上の仲になり、1年正式な――公式ではないがな――交際をした。しかし、程なく政治が絡んだ婚姻の話が浮かび上がると、そちらに軸を移さなければならなくなった。勿論周囲も……今の第一妃も我らのことは知っておった。それでもなお、婚姻を優先し、今の妃を正妃とするなら、アニタを側妃として後日正式に迎えるという話まで浮かんでおった。だが、それが許されなくなる事態が起きた。済まぬがここから先は言えぬ。両家とも内政を考慮し、家同士のつながりを強めることを選んだのだ。勿論、最終的に選んだのは余だ。故にアニタの出奔とそなたの出生に掛かる責任はすべて余にある。」
「ではアンナは……?」
「その腕輪には名が刻まれているであろう?アンジェリナ。それが我らの子の名前だ。本当に申し訳がない。その後、こちらが落ち着いた後に探してみたが足取り等は全く掴めなかった。全てこちらの都合だ。アニタと……そなたの運命を捻じ曲げてしまったのは他ならぬ余だ。アニタを恨むなら余を恨んでくれ。憎まれるべきはアニタではなく我なのだ。」
「…………」
アンナもアデルも、そしてベックマンも言葉を失っている。
「最初にあった時、そなたからアニタへの憎悪を聞かされた時、胸が張り裂ける思いだった。その後も常に悔恨の念が胸に残り続け心が休まる事がなかった。今更許せとは言わぬ。が、せめて責め、恨むのはアニタでなく余を恨んでくれ。どうか……」
国王が頭を下げる。本来なら止める筈であろうベックマン侯爵も険しい表情で国王に倣っている。恐らくは知っていたのだろう。
「すぐには難しいと思いますが……改めて気持ちを整理したいと思います。……私は……その……どうなるのでしょう?」
「……今更親の顔をする訳にもいかぬ。国内的にも親であると名乗り出ることもできぬ。そなたの望む様にするが良い。だが、もし何か困ったことがあればいつでもベックマンを介して相談してほしい。出来うる限りのことはする。」
直接王に取り次げと言えるわけもなく、その為にベックマン侯爵を介せというのだろう。実際、こうして急遽来訪し、ベックマン侯爵と通じて国王と会っているのだから。アデルはそう考えたが、理由はそれだけではなかったようだ。
国王がベックマンに視線を送り退出を促す。ベックマンは国王に一礼すると、アデル達を先の執務室へ戻るようにと指示をする。
アデルとアンナも国王に一礼してベックマンより先に退出する。最後にベックマンが再度一礼し、扉を閉めると来た時の逆の順路で執務室へと戻った。
「軍務卿はご存じだったのですね?」
「……陛下の正妃は我が妹だ。アニタ殿の出奔の一因は当家にもある。」
「側妃を蹴って出奔した理由は分かりますか?」
「……今この場では言えぬ。」
そう言うと、ベックマンも神妙な顔で頭をアンナに下げたのだった。
アンナは言葉を発することもなく、ただ腕輪を外し、その内側に刻まれた名前の意味を初めて確認したのだった。
アデル達はその日のうちにイスタへと戻った。
最初に、2国間会談に関することの報告をと考えたが、彼らのパーティはアデル以外基本的に戦闘以外の判断はアデルに丸投げだ。況して、ドルケン北部の“依頼”に参加していないオルタや、当事者ではあるが詳細部分に関われていないカミラには敢えて聞かせる必要はないと、あとでネージュに釘を刺すことにすればよいと、アンナに関する報告をする。
一通りの話を聞き終えたところで、当然の如く激高したのはリシアだ。だが同時に一つの疑問が浮かんだアデルはリシアに確認をする。
「どういう形かは伏せられましたけど、隠れ里への支援は行われていた様ですし、そちらでの情報はないのですか?」
その問いにリシアは言葉を失った。
「もしかして確認していないのですか?」
「あれから里には戻っていない。アニタなしで戻ろうという気も起きなかったからね……」
「親友とは……」
憮然とそう答えるリシアに煽るようにネージュが言うが、リシアは言葉を返せないでいた。
「それならなんで隠れ里でアンナを育てなかったんだ?」
アデルと同様の疑問に至ったオルタがそう尋ねると、今度ははっきりと否定する。
「難しいだろうな。隠れ里は隠れ里というだけあって閉鎖的だ。」
答えになっていないようだが、オルタやカミラを含めた全員がその言葉の裏を理解する。どこも同じだ。混血児を是としないのだろう。
「しかし……正妃も納得したうえでの側妃候補だったのをなんで蹴って出奔なんてしたのだろう?」
アデルのもう一つの疑問はオルタによって宙へと浮かされた。
「兄ちゃん……分かってたんじゃなかったのか……」
オルタは小さな声で耳打ちをする。
「嫡子となるべき公的な第一子が第一子じゃなかったら大問題だろ?」
そこへ来てようやくアデルは理解した。国王や軍務卿が頭を下げてまで伏せた理由。それは余りにも身勝手であり、アンナにとって精一杯の配慮であったのだ。




