王家の思惑
翌朝、昨晩遅くに戻ってきていたディアスがアデル達の家へとやって来る。
ディアスはすぐにアンナの様子が冴えない事に気づいた様だが、アデルが肩を竦めるとアンナとリシアのやり取りを少しだけでも見ていたせいかその場で口を出す事はなかった。アデルに招かれて屋敷に入ると、ディアスは早速気になっていたオルタの剣を見せてもらうと、ディアスだけでなく、ソレを初めて目にしたアデルもまた、ただただ唸るばかりだった。とんでもない逸品だ。
「まあ、仲間には見せておかないとな。基本、人前で抜く気はない。ある意味最後の奥の手ってやつさ。」
オルタがそう言いながら引き抜いた剣の刀身は鞘相応の厚みを持った透明なものだった。ディアスが以前アルムスから購入したというクリスタルソードよりもさらに透明度が高く、片側に磨かれた刃がしっかりとしている。ディアスとアデルがその剣に見とれていると意外な所から声が掛かった。カミラだ。
「これは……超硬質ガラスか。見事な物ね。公国でも製造技術を持つ者は少なく、ここまでに仕上げられる者は国でも片手で数えられる程の数しかいない筈よ。そもそも超硬質まで扱える設備が大陸でも片手で数えられる程度しかなかった筈よ。」
「超硬質ガラス?こちらは聞いたことすらないのだが?」
カミラの言葉にディアスが眉を寄せる。
「え?知らないの?武器工場の窓とか、王室の窓とかに良く使われている筈だけど。」
「……因みにその大陸の名前は?」
「え?……難しい質問は後にしましょ」。
「ソウデスカ。」
カミラの知識・発言が時折オーパーツ化する事はすでに二人共承知している。下手に深く突っ込むと大抵は悲しそうな顔をするので、そう言う場合頭を掻きながらそう答えるしかない。しかしそのニュアンスをしっかりと感じ取るとカミラは暫し無言になる。これもいつものことではある。
「素材や作り方に関してはさっぱりだが……確かにこれは奥の手として悪くない。むしろ良い手だな。余り人前で見せたくないと言うのもうなずける。今迄実戦で使ったことは?」
「2年前に1回だけだな。ベルンの海軍を率いてた将の中に1人やベー奴がいたその時だけだ。」
「ほう……」
ディアスの言葉にオルタがそう答える。プレートメイルを叩き潰す鈍器がほぼ一瞬で不可視の刃に変わるのだ。相手にしてみれば相当な脅威となるだろう。それに強度の方も今まで損傷していない所を考えると充分であるのだろう。もし損傷していたならおそらくは今の技術では修復不可能である。
その後、3人にネージュを加え、海の話、海戦の話で少し盛り上がったところで、アデルの家に執政部から使者が来てアデルとアンナに庁舎へ来るようにと告げた。同時に「出来れば」とディアスとソフィーも呼ばれ、ディアスはソフィーを連れてすぐに向かうと一旦分かれた。
会議室で彼らを待っていたのは、エストリア辺境伯の臣下である執政官と先の侵攻の折、王都から防衛の援軍に駆けつけた将軍のうちの一人だった。
「『兄上殿』と直接話をするのは初めてだな。先日の活躍は目にしている。私は王太子殿下にこの地域の防衛顧問に任命されたカミーユ・エルランジェだ。殿下は今立て込んでおり、こちらにお見えになられるのはもう少し先になる。先に私の方から状況の説明をしておこうと思う。」
エルランジェ将軍はそう言うと、アデルに右手を差し出した。
「アデルと言います。先日このイスタに越してまいりまして……よろしくお願いします。」
少し身構えながらもアデルはその手を握り返した。将軍をしていたところを見ると恐らくはそれなりの爵位持ちだろう。後でソフィー辺りに確認せねば。
簡単な挨拶を済ませると、誰も彼も忙しいらしくすぐに本題へと移る。アデルが出立してからの経緯はこうなっている様だ。
2週間ほど前に、仲間の救出が成されないと痺れを切らした?東の勇者が残った仲間と共に北東蛮族拠点へと向かうと、それを止める様にエストリア防衛隊、レナルドがエストリア兵200を連れて出撃。しかし、勇者を翻意させるに能わずそのまま勇者隊を守る形で交戦すると、驚くほどあっけなく蛮族軍が撤退したと言う。しかしそれで勇者たちの目的が達せられることはなかった。事態は彼らにとってもより悪い方へと進む。
囚われた神官は、竜人の右腕に対する報復とばかり苛烈な拷問を受けた後の様で、見るも無残な状態になっており、勇者や村、国への恨みをぶちまけながら発狂しかけており、さらに囚われていた別の勇者の知り合いという女性が竜人によって連れ去られたという。レナルドの報告によると、名前をフォーリというらしく、ドルケンの東の遺跡で邪神に捧げると宣言して去り、真に受けた勇者隊はそのままそれを追って行ったとのことだ。更に勇者たちは怒りか正義感かドルケンの北東の蛮族拠点を襲撃した様でその報復と言う名目で蛮族軍がドルケン北部に侵攻したというのが現状だと言う。
ここでアデルは初報を聞いた時の疑念を述べる。蛮族がわざわざその手の布告や報復の宣言をしてから仕掛けてくるものなのだろうか?という物である。
それに関しては、王太子やドルケン政府も疑問を持った様だ。ディアスやソフィーも西部で幾度となく蛮族の相手をしてきたが、奇襲は好むがその手の名目 声明 題目を?あげてから襲撃は聞いたことがないと言う。
西部と東部・魔の森の蛮族が別の種族・部族であるとは考えられるが、この辺りは後でこっそりとネージュを交えて話をするべきかもしれない。少なくとも、コローナ・ドルケンの為政者たちはその行動に疑念を持ち分析をしているとのことである。
話はこれまでの経緯に戻る。
勇者たちの進撃の後には、さらに別の竜人が率いた大規模な軍が北東拠点を再び奪いに来て交戦、エストリア兵の被害が拡大する前にレナルドは何とか撤退に成功したという。しかし、それで勢いを増したか、さらに報復と言う形で、エストリア東部でいくつかの集落が襲われた様で、現在情報収集中との話であった。一昨日までその情報収集の支援していたのがディアスとアンナだったという。そこでその後をディアスが引き継いだ。
「エストリア東部の村が4つばかり襲撃に遭って滅ぼされていた。俺らが見つけた時には既に蛮族軍は撤退した後だったが、調査の結果、蛮族軍は30~50体程の少数で行われたと推測される。足跡等の痕跡からすると、お前が言うところの奴らの基本構成ってやつだな。オーガが率いる中隊だろう。アンナの魔法支援で一度だけ北東拠点の偵察を行ったが、今度来たあちらの指揮官は例の隻腕竜人とは違う、女の別の竜人の様だ。」
「……もしかして、それでドルケンに逆恨みされたとかですか?」
話を聞いてアデルは少々欝な気分になる。フォーリが生きていて凶悪な竜人に連れ去られた。ヴェーラの気持ちも判らなくはないが……
「事件の後、すぐに申し入れがあり、協議を持ちこちらの状況は説明した。近々改めて協議を行いたいのだが、その場に君の立会いが欲しいと殿下が仰せだ。」
アデルがドルケンで准騎士の称号を貰った事、ドルケン中枢に僅かでも影響力を持った事はおそらくは王太子も知っているのだろう。しかし流民であるアデルにその仲立ちを期待するのも如何な物か。あの王太子なら別の事も狙っているかもしれない。そしてこのタイミングでアデル達はドルケン王のスキャンダルのネタを手にしてしまっているのだ。だが、それを知る者はまだコローナにはいない筈だ。それとも――
「その協議とやらですが、ドルケンから誰が来るかはわかっていますか?」
「軍務大臣のベックマン侯爵がお見えになるとの事だ。恐らく翼竜騎士も数名は伴われるだろう。」
「そりゃまあ、護衛も来るでしょうけど……軍務卿だけですか。……なるほど。お話しはわかりました。明日以降というのであれば問題はないと思います。予定が決まり次第教えて下さい。」
「分かった。」
「通達は以上ですか?」
「うむ。ご苦労だった。」
「すみません、グランはどうなっているかわかりますか?」
エルランジェ将軍の用件が終わったのを確認すると、アデルは自分の質問をしてみた。
「――詳細はまだ入ってきていない。王都グラマーがフィンの手先であるカールフェルトのフロレンティナ将軍に落されたという情報しかない。次に君達と会う時までにはもう少し情報が入っているだろう。」
本当なのか、或いは王太子に詳細はまだ伏せる様に言われているのか、とにかくエルランジェ将軍はまだ情報が入っていないと言うので、それ以上聞く訳にもいかずアデル達はその場を退出した。
「どうする気だ?」
庁舎から離れた所でディアスがそう声を掛けてくる。
「どうする気と言われても……まあ、立ち会って意見を求められたら言うくらいでしょうかね。さすがに一冒険者に戦略やら戦術やらを扱わせる事はないかと。連携するとなると、伝令くらいはやらされるでしょうけど。その辺りはまあ、報酬次第ですかね。」
「結局、竜化に関しては分からず仕舞いか?」
「微妙な所でした。まぐれでの一発と云う訳でなく、条件を満たせば可能になるだろうと言う話でしたが、その条件がはっきりとしませんね。竜玉らしきものが体内にあるか、竜の血が濃いんじゃないかという話でしたが、現時点で任意でというのは難しそうです。そうそう。竜化ですが、一度やると暫くは出来なくなるらしいです。あと催眠等で意識を失くさせれば解除ができるかも?」
「「ほう。」」
アデルの言葉にディアスとソフィーが関心を持つ。アデルは受け売りだがと、竜玉と魔素容量の関係などを説明し、最後に自分の仮説ははっきりと否定されたと伝えた。アデルの説明にソフィーが手を顎に当てて考え込む。
「興味深いわね。でも珠無しが知っている情報で且つ、自分たちでの争いも絶えない種族であると考えると、ある程度の対策は取られていそうね。」
「まあ、分かりやすい欠点だしなぁ。しかし、全く手を出せないという訳でもなさそうだな。」
ソフィーはすぐには結論が出なかった様だが、ディアスがそう言うと顔を合わせて頷き合った。
ディアス等と別れた後、アデルは一旦自宅に戻ると、留守番していた者達に今の話を聞かせると、意外なところから情報が得られる。オルタだ。
「カールフェルトのフロレンティナ将軍だって?そりゃあまたエグいのが。」
「知っているのか?オルタ。」
「ある意味で有名だからね。レイラの部屋で滅んだ3国の話しただろ?」
「ああ。不和の3国同盟だっけ?」
「うん。それの一番大きい所の“元”女王がフロレンティナだ。早い段階でフィンに降伏したあとは、積極的にタルキーニ攻めに参加して“フィン式”統治法をいち早く取り入れてね。フィンからは“外様”扱い、旧3国連合からは、自領カールフェルトからも売国やら裏切者呼ばわりされた結果、かなり苛烈な統治をしてるって話だ。」
「分家の筈の公国に追い抜かれたんだっけ?そりゃあまた。でも裏を返せば、そんなの外様にすらグランは勝てなかったってことか。」
「遠征軍自体はフロレンティナ将軍だけじゃない筈だしね。あと、前の軍務大臣が失脚した後釜が軍人としては微妙って話だったから……もしかしたら前大臣の失脚にもフィンが絡んでるのかもね。」
「……フィンて意外と謀略や調略もやるんだな……」
「フィンと言うよりもフロレンティナ将軍か。本人も《魔術師》としてかなりの高レベルだった筈だよ。勝つためには手段を選ばないって話だ。『力こそすべて』というフィンにあって、『勝者だけが正義』って感じな人だ。俺は今のところ敵じゃないから評価してるよ。けど、敵にとったら悪夢というか悪魔だろうけどね。」
「今迄敵将の評価なんて気にしたことなかったけど……そうは言っていられなくなるのか。できりゃ関わりたくないがなぁ。」
差し迫った脅威とは別なせいか、アデルは何の気なしにそう呟く。
その後アデルは、先に一度ドルケンの様子を調べてくると告げる。アンナとブリュンヴィンドを同行させ、オルタやカミラはネージュの案内で一度冒険者ギルドで話を聞き、可能ならその場で登録して貰う様にと指示をする。リシアに関しては、出来れば基礎的な精霊魔法をアンナに教えてやってもらいたいところだったが、それぞれがアニタに持つ感情やジルニアの『無理に相性の悪い魔法を覚えさせないほうが良い』という言葉を思い出し口にはしなかった。そもそもアンナにはドルケンに同行してもらうつもりなので予定が合わない。リシアに尋ねると、リシアはもう少しイスタの様子を見て王都に戻るつもりであると答えた。出来ることなら“不可視”の魔法を教えてもらいたいらしい。アンナが判断に困ったのかアデルの顔を覗うと、アデルはせっかくだしこちらも少し教えてもらうという条件で後日にでも時間を取ろうと答え、この後の留守中はネージュ達に付いているようにと言った。特に急ぐ用事もないのだろう、リシアもそれを受け入れる。
アデルは早速2人を伴い騎手ギルドでワイバーンを引き取ると、ワイバーンとヴリュンヴィンドに“疲労軽減”の魔法を掛けてもらい東を向けて離陸した。
「……やはり向かったか。誰が行ったか報告させろ。」
東へと向かう翼竜を庁舎の2階の一室から見あげながら予定が立て込んでいる筈の男が言う。
「はっ!」
「それから例の商人が戻り次第確認しろ。あの森人や“フィンの女王”との接触の有無をな。ヤツらと勇者の妹、それにロゼールが言う女、どれも監視は怠るなよ。」
「承知致しました。」
脇に控えていたエルランジェ将軍が恭しく頭を下げる。
現時点で全ての事象はレオナールの掌の上にあった。レオナールもまたそれを確信している。しかし今のレオナールの目が届くのはコローナ国内のみである。それがコローナ王家の者たちの運命を微妙に歪めていくきっかけになる。




